第239話 エキヌス
魔物狩りが休みの日でも仕事をしなければ
屋敷と言っても、地元の者ではなく外から入ってきた若い郷長夫婦の
何か仕事はあるかと聞くと、奥の倉庫の漁網を持って行っていいと言われた。あちこち切れて大きく穴が開き修理が必要だが、夏の間は製塩業が忙しく手が回らないらしい。
修理できたものから買い取ってくれるというので、材料の黒カモシカの
宿に戻ってカナトとハァレイと、3人で漁網の修理をした。やったことがなかったが、壊れていない部分にも修理跡がたくさんあったので見ればやり方はだいたいわかる。
3刻間ほどかけ、4人部屋の床いっぱいくらい大きさのある網を2枚修理することが出来た。
窓から外を見るといつの間にか大雨が降っている。
宿の鉄瓶で草茶を淹れて休憩していると、窓の外が光ってからかみなりの音が鳴り響いた。
「嵐みたいだな。ザファルたちはどこに行ったんだ?」
「狩りに出たんだと思うわ」
「花鼻畑モグリかな」
「そうかも」
カナトがその名を聞いて少し嫌そうな顔をした。3カ月前にこのバンサカ郷に訪れたとき、二人で狙うつもりだった獣系魔物だ。カナトの心の問題で魔石を取るのを断念した相手でもある。
地中を掘り進んで家畜を襲うし畑の作物も食べる有害な魔物で、他の郷では積極的に駆除されてしまう。
しかしこのバンサカ郷は硬い一枚の岩盤の上に作られているうえに、牧畜などは営まれずもっぱら製塩と漁業で成り立っている。結果として花鼻畑モグリがそこまで危険視されることがなく、仮想レベルが18にもなる魔物が人里近くに生息する珍しい場所として、バンサカは知る人ぞ知る穴場になっているのだ。
4人部屋の扉の前に気配があり、扉が開くと全身びしょ濡れのザファルが入って来た。ガリムも後から続いた。
「いやー、怖い目に会ったよ、あやうく雷に打たれて死んじゃうところだった」
「近くに落ちたのか?」
「100メルテはなかったんじゃないかな。慌てて帰って来たよ」
服を着替えるザファルのためにハァレイが外に出た。
脱ぎ捨てられた綿の上着に血痕があるのが見えた。
「獲れたのか、畑モグリ」
「獲れたよー。一匹だけだけど」
「ついてたな」
運がいいとカナトが言うのは当然で、いくら近くに生息していると言っても数刻間で見つかるほどではない。イリアとカナトが探した時は3日かかってやっと一匹と戦えただけだ。
「まあね。でも運だけじゃなく地中探査の魔法があるんだよ。これでも
「ということはひょっとして?」
「そうだね、レベル21になったよ」
話によると探査で見つけて爆地で地上に暴き出した魔物に止めを刺したのはリーナだそうだ。それなのに争うことはせず、黙って兄に魔石を譲ったらしい。
レベル21になったことでザファルは普通の『
『
宿で食事は出ないので、結局はいつもの料理屋に出向くことになる。
6人全員で雨具を被って外に出た。雨は少しも弱まっていない。
混みあう前にと思って10刻ごろに入店したのだが、既にほかの客が4人席についていた。3人は塩の買い付けに来た旅商人で同じ宿の客だ。
魚と野菜を煮込んだ汁と小麦粉生地を茹でたものを合わせた料理ができるというので注文する。
旅商人もイリアたちもよそ者だが、もう一人の客は地元住民だ。
長くこの郷を守って来た戦士であり、今は漁師として生計を立てている老人。雨粒が強く叩きつける小さな窓を見つめて食事が進んでいないようだった。
「御老人、なにをそんなに心配そうにしています? 小麦団子が溶けてしまいそうだ」
リーナが普段よりは丁寧な口のきき方で話しかけた。やはり氏族長令嬢であり、自分よりずっと年配の相手に対してはある程度礼儀をわきまえるらしい。
「……お嬢さんたちはこの郷の者ではないな?」
「うん、そうだけど」
「ならば知らんのも無理はない……」
「なにをです?」
リーナの詰問に対し、老人は顔をそらた。
「ちょっと! 教えてもらえないと不安になる!」
「……この季節、こういう嵐が夜までつづくと海から魔物が上がってくることがあるのじゃ。エキヌスという恐ろしい魔物で、剣でも槍でも倒せない…… いつになったら止むのかと、不安でな……」
老人の不吉な物言いに、リーナは顔色を悪くしている。
小麦の生地を包丁で切り分けている店主も話を聞いていたはずだが、何も言わずに無表情で作業を続けていた。
その日の深夜、男部屋の扉が激しく叩かれる音がした。戸口の近くで寝ていたイリアが目を覚まし、誰かと訊くとリーナだった。
起きて開けると、黄色い戦衣を着こんだ少女がロウソクを持って立っている。
「なに……?」
「外が騒がしいんだ……! エキヌスが来たのかもしれない……!」
「そうなの?」
「聞こえるだろ!」
廊下の突き当りの窓に連れて行かれた。覆い布をめくりあげると灯壺の明りが見える。
ガヤガヤという人の声も聞こえるし、鉄装靴が地面の岩盤を歩く音も複数聞こえてきた。
「魔物が来たんだ! 私たちも支度して出るぞ!」
「必要あるかな? 助力が要るならアイラさんか誰かが呼びに来ると思うけど」
「そんな悠長なことを言ってる場合か! お前ら時間がかかるんだから、呼ばれる前に準備しておけよ! 私も鎧を着てくる!」
眠そうに目をこすりながらカナトも起きてきた。時間がかかるのは確かにイリアとカナトなので、ロウソクの灯りを頼りに全身鎧を身に着けていく。
胴鎧と兜で武装したリーナがやってきて急かすので、前衛である3人で宿の外に出てみると、夕方よりも雨は小降りになっていた。
騒がしい音が聞こえるのは郷の外側、水堀のむこうらしい。
普段は夜通し見張りがいるはずの西側の橋を渡ると、少し遠くにいくつも明かりが見えた。
暗い中走って近寄ると10人近い男たちが武器を持って集まっていて、背の高い一人がなにか指示を出しているようだ。一昨日の夕刻会った郷長アイラの夫だ。
「マフタールさん、海から魔物が来たんですか」
「なんだおまえら、何しに来た? 何で知ってる?」
「剣でも槍でも倒せないって本当か⁉ 私のこの『牛首刈り』ならどうだ!」
エキヌスの話を聞いた経緯を説明すると、マフタールはあごひげに触れながら可笑しそうに笑った。
「そりゃお前ら、バリク爺さんにからかわれたんだ。確かに少し厄介な手順が要るが、ちゃんと剣で殺せるよ。今からやって見せる」
「え? どこに居るんですか?」
「目の前にいるよ」
そう言って手に持っている灯壺を掲げると、マフタールの目線の先に奇妙なものがある。高さが人の背丈の倍もあるような、何か大きな丸いものが夜の闇に紛れている。
もう少し目を凝らしてみると、長い
触らなければ危険はないからと言われ、近寄って下の方を覗き込むと、一見しただけでは刺と見分けのつかない触手のようなものが地面を這っている。刺自体もゆっくりと動いているらしく、それを無数の脚のように使って徐々にイリアの方に近づいてきた。
「あんまり側によると向かってくる。刺が邪魔だから、まあ剣でも槍でも攻撃しづらいのは本当だな」
見渡すと、海に向かって奥のほうにももう一つ、小山のようなエキヌスの影が見える。そちらへの対応に4人ほどが向かっていった。
耳を澄ますと周囲を捜索に出ている者が話しているのも聞こえてくる。
「こんな
「人を襲うんですか?」
「全然。普段は何を食ってるか知らないが、嵐の晩にはなぜかこうして陸に上がって草を食う」
マフタールは腰の剣を抜き放つと、素早く振るってエキヌスの刺に斬りつけた。硬そうな音がして、何本か折れたらしい。イリアの足元に飛んできた一本が突き刺さる。危ないので一歩離れた。
剣が一振りされるたびに刺は短くなっていき、やがて丸く生えそろっていたのが一部分、刈り上げられたような輪郭になってしまった。
マフタールは剣先を横にして構えると、斜め上に向かって最後の一突きを入れ魔物から離れた。
後ろで控える部下が持つ灯りに照らされエキヌスの体から半透明の体液がとび出しているのが見える。
カナトが顔にまとわりついた雨水を手で拭いながら、面白くもなさそうに言った。
「あっけないな。何しに来たんだかわからない。鎧に雨が染みこむ前に帰ろうぜ」
マフタールの
年かさの男が残骸を棒でかき分けながら何か探している。おそらく魔石だ。
気になって聞いてみると、仮想レベルは20ほどもあるとの事だった。
もちろんイリアたちはもらえない。郷の若い戦士のレベル上げに消費するのだそうだ。
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