第201話 白目
「や、野蛮なことを言うんじゃないよ! 相手を殴っていう事を聞かせても、正当性なんかないぞ!」
「安心しろって、あんたの相手はオレがする。相棒の相手はこっちのデカいのでいい」
「……そう? それだったら…… いや、それだと1勝1敗の場合はどうなるわけ……?」
「うるせぇなぁ。早く決めたいんだろ? こっちは別にいつまでも話し合いを続けたっていいんだぞ?」
カナトのガラが悪い。スダータタルに入ってしばらくの間はこんなことはなかった。
チルカナジアと国境を接する
それからというもの、ちょっとしたきっかけがあればすぐ喧嘩を売るようになってしまった。
【不殺(仮)】が人食いとなって以来イリアは人間から成長素を摂ることをしていない。ダヴィドが最初で最後である。
理由は単純。人間のレベルを下げてしまえば、魔物のレベルを下げるどころではない騒ぎになり、イリアが潜伏していることは国外にまでバレてしまうからだ。
カナトが喧嘩をすればイリアも巻き込まれる。うっかり喧嘩相手のレベルを下げてしまったら困るのでやめてくれと、何度言ってもきかない。
イリアの詰問に対し、カナトは「相手のレベルが低いうちなら挽回する手段がある」と答えた。何のことかは分からない。
「じゃあさっさと始めるぞ。武器は無し。鎧は脱いでる暇が無いからこのままな」
「おいおいおい、勝手に決めるなよ! 僕は納得してないぞ!」
「強者が決めて弱者が従う。これがこの国の掟だ。つべこべ言うな!」
小さい方の男の襟首を掴んでカナトが離れていく。
後に残されたイリアと、大きな男ガリム。
よくよく見ればそれほど年上でもなさそうだ。目元が隠れるほど伸ばした縮れ髪。腰から下に鎖を編んだものを巻き、寸法のあっていない小さな鉄鎧を上半身に結わえつけている。
ガリムは背負っていた大きな長柄斧を地面に置いた。
「……オレは、あんたを倒してから、ザファル様を助ければいいのか?」
「え? ……まあ、そうかな……」
ガリムは腰に差していたナイフも外して地面に置いた。
やる気であるならしかたない。これまでと違い、今回はイリアにとってもやる理由のある喧嘩だ。
盾を置き、その上に兜と戦鎚と短剣を置く。さらに、靴から二重になっている厚い靴底を抜き取った。
イリアが注文して作った鉄装靴の指の付け根と踵のあたり、鉄板で囲まれた靴の外周には鉄の刺が底側に向かって生えている。
普段は音がうるさいし、すり減ってしまうので使わない。だが靴底を一枚抜けば刺が地面に食い込むようになり、全力で地面を蹴ったときの横滑りを防げるのだ。
これまでの喧嘩でイリア自身は一度も勝ったことがない。
最初の一人を除いて相手は主に同じような年代、同じようなレベルだったが、倒さないように降参させるなどというのは極めて困難なのだ。だいたいが消極的に戦っている間に、カナトが倒すか倒されるかして勝敗が決まる。
今回も別に勝ち切る必要はない。時間を稼いで、魔石から成長素が抜けてしまいましたという言い訳が成り立てばそれでもいい。
しかし、これから先のことを考えるに。人間相手だと何もできないというのは問題だ。
魔物相手の場合は【不殺(仮)】を発動させずに、適度に戦闘能力を減衰させる戦い方を習得しつつある。人間相手でも似たようなことができるのではないか。
イリアのほうからも攻撃し、優位な状況を維持したまま、【不殺(仮)】の作用ではなく相手の意思で降参させられれば最高だ。
ガリムはみるからに頑丈そうだし、試してみてもいいかもしれない。
革の手袋の上から鉄手甲をしているイリアに対し、ごつい手をしているがガリムは素手だ。すこし申し訳ない気もするが、それでも客観的にはガリムの方が優位にみえるだろう。
20キーラム以上ある体重差。太っているのではなく引き締まった筋肉をしている。
ガリムは大きな体を振りかぶり、右腕を横ざまに叩きつけてきた。
後ろ向きに足運びしてギリギリで避ける。繰り出された左拳に、左拳をぶつける。当然押し負けたが、一瞬の隙をついて鉄装靴でガリムの脛を蹴った。
これまで【不殺(仮)】を用いて戦ってきて、勝利し成長素を獲得する条件はおおむね理解している。
一番明瞭なのは意識を喪失させる攻撃だ。脳へ衝撃を伝えるような打撃で失神させれば確実だ。
他に、カナトのみぞおちを殴って呼吸困難にさせた時も【不殺(仮)】の異能は発動している。いずれもの場合も戦闘継続不能状態にした結果と言える。
そして、ダヴィドとの死闘やケヅメドリ狩りで起きた、相手の継戦能力を大きく削ぐ損傷による勝利判定。人間相手に使うのは残酷だが、実は脳に衝撃を与えるより生命の危険は少ない気もする。
あるいは体の動きを拘束し、抵抗できない状態を継続させることでも勝利になる。
なぜ勝ったことになるのかいまいちわかりづらいのは「力の誇示」だ。
肉削ぎバチとの戦いで多かった現象。損傷させていないし行動不能にさせたわけでもないのに、威力の大きい攻撃を一方的に加え続けることで勝ちになる。経験上、体格の小さい魔物相手で起きることが多い。
立場を入れ替えて想像してみるとなんとなく分からないでもないが、痛みも恐怖も感じないはずの蟲系魔物に発動しやすいのは何とも不思議だ。
相手を倒さずに優位なまま戦闘を終えるという曲芸を実現させるには、こういった勝利条件を満たさずに戦う必要がある。
決定的に戦闘力を削がないように、例えば足指を怪我させ動きを鈍くしてから、攻撃を避けつつ体力切れを待つ手などが考えられる。
特に恨みがあるわけでもない相手を骨折させるのは気が引ける。
なので今回は「大きな損傷を与えずちまちま苦痛を与える」という、嫌がらせ戦術を試してみることにする。
腕と鎧の肩当で防御していても、横に振り回されるガリムの拳が何度か頭に当たりそのたび視界にチカチカと光が明滅する。
距離が開くと前蹴りを繰り出してくる。鎧を着ていなければ胃液を吐いてしまっただろう。
只でやられていたわけではない。攻撃をもらうたびに反撃してガリムの左の脛を削っている。鉄装靴のつま先を叩きつけ、靴底にはみ出た刺をこすりつける。
ガリムの下半身は、腰や太腿といった太い血管を止血できない場所を編み鎖で守っているだけで、脛やひざをほとんど防御していない。
傷ついた脛は出血し始めた。麻のズボンに赤い染みが散っている。
「ぐう゛っ……」
「どうだ? 降参か? 痛そうだぞ」
「武器はなしって言ったのに……」
「……す、滑り止めだからっ!」
一瞬しゃがみ込んだように見えたガリムが下から顎を狙ってきた。
両手を交差させて大きな拳を防ぐが、体を持ち上げられてふっ飛ばされた。
追撃の前蹴り。うまく横に避け、体を回転させての後ろ蹴り。かかとの刺が脛をごりっと削った。
鼻から太いうめき声を吐き出しながらガリムが
戦ってみた感じから、レベル差がありすぎて成長素が摂れないということはまずない。想定通り苦痛だけ与えるという方法なら【不殺(仮)】の異能はやはり働かないと思われる。
「まだやるか⁉」
「……やりたくない……」
「じゃあ終わりでいいな? 降参だな?」
「けど、ザファル様が……」
歯を食いしばり、目に涙を溜めながらガリムが見つめてくる。
痛いだけなら我慢すれば戦える。言い換えれば精神力の勝負。もし立ち上がるなら、残念だが右脛も行くしかない。
「お? もしかして勝ったのか?」
声のした方を見ると、岩エビの向こう側からカナトが出てきた。その右手にザファルが引きずられている。
「それともまだか? どっちにしろもう終わりだ。続けるならここからは2対1、オレはイリアと違って手加減しない」
ザファルをほうり捨てた。
丸っこい顔で白目をむいている。気絶しているのを確かめ、ガリムは顔の横で両掌を広げて見せた。スダータタル文化で降参を示す仕草だ。
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