第202話 ラハーム系

 カナトは首筋への手刀打ちを使ったらしい。ハンナからイリアが教わり、イリアがカナトに伝えた技だ。

 ザファルが目を覚ますまでの10分の間に岩エビの魔石はカナトが摂取してしまった。背部の甲殻を剥がし、人間で言えば腰の少し上あたりに黄土色の魔石は埋まっていた。



「……うぅ…… まだめまいがする……」

「ザファル様、ごめん……」

「いや…… 謝らなくていいよ。僕こそあんなひょろ長いのにやられちゃって」

「ひょろ長いってのはオレの事か」


 カナトが戻って来た。レベル19になったのはたしか8日前のこと。それ以来魔石はとっていないはずなので、まだ20に上がるには遠い。


「カナト、包帯かなにか持ってないか」

「包帯も血止めもあるぜ」


 後ろ腰の小さな物入れから、巻いてある煮沸済みの綿帯と獣骨の容器を取り出しほうって来た。受け取って、イリアは二人に歩み寄った。


「悪かった。どうしても魔石を渡せない事情があったからひどいやり方をしてしまった。使ってくれ」


 受け取ったガリムはまだ立ち上がれずにいるザファルのほうを見た。小さい男は許可を出すように頷いている。それを確かめてからズボンの裾をまくり、血だらけの脛の治療を始めた。


「なああんたらってどういう関係なんだ? その小さいなりを見れば、そっちが『偉大な戦士カルクザーク』さまのご子息ってのは分かるんだが」


 身長17デーメルテなければ魂起たまおこしを受けられないというのは、央山の民オルターワダムだけでなくスダータタル全体の掟だ。

 イリアもその基準には半デーメルテほど足りていないし、もっと背の低いザファルは当然資格がない。

 それでもアビリティー保有者なのは、両親のどちらかが偉大な戦士カルクザークの称号を持っていることになる。

 実際ほとんどの場合父親なわけだが、その称号を得るには敵や魔物との戦いでの名誉が必要であり、認定は氏族長会合によって為される。


「僕は、畑の民ザオラアダムの氏族長の子だよ…… 9人居る兄弟姉妹の7番目……」

「本当かよ。オレ氏族長の息子殴っちゃったわけか」


 片目を閉じて頭を掻いているカナトは反省しているように見えない。

 畑の民は40万人いる十氏族の中で最大の人口を持つ、スダータタル族長国の食料供給においても重要な地位を占める最大氏族である。


 喧嘩をした相手や友好的に情報交換をした相手など、隊を組んで共闘したことはなかったが同世代の修業中戦士と何人も出会ってきたし、偉大な戦士カルクザークの子もいた。だが氏族長の子となるとイリアは初めて会う。

 各氏族の長がどうやって選ばれるのか知らないが、央山の民オルターワダムでは世襲のようだった。

 認定する立場の彼らが偉大な戦士カルクザークより優秀な戦士かどうかは分からないが、子に無条件で魂起たまおこしさせる権利はしっかり持っている。


 族長国に来てからイリアはこの地の歴史をいろいろと調べている。

 わずかな知識階級しか文字を使えないこの国にはまともな書物などなく、真偽のあやふやな口伝でしか歴史は伝えられていない。

 現地の年寄りの言葉は訛りが強いし、そもそも共通語を話さない者も多く接点もあまりない。イリアが話を聞いたのは、主に傭兵上がりの異国出身者だ。

 スダータタルに骨をうずめるつもりの彼らは一般のスダータタル人より歴史や政治的状況に詳しかった。



 ラハーム教は、一人の「名の無い神」が世界のすべてを創造したという考えを信仰の根本としている。原型となった宗教は千年以上前からあったらしいのだが、『マナ大氾濫』によって世界が激変したことでその信仰は大きく揺らいだと考えられる。

 わずかな間に魔境が世界を侵食して生き物は魔物化し、等しく無力に作られていたはずの人間にはアビリティーとレベルによって大きな差が生まれた。世界は神の意思により完全に作られて不変であるという世界観は否定されたことになる。

 いくつかの分派に別れながらも世界宗教として広がりかけていた「名の無い神」の信仰は、新時代にあってその形を変えざるを得なかった。


 新たに構築されたラハーム教の教義だが、イリアには正確に理解できていない。『マナ大氾濫』も魔物の跋扈も神の計画の一部であり、神を疑わず正しく生きた者だけが生き残り、仮に死しても悪を為さなかった者の魂は救われる。大まかに言うとそんな感じのようだ。

 正悪の基準に特別なものは何もないように思える。人をむやみに殺すなとか盗みをするなとか。あとは富を独占するなといった、当たり前のことだ。


 魔境森林の侵食がなかった砂漠地帯を中心に信徒が集合。KJ暦300年頃までにはラハーム教国を名乗り始めている。

 魔物の存在で生存を脅かされ続けていたスダータタル地方の山岳民族を帰属させたのが380年頃。当時の指導者は「救世主」を名乗る【賢者】保有者だったらしい。

 もともと山岳民族は移動を繰り返しながらの狩猟生活をしていたのだが、教国に取り込まれる際にスダータタル地方を分割統治するように指導され、それが現在まで続く十氏族の由来になっている。


 ラハーム教国はその後100年の間に何度か分裂・集合を繰り返しながら勢力を広げ、400年代後半まではアクラ川東岸地域までがラハーム教勢力圏と言っていい状態だったようだ。

 だが470年代半ばのラウラ上王によるチルカナジアの領土拡大によって教国の支配域は減少。後の世代のチルカナジア王室も拡大政策を維持し続けている。

 さらに決定的に力を失ったのは600年代初頭。東方を統一したスァオ帝国と連合してチルカナジアと衝突。第一次ベルザモック戦争の当事者として敗戦した。

 敗戦によってを力を失ったのはスァオ帝国も同じだったのだが、新たに即位したラウ帝によって帝国は決定的な分裂を免れ再統一。同時にラハーム教国を属国とすることを宣言したのが608年のこと。


 教国と共にあった230年間で人口を4倍まで増やし、精強な戦士文化の集団として台頭していた十氏族だったが独自の文化を捨てることはなかった。ラハーム教の教義に対して厳格ではなく、信仰形態はゆるやかなものだった。

 だからこそ、教国の「信仰のために政治的決定権を放棄する」という弱腰の方針に反発し、地理的優位を背景に独立して族長国を建国する。

 皇帝国とチルカナジアの緊張状態に乗じた、いわば『喧嘩に横入りする巾着切り』なわけだが、その後、紛争を繰り返しながらも170年間独立を保つことができたのは、西にも東にも属さないという姿勢を貫いたからと言える。


 実際は傭兵を受け入れ、チルカナジアやボセノイアから『魂起こしの水晶球』に関する援助を受けたりもしている。だが少なくとも表向き、西側の超国家的権威である賢者議会の介入を徹底的に排除することで、どちらにとっても「敵の敵」であり続けたからこそ滅ぼされずに済んでいるのだろう。


 独立してからも100年ほどは人口が増加していたらしい。

 国土の大部分が自然のままの山岳魔境森林。魔物の肉はとれても面積当たりの食料生産力は総合的に考えれば低い。

 畑の民ザオラアダム領だけは農業が盛んだ。8万以上の人口を抱えてもなお他氏族に農産物を譲り渡すだけの生産力がある畑の民ザオラアダムは、武力・軍事力的にはともかく、政治的発言力としては十氏族中で第二位につけていると思っていい。



 カナトは寝たままでいる氏族長子息に手を差し伸べた。


「悪かったね、氏族のあいだでの抗争なんてのは勘弁してくれ」

「気にしなくていい。そもそも父には『2年以内には成人しろ』って言われただけなんだ。とっくにレベル20になってたのに、欲張ってもう1レベル上げようなんて考えたのが間違いだったよ」

「ザファル、でいいんだよな?」

「ん? ああ。いいけども…… 君は何なんだ? さすがにその年で傭兵ってことはないだろうし」


 体を起こしたザファルがイリアを見て問うてきた。

 イリアは母ポリーナにラハーム系の血が流れていたので、チルカナジア人の平均に比べれば日焼けしやすい。

 それでも純粋なラハーム系と比較すると肌の色は薄い。髪の毛は兜で大部分が隠れているが、眉毛の色が違うし顔立ちもやはり異なっている。


 だがこのスダータタルには傭兵との間に生まれる混血の者がいる。カナトの叔母ジェミスの生みの母だって『偉大な戦士』の認定を受けた元女傭兵だし、一目見ただけでイリアのことを外国人だと断定することは普通ないはずだった。

 しかし、あるていど会話をしてしまうとやはりバレる。

 合わせるように気をつけてはいるのだが、言葉のが微妙に違うらしかった。

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