第199話 前転

 村の外の赤い岩盤質の地面に植物はチケ草くらいしか生えていない。

 茎が硬く葉も刺のようなチケ草は口触りが悪くそのうえ苦い。人間が無理にたくさん食べると腹を下してしまうので、そういう作用の毒があると考えられる。

 そのチケ草を食べられるのはアオミミズくらいであり、アオミミズを主食としている低級魔物の大足ネズミがいて、それを捕食する割れアゴズキンヘビという魔物がいる。

 上下のあごが左右に別れ、4方向から毒牙を刺してくる割れアゴズキンヘビがこの地で最も厄介な魔物であるが、一番仮想レベルが高いわけではない。


 仮想レベル21の岩エビが最高だ。積極的に捕食行動をする魔物ではなく、生き物の死骸を食べて暮らしている。

 もちろん他の地域から脅威度の高い魔物がはぐれてくることもあるので、見通しのいい岩石砂漠だが探索するときはそういう警戒も必要だ。

 奇妙な縦縞模様のついた大きな岩の陰や丘の稜線の向こう側など、見えない部分をきちんと確認しながらイリアとカナトは進んでいった。



「ほらこれ。岩エビの移動した跡だ」

「まだ新しいな」

「他の奴にとられる前に急ぐぞ」


 1メルテほどの幅で足跡が残っている。岩エビの脚は腹の下に40本生えているのだが、細く短い脚は早く走るのに向いているわけではない。

 通常歩行の速度はアビリティーを持たない人間と同程度。イリアとカナトが追いかければすぐにでも追いつくのは間違いない。

 問題はどちらに向かって進んでいるのか、足跡だけでは判断がつかないという事だ。2分の1の賭けになる。



 岩砂漠を駆け抜けるイリアの後頭部、鉄兜の下から三つ編みに結った髪が揺れていた。カナトも同様である。央山の民オルターワダムの戦士によくある髪型であり、特に火魔法の遣い手がそうしていることが多い。

 戦いの中で燃料が切れた時に最後の切り札として燃やすためだ。火魔法使いでなくとも、敵はそのことを知らないのだから欺瞞としても役に立つ。また、カナトがイリアの髪を燃料として使ってもいいわけだ。

 砂漠以外の場所も全体的に乾燥しているスダータタルでは、洗髪があまりできなくともそこまで不快感は無かった。


 2人組で魔物と相対するのはスダータタルにおいても危険な行為とみなされる。イリアもカナトもその自覚はあり、人数の少なさからくる危険を金銭で補っている。

 持ち込んだ硬晶はすでに使い切った。さらにカナトのレベル上げに伴って得られた収入もつぎ込み、スダータタル南西部、縛鎖カフハーズ山脈のふもとに広がる奥山の民エンイスカダムの支配地で各種装備をあつらえている。


 今イリアとカナトは二人とも黒鉄鋼板を使った複合全身鎧を着ている。

 身軽さを失いたくないというカナトは、胴体前面、太腿と脛の一部と肘から手首の部分だけ鉄装していて、全体の重さが10キーラムあまり。頭部には鉢金はちがねもつけている。

 イリアの鎧はほとんど全部が鉄だ。移動時の静音性のために関節部は大ウミウソの軟加工皮革を使っている。前腕部は去年末『バローナの巣』で買った手甲を流用していて、全体の重さはカナトの鎧の倍だ。

 兜には前面と側面に鉄材で補強を入れてある。交差するようにびょうが並んでいる見た目は買った当初の卵的な見た目よりも格好がいい。



 走り続けて四半刻ほど。イリアとカナトは2分の1の賭けに勝ったようだった。

 なだらかな斜面を下りきった先、浅い谷の底に岩エビがいる。

 赤茶けた地面と同じ色をした塊がモゾモゾと蠢いていた。

 岩エビを倒すのは初めてではない。躊躇なく駆け下りる。カナトはイリアの後ろに付いてきている。

 斜め掛けにしている革帯を外し、背中に回していた盾を持ち替えた。


 盾まであつらえる金銭的余裕はなかった。だが体に密着させる装備と違い、盾にそこまで精緻な造りは要求されない。安い予算で用意したこの盾は手作りのようなものだった。

 鍛冶屋で最終加工される前の鉄材を卸商から買い付け、2枚の細長い黒鉄鋼板を白鉄鋼の枠で挟み、カナトが開けた穴に青銅の鋲を打ち込み接合してある。


 特別工夫したのは持ち手の部分だ。本来は火魔法用鉱油を持ち運ぶための青鉄筒状容器を流用している。

 錆びにくい青鉄の内側に熔かした銀で膜を張り、中に水と砥石の粉を入れてある。

 酒場で『浄水プロウター』を使うのにも用いた、純銀製の細い筒をはめ込んで、はみ出した部分に指で触れることで、盾を持ったままで魔法を発動できるようになっている。


 特製の盾は持ち手の容器の中の水も含め、総重量約9キーラムだ。一般的な中型盾と同じ程度だろう。

 形状が縦に細長く、横幅がないから体全部を覆うことは無理だ。

 その代わり高さはきっちり1メルテある。攻撃を受け止めるというよりは、どちらかと言えばさばいて反らすための盾ではあるが、下端の尖った部分を地面刺すように固定すれば重盾のように使えないこともない。

 そんなことをいろいろ考えながら半月かけて作った。楽しい時間だったと言える。



 盾を左手に構えて魔物に近寄る。

 岩エビがこちらの接近に気づき振り向いた。

 右手で腰の鉄槌を引き抜き、振りかぶって構える。

 カナトが槍を持って、少し遠巻きに魔物の背後に回り込もうとしている。


 分厚い甲殻で覆われた岩エビの上半身。丸っこいハサミで腹部を守る姿勢をとると全体的に丸くなる。

 直径1メルテの球になった岩エビは隙が無く見えるが、ただ身を守っているだけの臆病な魔物ではない。

 ずんぐりと短く不格好にも見える尾が背面についていて、甲殻の中にぎっちり詰まった筋肉は巨大な力を生み出す。その力で弾かれるように前転してきた。


 魔物の見た目は岩のようでも、実際の比重は通常の生き物とそう変わらない。もし圧し掛かられても潰されはしないだろう。

 3回転して衝突される寸前、イリアは受け止めずに横に避けた。

 半秒前までいた場所に岩エビの尾が高速で叩きつけられる。砂礫がはじけ飛び、地面を打つ音が谷底に響き渡った。


 鉄槌の鎚頭、丸くなっている側を叩きつけてみる。

 硬い手ごたえが返って来て、最後の脱皮を終えている成体という事が分かる。

 イリアはひとつ頷いて右手の中で戦鎚の柄を回し、尖った方を構えた。

 実にバカバカしいことだが、この岩エビは最終脱皮を終える寸前、体長1メルテ半にも及ぶ第5期幼体の時期まで魔石を形成しない。

 食肉としてみた場合はどちらでも価値に差はないのだが、カナトのレベル上げという意味では幼体を倒しても仕方がなかった。


 イリアを狙ってまた方向を変える岩エビの、尾と上半身の境目辺りを全力で打つ。甲殻表面を砕いた手ごたえ。

 甲殻は3重構造になっていて一撃では運動機能を損傷させられない。

 一回転してまた尾が地面を打った。反動で元の位置に戻ったところで、回り込んで同じ位置を打撃する。

 さらにもう二度繰り返し、分厚い甲殻の広範囲を打ち砕いた。最後の一枚は薄く、外殻に比べれば柔らかい。


「よしカナト! 出番だぞ!」


 尾と上半身の境目に槍の穂先を突き入れれば勝負は決する。魔物の運動機能はまったく失われていないが、カナトの腕なら十分狙えるはずだ。


「あー、悪い。やっぱりちょっと調子がいまいち。イリアがやってくれよ」

「はぁ⁉」


 よそ見をしていたので岩エビの回転に巻き込まれかけた。

 200キーラム近い重さの体当たりを盾を使っていなしてから、ふざけたことを言う相棒を睨みつけた。


「冗談じゃないぞ何言ってんだ! まさか酔い草のせいだってんじゃないだろうな!」

「いや、わかんないけど、もしかしたらそうかもな。頑張ってくれ、動けなくするところまでやってくれればとどめはちゃんと刺すから」


 ニヤニヤ笑っている。明らかに本気で言っているのではない。


 現在イリアのレベルは22。

 スダータタルに侵入してから5カ月ほどはレベル20のまま過ごした。

 カナトのレベルが上がるに従い、低級魔物を狩っていては成長素の足しにならなくなってくる。戦う魔物の格を上げれば、打倒するイリアにも成長素が入り始める。

 ステータス不適応症の再発が恐ろしかったが、岩石砂漠にくるまでの間にイリアもレベルが上がるのを避けられなかった。

 そうこうしながら何度も魔物と戦ううち、成長素を得るギリギリのところ、魔物が『凶化』を解く寸前まで痛めつけていい具合に運動機能を損傷させる手加減というのが分かり始めた。

 今回もそれをやれとカナトは要求しているのだろうか。


「なんていうかさ、もう大丈夫だろうと思うんだよオレは。慎重すぎるのもバカらしいというか、そろそろちゃんとレベル上げたほうがよくないか?」


 岩エビの攻撃範囲のだいぶ外側から言っている。

 距離をとったイリアに向かって、岩エビが5回転で突撃してきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る