第196話 敗北

 ズボンと靴の中が溶けた雪でびしょ濡れになり、冷たさでもう足の指の感覚が無い。イリアとカナトは2刻間以上走り続けた。

 木々の密度が低下していき、やがて灌木がまだらに生えるだけの雪原に出た。

 視界いっぱいに広がる雪の地平線の上、真冬の澄んだ空気に青白い星々が輝いている。

 少しだけ軽い気持ちになって、すぐ前を行くカナトに話しかけた。


「川渡しの男が言ってたことって、どう思う」

「なんの話だ」

「国境にバスポビリエの軍が集まってたって話」

「イリアを捕まえようとしてたのかもな。人食いがばれたかな?」

「……」


 チルカナジア王国にとって警戒すべきは、ラウ皇帝国傘下のラハーム教自治領のほうだ。

 友好関係にあるわけでははないが、ともに皇帝国に敵対しているスダータタル族長国を刺激しないよう、バスポビリエ州駐屯軍は普段タイニース川付近にはいない。ベルザモックとの州境近くの山砦さんさい城に駐屯しているはずだった。

 それが近くまで出張ってきているたのは、イリアの国外脱出を防ごうという目的があったのではないか。そんな風に思える。


 ダヴィドのレベル低下から10日あまり経っているので、人食いが発覚しているとしてもおかしくはない。賢者書庫で通信を飛ばせば、各地の国境に警戒態勢をとらせることも可能だと予想はしていた。

 「人食いアビリティーが出たら国を挙げて逮捕しろ」という法があるとは聞かない。きっと駐屯軍の兵らにも詳細は知らされず、秘密裏に対処されるものなのだろう。

 そのことはある意味で救いでもあった。

 イリアの問題が公にされ、父や弟妹が世間から白い目で見られるというようなことはないだろう。人食い保有者の家族がそういう迫害を受けているとは噂でも聞いたことがないので、その点はあまり心配していない。




 積もった雪の中を進む場合、前を行く者の疲労が激しい。20回ほど前後を交代しつつ、タイニース川から十数キーメルテは南に移動しただろうか。

 東にある大きな丘の向こう、上弦の月が雪原を照らす。

 カナトが悔しそうに叫んだ。


「クソッ! やっぱり見つかった!」


 丘から何かが高速で移動してくる。雪板で下り坂を滑りおりているのだ。

 月明かりで数えればその数は7。最後尾はそりのようだ。


「相手が雪板じゃ逃げられないな…… 降伏するか?」

「いや、やるしかない。下手したてに出る方が扱いが悪くなる。それがこっちの流儀だ」


 二人同時に背負っている荷物を放り出した。

 カナトは外套のように羽織っていた毛布も脱ぐ。槍の鞘をはらって、腰を落とし構えた。

 イリアの左腕には小盾が綱で巻きつけてある。それを持ち直すことをせず、足元の雪を掬ってまとめた。マナを流しつつ『水鞭ニーロヴィーポ』の呪文をゆっくり丁寧に、心の中で唱える。

 『水鞭』の本来の射程距離は15メルテほどもあるのだが、イリアの練度ではその半分しか伸ばせない。

 相手の7人がそれを分かっているはずもないのだが、ギリギリ外の位置で止まって雪板から鉄靴を外す。全員がカザマキヒョウの白い毛皮を身に纏っていた。



「なんだ? ガキに見えるんだが、暗いせいか?」

「いや、バウフトだ。だからって油断は無しだぞ」


 ヤガラ語交じりで会話をしている。

 イリアもカナトも大人の戦士を相手にできるような強さを持っていない。まして相手はカザマキヒョウの毛皮を共通装備として揃えられるような組織の一員。

 少しくらい油断して当たり前だろうに、7人のうちの4人がイリアとカナト両方に、二人ずつ分かれて向かってくる。


 イリアに迫ってくる二人はそれほど体格が大きいわけではないが、やはり身長は17デーメルテ以上あるようだった。一人は柄の長い大剣を振り回し、もう一人は2メルテの鉄棍。チルカナジアの警士標準装備のものより太く見える。


 雪塊は思考詠唱の完了と共に融け、清水となってイリアの左手にまとわりつく。瞬時に伸長し、独特の擦過音をたてながら空を切り裂く水の帯。

 手の動きと連動する『水鞭』の軌道を読んだように、鉄棍使いがその下をかいくぐった。流れた水の帯の先端を大剣使いが切り落とし急接近してくる。

 左手に残った水でもう一度、今度は左から右へ足元すれすれを薙いだ。

 大剣使いはそれを跳んで避けた。鉄棍使いが武器を中心から回転させ防御する。鈍く光る鉄棍の軌道が円を描き『水鞭』を水しぶきに変えてしまった。


 間合いに入られた。上から斬りつけてくる大剣を転がって避ける。切り返して横に振られた大剣の腹がイリアの体を持ち上げ、数メルテ投げ飛ばされた。

 飛んだ先には鉄棍使い。うなりを上げて迫る鉄棍の打ち下ろしを、左手首のバイジスの回転盤で受け止める。鉄どうしの凄まじい衝突音。一撃で腕の感覚が消え失せる。

 イリアは右手に握った新武器の戦鎚を全力で振り、相手の左膝の外側に命中させた。鈍い音。毛皮の下に鎧を着てはいない。

 鉄棍使いは気にするそぶりも見せない。

 一瞬後、兜を横から殴られてイリアは昏倒した。




 気付くと雪の上に座らされ鎖で縛られていた。兜も上着も、鎧も脱がされている。

 気を失っていたのはそれほど長い間ではなかったようだ。右側頭から温かい血が垂れてきている。量はそこまで多くない。

 隣には同じようにされたカナトの姿。

 7人組のうち3人が背負い袋の中身を雪上に撒き散らし改めていた。


 体に巻き付く鎖はとうてい引きちぎれるような太さではない。2本の鎖の端は一人の人物の右手にまとめて握られていた。


「暴れようとするなよ。下手な事すると無事な体でいられなくなる」


 女の声に目線を上げると浅黒い肌をしたラハーム系の顔だった。

 橇から何か大きなものが引き出され、二人がかりでこちらの方に運んできている。


「どっちからだ?」

「どっちでもいい。どうせ違うだろ、ただのむちゃなガキだ」


 橇から持ってこられたものは、真っ黒な石でできたのような見た目の四角柱だった。長さは3メルテ近くある。

 近くで見ると金色の細い筋が何本もその表面に走っている。四角柱の先端に見覚えのある丸いもの。

 無色透明で、人の頭よりも少し大きい。中に黄金色の金属粉が踊っているのが見える。『魂起たまおこしの水晶球』だった。

 後ろにいた誰かによって雪上に組み伏せられ、氷のように冷たい水晶球が左頬に押し付けられた。


 数分後、四角柱を抱えていた男が球の部分を覗き込み、照明火魔法の灯りで鑑定じんを確かめている。


「なんだ? 見た目のわりにレベルが20もある。お前いくつなんだ?」

「……16歳」

「童顔だな。それにチビだ」

「チビだがあぶねえ奴だぞ。膝がまだいてぇ」


 イリアの荷物を改め終わり、カナトの背負子しょいこに手を付けている一人が左膝をさすっていた。


「レベルはどうでもいいよ。『器』は」

「『成長系』だ。種別はわからんが、まあ【賢者】じゃないのは確かだ」

「そう。じゃあもう一人も」

「必要あるかね? そいつはスダータタルのもんだろ」

「とりこぼしは無しだ。つべこべ言わずに調べろ」


 水晶球を顔に押し付けられたことでカナトが意識を取り戻したようだ。雪を吸い込んでしまって咳き込んでいる。


 カナトが予想していた通り、ボセノイアの技師による情報更新がされていない水晶球では「亜種」の同定までは出来ないのだろう。判別できないイリアのアビリティーを、真正新種よりもはるかに数の多い亜種だと思っている。

 カナトが【槍士】であることは数分で判明。二人とも【賢者】保有者ではないことが無事に証明されたようだ。


 鎖を持った女がイリアに顔を寄せ、月明かりに光る鋭い眼で問いただしてきた。


「おい、あんたのアビリティー種別は」

「【早成】だけど……」

「何の目的で侵入してきた。傭兵になりたきゃ仲介者を通すものだけど、そんな歳じゃないだろ」

「それは……」

「そいつはオレの妹と恋仲だったんだよ」


 水晶球を除けられて体を起こしたカナトが、用意しておいた嘘の言い訳を始めた。


「妹は…… むこうで病気にかかって死んだ。それで、せめて遺灰を墓に納めるまでは一緒に居たいって言うから、連れてきた」

「ふんっ。族長国を裏切って西になんか逃げるから、そういう罰が当たるんだ」

「妹は! 体が弱くてアビリティー無しじゃ生きられなかったんだ!」


 獣が吠えるようにして、カナトは真っ直ぐな感情を声に乗せた。どこにも嘘っぽさはない。真実の怒りなのだから当然だ。


「体の小さいのや女にはアビリティーを与えないなんて、クソみたいな掟が無けりゃ誰が国を捨てるもんか! そのくせ偉い奴の子供ならどんなボンクラでも魂起こししやがって! お前もその口だろ、鎖女!」

「それはっ…… 仕方がないだろうが! 完品の水晶球を西の連中が制限しているのが悪い! 各氏族に一つしか認めないとか、勝手に決められているから、全員を戦士にはできないんだ!」

「妹みたいにアビリティーが必要な者には特別に与えるべきなんだ! そうすりゃアヤは死なずに済んだんだ!」


 大声で怒鳴り続けるカナトに、7人組は誰も言葉を返すことはなくなった。


 スダータタルではもともと賢者が魂起たまおこしをしていたはずだ。

 だが、『魂起たまおこしの水晶球』の普及によって世界のアビリティー保有者が20倍近くに増大し、なぜなのか【賢者】保有者の数はそれに比例せず3倍程度しか増えていない。

 相対的に発現割合が減った影響は非アビリティー先進国に顕著に表れる。

 40万人の人口の4分の1程度しかアビリティーを持たないスダータタルでは、確率的に3、4人しか賢者保有者が現れていないことになる。


 その少ない賢者も西側に脱出することが多い。

 ならば国外に脱出する者を厳しく取り締まるべきだと思うのだが、むしろ逆に賢者を国外に排除する方針をとっているのは何故なのか。

 ともかく、スダータル人の多くはラウ皇帝国だけでなく西側全体に対して良い印象を持っていないという。当然ながら事実上のアール教国となっているボセノイアとも、宗教的な問題から友好関係にない。


 それなのに、どうして完品の水晶球がスダータタル国内にあり、なおかつ使用者登録もできているのか。

 西側全体の意思として、スダータタルにある程度の力を維持させ、皇帝国に対する緩衝地として利用したいという思惑があるのかもしれない。

 詳しいところはわからない。イリアは今まで政治に興味を持って生きてこなかったし、カナトだって同様だ。その辺りのことは、スダータタルで暮らす間に少しずつ学んでいくしかないだろう。



 カナトはまだ自分の祖国への怒りを並べ立てている。

 話のタネが尽きたのか、食べ物が肉ばかりで健康に悪いとか、だんだん苦しい内容になって来た。


「……もういい。そのガキの言っているのは本当のことのようだからな……」


 一番体格の大きい一人がそう言った。その手には、真っ白の絹の袋から取り出された真鍮製の壺があった。

 スダータタル本国で火葬は一般的ではないため、その壺が遺灰を入れるものだと全員が知っているはずはなかった。

 だが、男は丁寧な手つきで壺を元に戻し、丁寧に背負子の荷台の上に置き直した。


「いくぞ。そいつらを囮にして、他の連中が抜けようとしてくるかもしれない」


 隊長という事になるのだろう男の声に合わせるように、鎖が勝手にするするとイリアの体から解けた。

 体を探ってみると首から下げていた財布袋が無くなっている。

 7人の方を見ても、誰も弁明などする気は無いようだった。



「あの」

「……なんだ」

「さっき、アビリティー鑑定をしましたよね。もしよければ、ステータスの値を教えてもらえませんか」

「はぁ?」

「いえ、ずいぶん長いこと鑑定をしてなくて。どれくらいになってるのか知りたいなと。せっかくなので」

「……ハハッ!」


 鑑定を担当した【マナ操士】の男は軽く笑い、さっき調べただろうステータスの値を教えてくれた。

 『力』111、『耐久』120、『マナ出力』が76で『マナ操作』は87。『速さ』が106ということだった。

 レベルが20なので総計が500とキリがいい。

 肉削ぎバチとの戦いで一気にレベル上昇し、その際に負傷が多かったからか『耐久』が大きく上がっている。

 魔法を使えなかったせいか魔法系の育ちが悪い。『マナ出力』はともかく、『マナ操作』と『力』の差が24もある。

 慣れない武器を使ってるのでまだ感じないが、常識的には体の制御に不都合が出始める差である。




 国境監視の7人は去った。

 イリアとカナトは先に上着を着てから荷物を整え直した。

 取られてしまった財布袋の中には現金だけが入っていて、身分証は入っていなかった。途中の川底に沈めてきている。


 その後1刻ほど南に進み、少し小高くなった場所に冬枯れした果樹園が見つかった。頂上に昇ると遠くの方に木造の家々が建ち並ぶのが見えた。

 樹皮がつるつるとした太い枝を一本へし折る。

 狭い範囲の雪を除けて、簡単に建てられるイリアの幕屋だけを設置した。中に二人で入り、平鍋の上で枝を燃やして暖をとる。煙たいが凍えてしまうよりはいい。

 濡れたズボンや靴は脱ぎ、下半身は下穿き一枚で寝袋の中に突っ込んでいる。

 荷物の大半は外に出したままだがアヤの遺灰壺だけは持ち込んでいた。


 カナトが遺灰壺の蓋を取り、小枝を使って中から紐を引っ張り出した。紐を慎重に引き上げ、遺灰をていねいに振るい落としながら細長い革袋を取り出す。

 イリアに向かってほうって来た。中身は40粒の硬晶だ。


「アヤに感謝しろよ」

「……うん」

「まあ、とりあえずこれで、アール教やら賢者議会やらからは逃げ出せたわけだ。これからどうするにせよ時間をかけて考えればいい。金ならあるんだしな」



 食べ物はなく、飲み水もあまりほしくは無かった。

 7人組に痛めつけられた体のあちこちが痛んでいる。早く寝てしまいたい。

 3日前に778年は終わり、今は新年が始まるまでのやみの期間。

 闇の間は4日から6日で冬至が過ぎると終わり王政府がそれを発表する。チルカナジアでの話だ。

 スダータタルではどうなっているか分からないが、いずれにしろもうすぐ年が明ける。

 カナトが生まれたのは14年前の闇の間だそうだ。イリアより7カ月弱若いカナトは、新年779年の始まりと同時に14歳になる。

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