第194話 水竜を食べる

 水竜の死体は腹部を中心にもう半分骨になっていた。まだ頭部は手をつけられていないようで黒い皮膚が覆っている。

 短く太い首で胴とつながる頭部だけで、10メルテ近くあるのではないだろうか。円錐を縦に割ったような口はばっくりと開いていて、屋根瓦ほどの大きさのある四角い歯が口中にずらりと並んでいる。上顎下顎合わせて何本あるだろう。千本近いかもしれない。

 頭の倍の大きさがある胴体、胸部の横に舟の櫂のような形をしたヒレがある。これも巨大で6、7メルテあった。末端に、人間の体など真っ二つにしそうな爪が7本生えている。

 肉を削ぎ取られ丸出しになった50対の肋骨が途切れたあたり、腰骨が見えるのだがどうも後ろ脚が最初から無いようだ。

 腰から先は長大な尾。その先端にも扇形のヒレがある。

 頭から尾の先まで、少なくとも全長40メルテ以上はあるだろう。



「なんなんだろうな…… ここまでだともう、恐ろしいってのを越えちまうというか、変な気分だ……」

「こんなにバカでかいのに、そのうえ水の精霊力も利用するんだってさ……」

「こんなのが何百匹も生きてるっていうならもう、どうしようもないだろ」

「人間が海を渡るのなんて、夢のまた夢なんだろうな……」


 カナトとイリアは、ため息交じりにそう言ってそのまま数分間、少しずつ解体されていく水竜の死体を眺めていた。



 身長と同じくらいの柄に、同じくらい長さのある刃が付いたものを持った女が近づいてきた。全身が水竜の血でまだらに汚れている。イリアもカナトも警戒する気がないのは、その道具が武器ではなく解体のための大包丁だと見て知っているからだ。


「あんたら旅の人かい?」

「はい」

「尾の身食べるかい? 今ならタダで食べ放題だよ」

「いいんですか、え? 竜ですよね?」

「まあ死んだら肉だから。冬だからってこうお天気がいいとね。まだ4日目だから腐ってはないと思うよ。この辺の村のみんながもらって行ってるんだ」


 どうやら水竜が倒されたのは今日のことではないようだ。

 「4日も飲んでたのかよ、あのおっさん達……」とカナトが呟いた。


 女に教えられて水竜の尾の根元辺りに行く。

 大きな金属たらいを持った人々が次々に切り出される肉を受け取っては去っていく。少ししてイリアたちの番になったので、片手で掴める分だけ受け取った。

 だいたい1キーラム半くらいだろうか。陽光で温められて気温より少し暖かい赤身肉。見た目にはわからないが、やはり直に持つとけっこう脂分があるように感じられる。


 海から100メルテほど離れたところ。大きな岩を風よけに、小さい子供や同年代の若者が20人ほど、焚火で水竜の肉を焼いていた。

 イリアとカナトも混ぜてもらい、削った枝に刺した肉を炙る。桶に入った海水を少しずつ掛けながら、火が通った端から削いで食べる。


「……うまいけど、なんか変な風味がある」

「魚っぽい感じだな。腐ってるわけじゃないと思うけど」


 地元の者だという少し年上の女子が言うには、酒を使うと魚臭さが取れて一級の料理に仕上がるのだとか。そうまでせずとも食べ進めるうちに慣れてきて、十分にうまいと感じられた。

 竜の肉なんてどれほど硬いのだろうと思っていたが、ウシや羊の肉よりもむしろ柔らかく歯切れがいい。口中に広がる脂の味わいが深い。

 1刻以上の時間をかけ、胃袋の限界まで詰め込んだ。

 世界最高の強さを誇る生き物を食べているという高揚が、より一層味を引き立てているのかもしれなかった。




 思わぬことで時間を食ってしまい、ブレクセニの街に到着するのが相当遅れてしまった。カナトが照明火魔法を使えなければ真っ暗な夜道を走るはめになっていたかもしれない。

 ブレクセニもそこそこ大きな街で、人口は2万数千人居る。天然の断崖を防御に利用して街の南側だけ防壁がないが、北と東西は囲われている。当然、イリアもカナトも中には入れない。

 それでも、人気ひとけがない場所でいろいろと警戒しながら休むよりは、防壁際で野営する方がまだ落ち着けるものだ。

 そう思っていたのだが、到着してみると状況が違った。


 ブレクセニ北門周りには百数十張りもの幕屋が建ち並び、岩盤質の地面の上で盛大に火を焚いて大勢がお祭り騒ぎをしていた。

 これもやはり水竜の影響のようだ。

 巨大な鍋で煮込み料理が作られ、開放された門からは夜にもかかわらずひっきりなしに人々が出入りして飲み物などを運んでいる。

 防壁のすぐ際。比較的冷静な態度でパンをかじっている旅商人の男が居たので、挨拶をして隣に幕屋を張ることにした。

 イリアの幕屋は高い位置に綱を張ってぶら下げる様式だ。綱を留める場所を探してうろうろしていたら、旅商人の男が杖代わりにしていたという長い枝を貸してくれた。



「……なあ、そっちの兄ちゃん」

「なんだ?」

「あんたひょっとして、スダータタル人か?」

「違う。コルバルの生まれだ。母親がちょっとあれな女でね、ひょっとしたら父親がそうなのかもしれないが、俺はチルカナジア人だよ」

「そうか…… ならいいんだ」

「俺がスダータタルだったらまずいのかい?」

「いや、別にそう言うわけでもないが。国境越えでも企んでるのかと心配になってね。余計なお世話だが」


 そう言ってまたちびちびパンをかじり始めた。


 男の話によれば、水竜の肉は全部採れば10万キーラムにもなるという。しかしまだ半分も解体されていないし、倒されたのは4日も前だ。

 周辺の村の住民の口にも入ったのだし、ブレクセニの人口を考えれば有り余るほどの量とは言えないはずだった。

 だが古くからこの辺りに住む者にとって、水竜の肉はあまり人気のある食材ではないらしい。


「なんでなんだ? かなりうまかったと思うんだけど」

「そりゃまあ、昔から自分たちを脅かして、海に挑んだ先祖の肉を食ってきたバケモノの肉だからな」

「そういう被害は多腕おおうでから受けることが多かったと聞きますけど」

「よく知ってるな、そうなんだよ。むしろ水竜はその多腕を餌にしてるんじゃないかって話もあるくらいなんだが、まあ人の心ってのは複雑なもんだ」


 旅商人の男はこの辺りの出身ではなく、そういう忌避感はないらしい。

 安く売られている水竜煮込みを食べていないのは、昼間に散々食べて食傷気味だからだという。

 イリアとカナトも同じだ。1キーラム半あった肉はまだ胃袋に残っている感じがする。水だけ飲んで、もう寝る支度に入ることにする。




 カナトの幕屋の方が少し広い。中央に一本支柱を立てる基本的な様式のものだったが、呆れたことに大事な武器である槍を使っている。夜中に敵が急襲して来たらどうするつもりなのだろう。

 お互い毛布をかぶった状態。灯壺の灯りを真ん中に置いて、さっき交わされた会話の意味を小声で確かめる。


「国境越えを企んでると問題って、やっぱりそういう意味だよな?」

「ああ。スダータタルは出るよりも、入る方が厄介なことになる」

「……悪いな」

「まあ、そこまで気にするなって。そりゃ春の方が見つかりにくくはあるが、結局は運次第だ」



 一晩たつと胃袋はもうすっきりとしている。翌朝の朝食には煮込みを買って食べた。まともに料理された水竜肉は本当に美味だった。

 ブドウ酒と香草で魚臭さを消され、柔らかく煮込まれた肉は口に入れるとうま味があふれ出す。玉ねぎや人参もふんだんに加えられていて、最近野菜不足気味だった二人にはありがたかった。値段は一人前で銅貨6枚。安価と言っていい。

 食べ終えて食器を雪で拭ってから出立の準備をする。今日中には州都ベレキタニスに到着したい。




 ベレキタニスに無事到着。州都にも関わらず東のはじにあるこの街は、国境を守るための要塞都市として発展してきたためそこまで人口は多くない。

 だがやはり近年の人口増加のせいか壁外地域が形成されつつあるという。国境を越えれば族長国なのに、あるいはだからというべきかスダータタル溜まりは無い。

 わずか3キーメルテ先にある国境タイニース川の流域は危険な魔境森林になっている。

 その近くで防壁の外に人間が寝起きするのは本来信じられないことだ。住む人間が多いのなら、土地に余裕のある限り壁の拡張を試みるべきだ。


 現状のベレキタニス壁外は血の気の多い者がレベル上げの仮宿にしているらしく「魔物も賊も来るならこい」というような、のぼせ上った雰囲気の場所になっているそうだ。

 二晩続けてあまり落ち着けない夜になりそうだが、ともかく、いよいよ明日の晩には国境越えである。

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