第190話 故障品
日が沈んですぐ眠りにつき、明け方に目を覚ました。
鍵のかかる部屋で12刻熟睡して睡眠不足は完全に解消。体調はまずまず回復したといっていい。
イリアとカナトは昨日亀の魔物を倒した河原に来ていた。
土手の上はアクラ東岸大街道なので誰が通ってもおかしくない。もう一度見回し、人が居ないことを確認した。
朝日で照らされる二人の顔は所々、赤く腫れあがっている。カナトの方は鼻血も少し出ていた。
「イリア、俺はな、チルカナジアって国が嫌いになったんだよ」
「……」
指で鼻血を拭い、吐き捨てるようにしてカナトが言った。
宿の部屋はすでに引き払っている。荷物すべて運び出して土手の方に置いてあった。
早朝の空気は肌を切るように冷たいが、二人とも皮上着の下は薄着だった。
それでも既に何度も殴り合っている二人の体温は上昇し、吐き出す息は真っ白に曇っている。
「アヤの死んだのがお前たちのせいだとは言わない。肺熱症ではお前もエミリアも苦しんだんだし、どっちからどっちに移ったかなんて分からないからな」
「……」
「けど、『岩通し』は無いだろ。肺熱症は夏から流行ってたって言うじゃないか。人から人にうつるってことも、だいたい分かってたんじゃないのか? それを、バカみてえなお祭り騒ぎなんかするから、また流行ったんじゃないのか⁉」
カナトの言うことは、本当の事な気がする。
王政府がもっと早く状況を認識し、何か対策を打っていれば悲劇は起こらなかった可能性が高い。
そして、ハインリヒ商会の身近な二人が同じ病を患っていたのに、のんきに『岩通し』に出場していたイリアにも罪の一端がある。
観戦にアヤを誘わなければ、何も起きなかった可能性すらあった。
「……オレは、もう二度とこの国のためになることはしない。チルカナジアに住む人間のために、役に立つ仕事なんて一つもしたくなかった」
「……俺のことも憎んでくれ。カナトにはその権利がある」
「その通りだっ!」
踏み込んだカナトが不必要に体ごと振りかぶって、そして右拳をイリアのアゴに当ててきた。当てるところは正しいし多少痛いが、あまり効かない。相変わらず素手の格闘がうまくない。
イリアのレベルが高くなりすぎているせいでもあるのだろう。病み上がりの衰えた体でも、避けようと思えば簡単にそうできた。
「どうした、さっさと殴り返してこいっ!」
言われたので、体重をのせない拳を何度か肩や腕に当てる。
カナトも両腕を振り回し、それが左目の上の骨に当たってじわっと痛みが広がった。
だんだんと興奮してくる。
不器用に左腕を振りかぶったところで、イリアが先に踏み込んで間合いを潰し、右腕でカナトの内肘を抑えた。
腹を狙って左拳を突き入れたが防御される。
防御したカナトの右腕を力づくで引きはがし、右で今度こそみぞおちを突いた。
「ぐぅっ」とうめき声をあげて体を折るカナト。みぞおちは人体の急所であり、突かれると呼吸がまともに出来なくなる。一瞬にして顔から血の気が引いて、そのまま雪の上に尻を着いた。
「……大丈夫か?」
「……」
「なぁ……」
「あぁ、な、んか、これは……」
力なくぐったりとうなだれ、開いた口の中に舌を見せて浅い呼吸を繰り返している。
荷物のところまで駆けていき、毛皮の上着をとって来てカナトの背中にかけた。
ゆっくりと首を巡らせてイリアを見つめる目は辛そうに細められていた。
「すげぇ、変な、感じだ…… 頭にくる感じが、なんも起きないような、そんな……」
「そんな感じなのか……」
イリアの方には成長素を得た感覚は無かった。レベル差があるからだろう。
成長素を摂れないだけの差があっても【不殺(仮)】の効果はあるのか。どんな効果で、そしてレベル低下も働いてしまうのか。
その検証のために殴り合ってみたわけだが、お互い本気になる「やる気」が起きないためか、なかなか結果が出なかった。
それが今やっと何か違う感触を得たようだった。
「頭の、回転が鈍くなってる、感じ……」
「大丈夫か? 脳に損傷があったりとかじゃないよな?」
「……。なんか、酔い草吸いてぇな……」
「おい……」
何となくであるが、カナトの話す言葉がゆっくりに聞こえている。まるで子供と話しているような感覚になる。
【不殺(仮)】の異能が魔物の『凶化』を解いてしまうのは分かっていたことだが、もしかしたら人間に対しては戦う意欲と共に『速さ』の恩恵を奪ってしまうのかもしれない。
郵便屋か何かが、北から南に向かって凄い速さで街道を走っていく。
カナトのこの状態は2刻間ほど続くものと考えられる。時間が経つにつれて人通りは多くなるだろう。
不審な状態に気づかれるのはまずいので、抱え上げて荷物のある所まで運んでいった。防水雨具を下に敷いてあるので、上に座らせてイリアも左横に並んだ。遠目には仲良く話をしている友人どうしに見えるのではなかろうか。
「おもしろいぜ、考えてること、次々消えて行っちまう…… バカになったみてえだ……」
「もう話さなくていいよ。治ってから街に戻ろう」
「なぁイリア……」
カナトの呼吸は大分落ち着いてきた。大きく息をつき、黒々と横たわるアクラ川の水を眺めている。
「……なんだ?」
「アヤはな、お前のこと、好きだったんじゃないかと思うんだよな……」
「え?」
「真剣な想いとかじゃ、なくな…… 溜まりじゃ見ることない、毛並みのいいやつが…… 珍しかった、だけなんだろうが……」
そう言ってまた、ぼんやりとして今度こそ黙った。
隣に座るイリアも同じように、何も言えずに2刻の間、穏やかな水面をただ眺め続けた。
「いやぁ、おかしな感じだったぞ。世界が急に目まぐるしくなってな、不安でしかたなくなってどこかに消えたくなるんだ。イリアが居るって分かってなかったら川にでも飛び込んでた気がする」
「……大丈夫か?」
「ああ。さっきすーっと元の気分に戻った。さっそく戻ってスダータタル溜まりに行こうぜ、確かめてみよう」
改めて防寒のための服装を整え、クトークの壁外地域を目指す。
肉屋の老婆の店は北門の側にあるのだが、スダータタル溜まりは南側。
ナジアと違って壁外のスダータタル移民が全員住んでいるらしく、十数年前から集まり始めて人数は200人以上。今も増え続けているらしい。
イリアは3日前まで知らなかったのだが、ナジアの溜まりには『
そもそも水晶球を使うには使用者のマナを登録する必要があり、その作業はボセノイアの派遣する技師しかできない。
だが、その技法の一部を壁外地域の【マナ操士】が知っていて、かろうじてアビリティー鑑定だけは出来るようにしていたというのだ。
技法を盗み出したのはスダータタル人ではなく、過去に壁外を主導していた反ボセノイア派の精霊信仰主義者だそうだ。名や出身国は伝わっていない。
魂起こしのできない「故障品の水晶球」は、溜まりだけではなく、壁外の他の場所にもいくつか隠されていて、非アール教徒住民のステータス鑑定に使われていたらしい。
クトークでも同じ状況かは分からないが、防壁の中に入れない人間が誰もステータス鑑定を受けていないという事はないはず。どこかに水晶球が隠されていて、そのありかを知っている者が居る。
地域の存続に大きくかかわる重大な秘密なので、めったなことでは明かされないだろう。
同じスダータタル移民であるカナトであれば、同胞として教えてもらえると予想していた。
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