第189話 掛け算

 イリアとカナトは魔物の死体を運ぼうと引っ張ってみて、その重さに愕然として顔を見合わせた。

 二人がかりで全力で引いてもまるで動かず、少なくとも500キーラムはあるとみて間違いない。

 どうしたものかと考えていたら、逃げた子供たちが大人を何人か連れてきた。


 子供たちを助けてくれたといわれて感謝される。その一方で亀の魔物の倒し方について苦言を呈されもした。どうやら血になんらかの薬効があるらしく、失血死させるのは愚かな事なのだという。

 血をこぼさないようにしていたら魔石も取り出せないだろうとカナトが言ったが、この魔物の仮想レベルはやはり11くらいのものなんだとか。低格の魔石だと、取り出さないまま売りに出されることも多いらしい。

 仮想レベル11と言えばオオアマガエルと同じだ。今のイリアやカナトにとって敵ではないとはいえ、この亀っぽい魔物は大きさも脅威度もオオアマガエルとは比べ物にならないように思える。

 やはり野生の魔物は養殖物とまるで違うと、いまさらながら納得した。


 背を下にしてひっくり返し、綱を結んで2キーメルテ離れたクトークの街まで曳いて運んだ。子供を助けてくれた礼だと言って、最終的に8人もの大人が集まって協力してくれた。

 進路に雪を撒き傷つかないように滑らせながら、壁外にある肉屋に運び込まれる。教えられた魔物の名は「二本ドロガメ」ということだった。


 肉屋の建物は柱と基礎だけが石造りで、倉庫のように広い大部屋が一つあるだけ。商品を腐らせないために暖房はつけられていない。

 皮をむかれた獣の死体がぶら下がる血なまぐさい室内。毛皮を着て机の向こうに座る女店主は80歳近くに見える。

 二本ドロガメの死体は首と胸部を切り裂かれている。女店主は義眼でない方の左目でそれを見て、舌打ちを一つした。


「血が抜けちまってるなら大銀貨2枚だねぇ」

「そんなわけないだろ? 何キーラム肉がとれると思ってんだ、味はいいって聞いたぞ」

「ただ焼いて食うような肉じゃないんだよ。脂やなんか処理するのが大変でね。値段の7割はその手間賃さ」

「そうだとしても、何百キーラムもの肉が大銀貨2枚のはずがないだろ。金貨二枚の間違いじゃないのか?」

「バカ言いなさんな若いの。嫌なら他所に持って行きな——」


 店主とカナトの価格交渉は激しい。

 運ぶのを手伝ってくれた親たちが帰ってからも、なお数分続いている。

 冬は肉が腐る心配がないから交渉が長引くのだろう。イリアも交渉術を学ぶためと思ってじっくり聞いていた。

 交渉の結果、売値は大銀5に小銀2となった。もとの値段の2.7倍だった。


 ナジアでもそうだったが、魔物の解体と肉の卸売りは壁外地域で行われる事が多いようだ。血の匂いが魔物を呼び寄せるため、魔境森林に近い土地柄ではそういう仕事を防壁の外でするのは難しい。周辺がほぼ開拓済みの大都市ならではの業務形態と言える。

 受け取った硬貨をカナトが渡してきた。山分けですらなく売値をそっくりそのままだ。

 二本ドロガメとの戦いでイリアは何もしていない。尻の甲羅を一回踏んだだけである。


「なんだ? どういうことだ?」

「金はイリアが管理してくれよ。本当はオレ嫌いなんだよ金勘定とか」

「……そうなのか?」

「ああ。字が書けないから、何がいくらで売れたとか全部覚えておかなきゃいけないしな。もうあんまり考えたくないんだよ」


 そういうことなら仕方がないし、カナトの負担を少なくするのはイリアの考えていたことでもある。ちょうどうまい具合に財布は空に近いので、この逃避行における共有財産用として利用することにする。


「それでイリア。もうこの婆さんに頼っちまった方が早いんじゃないかと思うんだが」

「スダータタル溜まりを頼るんじゃなかったか?」

「もちろんそっちも候補ではあるけど、事情が変わっただろ。この婆さんはあの子らの親が紹介してくれたわけだし信用できるんじゃないか? いちおう命の恩人ってやつだろオレたち」


 小声で話し合っていると、肉屋の老店主が「用が済んだのなら出てっとくれ」と急かしてくる。

 カナトはもう一度店主に向き直り、商談を始めた。


「婆さん。あんたを真っ当な商売人と見込んで頼みがある。実は売りたいものがあるんだが伝手つてが無い。いい値段で買い取ってくれる人間を紹介してくれないか」

「……真っ当な品かい?」

「黒くはないが、筋は良くもない。ぶちのめした人攫いから取り上げたものだから、まあ盗品ではないんだが」


 薄く紫色に染めてある白髪頭をいじりつつ、老店主はしばらく考えている。

 カナトが話を続けようとするのを手で制した。


「どんな品か今は話さないでおくれ、変な下心が起きちまいそうだからね。それより、まずあんたらは宿をとるべきじゃないのかね。そっちの子はひどく疲れて見えるし、もうすぐ暗くなるよ」


 まだ日の10刻ではあるが、今日はもう12月の27日だ。年の終わりから新年1月1日が始まるまでの数日間は「やみ」と呼ばれて最も昼の短い時期になる。

 夏場よりも何刻間も早く日が沈んでしまうので、今からまともな宿屋を探すのは難しいような気がする。


「うちの裏手にある宿をやってるのはろくでなしだが、アタシが釘を刺せばおかしな真似はしないはずだよ。泊まるかい?」

「……どうするよ?」

「いいと思うよ。俺は少し、限界に近い」


 安全を買うため店主に紹介料の小銀貨2枚を支払い、肉屋から家一軒挟んで裏にある通りに面する宿屋に向かった。

 変に派手な見た目の三階建ての宿屋。経営者は艶のある口ひげを生やした丸鼻の男。

 肉屋の老婆を見てすぐいやな顔をしたが、客を連れてきたと聞くと作り物の笑顔を見せる。二人部屋、一泊朝夕食付きで大銀貨1枚という提案をしてきた。

 玄関扉横の看板に表示されているのより少し安かったので、イリアは納得して支払うことにした。



 一階が酒場にもなっている宿の夕食は香辛料が大量に使われた汁物だった。

 それを炊いたコメに掛けて食べる。味は辛すぎて意味が分からなかったが、肉が入っていて量もまともだったので文句を言わずに完食した。

 食後、久しぶりに暖房の利いた室内で薄着になって寝台に腰かける。

 イリアは明日に備えて早く寝てしまいたかったが、カナトが聞きたいことがあるという。


「なんかお前が深刻に言うから、春の予定を繰り上げてスダータタルまで連れて行くことにしたわけだが。その『人食い』ってのは実際どれくらい問題なんだ」

「声がでかい、もう少し静かに話してくれ」

「……わかった」


 エミリアに読ませてもらった本で知った「人食いアビリティー」の歴史を語って聞かせる。

 過去においてチルカナジアは一つの地方を【吸血鬼】と【屍喰鬼】の集団に奪い取られ、それが第二次ベルザモック戦争のきっかけにすらなっている。

 かいつまんで話したからか、聞き終えたカナトはあまり納得しているように見えなかった。


「……そういえばうちの氏族長の縁戚の家で、魂起こしを受けた奴がいつの間にかいなくなってたことがあったが、それかね?」

「どうだろう。スダータタルは賢者議会の影響が排除されてるんだろ? だとしたら【吸血鬼】や【屍喰鬼】がどういう扱いなのかどうか、カナトが知らないなら俺はもっと知らない」

「……まあともかくだ、イリアのアビリティーは相手を殺すわけじゃないんだ。人間だろうと魔物だろうと、敵対した相手をレベル上げに使うのがそんなに問題か?」

「それはだな——」


 今度は、マルゴットやハンナと話した内容を絡めて教える。

 異能変異を起こす前から、【不殺(仮)】は国際秩序を揺るがす可能性があるほど異常なアビリティーだったわけだ。

 そこへもってきての人食い化。問題は掛け算的に肥大化したと言える。


 人食い全般に言えることだが、人間を成長素源にするのは魔物を狩るよりもずっと簡単だ。

 時間をかけて魔境の奥地まで潜らなくとも、そういう努力で積み重ねた高レベルの人間が街には何人も居て、その全てが最盛期の強さを維持しているわけではない。人間は野生生物と違い、弱くなっても社会の中で生き続けられる。

 多少のレベル差があったとしても、相手が衰えた老人ならば、人間を狩ることに慣れた人食いは簡単に倒せるに違いない。


 その上さらに、【不殺(仮)】の超高効率成長が重なれば。

 計算上一つ上の人間、たった一人相手にするだけでレベル上昇できることになる。

 現在レベル20のイリアなら、21レベルの誰かを6回、繰り返し倒しつづければレベル21になれる。

 レベル30や40までの相手なら、大きな街ならそれこそ掃いて捨てるほど居る。

 レベル60の『達人級』に至るのも、たとえば戦士団の引退した長老連中を相手にすればそれほど難しくないのではないか。


 もしイリアが犯罪行為をいとわず、人を襲って拉致してレベル上げの糧にしてしまえば、10代のうちに達人級に到達できるかもしれない。いっさい魔物と戦わずにしてである。

 異能の不利は魔法をうまく使えば覆すことも可能。最強の武技系、【剣士】保有者ダヴィドとの戦いにおいて、図らずもイリア自身で証明したことだ。



「便利で最高なアビリティーって気もするけどな」

「まあ見方によってはそうかもしれないが、自分で言うのもなんだが恐ろしいとも思う。仮に【不殺(仮)】が、普通のアビリティー並みに150分の1の割合で発現するとしたら、人口300万人の国で2万人の部隊を作れる。5倍以上の効率で高レベル戦力になって、それで他国に攻め入って、人間相手に勝てば勝つほど強くなっていく」

「……俺らスダータタル育ちにとっては、人間同士争うのも当たり前って感覚がある。けどチルカナジアみたいな、長年平和にやってる国にとっては戦争の象徴みたいに感じられるアビリティーなのかもな」


 そこまで言われると、改めて暗い気持ちになる。

 魔物の脅威から人類を守護することが本来の戦士の役割だ。

 『白狼の牙』では人間同士の闘いにも備えていたが、それはあくまで国を守るためであって侵略戦争など考えたことは無かった。



 イリアはさらに話をつづけた。【不殺(仮)】の持つ可能性はこれだけにとどまらない。

 既存の人食いアイリティーと違って、【不殺(仮)】は味方内で成長素をやりとりする事が可能なのだ。

 敵対する人間をレベル上げの糧としなくても、もし【不殺(仮)】保有者を相当数確保できたなら、魔石資源地のというものが必要なくなってしまう。

 仮想レベル20程度の、「中級でも下の方」の魔物がいればそれでいい。その数さえ用意できれば、理論上いくらでも、無制限に高レベルの者を生み出せるはずなのだ。


「……どういうことだ? もう一回言ってくれ」

「だからさ、レベル20の俺がたくさん居て、一人の俺が他の5人をやっつけて、レベル21になるだろ?」

「ああ」

「そしたらレベルを下げられたほうの5人は、魔物を1匹捕まえてレベル上げに使えば、レベル20に戻れるわけだよ」

「まあそうだな」

「つまり、そうやって繰り返していけば21の俺を6人用意することが出来てしまう。そしたら次は22にして、繰り返して23、24。いくらでも上限はない。魔物の仮想レベルなんてもう必要なくなる。質のいい魔境がないような国でも、いくらでも高レベルの戦力を作れるようになってしまう」


 イリアの解説を聞いていたカナトは首を傾げた。半分無くなってしまった左眉部分。肉削ぎバチにかじり取られた傷跡をぽりぽりと掻いている。


「……そうか? 一つレベルを上げるのに5匹魔物が要るんだよな?」

「そう」

「じゃあ2つ上げるのには、5かける5で25匹必要になるんじゃないか?」

「……ん?」


 言われて考えてみた。よく分からないが、確かにそんなような気がしないではない。


「ってことはなんだ? 10上げるのに何匹要ることになるんだ? ちょっと数が大きくなりすぎないか?」

「えーっと……?」


 頭の中で計算し、難しいので覚書き帳を取り出した。

 骨筆で書き込みながら計算していくと、5を6回かけたあたりで桁が5つになってしまいそうだ。


「……そうかもしれない。ちょっと無理な気がしてきた」

「だろ?」


 金勘定が苦手と言っていたくせに、実はカナトには数学の天分があるのではないだろうか。


「やっぱりアビリティーが人食いだったから国に居られないってのは、気の回しすぎなんじゃないのかね。考え直した方がよくないか。親とか親戚とか、頼ればいいんじゃないのか?」

「……それはちょっと、な」


 話すと長いのでくわしくは後日にしたいが、アール教の問題もある。

 エミリアの両親がそうであるように、チルカナジアにはアール教徒が結構な割合で存在する。

 南西の隣国ボセノイア共和国はアール教勢力の第二の本拠地と言ってよく、『魂起たまおこしの水晶球』の供給や技士の派遣を通じてボセノイアは西側世界に対して影響力を広げ続けている。

 アール教に敵視されることは、世界の西半分の、その半分を敵に回すことに等しい。


 【吸血鬼】・【屍喰鬼】とは違うとはいえ、【不殺(仮)】が人食いの性質を持ったことは事実だ。

 人を成長素の糧にすることは「魔物と戦うために神が人間にアビリティーを与えた」とするアール教の教義に明確に反する。

 歴史的な事情もあって人食いに強い忌避感を持つアール教勢力が【不殺(仮)】のことを知った時、どういう事になるかわからない。


 ダヴィドが言っていたことから考えるに、マルゴットはヴァーハン家との間で何か暗闘を繰り広げていたと思われる。今のところ優位なのかもしれないが、ヴァーハン家自体が失脚してもチルカナジア国内の親アール教派が滅ぶわけはない。

 一族と国の利益を最優先にすると明言したマルゴットに、人食いとなったイリアを擁護してくれと頼むわけにはいかない。政治的闘争の足かせになると切り捨てられるかもしれない。


 そして家族にはもっと迷惑をかけたくない。場合によっては自分を犠牲にしなければいけない場面もあるとは思うが、その場面は自分の意思と責任で選びたかった。


 幸いにしてカナトが協力してくれるので、今のところひとりぼっちにはならずに済んでいる。まずは落ち着ける場所を確保し、時間をかけてどう生きられるかを考えたかった。

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