第185話 不殺

 カナトやイリアがこのダヴィドを実力者と見做みなしたのには理由がある。

 指二本分ほどしか幅のない鞘は厚みも無く、いうまでもなくその中身も細い。その時点で武技系・把持器強化型であることはほぼ確定。

 そして把持器強化型の異能は、手に持っている部分から離れるにしたがって強靭化効果が弱くなる。

 例外がカナトら【槍士】の≪武装強化・操≫であるわけだが、細い剣の一部分だけ強靭化するというのは考えづらい。効果が掛かっていない部分が折れるので実用性に欠ける。

 1メルテの剣全体、その先端まで効果を届けられるのなら、ほとんど大人と変わらないレベルで且つ、『マナ操作』高めの技巧派ということになる。


 その判断をしたうえで改めて身のこなしを見れば、長い剣が決してただのはったりでないことがわかる。きちんとした指導者に付き、日々鍛錬に時間を費やしていることがうかがえる。



「なあ、俺のことをどれくらい知ってる? 名前は分かってるよな。オスカーが口に出したし、覚えてるだろ?」

「……ああ」

「実はこれでけっこういい生まれでね。オスカーと同じく、王宮街に住んでる。俺の父親はヴァーハンの家名を名乗ってるんだ」


 以前見た時のダヴィドはあまり感情を顔に出さず、イリアがオスカーの顎にひびを入れたあの件の時も極めて冷静に対処していた。

 今日はやけに生き生きと話している。口の端がつり上がっていて、はっきりと笑顔を作っている。


「この国の名家制度ってのは複雑でね。お前なら知ってるとは思うんだが、歴代当主の孫までしか正式な一員とは認められないんだよ。俺の親父は先代当主が18の時に作った娘の、その長男なんだ。要するに俺はひ孫世代になる。だからヴァーハンを名乗れない」

「……父親が、オスカーのいとこってことか。それがどうしたんだ」

「そう。頭の回転は悪くないね、23歳差のいとこだ。それで、現当主が死んだら、その遺言で俺の父親が当主の座に就くことになってる。そうなりゃ俺も晴れて正式なヴァーハン家の一員だし、子供を作ればその世代までが名を継げる」



 前に学んだことだが、チルカナジアの名家は当主の地位を直系では継がないことが多い。ダヴィド親子の例のように、家名を名乗れない者に一気に資格が渡るようにしたほうが結果として人数が増え、家自体の存続も確かなものになる。

 国民の中の既得権益者の数が無限に増えないよう定められた制度のはずだが、どこかいびつで息苦しく、おおらかさがない。


「俺には関係ないと思うが結構な事じゃないか、勝手にしてくれ」

「そう言わずに聞いてくれよ。それでその、今の当主のエドムントってのが俺に命じてるわけだ。オスカーのお守りをして無事に一人前にさせろってさ。理由はいろいろあるんだろうが、まあヴァーハンを名乗ってる一人があんまり間抜けじゃ困るってことなんだろうよ」

「スダータタル溜まりの件はヴァーハン家の意向で起きた事か?」


 答えるとは思わなかったが、イリアはいちおう聞いてみた。

 意外にもダヴィドは笑顔のまま、何でもない事のように話をつづけた。


「違う違う、オスカーが勝手にやったことだ。お前らへの嫌がらせついでにアール教にいいところを見せようとか、そんなところだろ」


 アール教が篤く信仰されるボセノイア共和国で、ボセノイアに対する外交に最大の責任を持っているのが大使のエドムント・ヴァーハンだ。


「じゃあオスカーは、次期当主の座の狙ってあんなことをしたのか。だとすればあんたは困らないのか?」

「困る? いや、エドムントの次にオスカーがなることはあり得ない。当主は20歳以上離れてれば継げるんだから、間を飛ばして50歳以上離れたオスカーに継ぐのはもったいないだろ?」

「家名を名乗れる人間が減るってことか」

「そうだ。だから俺とオスカーの利益が相反することはない。なんなら親父の次がオスカーになるかもしれないし、だからこそ俺がお守り役をやらされてる」

「そうか」

「個人的にはどうかと思うがね、あいつにそんな器があると思うか?」


 話を合わせているが、イリアが今考えているのは二人の位置取りだ。ダヴィドは綱を結わえてある松の木のすぐ隣に立っている。

 15メルテ以上高さのある崖から飛び降りて逃げるのは難しい。おそらく骨折するか、よくても足を挫いてしまうだろう。

 そうならないためには綱を使い、速度を殺しながら降りなければならない。


「まあそれでさ。俺はオスカーのお守り役として、失敗のしりぬぐいまでさせられるわけだ。ひどい話なんだぜ? 本当なら俺は今年学園を卒業してるはずだったんだ。それを、レベルを一つ上げないまま留年ってやつだよ。そうまでしてあの間抜けの側に居させられてるんだ。いい恥さらしだぜまったく」


 学園の卒業の基準もよく知らないが、普通に考えてレベル20ないとダメなのだろう。

 一つ上げないでいるというのならダヴィドは19という事になる。

 イリアにとっては唯一の光明。レベルだけなら一つ勝っている。


「……長々と話してるが、結局用件はなんだ。何で俺を待ち伏せてたんだ」

「だから、しりぬぐいだって。オスカーがやったことがお前を怒らせたんだろ? けど間抜けの失敗のせいでヴァーハン家を潰されるわけにはいかないんだよ」

「……」

「実際、俺もうかつだったんだ、すまん。あんなバカなこと手伝うべきじゃなくて、殴ってでも止めるべきだったよ。気持ち悪ぃのを我慢してバケモノ蜂の目を潰したのに、結局うまくいかなかったしな」


 その言葉にイリアは戦慄し、武器を構えた。

 溜まりの井戸に塩を入れるのは実はたいした罪でもない。毒ならともかく、結局のところ誰を害したわけでもないからだ。

 だが肉削ぎバチの件はまるで話が別だ。負傷者が多く出たのはイリアも目撃しているし、命を落とした者さえ居るという。


 戸籍も無く存在を記録もされない壁外住民を無視したとしても、王都の近くに魔物を数百匹もおびき出す工作自体が論外。首謀者は極刑が当たり前だ。

 その秘密をイリアに明かすという事は、「明かしても漏らすつもりがない」という事だ。



「そうそう。最初からそれくらい警戒してくれないと。ぼんやりしてるから拍子抜けしちまった」


 ダヴィドは素早い動きで腰の装具から剣をはずし、左手で柄を持って、イリアの方に切っ先を向けたまま鞘をはらった。同時に羽織っていた毛皮が脱げ落ちる。

 やはりその刃は剃刀のように薄く鋭い。重さは2キーラムもなさそうに見える。左手一本で持っていても切っ先はぶれていない。


「勝てると思ってるなら、お前らはヴァーハン家を舐めすぎてるんだよ。ボセノイア共和国は『水晶球』を通じて世界の魂起たまおこしを牛耳ってる」


 肩をうごめかして偽の攻撃の仕草を入れてきた。

 間合いの外なのでイリアは反応しなかった。


「そのボセノイアと繋がるってことがどういうことか分からないか? この国じゃ年に15万人が魂起こしを受けてるんだ。利権がどれだけデカいか計算してみろ。オスカーがもらってる小遣い銭だけで貧民を10人食わせられる。俺もいずれ、その金持ち一族の一人になれる」


 ダヴィドは笑みを消し、今度こそ本当の攻撃を繰り出してきた。

 右足で雪の積もる地面を蹴り、半身になった左肩から射ち出された腕、その先に長さ1メルテの剣。今のイリアに見えない速度ではないが、避けようとする意思に体の方がついてこない。


 長さにそれほど違いの無い武器でも、片手で刺突されるほうが間合いはずっと広い。

 振り上げた短鉄棍をかろうじて剣の側面に当てた。胸の中心に向かってきていた剣先がそれ右肩に当たる。3枚重ねの服を貫き、皮が裂けて鎖骨にかする。痛みが走り、骨に刃が食い込む感覚があった。

 引き戻される細剣に合わせるようにイリアの方から間合いを詰め、ダヴィドの左手を狙って武器を振るう。

 相手は半歩身を引き、ぐるりと剣を回して巻き取るように動かす。重い武器を両手で持っているイリアから短鉄棍をもぎ取ることはできない。


 動かないイリアの武器に添わせて、火花を上げながら刃を走らせてきた。指を切り落とされる寸前にイリアは飛び退く。

 もう一度正しく構えをとったダヴィドが間を空けることなく突いてくる。腹に届く寸前、何とか武器で受けとめる。うまくいったのは偶然にすぎず、もう一度同じことをされれば腹に穴があく。


 イリアから見て点でしかない刺突を防御し続けることは困難。

 持久戦でダヴィドがマナ切れになるのを狙うのも無理だろう。今はイリアの体力切れの方が確実に早い。相手は攻撃時にのみ異能を使えばいいだけだ。


 ならば間合いを詰め続けるしかない。相手の攻撃が刺突に限られるなら、その切っ先が及ぶ範囲の内側に居続ければいい。槍を相手にする時と同じだ。


 切っ先が突き刺さったままの短鉄棍のコブ部分。ダヴィドが引き抜こうとするのに合わせて突進。

 雪が積もっていて地面の凹凸が分かりづらい。足元がおぼつかないが、後ろ向きに移動するダヴィドのほうが辛そうだ。

 キンッと金属をはじく音を立てて抜き取られた細剣。自由になった短鉄棍を振りかぶって、ダヴィドの編み上げ長靴の脛を狙って横に薙ぐ。

 跳びあがって避けられる。力任せに切り返し上向きに振ると、頭部をかばったダヴィドの右前腕に当たった。折ってはいないだろうがいい手ごたえがあった。


 横向きに倒れたところへ追撃の上段打ち下ろし。

 倒れたままダヴィドが剣を一閃する。

 短鉄棍を持つ手ごたえに違和感。先端が破断して宙を舞っている。

 一瞬呆然としたところを、寝たままの姿勢から蹴りつけられた。距離が開いてしまいその隙にダヴィドは起き上がる。


「ハッ! その棍棒は安物だな! ≪斬気≫でも斬れるのか!」


 予想はしていたが、ダヴィドはやはり【剣士】保有者だった。

 並の武技系異能の強靭化ではない。鋭ければ鋭いほど、薄ければ薄いほどその刃先を硬く粘りづよくする異能。

 剃刀よりなお薄いその辺縁部は欠けることも潰れることもなく、殆どどんなものでも傷をつけられる。


 だが、レベル40になって≪斬気≫が≪斬気・纏≫に変異しない限り、硬度と厚みのある物体を切断までは出来ない。

 直径0.3デーメルテの太さなら斬れてしまうのか。あるいは多腕おおうで戦の時、石炭の熱い炎の中に突っ込んだせいで破断しやすくなったのかもしれない。

 原因はともかく、短く軽くなってしまった武器で自分の命を守らなければならない。


 短鉄棍を破壊できると思ったダヴィドは剣を振り回し始めた。最初の洗練された刺突に比べるといいかげんなものだが、縦横に素早く振られる剣の間合いに入り込むことができない。図に乗ってどんどん前に出てくるダヴィドに対して防戦一方になった。

 鉄が鉄を切り刻む奇妙な音が鳴り響き、3回目の斬撃を受け止めきれず短鉄棍が真ん中で切れた。

 右手に残った片方を投げつける。斜めに尖った破断面をぶつけようとしたが易々と防がれた。

 迫るダヴィドに対し、イリアは背を向けて山の斜面を駆け上った。


「無様な真似を晒すなよイリア! お前の足が遅いのは分かってんだよ!」


 ダヴィドからすれば運動機能の衰えた今のイリアはそう見えるだろう。

 弱った体はすぐに息が切れてくる。後ろ足で跳ねとばす雪や泥にときおり舌打ちをしながら、ダヴィドはそれほど急ぐでもなく追ってくる。

 右肩の傷から垂れてきた血が白い雪に跡を残した。

 水平方向に進んだだけ上昇することになる急斜面。

 10メルテ進んだところで向き直ると、あとわずかで細剣の切っ先が届く位置に居た。


「……お前から言って、ヴァーハンに探りを入れてる連中を止めることは出来ないか? ……出来ないだろうな。お互い、一族のじゃ替えの利く末端の一人だもんな」

「……」

「だがお前を消せば状況は好転する。他はしょせん貧民街のゴミどもだからな。重要な証人はお前だけだ」

「……」

「何とか言えよ。何か、俺の気が軽くなるような憎まれ口を言ってくれ」


 ダヴィドが何か言っている間に、イリアは呪文の思考詠唱を完了していた。


マナを捧げ請うエルク ジェマニス 水の精ファンウンディ 渦巻き廻りマクト シトルナ 帯を成しレ ベヴェルトラ 

        指の示に従いカアプ ジェファンカ 延びて切り裂けクレスキ トランシ 水鞭ニーロヴィーポ


 ひと月のあいだ毎日何度も唱え続けた呪文。魔法発動に成功し、さらに修練を重ねていちおうの形にはなっている。

 かき集めた雪の塊がイリアのマナと融合し、一気に融けて左手にまとわりついた。

 凍って固まる力も水の精霊力と同質であり、実は水より氷の方がより強い魔法媒介と言える。

 行使者の思い描く魔法現象と、精霊言語の語彙。それと実際には発音されていない複雑な抑揚に込められた情報に従い、水の源素が動作する。


 『水鞭』は透明な細長い帯のように見えるが、その帯は面上を互い違いに高速回転する小さな渦で構成されている。

 イリアの左手から伸びた魔法の鞭がダヴィドに襲い掛かる。一振り目、二振り目は斬って防がれたが、最後の三振り目が顔に命中した。


「くっそ! 小細工を!」


 実際小細工である。『水鞭』は渦の回転速度でも威力が変わるが、熟練の遣い手は水に砥石やガラスの粉を混ぜる。

 イリアはまだきれいな水でしか魔法発動できない。マナの恩恵を受けない並の獣の皮なら切り裂けても、大人並みのステータスを持ったダヴィドの顔を傷つける威力は無い。


 せいぜい一時的に視力を奪える程度。剣を持ったままの手で目を抑えるダヴィドに、イリアは跳びかかり足元にしがみついた。

 斜面を転がり落ちながらダヴィドの左手首を捕らえる。

 元いた場所まで落ちた直後、背中に担いだダヴィドの体を地面に叩きつけた。

 呻き声を出したダヴィドだがまだ剣を手放していない。刃が当たってイリアの上着の左脇腹部分が切れた。

 気にせずそのまま肘を背中側に極め、一気にじる。肉の中から鈍い音が聞こえた。


「あ゛がぁ、ぁ……」


 脱臼させるつもりだったが折れたかもしれない。

 イリアの体に

 手放された細剣を念のために踏み折りながら、イリアは自分の身に起きたことを自覚する。

 全身の産毛が逆立ち、血液が逆流した。


 目の前に横たわるダヴィドは動かないが、死んでいるわけではないようだ。

 破壊された左肩を押さえるでもなく、気絶したのか寝ているのか、充血した目を半開きにしてぐったりと呼吸を繰り返している。



『笑えるじゃないかイリア! 人どころか、蟲一匹殺せないキミがあのと同じ類型のアビリティーとは!』



 ハンナの言葉が急にイリアの脳裏に蘇った。

 【不殺(仮)】は魔石の有無にかかわらず、マナの恩恵を受けた生き物から成長素を得る。

 「人食い」と系統の異能。同じ類型の『成長系』アビリティー——

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