第180話 洞

 うまくいかなかった場合、逃げ出すためにはドルカの魔法が必要であり、マナの回復のために1刻ほど時間が居る。その間に装備を整えた。

 イリアは鎧の上から鞣し革の上着を羽織る。見姑ザターナの家に逃げ込んでいる主婦の一人が着ていたものだ。

 肉削ぎバチの毒針を通さないような硬さは無いが、分厚く寸法がかなり大きいため、鎧との間に空間が生まれ針が体までとどかなくなることが期待できる。


 アガルスは自分の複合鎧を着こんでいる。体の前面と肘から先の前腕部が鉄板で覆われていて、肩部分も気休め程度に補強されている。兜は持っていないらしく鉢金はちがねを額に巻いているが、これは気休めというか気の持ちようというべきだろう。

 鉢金はどちらかと言えば対人の戦いで打撃・斬撃を防ぐための防具だ。


「あの、ラシードさんはそれでいいんですかね?」


 ラシードはまた綿の布を裸の体に巻き付けている。三重四重にも重ねているのである程度の防御は期待できるが、まともな武具とは言い難い。


「俺は【屈強】だからな。本当は防具なんかないほうが動きやすいんだが、巻いた方が多少はな。かすり傷でも増えすぎればつらい」


 【屈強】はマナを消費して一時的に『耐久』を倍増する『ステータス系』のアビリティーだ。『武技系』である【剛躰】に作用が極めて似るが、単純に硬くするのではなく総合的に丈夫になるため毒や熱に対する抵抗力も上昇する。

 毒蟲の魔物相手には最適のアビリティーと言えるが、自分の関節の靭帯が硬くなるため動きが多少鈍くなってしまう。どういう原理か分からないが、【剛躰】のほうがそういう弊害は少ないと言われている。


 ドルカは女中服のままでいる。動きやすい方がいいと本人は言っているが、いずれにしろこの場には適した防具が無いのでしかたない。


 日が出ていない間の時刻は基本的に星を見て測るのだが、測定器が無ければ難しいようだしイリアはその使い方を知らない。

 ちょうど1刻でガラス容器内の砂が落ち切る「1刻時計」というものが公共機関で使われているらしいが、一般家庭で見ることは無いし当然このスダータタル溜まりにも無い。

 ともかく。別に正確に時刻を知る必要は無く、余剰マナが完全に満ちたのをドルカ本人が確認して出発となった。



 ラシードが扉の把手とってをつかみ、イリアとドルカがその後ろ。曾祖母を背負ったカスターが続いて最後にアガルス。やはり全員裸足である。

 合図とともに扉を引き開けて一斉に飛び出した。

 大きな声は出さない。テシテシという足音を立て、ラシードが西に向かって駆けていく。西の井戸は溜まりのパン焼き小屋の中にあるといい、そこまでの距離はわずかに数十メルテ。

 6人に気づいた肉削ぎバチは四方八方で翅音を立て始めた。

 見えていなくてもとにかくぶつかり、攻撃を誘発するにおいを付けてくるつもりだろう。


 数秒でパン焼き小屋に到着。開け放たれている両開き扉に駆け込むラシードと、それに続くイリアドルカ。そしてカスターと見姑。

 見姑が風魔法で小屋の中の肉削ぎバチを一掃した。

 そしてそのまま自身と自身を背負うひ孫を旋風で防御する。

 風音で何を言っているか聞こえないが、おそらくは激励の言葉を残し、カスターたちは風に守られながら来た道を帰っていく。レベル12になったばかりのカスターはここまでしか参加しない。

 ラシードが使ったと思われる縄梯子が残されていて、それを伝って4人で井戸の中に降りていった。


 深さ10メルテ近くある井戸の底でさっそくラシードが敵にとりつかれている。

 水深は腹まであるようだ。背の低いイリアは胸の高さまで水に浸かってしまう。

 魔蟲の顎に噛まれたまま、ラシードはその腕を水中に沈めた。しばらくして浮き上がり水面でまた翅を羽ばたかせ始めたところを、もう一度掴み直して沈めている。


「溺死させるのはいいんですか?」

「知らんがダメだろうな」


 動きが鈍くなったところで翅を引きちぎり、奥につづく洞穴の奥に投げ込んだ。

 毒針に刺された傷に口を当て、吸い出して吐き出している。深くまでは刺しこまれなかったようだが、腕など自分で処置できるところ以外を刺されたら誰かが吸わなければならないのだろうか。


 11月でも井戸の水は思いのほか冷たくはない。というより、気温に比べると温かいくらいだった。地下水とはそういうものだとも聞く。

 その水面がそのまま広がっている地下洞穴。ラシードが右手に炎を灯した。

 松明たいまつの火を見れば昼間と同じように目を覚ます肉削ぎバチだが、石炭を燃料として魔法で制御された赤い炎は蟲の目には明るく感じられないらしい。

 大人が三人横並びで歩けるくらいに広い空間。壁というか天井というか、硬い地層がむき出しになっている部分に十数匹の肉削ぎバチが止まっているのが見える。


「本当に襲ってきませんね。そんな凄い火魔法があるのは知りませんでした」

「チルカナジア人は魔法にうといってのは本当なんだな。俺たちは夜の魔物狩りで普通に使うぞ。だがオレは異能にもマナを使うからゆっくりはできない。さっさと行こう」


 アガルスが縄梯子を降りきった。位置を入れかえ、アガルスとラシードを前衛に進んでいく。

 使いやすいよう深く掘られた井戸の部分に比べれば、奥の方は浅くなっていた。

 水底は起伏していて水深が進むごとに変わっていく。コケなどは生えておらず、ザラザラとした岩盤なので足を滑らせる心配は少ない。

 アガルスが前方で激しい動きを示し、左手で捕まえた肉削ぎバチをこちらにほうって来た。本人はにおいを落とすために水に潜っている。ラシードが振り向いて小声で叫んだ。


「さぁ早く。大人しくさせてくれ」

「……えっ?」

「えじゃねえっ! いいから早く!」


 イリアのすぐそばの壁にとりついて、怒りのまま翅をはばたかせ始めた肉削ぎバチを短鉄棍で打つ。一度では決まらず2度。

 壁に武器を当ててしまえば衝突音で肉削ぎバチが全部目覚めてしまう。

 足元がおぼつかないので、一旦短鉄棍の先端で押さえつけ体勢を整えてからもう一撃。慎重かつ力を込め、魔蟲にだけ当たるように打つ。

 成長素を得た。得てしまった。


「ちょっとちょっとちょっと、どういうことですか。まさか居るやつ全部俺が倒していくって話なんですか? 女王を大人しくさせるってことですよね?」

「そのつもりだが、起きてきちまったのは処理するしかねえだろうが」


 後ろを見るとドルカも頷いている。


 ずいぶん前のことに思えるが、見姑に「レベル14までなら気にせず上げていい」と言われたのが40日ほど前だ。そして14に上げたのが4日前で、今日の昼に15になってしまっている。診てもらわなければわからないが、実はもうまずい段階なのではないか。

 ドルカは雇い主であるマルゴットからイリアの【不殺(仮)】のことを聞いていないのだろうか。マルゴットが秘密を厳守しているなら聞いていないのかもしれない。


「頼むぞイリア、お前にはきついかもしれないが、ちゃんと援護する。オレたちは殺さなきゃ無力化できないが、お前さえいてくれればどんどん処理できる」

「頑張ってくださいイリア。指定有害アビリティーなんて言われてても、ちゃんとこうして役に立つんだってところを示す最高の機会じゃないですか」


 水から上がったアガルスも頷いている。

 作戦を立てている間どこか頭の隅で違和感をおぼえていたが、やはりこの3人はイリアのアビリティーを【魔物使い】と勘違いしているようだ。

 【魔物使い】も倒した魔物の『凶化』状態を解くことが出来る。【不殺(仮)】もそれに似ている部分があるのだが、大事なところが違う。

 【不殺(仮)】はそれをすると同時に、成長素を得てしまうのだ。地下空間に100匹居るという肉削ぎバチの何匹と戦うことになるか知らないが、「どんどん処理」などすれば確実にステータス不適応症になる。


「……止めましょう。中止、中止にしましょう」

「何言ってんだいまさら!」


 ラシードが少し大きすぎる声を出した。アガルスが「シッ!」と言って窘めた。


「……昼間、俺んちのとなりのチビが腕を半分噛み切られた。縫ったらしいが元通り動かせるようになるか分からん。朝になればまたそういう事が起きるかもしれねえ。それに比べたら、軍でもなんでも来て井戸を潰してくれた方がマシだってオレは思う。けど、それすら来るかどうかわからんのだろ」


 顔を近づけてそういうラシードの顔。赤暗い炎に照らされた厳つい顔面はうっすら泣きそうな表情を浮かべている。


「とにかくできるだけやってみてくれないか。言ったように、ダメでも我々は君への感謝を忘れない。絶対とは言えないが、君の命だけは守り切るつもりだ」

「安心してくださいイリア。この狭い空間なら私の風魔法は効率よく連中を抑えられます。逃げることならいつでもできますから」


 アガルスとドルカが言っている。

 ここで【不殺(仮)】の事情を話して中止にしてもらうことは可能だろうか。ステータス不適応症は確かに嫌だが、命に係わる問題でないのも事実だ。

 新種とばらしてしまうよりは、誤解されたままの方がマシな気もする。

 数秒考えてイリアは覚悟を決めた。


「分かりました。でも、事情は話せないんですが、なるべく俺が処理する分は減らしてください。でないと女王を大人しくできるところまで持ちません」

「……わかった。最初からそうするつもりだしな」



 洞穴を進むほどに肉削ぎバチは増えていき、1匹処理し、もう一匹処理してレベルが上がってしまう。ステータスの相対的な上昇幅は減って来たとはいえ、一日に2レベルでは力加減が乱れてくる。だが痛みや虚脱感などはまだ起きていない。

 さらに進むと、見えている範囲だけで数十匹が壁天井に張り付いていた。



「この先はもうめちゃくちゃだ。一気に行くぞイリア」


 ラシードの言葉に合わせてアガルスが水中に潜った。作戦通りイリアも真似をするが、水泳を身に着けていないので目と口を閉じ鼻をつまむことしかできない。

 腰ほどの深さの水中を、ドルカにうしろ襟を掴まれて運ばれていく。

 ラシードは火魔法を使っているため潜ることは出来ず、端の浅瀬を水音立てて走っいく。


 体の周りを水が流れ続けるのを感じながら、数十秒息を止め、そろそろ限界というあたり。しぶきを上げて体を起こすと周囲を肉削ぎバチの翅音が取り囲んでいた。

 ラシードが石炭の炎を大きく燃え上がらせてから投げた。

 十分に加熱された石炭は魔法の制御を外れても燃え続けている。

 2、3人が横になれる程度の広さで、地面が盛り上がっている。

 地面というか岩だ。炎に照らし出されたその岩棚の部分には、肉削ぎバチの死骸が複数転がっていた。


 洞穴は少し空間が広がり、その壁面、岩棚の上あたりに幼児くらいの大きさの何かがはりつけられていた。


「イリア!」


 ラシードの一喝。はりつけになっている次世代の女王に向かって足を動かす。腰まである水が邪魔をしてうまく走れないが、距離はほんの12、3メルテ。

 アガルスが分厚い手袋で襲い掛かる魔蟲をつぎつぎに迎撃している。

 もはや殺さないよう留意する状況でもないが、そもそも飛んでいる所を武器無しで殴ったくらいで簡単に殺せる相手でもない。


 ラシードは一匹一匹捕まえてから右手のナイフで翅を切り取ってほうり投げている。

 イリアの背後はドルカが守っているのだが、それでも数十の肉削ぎバチを完全にイリアから遠ざけることが出来ていない。

 右から来るところを打ち払い、鉄兜にとりついてガシガシと音を立てているのを、自分の額を打つようなおかしな格好で倒す。アガルスの背中に止まっているのを短鉄棍の先端で弾き飛ばす。

 ラシードが呻き声をあげるので、その尻に止まっているのも急いで叩く。

 『耐久』が2倍になっていても針は革ズボン越しに浅く刺さっている。そこに毒を注入されては大変なのだ。

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