第179話 磔

 光で目を覚まし活性化するという肉削ぎバチ対策のため、大部屋には1本の小さなロウソクが灯っているだけだ。

 奥に入って数分後。母親と無事を確かめあって出てきたカスターは、集まっている人々を避けながらこちらに向かってきた。

 そのカスターとアガルスとイリアにドルカで、大部屋の隅で固まって話し始める。


「それでコンスタンティン、お母さんが心配で戻って来たのは分かったが、なぜイリア君を連れてきたんだ」

「いや、なんというか連れてくる必要は、あったというか無かったというか……」

「なんだそれは」


 結局一度も戦闘にならなかったので【不殺(仮)】の力は別に要らなかったといえる。

 だがイリアが来たからドルカもついてきたのであり、ドルカの風魔法の防御が無ければ溜まりに戻ってくることは叶わなかったわけだ。


「ドルカ、さっきの魔法でここにいる人を避難させることってできない?」

「出来ますよ。1刻半たってマナが回復したら、一度に二人ずつ溜まりの外までだったら連れて行けます。まあそこでマナ切れになって、風に巻き上げられて怒り狂った肉削ぎバチと屋外に取り残されますが」

「そんな皮肉っぽい言い方をするなよ……」

「すいません。では、ここに集まっている中で風魔法が巧みな方は?」


 風魔法を使えば空飛ぶ魔物である肉削ぎバチを地面に叩き落し、一時的に無力化できる。殺さずに済むので壁外全ての肉削ぎバチを相手にしなくてもいい。事態を解決できるかもしれない。

 見回したが、大人が半分しかいない。

 そもそもスダータタル人は大人だからと言って全員がアビリティー保有者というわけではないし、魔物資源を採集する仕事などとは縁遠い主婦が多いようだ。


 一人誰かが手を挙げた。

 アガルスの母親にしてカスターの曾祖母である見姑ザターナだ。

 「母さんはいいから……」というアガルスの言葉に、90歳に近いはずの老婆は手を降ろした。


 ここに集まっている者が隠れているすべてではないだろう。他の家に閉じこもっているスダータタル人の中にドルカ程度の腕前の風魔法使いも居るかもしれない。

 探してみるべきだと思うが、まずは状況の確認である。


「アガルスさん。暗くてよく分からなかったんですが、溜まりには何匹くらい集まって来てるんですか?」

「わからないな、千はいっていないと思う。数百くらいだろうか」

「数百……」

「大おじさん、そもそも何であの蟲は集まって来たんだ? 溜まりの誰がか何匹も殺したとか、そういうことか?」

「今それをラシードに調べてきてもらってる」

「誰だっけ」

「アルツテンザダムのウザークだ」

「ああ……」


 何のことか分からないのでカスターに聞くと、『裏海岸の民アルツテンザダム』の『戦士長ウザーク』という意味だそうだ。ヤガラ語ではなくもっと地域的な民族言語だと言っているが、イリアにはどちらも難しい異文化の言葉だ。


 そんな話をしていたら、高速連打で扉を叩く音がする。男たちが集まり、息を合わせて扉を開くと誰かが転がり込んできた。

 転がり込んできた者の背に肉削ぎバチがとりついていて、翅音高く今にも飛び立とうとしている。

 開いた扉からも2、3匹が入って来ようとしていて、アガルス達はそれを拳ではじき返すのに躍起になっている。

 立ち上がると男だとわかる。その男は体全体に白っぽい布を巻き付けていて、とりついている一匹に気づかないまま家の中まで立ち入ってきてしまった。

 仕方がないので、短鉄棍を振りかぶったイリアは、木こりが斧を使うようにして布人間の背中に打ち付けた。


「いてぇ! 何だ⁉」


 壮年の男性の声で叫ぶのを無視し、床に落ちた肉削ぎバチをもう一度殴る。

 短鉄棍の先端が床にめり込んでしまったが、ともかく成長素の感覚があって敵は大人しくなった。外に放り出すために4枚の翅をまとめて掴む。


「あ、おいあぶねえよ!」


 事情を理解した布人間が心配するが、針で刺そうとするでもなくゆっくりと脚をうごめかす魔蟲をそのままイリアは外に投げた。アガルスたちが扉を閉めて、また施錠する。



「ラシード、それでどうだったんだ」

「……、まあいいか。アガルスよ、とにかくめちゃくちゃだ。ハチ共がここに集まってくる理由は井戸底の洞穴にあった」

「どういうことだ?」

「中央井戸は見ての通りだから西の井戸から降りて探ってみたんだが、巣みたいになっちまってる。奥に女王バチってやつがいた」

「巣作りしたって事か?」

「違う。サナギから羽化しかけのやつが、鉄くいはりつけにされてやがった。誰か人間の仕業だ」


 誰がそんな事を、というつぶやきがあちこちから聞こえてくる。

 誰かというなら、井戸に工作を仕掛けてくる人間に心当たりがあった。

 「また」である。イリアだけでなく事情を知っている者なら全員同じ考えだろう。


「とにかくその女王ってのを殺せばいいんじゃないのか? なんで殺してこなかったんだ」


 アガルスの隣にいる痩せた若者が怒ったような口調でそう言った。

 ラシードは自分の体を覆っている布をぐるぐると取り去っている。

 布はところどころ、というより全体に穴だらけになっていてもう何かに再利用できそうにない。肉削ぎバチの牙でやられた跡だと思われる。

 床に落とされた布の残骸は井戸の水でびしょびしょに濡れていて、上半身裸の姿を現したラシードは全身傷だらけだった。髪の毛をすべて剃り上げていて、その頭皮にも全身にも、浅いが切り傷がついている。


「殺すってのも一人じゃな。百匹もひしめきあってて、一匹も殺さねえように気をつけててもこれだぜ。それによ……」

「どうなるんでしょうね。女王が死ねばやつらがここにいる理由はなくなるでしょうが、はたして大人しく帰ってくれるものなんでしょうか?」


 ドルカの言葉に全員が黙った。

 一匹を殺しただけで群れ全体で復讐する魔物相手に、その中心、羽化しかけということは次世代の中心であり、女王というより姫かもしれないが、その大事な個体を殺してしまったらどういう反応になるのだろう。


 カスターが肩に手を置き、「いいか?」と聞いてきた。イリアは頷き肯定した。


「アガルスおじさん。そういうことならやっぱりイリアの力が要ると思う」

「……さっきの様子……。そういう事であれば、奥に行こう。この国では大っぴらにする話ではないだろう」


 ドルカとカスターとアガルス。女たちに全身の傷を軟膏で治療してもらうラシードを待って一緒に奥に向かった。


 見姑が診断に使っている2メルテ四方の部屋には誰も居なかったが、5人のうち3人までが大柄な男なのでなかなかきつい。


「イリアのアビリティーは倒した魔物を大人しくさせる。さっき見たから信じられるよな?」

「ああ。実際に見るのは初めてだが、明らかに反応が違ったな」


 小さな窓から差し込むわずかな星明かりの中、ラシードが頷いている。


「つまりイリア君のその力で、女王を救い出してお帰りいただくということか。だがどうなんだ? そもそも奴らは人を襲って食おうとする魔物だろう。女王を助けてくれてありがとう、さようならとはならないと思うのだが」


 アガルスのいう事ももっともではある。

 自身としてはやりたい気持ちとやりたくない気持ちが拮抗しているイリアは黙っていた。


「別に私も専門家ではないので分かりませんが、通常、女王は巣から出てきません。やつらの目的の第一は女王を巣穴に戻したいという事なのかも。そうでなければ、溜まりの家々はもっと攻撃を受けているはずです。捕食のために」

「ふむ」

「まあそれと、チルカナジア人として申し訳ないのですが、もし明日になって軍か守備隊が出張ってきたら。もっとも簡単な解決法を選ぶと思います。地魔法で地下空間全体を潰すことです」

「……上に載っている家もろともってことか」

「もちろん皆さんを避難させてからでしょうが。あるいは油を撒いて焼き殺す手段を取るのかも。いずれにしろ、井戸の再利用を考慮した方法をとってくれるかは微妙ですね」


 全員が黙って、そのまま数十秒考え込んだ。

 謎の老人がせっかく塩を除いてくれた井戸だが、もしそういう事になればやはり溜まりは解散という事になるだろう。

 王都守備隊だろうと軍だろうと、狭い地下に一度に潜れる人数は決まっていて、全身金属鎧も毒針を完全に防ぐ手段とは言えない。

 関節部が鎖や革になっているのが普通だし、そうでなくても鎧の中の人間は見なければいけないし、呼吸しなければいけない。隙間一つない完全な防御はありえない。


 女王を運び出し、群れを地下の洞穴から外に出してしまえば、軍や守備隊が井戸を潰そうとする事態は避けられる。あるいは女王を元の巣穴に連れ帰るために、群れごと帰ってくれる可能性もある。

 やがてアガルスが、スダータタル溜まりを代表するものとして威厳を持った声で告げた。


「イリア君、頼めるだろうか。カスターはここで生まれ育っているし、他にもそんな者が大勢いる。この『溜まり』はチルカナジアにおける我々の故郷なんだ。もしうまくいったなら、いやうまくいかなかろうと協力してくれるなら、壁外に住むスダータタル人は永遠に君の味方でいると誓う」


 アガルスの言葉に、イリアの胸中で何かが奮い立った。恐怖とは違う理由の震えが体を走る。

 無数の魔物がひしめく地下洞穴に入っていくなど普段は考えられないが、イリアは力強く頷いていた。

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