第177話 傷

 風魔法に巻き込まれて次々に墜落した肉削ぎバチに対し、ドルカはとどめを刺さないように言った。

 言われた通り、カナトの短剣を使って5匹の魔蟲の翅を損傷させ、飛べないようにしてから遠くに蹴り飛ばす。カスターも自分の短剣を抜いて手伝った。


 東岸農作地を5つに分けた区分のうち、北東部の区画を取り仕切っている農家協同組合の持ち物だという屋敷には100人を超える壁外住民が避難していた。

 緊急事態とはいえ、屋敷中のありとあらゆる物を引っ張り出し、勝手に使っているのはいいものなのだろうか。

 だが実際これだけ人数が居れば安心ではある。子供や老人が多いが、戦える人間も何割かは居るはずだ。


 母子3人も一応無事だ。

 娘の方がイリアに鉄兜を返してきた。その服の裾を掴んでいる弟は、今になって泣きべそをかいている。

 幼い子供二人の母親は近くで横たわり、ドルカに足の応急治療を受けている。縫合の必要があるらしいが、その技術を持った者はこの場に一人しかいないようだった。けが人は数人いて、治療は順番待ちになっている。

 母親は名前をアルベナと名乗った。武技系アビリティー【投射】の持ち主だったらしい。


 カナトはまだ目を覚まさないが、呼吸は安定している。出血を抑えるため、包帯を何重にもきつく巻かれて顔の半分が見えない。

 全長約3デーメルテの肉削ぎバチは人間の拳くらいの大きさの頭部を持ち、その半分が二枚の牙で覆われている。

 牙の形状は外側に膨らむように湾曲していて、その先端というか、顎先で挟まれるとハサミのように切れる。それも十分嫌なのだが、ぎざぎざの咬合部分に正面から肉を挟まれるとえぐれるように千切り取られてしまう。

 そうなるともう縫合して治すことは出来ず、止血して消毒し、時間をかけて再生してくれることを願うしかない。

 カナトの左目の上、眉のあたりがそういう事になってしまったらしい。



「ちくしょう…… 魔物を殺せないのがこんなに悔しいと思ったことは無いよ……」

「殺さなくてよかったと思いますが?」


 アルベナの応急処置を続けながらドルカが答えた。


「そりゃまあ、俺はそうだけど、そういう事じゃなくて……」

「肉削ぎバチはで意思疎通をしますが、一番厄介なのが仲間の個体を殺されたときです。肉削ぎバチが死ぬ時に出すにおいが一番奴らを興奮させて、それが付着した相手に徹底的な復讐をします。だから第一級に危険な魔物なんですよ。軍隊でも繰り出して一斉殲滅の必要があるわけです」


 そんな話をどこかで読んだ記憶が、イリアの頭のどこかに残っていた。

 確かであれば、少人数で戦い徐々に数を減らすという対処は出来ないことになる。それを知っている人間は安易に手を出さないでいるのだろう。

 先ほどの戦いにおいてカナトが狙われた理由にも説明がつく。

 アルベナが悔しそうな声を出した。


「知らなかった…… 知ってればむやみに射ったりしなかったのに、あたしのせいでこんなことになっちまって……」

「いやまあ。結局のところ肉食ですし襲われるときは襲われるでしょう。同じ間違いをした人はいっぱい居るはずですよ。巣を全滅させるやり方は軍でも教えますが、やり過ごす方法となると一般的な知見ではないので」

「ドルカ、肉削ぎバチって何匹くらいの群れになるものなんだ?」

「知らないんですか? 少ないと2、3百くらいで、多いとその10倍です」


 思わず絶句してしまう。

 壁外地域は南側だけでも数万の人間が居て、仕事に出ている者が半分。残っているのは子供も多いが、それでも半分くらいは大人のアビリティー保有者だろうし、少なくともその何割かはある程度戦える人間のはずだ。

 つまり数千人の戦力があるのだから、被害が出たとしてももう解決していることを期待していた。

 だがもし3千匹の肉削ぎバチが壁外南側を占拠し、安易に殺すこともできずにいるのなら、解決とは程遠い状況かもしれない。



「国軍は何やってるんだい? 壁外のあたしらだけなら見捨てられてもしょうがないけど、新市街にも被害が出るっていうならもう出動してなきゃおかしいじゃないか」

「そうなんですよ。ひょっとしたら何か胡乱うろんな連中が裏で手を回して、軍の動きを妨害しているのかもしれません。もしそうだったら、そういうクズどもにはゲヘナの谷底を見せてやらなければなりませんね?」


 そばかすの多い顔で表情を変えず、ドルカは静かに怒っているように見える。なぜこっちの方を見ているのだろうか。



「なあ、思ったんだが」


 カスターがどこからか持って来た茹でニンジンを齧りながら話し出した。


「殺したら仲間が大暴れするって相手なら、イリアの出番なんじゃねえか?」

「いやそれは無いだろ。俺たちには脅威だけど、分厚い鉄の全身鎧を着てればそこまで怖くない相手だと思う。軍とか王都守備隊とか、警士隊だって居るんだから、俺なんかの出る幕じゃないって」

「それがなかなか出てこないって話をしてるんじゃねえか! 溜まりにはまだいっぱい人が残ってんだぞ!」

「助けに行けっていうのか? いくらなんでも無理だ、数千匹だぞ? いや、その百分の1でもどうにもならない。ちゃんと閉じこもってれば大丈夫だってカスターが言ったんだろ」

「肉削ぎバチは地面に巣穴を掘って巣を作るので、木の根くらいなら当たり前に食いちぎります」


 口をはさんだドルカに二人ともが顔を向けた。


「理由があれば板葺きの屋根も、木の扉も食い破りますよ。まあ理由も何も言っている通り肉食ですから」

「……イリア頼む、何とかしてくれ。お前なら魔物を殺さずに無力化できるだろ」

「だけど……」

「お前の心配は分かってる。……例のあれだろ? だから全部倒してくれなんて言うわけじゃない。ただ、オレに付いて来てくれないか。家には母ちゃんも残ってるはずなんだ」


 いつになく真剣な顔でカスターが言う。

 最初にカナトを探しに来たときこんなに深刻そうな感じではなかったのだが、実際にその脅威に触れてみて、カナトの失神という事態にまで陥ったことで不安に駆られているらしい。


 鎧ごと右太ももを噛み切られた傷はもう治療済みだ。皮膚表面を切られただけで、軽く縛っただけでもう血は止まっている。


「……俺とカスターだけじゃ無理だ。ここにいる人たちの中で協力してくれる人を募ってからなら、やってもいい。ドルカ、一緒に来てくれるか?」

「いいですよ」

「よし、じゃあ急いで向かおう、何人くらい必要かな」

「いや今じゃないでしょう。夜中になってからでなければ私は協力できません」

「どういうことだ?」


 イリアとカスターが首をかしげているのを見て、ドルカは方眉を持ち上げて疑わしそうな表情を作った。


「奴らは夜にすやすや寝るんですよ。凶悪さに似合わず可愛らしい生態ですが、その辺は普通の蜜蜂なんかと同じです。……知ってますよね? 戦士団の一員を志していたイリアなら、肉削ぎバチのことは結構最初に習う事のように思うんですが」

「あー、うん。けど……」

「焦る気持ちは分かりますが日中に向かうのはどう考えても無謀でしょう。被害者をいたずらに増やすようなことは出来ません。夜まで溜まりの皆さんが持ちこたえることを祈りましょう。そのうち軍が出動する可能性だってあるんですから」



 肉削ぎバチが夜中に寝るという情報も、言われてみれば知っていた気がする。

 だが、まさか14歳の誕生日からたった5カ月で関わり合いになると思っていなかったので、記憶の奥の方にしまったままだった。


 日が沈み肉削ぎバチが眠りにつくまで、準備を整え情報収集をしながら7刻間あまりを過ごした。

 カスターはその間も、焦燥で膝をがたがた揺らしながら、ずっと何かを食べ続けていた。




 時間をかけて農家協同組合屋敷の避難民を当たったが、スダータタルに所縁のある者は100人あまりのうち一人も見つからなかった。溜まりまで付き合ってくれるという奇特な者は居ない。

 だが家に貴重品を置いてきてしまった者など、数人の男女が途中まで付いてくることになった。夜に行動するのに【耳効き】が一人いてくれたのもありがたい。

 夜は目も見えずに寝ているという肉削ぎバチだが、松明などの灯りで目を覚ますというし、大きい音にも反応するらしい。

 全員が靴を脱ぎ、足音を立てないように裸足で行動することに決まった。

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