第171話 虚

 見姑ザターナの祈りの言葉と共に、スダータタルの民族服を着た男たちが遺灰をかき集め、ま新しい真鍮の容器に詰め終わった。

 アヤの葬儀は終了した。首の細長い壺のような形をした容器が、カナトの叔母であり兄妹の保護者であったジェミスに手渡される。

 アントニオが間を見計らったようにちょうどやってきて、病み上がりの妹を連れて帰った。


 イリアはまだ帰るつもりはない。そもそも今夜は月も星も雲に隠れていて、夜道を歩くには照明が必要になりそうだ。

 葬儀が始まるまでは共にいた、マルゴット邸の女中ドルカはいつの間にか姿を消していた。

 カスターの家に泊まらせてもらえないかと頼んだら「いいぜ」と言ってもらえた。




 葬儀のあった夜は大勢で集まって飲み食いをするものだ。スダータタルでもそうらしいのだが、肺熱症の流行のためにそれは控えるようだった。


 カスターが住んでいるのは見姑の家のすぐ裏手の、周りと大きさの変わらない普通の家屋。両親も一緒に住んでいるのだが、挨拶は要らないという。屋根裏のような二階につづく梯子を上り、カスターの自室に入った。

 部屋の主本人の印象と異なりきれいに片付いている。

 板張りの床には塵一つなく、合理的に配置された家具は王都の一般家庭のそれと同じ様式で、民族的な物はみあたらない。

 寝台に腰かけたカスター。イリアが座らされたのは机に備え付けてある椅子だ。



「カナトは大丈夫かな……」

「そりゃ、大丈夫ってことはないだろ」


 葬儀後の飲み食いというのは、人の死にかこつけて宴を楽しみたいというような不謹慎なものではない。

 放っておけばどこまでも落ち込んでいく遺族の心に少しでも現実の楽しみを取り戻させ、そして共同体の一員として前を向いて生きてもらおうという、そういう意図で開かれる催しだ。

 それがないために、カナトと叔母は今二人きりで閉じこもっている。

 アヤとの生活の跡と、その思い出が残っているあの家に。



 水差しから注がれ、手渡された茶碗に入っていたのは塩水だ。浄化された水でかなり薄めてあるらしく飲めないことはない。

 むしろ少し、味が付いていておいしくも感じられる。


「知ってると思うが、オレもそんなに長い付き合いじゃない。あいつらがこっちに来たのは今年の6月だからな。歳は2つ離れてるがレベルが近いもんで、最初は親に言われて組まされた」

「聞いてるよ」

「スダータタル式のきつい訓練で鍛えられてるあいつと、こっち生まれの俺じゃ、なんていうか合わなくてな。金に対しても厳密すぎたし。けど、イリアを大ばあちゃんに見せたいからって理由でまた一緒に隊を組んで、それであいつの妹への思いとかも、よくわかったから……、本当に……」


 言葉に詰まってうつむいた。声を出さずに少しの時間だけ泣いて、震える声で続けた。


「……本当に、何もかもうまくいってくれりゃいいと思ってたよ。アヤはアビリティーを得ても狩りに出るのなんて無理だろうし、俺らが低級魔物を狩って運んでやることになるだろうって、そう思ってたんだ。それが、こんなことになるとは」

「カナトは、これからどうするんだろうな」

「さぁな。チルカナジアに居る理由なんて、もうあいつには無いからな」



 カスターの両親が用意してくれた食事を部屋で食べ、毛布と毛皮の寝具も借りて二人で部屋で寝た。

 安らいだ気持ちとは程遠かったが、病み上がりで動き回ったせいもあって、横たわってすぐ意識は遠ざかった。




 マルゴット邸に帰ったイリアは何も手に着かず、ただ部屋でぼうっとして過ごしていた。アビリティーを得て以来これほど目的意識を失ったことはない。

 というよりも、そもそも自分の目的とは何だったのだろうか。


 戦士団『白狼の牙』の子として生まれ、強くなるために剣術の鍛錬をして育った。努力は報われることなく『成長系』などという半端なアビリティーの保有者になってしまった。

 新種アビリティーの性質を検証していたころは意味のある時間を過ごしていた気がする。分かった性質がレベルを上げるのに都合がよかったから、なんとなくそれに従い、可能な限りレベルを上げようとしてきた。


 それにいったいどんな意味があったのだろう。

 少なくともカナトの目標に比べれば、まるで価値のないただのこだわり。強くあることへの、無意識の未練でしかない。


 そのこだわりが、カナトの切実な願いと矛盾しなかったために一緒にやってこられた。

 友の目標が達成されたとき、イリア自身は目指すべき地点を見失っていたのだ。


 何故そのことに気づかなかったのか。

 だが別に、イリアの意思も行動も結果に違いをもたらしはしなかっただろう。

 残酷な現実が、せっかく叶ったと思われたカナトの願いを粉々に砕いてしまった。

 ただ何もかもが無価値になったような、そんな気分だった。




 葬儀から2日目の晩になってマルゴットに呼び出された。執務室の扉を開けて中に入ると、豪奢な飾り着姿のままで執務椅子に座っている。バカげた毛量のカツラと化粧のせいで一瞬誰だか分からなかった。


「ヴァーハン家のガキと殴り合ったらしいな。顎の骨にひびが入ったらしいぞ」

「ひびですか」

「あごの骨は手術しなくても歯からマナを流して骨接ぎできる。骨接ぎ医が診断したそうだが、そんなことよりもだ。目立つようなことはしない方針じゃなかったのか? もみ消すのにせっかく蓄えなおした力を浪費してしまった。一からやり直しだ」

「……もみ消すとは? 最初に殴られたのは俺です。なにをもみ消す必要があったんですか」

「お前に拳が当たったのは事故だそうじゃないか」

「俺に当たらなければ他の人間に当たっていただけだ。失礼ですけど、どういう事情で事が起きたかは把握してるんですか?」

「ガキの喧嘩の動機など知るものか! 問題が起きればそのぶん困るのはお前なんだぞ、イリア。私の最優先は一族の利益で、お前を研究処に放り込む方がいいという判断も、当然有り得ると覚えておけ!」


 イリアは自分の眉間にしわが寄るのを感じた。

 ヴァーハン家とスダータタル移民の間に生じた問題の、その解決についてマルゴットに頼んでいたはずだ。

 請け負う義理など無かったのはわかるし、実際どんな解決策が有り得たのかイリアの頭で考えても答えは出ない。


 だがオスカーのふるまいは名家の一員としてふさわしくないものと言って間違いないし、ああいう性質はきっと今まで他の場面でもたくさん表れていたはずだ。

 人の秘密で力を付けるというマルゴットなら、ヴァーハン家の弱みとして利用することは出来たのではないか。知りもしないというのは怠慢なのではないか。



「……俺は今まであなたのことを、一族でもたぐいまれな優秀な人だと思っていました」

「……なに?」

「けどあなたは、だいたいいつも先に失敗して、それを取り戻すために必死になっている。実際はそこまでの人物じゃ、ないんじゃないですか?」

「……言うじゃないか、ギュスターブの子、イリア」


 『白狼の牙』頭領の座を追われてから、この王都郊外でより大きな屋敷を手に入れたことを言っている。マルゴットはそう受け取ったようだが、イリアの意図はそこではない。

 一族の一員とオスカーとの殴り合いで生じる不利益を防ぎたかったのなら、最初からオスカーの行動を封じる方策を講じるべきだった。

 それが出来ていれば問題は起きなかった。

 そうすればアヤの葬儀は無礼者に荒らされることも無く、もっと厳粛に執り行われたはずなのだ。


 無言で睨んでくるマルゴットに会釈をし、イリアは部屋に戻った。

 広がっている荷物を整理して背負い袋に詰める。

 夜遅くまでかけて準備を整え、翌朝イリアは屋敷を出た。下宿先証明の書類は寝台の横の小さい棚に置いてきている。


 滞りなく冬に向かうと思われた気候は、時を遡るようにして少しぬるんでいた。風が一陣吹いたが、夏の終わりのように爽やかなだけだ。自然の気まぐれが人間にやさしく作用することも、時にはあるようだった。

 上着の前合わせを開き、イリアは壁外地域に向かって北に歩き出した。

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