第170話 炎
3日間の間安置されていたアヤの遺体がアクラ川東岸の河原に運ばれてきた。
夕暮れ、向こう岸の下町地域の建物群は小さく、1キーメルテ離れたこちら側からはほとんど輪郭も分からない。
沈む夕日を人間に見せようとするかのように、西の空だけ部分的に雲間が広がっていた。
カスターの大叔父アガルスの指揮のもと10人の男たちが焚き木を積み重ねていく。
白い布に全身を包まれたアヤの体がその上に丁寧に横たえられた。
叔母のジェミスの肩を抱いて、カナトが妹に最後の別れを告げている。
距離を取って立つイリアの隣にはカスターとエミリアが居る。
イリア同様に病み上がりのエミリアも少しやつれ、肩から毛布を掛けていた。口元を震える手で押さえ、レンズの奥の両目を潤ませている。
「火葬なんだな」
イリアのつぶやきは誰に向けてのものでもなかった。
つい口を突いて出た疑問。チルカナジアでは亡くなった人は地下深くの共同墓地に葬られるのが一般的だ。魔物の脅威が近かった時代、他国では遺体の掘り返しなどを恐れて火葬にしていた地域もあるとは聞く。
「スダータタルでは土葬だよ。けど、こっちにはオレたち用の墓なんて無いしな」
カスターの言葉は淡々としているが、その奥には確かに悲嘆の感情があった。
数キーメルテにわたって延びる河原には、見えている範囲だけでも数か所焼け跡がある。気付かなかっただけで、これまでもあったのだろう。その数が今、大きく増えているのは間違いない。
点在する火葬跡は肺熱症で命を落とした子供や老人を壁外地域の住民たちが見送った場所なのだ。
国籍も正式な住所も無く、自分たちの家族を葬るための墓も無い。それでも外国人がチルカナジアにやってくるのにはいろいろな理由があるのだろう。
カナトは妹の生活のためだったが、そういう事情がなくともスダータタルは皇帝国との紛争が絶えない地域だ。逃げ出したくなるのは当たり前と言える。
太陽が沈みあたりが暗くなった。
ジェミスの泣く声が聞こえる。右隣のエミリアも、短く音を立てて息をのんだ。
大きく燃え上がる炎に照らされる移民たちの数は、すこし後ろに立っているイリアから5、60人見えている。
スダータタルの10氏族のうち、カナトの出身である『央山の民』は溜まりの中では少数派で、6世帯しかいないはずだった。
集まっているのは他氏族の者が大半という事だ。葬儀を取り仕切っている見姑も、元は『塩山の民』の出身だ。
氏族を問わず、たくさんの男女が一人の少女の魂の安らぎを祈っている。肺熱症が流行っていなければ、きっと子供や老人もたくさん出席してくれたことだろう。
火葬が始まって1刻は経ったろうか。何度も焚き木が追加されている。
昨日カナトは一人で焚き木を準備しようとしていたが、こうして見るととても一人でなんとかできるような量ではない。
争う声がして、イリアとエミリアは背後を振り返った。声の一方はカスターのものだ。
「ふざけるな帰れ! 冗談じゃ済まねぇぞ、ぶちのめされたいのか⁉」
怒鳴りつけている相手はオスカー・ヴァーハンだった。例の学園生のとり巻き二人も居るが、その背後にさらに数名、身なりの異なる若い男たちが居る。
スダータタル人とは別の、オスカーに従って「溜まり」の解体を目論む壁外住民。
カスターの声に反応し、スダータル人の中からも男が集まって来た。
「何もふざけてなどいないよ? この王都ナジアの象徴たるアクラ川の河原で、こんな大きな炎を燃やすのは行儀がいいとは言えないだろ? 僕たちはそれを注意しにきただけさ」
「河原で葬儀をしてるのはオレらだけじゃねえだろ! アール教徒の移民だって大勢死んでるんだ、墓が無いのはそいつらだって一緒のはずだ、火葬しなきゃどこで葬ってるってんだ⁉」
「知らないなぁ。僕は別に、一日中河原を監視してるわけじゃないし。今この
殴りかかろうとするカスターの腕をとったのはエミリアだ。倍近く体重が違い、また特に痛そうにしているわけではないのにカスターは動けなくなっている。
その隙にイリアが間に入る。
「オスカー・ヴァーハン。この場を去るべきだ。自分が今何をしているのかあんたは分かってない。舐めないほうが良い。なぜ100年以上も長い間、壁外地域が排除されること無く広がり続けているかを考えてみろ」
「イリアとか言ったな? お前に指図される覚えはない。知ったふうな口をきいているけどここにいるのも壁外の者たちだし、敬虔なアール教徒として教会施設の建設に参加すると言ってくれてるんだぞ?」
そういって後ろ手に示す6人の若い男たち。
日はとうに落ち、火葬の炎は遠いので顔立ちまではよくわからないが、分かったとしても見た目で出身地までは分からない。
この国の別地域からきたのかもしれないし、移民なのかもしれない。ボセノイア共和国からきている可能性もある。
彼らの方から松脂を焦がしたような変なにおいがする。嗅ぎ慣れない刺激のある臭気。これが『酔い草』の煙のにおいだろうか。
「君たちの住んでいる、あの溜まりとかいう場所に新しい教会を建てて壁外の信徒の心の拠り所としたい。あれだけ広さがあれば孤児院や無料の診療所だってきっと作れる。塩が出てダメになったという井戸は地魔法で水脈を塞いでしまって、地下墓地として整備するのだ。死後に入る墓が無いのは哀れだからね」
「塩はお前らがやった事だろうが……!」
「知らないなぁ、根拠のない言いがかりはやめてくれ」
オスカーの態度はやはり大胆すぎる。酔い草は鬱々とした気分を高揚させ自信過剰にさせる作用がある。オスカー本人も使っているのではないか。
手下を引き連れていることで気分が大きくなっているのかもしれないが、その数は10人足らず。年齢層から言っても熟達した高レベルの戦士とは考えられないし、今この葬儀の場に集まっている参列者数十人を相手にするのは不可能のはずだ。
挑発するようなことを言うべきではない。塩の件まで合わせて考えれば、感情が暴走する一線を既に越えかけている。
振り向いてカナトとジェミスの方を見ると、こっちのくだらない騒ぎには気を取られずに炎を見守っているようだ。
イリアに釣られてカスターも振り返り、それを確認した。
「……おい、ともかく今日は帰れ。肺熱症で死んだ女の子がいるんだ。その葬儀の場なんだ。魂の旅立ちを尊重するのは信仰の違いに関わらず一緒のはずだろう。喧嘩なら後日買ってやるよ」
「喧嘩? 野蛮なことを言うなよ異教徒。それにお前たちの行事なんか尊重する気はないね。肺熱症だってお前らが国から持って来たんじゃないのか?」
「なにぃ⁉」「こいつ痛い目見たいようだな!」「相手はガキだぞ、殺すな」
いよいよもう一触即発だ。まずいと思ったのか、とり巻きのうち学園生の二人がオスカーを後ろから宥めようとしている。
こっちに集まってきている10人前後のスダータタル人の誰かが、薪に火をつけて松明のようにした。
純粋なラハーム系の人種的特徴として感情が顔に表れにくいというのがあるが、それでも十分怒りが伝わってくる。年齢は20代の者が多そう。
さすがに気圧されたのか、オスカーが言い訳めいた口調で続けた。
「まあ根拠があるわけじゃないさ。ナジアにはあらゆる地域から移民が集まってきているからな。肺熱症を持ち込んだのはそこにいるイリアってやつかもしれないぞ?」
「イリアは外国人じゃないわ」
「……は?」
エミリアが言ってしまった。
「嘘をついたのは私だから、責めるなら私を責めなさい。別に、誤解させたからってあなたに何の被害が出たのか知らないけど。イリアはベルザモック州8大戦士団の頭領家出身。東方に対する盾の役割を百数十年務めてきた、誰より立派なチルカナジア人の家系よ」
改めてイリアの事を見て絶句したオスカーに対し、カスターが追撃を加えた。
「そういやお前、なんかエミリアにつきまとってるらしいな。アール教徒の心の拠り所がどうとかご立派なことを言ってたが、オレたちがエミリアと仲がいいからって嫉妬で嫌がらせしてんじゃないのか?」
そんなはずはないだろう。そんな事のために金貨何十枚分もの塩を無駄にすることなど考えられない。よほどのバカでもない限り、金が有り余っていてもそんな使い方はしないはずだ。
「『岩通し』でもイリアにぶっ飛ばされたっていうじゃないか。【勇者】がきいてあきれるぜ。くだらない嫌がらせしかできない卑怯者が」
オスカーがとり巻きを振り払ってカナトに突進した。拳を振りかざしている。見姑の身内を殴らせればいよいよ終わり。
アヤの葬儀を流血の場にしてはいけない。
イリアはカスターを背中に庇った。
顔を殴られた。体重の乗っていない弱弱しい拳で、当たった位置も頬骨の部分。痛いことは痛いが効く場所ではない。
「満足したか? したなら旧市街の家にさっさと帰れ。あんたみたいな人間は、自分と違う種類の人々と関わり合っても不幸にしかならない。そんな気がする」
「……そこのデブはくだらない嫌がらせって言ったか?
左足を踏み出して腰を入れ、上半身ごとぶつけるようにして拳を振るった。
イリアの右拳がオスカーのアゴを直撃。確かな手ごたえが痛みとして骨に残った。
オスカーは踏ん張ろうとしたが、そのまま崩れるように横倒しになって倒れた。とり巻きの頬がこけた方の男が助け起こす。
以前オスカーは自分のレベルを15くらいだと言っていた気がする。それからまた一つくらいは上げたのかもしれないが、所詮はお互いただの『成長系』だ。
エミリアが言ったことではないが、イリアは『白狼の牙』頭領家男子だ。王都の中心で政治家として権勢を競い合っている名家の一族など、喧嘩であればてんで相手にならないようだった。
「……エミリア、君の両親はアール教徒じゃないのか? それなのにこんな、異教徒の悪党どもと、なんで……」
オスカーの口から一筋赤いものが垂れた。
イリアの拳の衝撃は脳に効いたらしい。多少ろれつの回らない声で何か言っている。
「この国では信仰はあくまで個人のものであって、どんな神を信じるか、それとも信じないか誰でも自由に決められると決まってるわ。……私の考える悪人ってたぶん、他者を自分と同じ人間として思いやれない人のこと。熱心なアール教徒があなたみたいな人ばっかりだったら、私は信徒になりたくない」
「……」
「この場に居る人たちは、私にとっても大事だった女の子を見送るために集まってる。氏族とかいろいろ違いはあるみたいだけど、一つの哀しみを共有して、それを癒そうと思いあっている。もしこれ以上この場に不和をまき散らしたり、今殴られたことを不当に訴え出たりするなら考えがあるわ。嫌だけど、【賢者】保有者って立場を利用させてもらうから」
オスカーが急に意味を成さない叫び声を上げた。
それに合わせるかのように壁外地域のアール教徒たちがいきり立った。
とり巻きのうち実力があるほう。細剣を佩いて髪を真ん中で分けている男、ダヴィドが「よせ」と一喝。オスカーを無理やりに連れて行った。酔い草臭い連中もそれに従い、罵声を呟きながら帰っていく。
途中で引き返してこないようにイリアとエミリアが見張っている間に、スダータタル移民たちは葬儀へと戻っていった。
消えかけた炎に、頭髪をすべて剃り上げた大柄な男が近寄った。
燃え残って炭のようになった焚き木を火魔法でさらに焚きつけ、燃え尽きさせようとしているようだ。
どこまでも高く伸びあがる炎。音も無く静かに、冬へ向かう夜空を赤く照らしていた。
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