第166話 悪意の塩
王都守備隊水警部は総勢400名、1から8まで中隊があるらしい。
第2中隊1番小隊長だという女に、使用済みの
イリアたちの
粘ればもう少しくらい稼ぐことは出来たかもしれない。だがそれは結局賭けだ。
賭け事は勝っている時にやめるものだ。
今回の狩りの収支は、まず多腕そのものの売値が金貨7枚。水瓶を転売した儲けが大銀貨3枚になる。
かかった経費は獣毛の編み綱200メルテ分が大銀貨2枚、他にも魚や手袋など買ったものが、合わせれば大銀貨2枚ほど。鉄棒は借りたもので、鍛冶屋に返したら保証金はほとんど返って来たので銅貨12枚しか損は出ていない。
薪代は安く銅貨23枚で済んだ。石炭は昔より産出量が減っていると言われていて、今回使った樽一つ分で大銀1小銀2を支払っている。
カスターの服の替えや、怪我の治療にかかったのが小銀貨3枚。
それらに加え、駆除協力金とそれに伴う魚市場長からの心づけで大銀3枚半のおまけがつく。
清算すると金貨7枚に大銀貨2枚とすこしの儲けになった。
カナトの家で儲けを3人できっちり山分けした。最初に3人で出し合った大銀貨3枚から、とんでもない倍率で返ってきたことになる。
カスターは大喜びで軽鋼の大盾をあつらえると言っている。軽鋼は鋼と同じ硬さを持ちながら重さが3分の1であり、値段は10倍の輸入金属だ。重さが3分の1ということは厚さを3倍にできるということだ。
カナトはしばらくの間自分の分け前を見つめていた。
金貨が2枚に大銀貨も4枚ある。
「……イリア、ありがとう」
「なんだよ急に」
「イリアのおかげで、目標の金額が貯まっちまった。もうアヤの
大金に目を丸くしていたアヤも兄の喜ぶ声を聞いて微笑み、そしてイリアに向かって頭を下げた。
感謝されるようなことなど無い。アヤは知らないことだが、カナトのおかげで欠陥戦士のイリアが魔物狩りに参加出来たのだ。
「まあ、イリアが居なかったら多腕なんかやろうとは思わなかったな。これで金かねってうるさいカナトも少しはまともになるだろうぜ」
カスターの軽口に言い返すこともせず、カナトはアヤそっくりな顔で笑った。それはイリアが初めて見る穏やかな表情で、まだ13歳の少年であることを改めて想わせた。
一度新市街西門にまわり、入街審査の警士に革袋の中の多腕の目玉を見せて中に入る。魚市場長に取っておいてもらった目玉を返してもらい保証金の大銀貨1枚半を返還。
大銀貨は小銀貨の5倍の価値なので、大銀貨半枚というのは正式には小銀貨2枚と銅貨10枚になる。いちいち面倒くさいので、丸い大銀貨を半分に割った半大銀貨というものが民間では流通している。
合計4つの目玉を市街長役場に提出。大銀貨3枚の駆除協力金を受け取る。この分は最初から分け前から減らしてある。
東岸新市街から出たのは日の7刻が終わる前だった。
夏に比べて軌道が低くなった太陽が南南西に輝いている。細かく分かれた薄雲が青い空に高く浮いていた。
マルゴット邸に帰る前に遅い昼食を摂ろうと下町地域を目指した。
第二大橋の上では荒々しい風体の男が鋼鉄の
鋼鉄綱は柔軟に鍛えた極細の鉄線を幾重にも
隣りに大きな樽を置いていることから、おそらくは多腕を釣りあげようとしているのだろう。苛立った表情から察するに漁果は上々とはいかないらしい。
『喫茶・軽食アプリコス』を訪れた。エミリアが居ると思っていなかったが、日曜でもないのに自室で寝ているという。
「風邪ですか。寒くなってきましたしね」
「それがどうもただの風邪と違うみたいなのよ。夏からちらほら流行ってた、例のたちの悪い風邪。あれがまた増えだしたみたいなの」
「え…… あの、咳がひどくなるやつですか」
「そうそう。エミリアはまだレベル12だし心配してるの。あなたも気をつけるのよ?」
恰幅のいいエミリア母はそう言って、イリアの味付きコメの卵包みを長卓の上に置いた。
初めてこの店で食べたものも同じ料理だった。相変わらずおいしい。
金貨二枚に大銀貨4枚と、あと小銭が少し。
寝台の上、目を覚ましたイリアは久しぶりの大収入を何に使えばいいか考えていた。多腕狩りの秘策を教えてくれたラドバンに礼を渡そうかとも思うが昨日から見かけていない。
カナトはすでに目標金額を貯めたので、これ以上無理な狩りをする必要は無い。
イリアとしても当面金に困ることはないので、殺さないやり方のレベル上げができる。
ハンナとの稽古、『岩通し』に、多腕との闘い。真剣に体を使う機会に恵まれたことでレベル13のステータスにも完全に慣れた。
同格か、少し低い格の魔物でもあと2匹倒せばいいだけのはずだった。
人工管理魔境を使うのは何かと面倒なので、なにかいい情報は無いかとマルゴット邸にある本を読み漁った。
結果を言えば、王都周辺にそういう手ごろな狩場は無かった。当然と言えば当然。王都周辺の天然魔境はほとんど開拓されて村か管理魔境になっていて、わずかに残っているものの中で一番近いのが何度も訪れたキラチフ山域だ。
他に良さそうな候補は南西に30キーメルテ近く離れたディナルド高原。今のイリアなら日帰りでもぎりぎり何とかなりそうだが、探索にかける時間を考えれば近隣のブルギアの街に宿泊した方がよさそうだ。
滞在費用なら十分ある。イリアはさっそく準備を整えて出発した。
周囲を完全に防壁で囲んでいるブルギアの街は、学園生も多く利用するディナルド高原への前線基地だ。仮想レベル10から20近い魔物が浅層から中層に生息しているのだが、あいにくイリアが宿に泊まった二日間、ずっと天候は荒れ続けて狩りに出ることはかなわなかった。
大銀貨一枚少々の宿代及び諸経費を無駄にして王都に帰還する。粘ってもよかったが、どうも身なりのこぎれいな学園生だらけの宿は居心地がよくなかった。
どうしたものかとマルゴット邸の自室で寝転んで考えていたら、そばかすの女中がイリアに来客があると告げた。屋敷の中に入らず、門の外で待っているという。訪れたのはカスターだった。
「よう、お前こんなすごいとこに住んでたんだな。郊外って言ってたから、もっと狩猟小屋みたいなところかと思ってたぜ」
「デカいだけだよ。下宿部屋は小さいし食事もそんなに良くはない。それより用って?」
「悪い話だ。道々話す」
スダータタル人の住む溜まりへ向かう道中聞いた話はひどい内容だった。
イリアがブルギアに出かけている間、誰かが「溜まり」の井戸に塩を投げ込んだという。
水が少ししょっぱくなるという程度ではなく、そのまま飲むのが不可能になるほど大量の塩だそうだ。
井戸は一つではなく溜まりに数基あるらしいが、それらは中央の大井戸と地下空間でつながっていて、すべての井戸水が塩水になってしまったらしい。
溜まりの住民300人以上が飲んだり料理に使っても枯渇しない湧出量の地下水。それをダメにするほどの塩を買うとしたらとんでもない金額になる。最低品質の岩塩でも、それこそ金貨何十枚にもなるだろう。
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