第165話 責任
ぐよんぐよんの多腕の死体はどう頑張っても持つことが出来ず、結局空になって置いてあった水瓶を運んで来て、横倒しにして流し込むようにして入れた。
イリアとカナトでもぎりぎり持てない重さではなかったが、落としても困るので結局3人で新市街西門まで運ぶ。
審査のための列は長く伸びていたが、最後尾に並ぶイリアたちの異様な風体に、担当の警士がすぐに駆けつけてきた。
半裸のカスターと、黒い液体を頭からかぶっているカナトを
「アクラ川に居た多腕の駆除をしました。これ、駆除協力依頼書です」
「本当か? ち、ちょっと見せてくれ」
警士が水瓶の中を確かめるとそこから大騒ぎになった。
警士はさすがに知らされていたようだが、審査待ちの者の多くはアクラ川に多腕が出ているということ自体知らなかったらしく、凶悪な魔物として高いその名を聞いただけで恐慌をきたしているのが居る。
現実はといえば半大人3人に殺されてしまう程度であったのだが、もしこのまま10年ほども放置されていれば、大型船さえ沈め、雨の降る日には陸に上がって海辺の人間を襲って喰らうと言われるバケモノに育ったことだろう。
スダータタル人の二人は新市街の中に入れない。
西門前広場での水産物市場を取り仕切っているという顎髭の中年男が呼び出されてきて、部下と一緒に水瓶を門の中に運び入れた。
二人に門の外で待っていてもらい、イリアも中に入る。
広場の北に面する、床も壁も石で囲まれた倉庫のような場所に連れて行かれた。
隅の方に井戸があるほかは何もない、ただ広いだけの部屋の中にはアクラ大ナマズなどの水産物が並べられ、魚臭い空気で満ちている。
やはり水産物の取引は腐ったりしないよう速さが最優先らしく、イリアが金貨3枚の売値を要求すると魚市場の長は即決した。現金で多腕の代金を払い、部下の一人が水瓶から引きずり出した多腕に桶で水をぶっかけ、気化冷却の水魔法を唱えた。
多腕駆除の
それを伝えると、顎髭の魚市場長は財布からさらに大銀貨2枚を出してイリアに渡してきた。
「なんですか?」
「今目玉を切り取られるとちと困るんだ。これから競売にかけることになるんだが、見栄えがいい方が高値が付く。どうせ食う部分じゃない、売れたあとで客に話して取っておくから貸しといてくれ。これはその保証金だ」
「まあ、いいですが。でも賞金は大1枚と半ですよ」
「もちろん余りは取っておいてくれよ。正直、お前らすげぇガキどもだぜ。この獲物はきっと今年一番の大取引になる。こっちはお前らのおかげで儲けさせてもらうんだから、これくらいはさせてもらうぜ」
ずっしりと重くなった財布袋を懐にしまい、魚市場長の部下の、頭巾を巻いた若者と一緒に空になった水瓶を抱えて西門から出る。
カナトとカスターは誰かから清潔な水を与えてもらったらしく、門外に置かれた桶の横で半裸になって体を洗っていた。
二人の話によれば、戦闘中イリアが目を離したすきにカナトが真っ黒になっていたのは多腕が吹きかけてきた物のせいらしい。墨油のような黒い液体を噴射されて気が動転したところを触腕に襲われ、その窮地を助けようとしたカスターが捕まったという事だった。
二人が防具を再装着するのを待ち、水瓶を抱えて河原にもどる。金は経費を精算してから分けるのでまだイリアの財布の中だ。
昨日沈めておいた水瓶の最後の一つを引き上げると、残念ながら中身は空だった。
割れてしまった一つを除き、残り3つの水瓶は風向きの変化を待ってもう一度川に沈めることにする。服を着替えると言って二人は一度家に戻っていった。誘因餌の魚もついでに買ってくるという。
西門前広場の市場では人間が食べる魚を売っているのであり、その値段は高い。多腕のための誘因餌はそういうのとは違う、人工管理魔境の魔物の餌になるような不味い魚だ。そんなものでも、壁外住民のは食べなければいけない時があるという。
翌日引き上げた3つの水瓶に多腕は入っていなかった。
最後の一つが空と分かってすぐ、カナトは焚火の火を消しに行っている。特に大事にしなければならないのは石炭だ。
3人とも落胆し、話し合った末にもう一日挑戦してみることにする。
既に経費は十分取り戻せているが、もしもう一頭倒すことが出来れば今度は売値のほとんどが丸儲けになる。とはいえずっと外れ続ければせっかくの儲けがどんどん目減りしてしまうわけで、引き際は大事だ。
買ってきた魚を罠の底に詰めていると、薄い青の制服を着た男女の二人組が下流側から歩いてやってきた。王都守備隊水警部だ。
「おい、今ここには立ち入り制限が掛かっている。立ち去りなさい」
長い髪を後頭部で束ねた女がきつい口調で言う。イリアは懐から書類を取り出して渡した。
「駆除協力依頼書? バカな、こんな子供に。役場は何を考えてる」
「子供が何だってんだよ。あんなの大したこと無かっ——」
口を滑らせるカスターの後ろ襟をカナトが引っ張っり後ろから口を押えた。
だが無駄だろう。カスターの顔には多腕の吸盤でつけられた丸いうっ血の跡がある。
「小隊長、こいつの顔、こいつら多腕と戦ってますよ!」
「まさか…… じゃあ、本当に、昨日市場に多腕を卸したのは君たちなのか?」
確かな証を見られてしまった以上は、もうごまかすのは無理だ。
多腕を捕らえる秘策も半分見られたしまった、しかたなくそのまま作業を続行することにした。水警部の男女二人組はイリアたちをずっと見ていた。
風をみながら水瓶を流し、沈める。位置を変えてまた流す。
3つの水瓶を流し終えて、後は翌朝まで待つだけだ。
「なんだ? 帰るのか?」
「えーっと、はい。多腕は夜に狭いところで寝るらしいので」
「王都の真ん中で魔物の罠を勝手に設置して放っておくというのは、問題になる気もするのだが……」
「……」
「まあいいだろう。明日はいつごろ始めるんだ?」
今回のやり方が実質的に問題ある行為とは思わないが、魔物を誘引する罠を街中で使用するというのは、それだけ聞けば悪事のようにも聞こえる。規制する法律くらい確かにありそうだ。
女隊長の機嫌を損ねないよう、イリアは素直に翌朝の集合予定を答えるしかなかった。
翌朝、日の2刻に河原に集まると水警部の制服を着た者が6人も集まって待っていた。しかめ面をしているカナトと共に、まずは薪と石炭を積み上げて火を焚く。
屑鉄屋から買ってきた様々な種類の棒状の鉄を十数本その中に突っ込んだ。
頃合いを見て水瓶を引き上げに行く。一つ目は空。
2つ目を引き上げてもやはり空だった。
「いやー、やっぱりこんな方法じゃ、多腕なんて獲れるわけないんだよな。悪いねアンタら、集まってもらっちゃって」
「いいから、最後の一つも引き上げたまえ」
カナトのわざとらしい演技も功を奏さず、女隊長率いる水警部は帰ることは無かった。観念して三つ目も引き上げる。
一昨日と同じか、少し大きいくらいの多腕が水瓶からまろび出てきた。
落ち着いて焚火の位置まで誘導する。騒ぎ立てる水警部隊員の方にも向かって行ったが、「オレらの獲物に手を出すな!」というカナトの言葉に従い、6人ともが大きく距離を取った。
結果を言えば二度目の勝負はあっさりと決着がついた。
鍛冶屋が使う耐熱手袋を3人分用意し、イリアとカナトが両手に一本ずつ鉄棒を持ち、襲いかかる触腕を熱攻撃で迎え撃っていく。周辺には香ばしいにおいが漂った。
カスターが持ってくる新しい鉄棒と、冷えてきた方を次々に交換する。交換した方もまた焚火に突っ込まれ、薪も次々に追加されるので単純に持久戦という事になる。
イリアもカナトも心肺機能には自信があり、そうでなくとも水棲魔物である多腕が陸の上で持久戦が出来るわけもなく、四半刻もすればその動は鈍ってくる。
隙をついてカナトがエラ口に鉄棒を突き入れた。多腕はそれでも抵抗する事をやめない。
体の反対側に開いているもう一つのエラ口にイリアが差し込んだことで、魔物は力なくその場にへたり込んだ。
同じ攻撃であっても【不殺(仮)】の凶化沈静作用があるとないとでは結果が変わる。
ゆっくりと逃げていく多腕。
結局、誰が
槍を拾い上げ、カナトに手渡したのはイリアだった。傷を多くつければ獲物としての値段が下がる。一撃で仕留められる両目の間の急所。そこを目掛け、慎重に狙いをつけてカナトが槍を突き入れた。
「なあ、あんたらの中で一番レベルが低いのはいくつだ?」
倒した多腕の魔石を取り出すことも無く、カナトが水警部の6人に訊いた。
「俺が24だけど、それがなんだ」
答えたのは昨日も女小隊長と一緒に居た男だ。舟に乗るからなのか水警部の人員はあまり体格が大きくない。その男の身長もイリアと同じか、少し高いくらいだ。
「オレらの多腕狩りの秘訣をあんたらは勝手に見た。見ちまったもんを返せとは言えないから、せめてこの多腕を魔石ごと買い取ってくれ」
一昨日の魔石はカスターが摂っている。今度はカナトの番だと思っていたが魔石まで金に換えたいらしい。
「カナト、いいのか?」
「いい。エミリアが言ってただろ。俺はあと少しでレベルが上がるのにこんな格の高い魔石食うのはもったいない」
「まあそうか」
実際この大きさの多腕の魔石の格がいくらかは分からない。だが水警部の男が摂取した様子を見るに「砂化」はしなかったようだ。
イリアが一つ下げてもなおレベル24の男の成長素に変わったことから、元の仮想レベルは最低でも20はあったということ。イリアたちの倒した魔物としては最高記録になる。
2頭目の多腕の売値は魔石を含めて金貨4枚だ。
魚市場で初水揚げだった一頭目より二頭目の多腕が高く売れるはずはないので、考えようによってはかなり得をしたといえる。
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