第164話 多腕の死

 アビリティーに『耐久』というステータスがあるように、魔物も当然同じようなマナの恩恵を受けている。なので急激な温度変化、すなわち熱による攻撃にもある程度は耐える。

 水瓶みずがめの罠でアクラ川から引き揚げられた多腕おおうでは小型だが、触腕と袋状の胴体の長さを合わせれば3メルテ半はあるように思える。最小級ではないので仮想レベルは15よりは高いはず。焼き鉄棒1本くらいでは『凶化』を解かないようだった。

 とはいえ熱いものは熱いらしく、カスターの盾にへばりついていた数本の触腕を引っ込めて身をよじり、自分で鉄棒を引き抜いた。巨大な緑色の瞳がイリアの事を恨めし気に見ている気がする。瞳の真ん中にある瞳孔は横長の四角い形をしていて、なんというか自分たちと同じ世界に居る生き物とは思えない。


 人間の駆け足ほどの速さでイリアに迫ってくる多腕を大盾でカスターが阻む。吸盤付きの触腕に吸い付かれれば振りほどけなくなるため、ギリギリの距離を取って付いては離れてを繰り返している。イリアは焚火の所に戻りもう一本の焼き鉄棒を手に取った。手袋が革の焼けるにおいを立てる。

 元は釣り用で右手人差し指部分が無かったのを、今回の作戦のために頑張って補修した。愛着があるものだったが焦げてしまった以上は新しい物を買わなければいけないだろう。


 河原の土でどろどろになりながらカスターを追いかけていく多腕に対し、カナトは果敢に近づいて槍で目の辺りを突いた。そこには脳があるらしく多腕の急所だ。カナトの槍の穂先は鋭く研ぎあげられているのだが、触腕の部分と同じでなかなか刺さらない。

 しびれを切らしたカナトがさらに一歩近寄ると、15本ある触腕のうちの数本が素早く伸びて槍の柄に絡みついた。カナトは急いで引き戻そうとしているが、水瓶いっぱいに詰まっていた多腕の体重は200キーラム近くあるはず。力比べでは勝負にならずカナトは槍ごと引き寄せられていく。

 駆けつけたイリアが焼き鉄棒を投げつけた。カナトと多腕の間の地面に突き刺さり、触腕に触れて焼ける音が鳴る。解放されたカナトは尻もちをついたがすぐに起き上がった。


「わるいイリア! 一本無駄にさせた!」

「いいけどこれ効いてるか? こんなので本当に倒せるか?」

「殺せなくても時間を稼げばいいって話し合ったろ! 続けろ!」


 カスターの言った通り、元気に動き回っているようでも多腕は水棲魔物。肺は持っておらず魚と同じようにエラがあるだけだ。時間をかけて戦っていればそのうちに動きは鈍くなるはず。

 問題があるとすれば、負けを悟った多腕がどういう挙動に出るのか分からないところだ。

 【不殺(仮)】の力で『凶化』が解けた場合、蟲系の魔物は大人しくなって動かなくなるが、獣系の魔物は普通に逃げ出す。多腕が獣系魔物と同じように水中目指して逃げ出した時、それを阻止できなければ困ってしまう。

 イリアに成長素が入るかどうかはともかく、これだけの経費をかけて多腕の肉が手に入らなければ大損だ。


 最後の一本の鉄棒を取りに焚火まで戻り、イリアは少し考えてから、自分の大事な武器である短鉄棍を拾い上げ焚火に突っ込んだ。武器として鍛造された短鉄棍にこんな真似をすれば、いわゆる「焼きが回った」状態になり鋼が脆くなりかねないが、多腕の収入を逃せばそれ以上の損失になるのは間違いない。

 短鉄棍が熱くなるのには時間がかかる。細い鉄棒を持って20メルテほど離れた戦場に駆け戻ると、少し目を離した間に酷いことになっていた。


 5本の触腕で地面に張り付き、3本でカナトの槍に絡みつき、残りをカスターに伸ばしている。

 カスターは盾にしがみついているが、驚きベきことに盾と合わせれば100キーラム近い重量が宙に浮いている。触腕の先端が鉄の胴当ての内側にまで潜り込み、衣服が吸盤に生えている細かい刺でちぎり取られていた。


「痛ぇ痛ぇ! 引っ掻かれてる!」

「何とかしてくれイリア!」


 叫んだカナトは何故だか全身黒くなっている。黒い液体を頭からかぶったようだ。わけが分からないがともかくカスターを何とかしなければならない。

 触腕の付け根の真ん中に多腕の口らしき部分があり、猛禽類のくちばしのようなものが金属音を立てて開いたり閉じたりしている。全身を触腕に取り巻かれたカスターがその口の部分に引き寄せられ、今にも齧られそうになっている。

 決死の覚悟で間合いを詰めたイリアはその真っ黒な嘴の中に焼き鉄棒を突き入れた。嘴が閉じられて鉄棒が破断する。猫舌の子供のように多腕が鉄棒の切れ端を吐き出した。その開いた嘴の中にさらにもう一度無理やりつっこむ。

 粘液だらけにされたカスターが触腕から解放されて地面に転がった。すぐに起き上がって距離を取り、また盾を構えたので大怪我はしてないようだ。


 触腕全部で体を守るようにして身もだえする多腕だったが、しばらくしてまた体を立ち上げ、今度は誰を狙おうかというようにイリアたちを眺めている。戦い始めて10分近く。まだ逃げ出そうとする気配もない。


「どうする? 最悪退くのも選択肢だと思うが」

「……冗談じゃねえ、絶対に殺す」


 まだ冷静でいるカナトに対し、服をびりびりに破かれたカスターは怒りに震えている。露出した体には細かい傷がたくさんあるが、出血は少なく深手ではなさそう。


「少し時間をかけて、追い掛けさせて焚火のそばに誘導してくれ」

「わかった」


 決め手になるか分からないが、細い鉄棒よりも短鉄棍の方がずっと体積があり、同じ温度にしても熱の総量が大きく違うはず。それで決められなければイリアにはもうできることは無い。

 短鉄棍が十分温まるまでの間3人で協力しながら、触腕につかまらないように距離を保って魔物を追いかけさせた。

 数分後、焚火のそばまで来たところでイリアは背を向け、赤熱した短鉄棍を両手でつかんだ。


 先ほどまで使っていた鉄棒の3分の2しか長さがなく、持ち手としている部分までが高温になっている。煙を上げる手袋を通して熱がイリアの掌を焼き始めている。

 触腕の数本を右に居るカナトが引きつけ、左のカスターの鉄盾にも4、5本貼り付いている。

 その中心に最短距離で位置取ると、最初に攻撃したのと同じ、胴体と頭部の間にある隙間、おそらくは呼吸するための水の取り込み口の部分に自身の頼れる武器を突きこんだ。

 水分の蒸発する音が魔物の体内から聞こえてくる。声を出す器官を持った生き物なら絶叫を上げているだろう。

 引き抜こうとしているのをさらに押し込むと、半分の触腕で短鉄棍を掴み残り半分でイリアを押しのけてきた。凄い力にたまらず手を離す。

 熱で焼かれた触腕の表皮は赤く変色していた。所々から湯気を立てて、ついに川の方に向かって逃げ出した。イリアの体の芯に成長素の感覚が走るが、それで済ますわけにはいかない。


 多腕が投げ出した短鉄棍を拾い上げる。表面に焦げたものが付着しているが、冷えているのでこれ以上の火傷の心配はない。イリアとカスターがそれぞれ逃げ道を塞ぐようにすると、触腕で攻撃することもなく方向を変え、ともかく逃げることを優先させている。

 『凶化』が解け逃げ惑う相手の命を奪おうとするのは初めてのことではない。少し心が痛んだが、魔物以外の生き物を狩る場合はむしろこの方が普通のはずだ。


 3人の中で止めを刺せるのはカナトだけ。いつまでたっても動きの鈍らない多腕に対して何度か位置を変えて隙をうかがう。焼き短鉄棍を突き入れられて火傷になり、開きっぱなしになっている水取り込み口を狙って槍を突いた。

 粘液も乾いてしまい、ぬるつきもしなやかさも失った部分に鋼鉄の穂先は深々と突き刺さる。多腕は全身の色を白っぽく変化させ、やがて横倒しになって地面に伸びた。





「カスターは火を消して鉄棒も切れ端も拾っとけ。燃え残ってる石炭はちゃんと土かけて消しといてくれよ? 薪と違って高いんだからな。俺とイリアはこいつを売りに新市街に向かう」

「もう一個の水瓶みずがめはどうすんだよ」

「入ってるとは限らないし後でいいだろ。なんなら明日まで放っておいていい」

「それより魔石取らないと。せっかくだし」

「それもそうか。でも魔石どこにあるんだよ、こんなもんの魔石がどこにあるかなんてわかんねえよ」


 金貨3枚になる見込みの獲物を倒せた興奮でカナトは冷静さを失っている。

 本で調べていたので多腕おおうでの魔石の位置は分かっている。目と目の間の脳がある部分の少し上、袋状の胴体の側だ。

 焦って解体用の刃物で魔石に傷をつけるとそこで砂化してしまって成長素が摂れない。その失敗をこの隊で一度やってしまっている。

 マナの恩恵を失い、まるっきりでろでろの肉の塊になってしまった多腕の頭部に切り込みを入れ、右手を突っ込んだカナトは取り出した魔石をカスターに手渡した。今はレベルよりも現金が大事ということだろう。

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