第163話 多腕狩り

 翌日朝から新市街に入り、用を済ませてまた出てきたイリアはカナトの家に向かった。

 奥の部屋では兄妹の叔母であるジェミスが夜の仕事から帰ってきて寝ているため、大きな声では話せない。

 イリアとカナトは床に直接座り、アヤも起き上がって寝台の上に腰かけている。


「それで、俺の下宿先の人が言うには、多腕おおうでは実際ほぼ純粋な水棲魔物というか、基本的に海にしかいないらしい」

「なんだそりゃ。じゃあ今いるのは何なんだよ」


 疑問の言葉を発したのはカスターだ。

 別に今回カスターに参加してもらわなければならない特別な理由はないのだが、頭数は多くてもいい。小型であっても多腕は強敵だ。


「なぜ海にしか棲んでいないはずの多腕がこっちまで来てるかはよく分からないけど、35年くらい前にも起きた事なんだってさ。今年みたいに雨が少なくて気温が高かったって」

「今年って雨が少なかったのか?」


 今年ナジア周辺地域で雨が少なかったのかは、今年来たばかりのイリアには分からない。ここで生まれ育っているカスターが分からないのなら、実感できるほどではないのだろう。アクラ川の流水量が関係するらしいので、どちらかと言えば上流地域の雨量の問題だと思われる。


「理由はどうでもいいけど、どうするんだ? せっかくイリアが色々調べて駆除許可までもらってきたんだし、やってみるか?」


 やる気を見せるカナトに対し、カスターは椅子に逆向きに座ったまま腕を組んで考えている。寝台の上のアヤは何も言わないが、普段聞かないだろう話し合いの様子に面白そうに目を輝かせている。


「決める前にやり方を聞いてほしい。下宿先の、おじさんというかおじいさんというか、その人はいろいろなことに詳しい人なんだが、多腕狩りの秘策を教えてもらった。ただしその方法はかなり金がかかる」


 イリアはラドバンから教わった多腕狩りの方法を話した。その方法には最低でも大銀貨3枚程度経費が掛かり、より多く経費をかけた方が成功の確率が上がる。

 話を聞き終え、真っ先に反対したのはカスターだ。


「冗談じゃないぞイリア。駆除しても一頭で1枚半しかもらえないんだろ、そんな経費が掛けられるもんかよ」

「待てカスター、イリアは金遣いが荒いがバカじゃない。何か勝算があるってことだな?」

「そうだ。多腕の肉ってのは、実はかなり味がいいらしいんだ。海辺の街でもめったに手に入らないし、手に入っても人間を食った『穢れた肉』の場合が多い。アクラ川ではまだ被害は出てないし、干物じゃない新鮮な多腕肉このナジアで手に入ったらそれはもう、とんでもない値が付く」

「いくらだ」

「一頭だけでも金貨3枚にはなるだろうってさ」

「……」


 二人は考え込んでいる。

 カスターは分からないが、カナトがこれまでの狩りで蓄えた額はもう大銀貨4、5枚にはなっているはず。

 半刻ほどの話し合いの結果、3人がそれぞれ大銀貨3枚の費用を出すことになった。当たれば3倍以上になる賭けだ。



 話が決まってすぐに準備を始めることになった。カスターとカナトには長くて丈夫な綱と、誘因餌になる魚を買いに行ってもらう。

 イリアはまたも東岸新市街の中に入り、ハインリヒ商会に向かった。

 今朝の事、ひさしぶりに顔を合わせるなりニコはイリアの『岩通し』での活躍を称賛した。【マナ視】保有者のニコはやはり審判団に参加していたらしく、北側の担当だったので直接見たわけではないらしいが噂を聞いたということだった。



 相談していた話が本決まりになった事を言うと、すぐにイリアが来た道を一緒に戻り、新市街の南端、商会が借りている倉庫に案内してくれた。

 店舗で取り扱っているのとは趣の異なる巨大な商品を中型荷車に積み込み、そのまま一緒に南門から外に出て堤防まで運んでもらった。


「河原で使うんだよな? 下まで運んでやろうか?」

「仲間とやるので大丈夫です。ここまで運んでもらったお礼もできないのに」

「気にすんなよ、俺とイリアの中だ」


 空の荷車を荷車を曳いて帰っていった。

 やがてカスターとカナトが買い物を終えて堤防にやって来た。長い綱と、二つの木桶に入った安物の生魚を持っている。


「なんだよ、水瓶みずがめは3つって事じゃなかったのか?」

「思ってたより全然売れてなかったみたいで、倉庫にかなりの数が余ってたから値下げしてもらえた。餌はまあ均等に分ければいいとして、綱は足りるか?」

「大丈夫だ。多めに買ってきてる」


 買ったのは大型の水瓶。体を折りたためばカスターでも中に入れるだろう。

 周りを覆っているボロの獣皮は輸送時割れにくくするための緩衝材。取らずにそのままにしてもらっている。

 一つ大銀貨2枚というのは相当安い。本来は倍の値段がついておかしくないものだが、3年以上も売れずに倉庫を圧迫していた物だからとニコの判断で安くしてもらえた。なぜか帳簿の記録の倍も売れ残っていたらしい。


 まずは4つの水瓶を堤防の下、平らに広がっている河原まで下ろす。イリアから見ると食欲のわかない魚を4つの水瓶の底それぞれ詰める。

 裸足になって足を濡らしながら、3人で水瓶をアクラ川の水面に浮かべた。口のすぐ下、くびれている部分に巻いてある獣毛の編み綱は比較的安いものだが、100メルテで大銀貨1枚する。

 最初はうまくいかなかったが、そのうちに東から西に風が吹き始め、50メルテほど岸から離れた所まで水瓶は流されていった。機を見計らって綱を強く引くと、大きく傾いた水瓶の中に水が入り込み、やがて重さで沈んだ。

 綱の端は河原に打ち込んである杭に強く結んでおく。


 同じことを4度繰り返し、4つの水瓶をアクラ川の底に沈めることに成功した。

 古代の書物に残る知識によれば多腕に似た形の生き物が海に住んでいて、狭い場所を好んで入り込み、なかなかそこから出ようとしない生態を持つのだという。

 魔物として変異した後もその生態を残していて、35年前にも同じ方法で捕獲したのだそうだ。なぜその知識が王都守備隊水警部に伝わっていないのか。これも理由は分からないが、イリアが読んだ最近の本にもそういう記述はなかった。年配者の話を聞かないと分からない事なのかもしれない。




 さらに翌日朝早く、イリアたち3人はアクラ川東岸に集まっていた。

 水瓶を沈めた場所はそれぞれが100メルテほど離れているわけだが、まずは一番上流に沈めた一つを確かめる。

 川底にぶつかって割れてしまわないように慎重に、3人力を合わせて水瓶を引き上げる。

 中身を確かめても水しか入っていなかった。魚は何かに食べられたのか、または水に流されたのか残っていない。

 新たに買って来た魚を詰めてまた流しておこうかと考えたが、風向きが悪くて奥というか、西の方に流れて行ってくれそうにない。河原に置いたままにして次の水瓶に向かう。2つ目も同様に水しか出てこなかった。


 3つ目の水瓶を引き上げる途中で3人ともが様子のおかしいことに気づく。川面に見えてきた水瓶の口から、何か長いものが数本はみ出している。

 興奮して強く引きすぎたせいで川底の岩にぶつかったのか、水瓶が割れてしまったようだ。

 逃げられるのかと思ったが、既に10メルテほどの距離まで引き寄せられていた水瓶の口から、十数本の触腕が一本ずつ伸びて川底にへばりつくと、ずるりと本体がまろび出てきた。


 表皮の色合いは黒と青の細かいまだらが入り組んでいるよう。

 全体が不定形というか、骨も無ければ甲殻も持たない軟体生物。

 最小級のものでも12本はあるのだという触腕は育つとどんどん本数が増えていく。触腕の生える部分の根元がこの魔物の頭部に当たるらしく、緑色の瞳をした目が横に出っ張っていた。

 その頭部の上に被さっている、袋のような頭巾のような部分に内臓が詰まっているのだという。つまりは胴体という事だ。

 一本が2メルテはある触腕を順繰りに前に出しながら、浅い川底を這ってこちらに向かってくる。他の生き物ではありえない見慣れない挙動。うじゃうじゃという感じで、思いのほか敏捷だ。


 いくら不気味なほどの速さとはいえ相手は本来水棲魔物。地上で生まれて地上で暮らす人間が走って多腕に追いつかれることは無い。3人は決めていた通り、大きな火を焚いている場所まで結構な距離を逃げた。そこでカスターは大盾、カナトは槍を拾い上げる。

 骨も甲殻も無い生き物を鈍器で殴って効果があるとは考えづらい。

 イリアは短鉄棍を拾わず、焚火に突っ込んである細長い鉄棒を掴み出した。もちろん手袋をしている。

 鉄棒は以前バイジスと戦った時に用いた箱馬車の鉄柱よりもさらに細く頼りない。おそらくは幕屋の支柱か何か使われていたもの。鍛冶屋で回収されていた屑鉄を保証金を払って借りてきたもので、1メルテ半のものが3本ある。

 空気を取り込む炉のようなものをその辺で拾った石で組み、針葉樹の薪に石炭も加えた温度の高い焚火。取り出した鉄棒は赤熱していたが、空気で冷えて黒く戻った。それでも水をかければ一瞬で蒸発させるほどに熱くなっている。


 カスターの大盾に魔物の触腕がへばりつき、不自然に離れない。

 触腕には無数の吸盤が付いている。筋肉の塊だという触腕は多腕の大きさの割に細長いとはいえ、比べればカスターの腕よりも太い。

 大盾を数本の触腕にからめとられ、カスターは足元の地面を掘り返しながら多腕に引き寄せられていく。

 カナトの槍が触腕を突き、また刃の部分で斬りつけたが、分厚くぬるついた表皮に傷をつけるだけであまり効果が出ているように見えない。


 想定していたことであり、そのために用意した焼き鉄棒だ。

 横から回り込んだイリアは、頭巾のような胴体と、頭部の境目にある隙間に鉄の棒をねじ込んだ。水分が蒸発する「ジュウ」という音が鳴る。

 逆の立場で自分がやられたらどんなに辛かろうと背筋が震えたが、お互い命がけなのでしかたがない。

 鉄棒が潜り込んだすきまから湯気が立ち、なにやらおいしそうなにおいがイリアの嗅覚を刺激した。

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