第162話 格安設定
午前中から初めて1刻間稽古をし、少し気温が上がって来たのでカナトとイリアは休憩していた。動かなければすぐに汗はひいていく。
堤防に横たわりながら次はどんな仕事をしようか話し合っていたら、アクラの川面にいつのまにか中型の舟が2隻並んで浮いているのが見えた。それぞれに8人の人間が乗っている。
王都守備隊の水警部だとは思うが、網を使っているのではないようだ。イリアにも覚えのある動きをしていて、どうも釣りをしているらしい。
「カナト、あれ何だろうな。うまい魚でも捕ろうとしてるのかな」
「そうだったら職務怠慢だろ。魔物駆除だと思うぞ」
「網じゃなく釣りで捕ることも多いのか?」
「いや、オレは見たことないが……」
河原は子供たちの遊び場でもある。トサカミズヘビなど半水棲魔物が這い上がってくることもあり完全に安全な場所ではないが、王都の子供たちはどうすれば魔物に被害を受けないかの知識を持っていた。
見通しの悪い草藪があれば石を投げてみたり、長い棒きれで地面を叩いて音を立てたりすることで、『凶化』すれば人間を襲わずにいられない魔物の性質をわざと引き出し、知らない間に近づいてしまう危険を回避するのだ。
もし魔物が見つかれば大急ぎで大人の居るところまで走って逃げる。
下町や壁外の子供は、防壁で完全に囲われた他の街の子供よりも実はたくましい。
その子供たちが今日は一人も見当たらなかった。
南の方を見ると、水警部の舟がさらにもう一隻浮いているのが見える。最初の2隻よりも大きい。遠くて分からないが、20人くらいは乗れそうに見える。
「やっぱり何かおかしくないか。見える範囲で3隻もいる」
「まあ、チビどもがいつまでも出てこないのも変だな。ちょっと近所で訊いてこようか?」
「一緒にいく」
溜まりに行って路地裏で遊んでいる子供に聞きこみをしてみたところ、うすい青の制服を着た水警部職員に河原から追い出されたのは昨日のことだったという。怖い魔物が出たからしばらくは近づくなと言われたらしい。
どういう魔物なのか訊いても子供の話は要領を得ない。というより、そもそも教えられていないという感じがした。
「怖い魔物ね。金になるかな」
「賞金とか掛けられてるのかもしれないな」
「だとすればこれは好機じゃないか? そういうのを狙う血の気の多い連中の半分は『岩通し』でボロボロだろ? オレ達にも回ってくるかもしれないぞ?」
「まあ、まずは情報を集めないと。ウミウソとかだったら問題外だし」
600キーメルテ下ったあたりで大湖海に流れ込むアクラ川には、気まぐれな海棲の魔物が遡上してくることもある。橋水門が壊れていたりすれば、超大物がこの王都ナジアの真ん中に出現することもあり得る。
完全な水棲魔物なら水中が危険になるだけで済むわけだが、ウミウソなどの半水棲魔物であればそうも言っていられない。
ウミウソは脚の代わりにヒレが生えている獣型の魔物で、真っ黒でカワウソに似た顔をしているらしい。その大きさは家一軒ほどもあるらしく、仮想レベルは40台半ばだ。
カナトは入れないので、イリアが情報収集のため東岸新市街に入った。実に10日ぶりのことである。中心地にある市街長役場は周囲よりも少し大きな建物。1階部分の外壁が青みがかった化粧石で覆われているので、遠くから見てもそれとわかる。
大きなガラス窓のついた両開き扉を押し開けたら、中に居た屈強な男に押しとどめられた。上半身に金属と革の複合鎧を着ている。
なんでも市街長役場は武装して入ることが許されていないらしい。
兜と短鉄棍を入り口横の窓口に預け、番号の描かれた預かり証をもらう。無刃の短剣は武装とはみなされず、着けていてもいいとの事だった。
数十人が何事かの手続きを待って長椅子に腰かけている大広間。内装は簡素で、殺風景の一歩手前というところ。東側の掲示板に各種の広報が掲示されているので、イリアはまずそれを見にいった。
あまり意識しないが、王都は行政制度的にアシオタル州に所属している。その州政府からの通達で、アクラ川の両岸の河原に立ち入り制限が出ていた。許可を持っていない者は追い出すと書いてある。どうすればその許可が下りるのかが記載されていない。
広い仕切り壁に開いた10の窓口の一番奥。「なんでも相談総合受付」には30人以上の利用者が並んでいた。少しうんざりしながら、1刻近い時間イリアはその列に並んだ。
「——はい次の人。どういうご用件」
「向こうの掲示板にある、河原への立ち入り制限について聞きたいんですが」
四角い窓口の向こうには、眼鏡をかけた若い職員が座っている。イリアの方を見もせず、手元の書類になにか書き込みながら答えた。
「あー、あれ。水警部からの報告があって、なんか
「……今なんて言いました? 多腕?」
「そう」
「一大事じゃないですか……」
大湖海だけでなく世界中の海に出没する最強格の海棲魔物だ。4大竜の一角である水竜にも比較されるほどだ。
水竜のほうが魔石格も高く強いと言われるが、そちらは人前にめったに姿を現さない。何らかの理由で死にかけた個体が海岸に打ち上げられる事例が稀に確認されるだけ。戦ったとか倒したという記録は伝説上のものでしかない。
それに比べると多腕の被害は明確だ。
技術の粋を集めて巨大で頑丈な船を
「もっと大々的に知らせて住人を避難させるべきなのでは」
「いや、そこまでじゃないと思うよ。見つかってるのは小さいのだってさ。詳しくは王都守備隊水警部本部事務所に聞いてください」
「小さいのですか…… えっと、じゃあ河原への立ち入り許可っていうのは」
眼鏡の男はそこで初めてイリアの方を見た。少し呆れたような表情を見せたが、事務的な口調のままで3番の窓口へ行けと教えてくれた。
3番は駆除対象魔物関連手続き窓口だった。並んでいるのは2、3人しかいない。やはりカナトの言った通り、『岩通し』のせいでそういう仕事を請け負うものが減っているのかもしれない。
窓口の中年女性にアクラ川の多腕の駆除を請け負いたいと申請すると、身分証の提示と書類への記入をさせられる。代表者としてイリアの住所と名だけ書けばいいらしかった。
驚くべきことに、1頭につきもらえる駆除協力金はたったの大銀貨1枚半だけだという。どういう計算でそうなるのか。あるいは、大きな船を沈めるという多腕の印象とは裏腹に、アクラ川にいる個体ははるかに小型なのだろうか。
分厚い獣皮紙の駆除協力依頼書を受け取る。これがあれば河原に立ち入っても追い出されることはなくなるらしい。
役場を出たイリアはそのまま新市街の書店に向かった。
貸し出しもしている書店『知の森・ボンダル』は思った通り店内での閲覧にも対応しているらしく、一冊につき銅貨3枚で2刻間、指定された机で本を読むことが出来た。海棲魔物について書かれた書籍を借り、多腕について調べる。
多腕は仮想レベルの幅が非常に大きく、全長で15メルテにもなる最大級のものは50台後半にも及ぶらしい。
幼体だから魔石を形成しないということは無いらしく、最小2メルテ級の個体からも15レベル相当格の魔石が見つかった事例がある。
高威力の雷撃魔法が特に効果があるらしいが、イリアたちに可能そうな駆除の仕方や釣り上げ方などは載っていなかった。
昼過ぎになってカナトの家を訪ねて報告。とりあえずもう少し、お互い情報を集めてから検討する事になり、その日は解散した。
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