第159話 岩通し
アントニオのものである毛詰めの革兜を被り、首に赤く染められた布を巻いたイリア。
下町を南北に貫く大通りのちょうど中央。直径10メルテほどの円形広場の端に立っていた。
周囲には少し年上の体格がいい若者が10人。アントニオの指導の下、マルゴット邸の庭で練習に参加した半大人たち。全員が下町に住む学園生である。
これから始まる『岩通し』午前の部で、このイリア含めた11人が一つの隊として統率された行動をとるわけではない。
広場にいるのはわずかに100人ほどだが、全長4キーメルテの大通りのいたるところ総勢約千数百人の参加者が散らばっている。
イリアと同じように首に赤い布を巻いている七百数十人全員が味方で、青く染められた布を巻くほぼ同数が敵方。それぞれが「南軍」「北軍」と呼ばれる。
組み分けの方法はつまり、町の北側に住んでいるか南側に住んでいるか。
だが実際は厳密に決まっているわけではなく、着きたい側に着くことが許されている。そうでなければ旧市街や東岸新市街はどちらも北側にあるため、人数の均衡がとれなくなってしまう。
もっとも、『岩通し』の参加者は大人も半大人も下町に住む者が大多数なわけだが。
普段は石柱が一本立って大日時計になっている広場。その真ん中には人間の頭と同じくらいの岩が100個ほど積み上げられている。
そして今朝集合する前に確認してきたが、大通りの南の端にはツタを編み上げて作られた大きな「輪」が綱で吊られて宙に浮いていた。北の方にも敵方の輪があるはずだ。
『岩通し』における勝敗は中央広場に置かれている岩を、いくつその輪に通すことが出来たかで決定される。半大人戦の制限時間は1刻だ。
「お、いよいよ始まんぞ。覚悟はいいなお前ら」
10人の中で一番体格のいい17歳が言った。太い首をごきごきと鳴らしている。レベルは18で、来年の3月で学園を卒業予定なのだという。
白髪頭を後ろになでつけた豪奢な服装の老人が、100個の岩が積み上げられた小山の頂上に上り、辺りを見回した。
広場に集まっている約百人と、木材で補強された建物の屋根に大勢集まっている見物人たち。高揚をともなったざわめきが、老人の鋭い目線になぎ払わらわれるようにして静まっていく。
南東の空の太陽の位置を確認した老人は、大きく息を吸い込み声を張り上げた。
「北軍および南軍に属する者どもに告げる! 魔法の行使、異能の行使! これを禁ずる! 拳での打撃、膝による蹴り、背後からの体当たり! これを禁ず! 目と股間への攻撃も禁止だ!」
聞いていた通りの規則。それ以外にも武器の使用は当然禁止される。そもそも武装することが認められていない。
今日のイリアは周りの若者たちと同じくボロに近い綿服の上下。毛詰めの革兜以外に防具と呼べるものを装備していない。
イリアの他の大多数は頭部も防御していない。
鞣し革よりも硬いものを身に着けているのを見咎められれば、敵方からの集中攻撃にあうし味方も助けてはくれないという。参加者の中で明らかに年若く、レベルが低そうだからぎりぎり、かろうじて灰色の判定になるとのことだった。
下町地区自治会総長だという老人が右手を高く掲げると辺りは一層静かになり、反対に興奮が最高潮に高まっているのが分かる。
「50の岩が『勝利の輪』を通った時点で勝負ありとなる! では! ……始めッ!!」
腕が振り下ろされる。赤い首布の集団が南から、青の集団が北から。少年たちが甲高い声を上げ、一気に中央に向かって殺到していく。
最前列の目当ては岩ではなく人間だ。
特に体格のいい者同士が体当たり、もしくは腕を振り回して敵方を攻撃に行っている。
気勢を揚げる叫び声と、腹を突き上げられたり首をかち上げられた者らのくぐもった嗚咽。数十人対数十人のぶつかり合いによって既に何人かが昏倒し、石畳に倒れてしまっている。
黄色の外套を着た大人が周りの建物の屋根から数人飛び降りてきた。『岩通し』における審判役である。人混みをかいくぐって倒れた少年たちのそばに駆けつけ、抱き上げて広場の隅の方に運び去った。
『岩通し』が始まってまだ数十秒。イリアはアントニオとの練習で言われた一つ目の役割である「
岩まであとわずかの距離まで来たところで、とうとうイリア個人に目を付けた北軍の一人が襲い掛かって来た。身長は同じ程だが横に太い、額にニキビのある少年。
拳での打撃は禁止られているのに、当たっても構わないと言わんばかりに右腕を振り回してくる。
イリアは大きく足を踏み出し相手の間合いの内側に入り、革兜の頭突きを顎辺りに食らわせつつ、右腕で首を巻き込んでぶん投げた。
相手がどうなったのかを確かめる間もなく岩山に駆け寄り、端に転がっている黄土色の岩を拾い上げ、踵を返して南側に駆けだす。岩の重さは十キーラム以上ある。
「盗った盗った盗った盗った!」
「おう!」「おう!」
練習通りに声を上げつつ、人間の間を縫って走る。周囲で殴り合い、ぶつかり合いに興じていた数人がイリアを護衛するように集まって一緒に走り出す。とにかく岩を自陣側に運んでいくのが最前線の役割。
岩を持って走り出す際、時機の見極めを失敗すると誰も護衛についてくれることなく、あっという間に取り押さえられることになる。
敵味方問わずそうなっている者らが何人も見られたが、イリアはきちんと機を読むことが出来た。
時々4、5人の敵方が出てきてはイリアたちに向かって来ようとするが、「おお!」と言うようなこちらの威勢の声に怖気を覚えたのか、元居た路地に引っ込む。
あるいは周囲の味方の南軍が反応し、取っ組み合いをしてくれて、イリアと「岩周り」たちはまだ衝突せずに済んでいる。そのまま、幅5、6メルテの大通りを南に向かって突進していく。
『岩通し』の勝負の場である大通りに面する商店は昨日までは営業していた。その窓は今、全面が材木で塞がれている。
激しいぶつかり合いの結果ガラスが割れてしまうのを防ぐため、夜のうちにそういう処置がされている。
路地から青い首布を巻いた敵方が出てきて進路をふさいだ。護衛のようイリアを囲んでいた者らが獣のような声を上げ、倍近い数の相手に向かって襲い掛かっていく。イリアはそれに続かず、後ろを振り向いた。
意図を察したのだろう、後ろから付いて来ていた味方側の一人。並の大人よりも大柄で手足も長い若者がイリアに駆け寄った。面識はないが「
投げ方は岩を受け取ると、両手で持ったままその場で横に一回転、勢いそのままに岩を前方に放り投げる。敵の「
その岩を奪いに、殴り合いを中断し敵味方が殺到していく。一つの岩に20人以上の男どもが群がっている。
この『岩通し』において、まず最初にするべきは岩の確保だ。
イリアの当面の役割は「盗り方」なので、300メルテほどの距離を広場に向かって駆け戻っていく。あまり厳密に守られている規則ではないが、岩が視界の範囲にない時は相手方に対する接触が禁じられているため、何も持っていないイリアに襲い掛かる者は居ないことになっている。
岩をめぐって暴れまくっている100人ほどを掻い潜りながら中央広場に到着すると、岩山の大きさはもう半分ほどになっていた。まだ始まって10分ほどなのに考えていたよりも展開が早い。
最初にぶつかり合う役割、「
何人かの「盗り方」が岩を持ったまま敵方、北軍に潰されているのを見る。こちら側の幾人かが手持ちぶさたになっている瞬間を見極め、イリアは岩山に飛びついた。
「盗った盗った盗った!」
「おう!」
イリアの叫びに数人が反応。「岩周り」に役割を変えて付いてきてくれる。顔が赤く腫れあがったり、鼻から出血したりしている大柄な連中が6人、イリアの周りに固まって南に向かって走り出す。
積み上げられた岩の数はもう20個ほども無く、イリアがまた広場に戻って「盗り方」をすることは無いだろう。
ここから先は役割も何もなく、混とんの中でどうにか勝ちをもぎ取る醜く野蛮な戦いになる。
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