第157話 ヴァーハン家

 マルゴット邸でイリアに貸し与えられた部屋は二階廊下に面している。一人の夕食を終え寝台に寝転んでいると、誰かが廊下を歩いて突き当りの扉を開け閉めする音が聞こえた。起き上がり、イリアはマルゴットの執務室に向かった。



「なんだ、何の用だ」

「忙しいですか?」

「忙しいさ。普通の婆さんに戻ろうとしていたところにお前が出てきて、もう一度力を蓄えなきゃならなくなくなったんだからな」


 アビリティーを持つ人間と、成長素源としての魔境。その関係に今までとまるで異なる計算式をもたらす【不殺(仮)】。

 アビリティー保有者の割合や、そもそもの人口自体が遥かに少なかった時代には考えられなかった、人間同士による魔石資源の奪い合いという現象。

 新時代に適応すべく生まれたような新世代のアビリティー。

 神の気まぐれのように発生した「唯一種」ではないとすれば、社会全体に大変革をもたらす可能性をもつこの新種アビリティーの問題に対応し、一族に有利に状況を展開するにはきっと大きな力が要るのだろう。


 ハンナの話していたところによれば、マルゴットの力の源は「秘密を扱うこと」にあるらしい。イリアにはいまいち意味が分からなかったが、一つのたとえ話をされた。

 ある組織で高い地位にある要人が私的な魔物狩りに出かけ、同行者の一人に死者が出る。誰にも責任の無い事故とされたが、実際の原因は要人の不手際にあった。

 その秘密をマルゴットが入手する。

 死んだ男には家族があり生活に困っていて、マルゴットがその遺族と要人とを仲介し、継続的な金銭による補償を実現させる。

 遺族は安心して生活を送れるようになり、要人の方は、少なくとも遺族からの告発で罰されたり地位を追われる心配がなくなる。

 死者以外は誰も損をすることが無く、全面的に感謝されるとまでは行かなくとも、マルゴットに借りを感じる人間が何人か出来上がることになる。


 そうやって蓄えてきた力によってマルゴットはこの大きな屋敷を手に入れた。『白狼の牙』を追われてわずか10年目のことだという。優秀な人間というのは分かっていたが、その程度は尋常ではない。

 一方で、人の秘密を利用するというのはかなり危険な行為な気もする。

 そのためか、自身の2人の子が社会的にも十分立派になった事を期に、その力、秘密によって出来上がった有形無形の組織の網を縮小していたらしい。

 隠居準備の最中にイリアの新種アビリティー問題が舞い込んだことになる。



「少し時間いいでしょうか。聞きたいことがあって」

「私の食事の支度が出来上がるまでなら」

「ヴァーハン家って知ってますか。王都に住んでる名家の一つなんですけど」


 軍に所属した経歴は無いはずなのだが、指揮官級の軍服姿のマルゴットは帽子と一緒に栗色のカツラを脱ぎ、机の上にほうった。イスに深く腰掛けて眼鏡をはずし、鼻の付け根辺りを揉んでいる。


「……新興の名家だな。新しいと言っても、興ったのはフローロ王が死んだ時だから、50年前になるが」

「力のある家ですか」

「チルカナジアに名家は100以上ある。その中で形だけの名誉ではなく、実際に今も大物の官吏や軍幹部などを輩出し続けている家は20も無い。ヴァーハン家はその一つだから、まあ力があると言えるな」

「ロブコステ家と比べるとどうでしょう」


 ロブコステは王立街道保全隊第7中隊長マルクの家だ。別に比較対象としてロブコステ家のことをよく知っているわけではないが、イリアの知っている名家はそれくらいしかない。


「ロブコステはラウラ王の側近に由来する最古参だ、国で三本の指に入る。比べれば当然ロブコステの方が上だが、ヴァーハンも捨てたものじゃない。一族全体が敬虔なアール教信徒でボセノイアとの繋がりが強い。たしか、そっちの外交担当官が現当主のはずだ」

「……政治の事とかはあんまり分からないんですが、この国は王家以外は基本的に平等って話じゃなかったですか」

「そりゃ、制度上はそうさ。王政に関わるような役人、上級行政官というんだが、その登用試験は一定の学問を修めた者なら誰でも受けられる。軍などの幹部になるのだって実力次第ではあるが、生まれ育った環境で個人の知力やその他、実力に差が出てくるのはお前自身がよく分かってることだろ? 自分が恵まれている側でないなどとは言わせないぞ、イリア」


 胸にチクリと刺さることを言われてイリアは黙った。



 名家の事を知りたいならと、本を一冊貸してもらった。『チルカナジア王国名家一覧』と題された小型の書籍。

 部屋に戻って読んでみるが、たくさんある名家の由来やその一族、および一族が就いている公的な役職が羅列してあった。

 そういう情報を網羅したかったわけではないので全部は読まなかったが、それまで興味がなく知らないでいたことがいくつか分かった。


 そもそも名家には国から実質的な利益が与えられているわけではない。

 一番大きな特権として、名家の当主は王に対して面会を要求出来るというのがあるが、実際に会うかどうかの最終決定権は当然ながら王の方にある。

 名家の一族で実際に家名を名乗ることが許されるのは歴代当主とその子、孫まで。養子など血のつながらない関係では認められないらしい。当主の地位は本人が死亡した時、20歳以上若い次期当主に引き継がれる決まり。

 つまり正式に名家に属するとされる人間が無限に増えていくことは無く、歴史の長さに関わらず各家でそれほど人数差はない。当主を継ぐことが出来る候補者は家名を名乗れる立場の者だけということだった。


 オスカー・ヴァーハンの名も記されていて、先代当主の孫にあたるようだった。現ヴァーハン家の当主は伯父にあたる。オスカーのとり巻き2人のうちの一人、名前がわかっているほうの細剣使いのダヴィド。垂れ目のダヴィドの名前はみつからなかった。ヴァーハン家ではないし、他の家に同じ名前の者が見つかったが年齢が違うので別人だ。

 本は3年前出版されたもので、今もおなじかはわからないがヴァーハンの家名を名乗るのは35人。その中で当主含め、国の高い地位にいる者は4人だった。他の家の平均よりは多い。


 ロブコステ家の現当主の三男にであるマルクが公職に就いているという記載がない。3年前は違う立場だったのかもしれないが、そもそも中隊長級というのは記載される基準に足りない低い地位らしい。


 イリアは自分の一族の事を考えた。『白狼の牙』頭領家というのは初代頭領エミールの血を引く子孫すべての事だから、時代と共に無限に人数が増えていくことになる。そういう意味では名家制度の方が理にかなっていると言える。マルゴットとイリアのように、血のつながりが極めて薄いのに同じ一族とされるのは不合理だ。

 他の戦士団頭領家の中には『白狼の牙』のように血縁を重視している家もそうでない家もあるのだが、基本的に頭領の座は実力によって決まる。この場合の実力とはアビリティー種別とレベルを含めた「戦いの強さ」の事だ。

 運しだいの部分があり努力が必ず報われるとは言えないが、単純明快と言っていい。


 それに比べて名家の当主がどう決定されているのかは分かりづらく感じる。

 王家のように親から子に継がれていくのではないようで、傍系であれ当主が亡くなった時点で実子がいる候補者の誰かが継いでいく事例が多そうだ。

 直系で継いでいくよりもそのほうが家名を名乗れる者の人数が多くなるのは計算すると分かる。

 マルゴットの言っていた力のある家はどこでも、当主は社会的に高い地位にいる。当主になってからその地位を得たのではなく、地位があるから当主に選ばれるのだろう。


 つまり意識して名家の当主になろうとすれば、現当主がいつ死ぬのかわからないからなるべく早く子供を作り、公的な組織の中で早く出世することが必要になるわけだ。


「なんか不気味に感じるな……」


 独り言が口から出た。自分が戦士団の家の出身なので、軍などの戦力組織で偉くなっていく過程は分かるのだが、行政官や司法官と言った役人の組織で出世していく過程や方法というのがよくわらない。

 それぞれが地位を競いつつ、右に左にぐねぐねと蛇行して繋がっていく名家の家系図を見ていると、ムカデかなにかのように見えてくる。

 マルク・ロブコステに対してはただ感謝しているだけだったが、オスカー・ヴァーハンの印象のせいで、イリアは名家制度というもの自体に良い感情を持てなくなっていた。




 翌日、イリアは部屋の扉が叩かれる音で目を覚ました。昨晩夜更かしをして読書をしていたせいでもう日が高い。

 寝間着姿で出てみると、見たことのない若い女が立っている。服装からすると女中だろう。

 若い男の来客だというので、部屋から出ようとしたら押し戻された。きちんと身支度を済ませろとのこと。そばかすの多い女中は力が強く、レベルの高さを感じさせた。


 衣服を整えて一階の応接間に向かう。マルゴット邸の応接間は広いばかりの殺風景な内装で、唯一いい点があるとすれば盗み聞きの心配が少ないことらしい。

 扉を開けて中に入ると、半端な長さの黒髪をした背の高い男が茶を飲みながら菓子を食べていた。


「よ、イリア。ここの茶は味がいいな。うちよりずっとましだ」

「あ…… えっと、おはようございます……」

「いいよ、名前までは。アントニオだ。顔まで忘れたなんて言うなよ?」


 3度見かけ、一度だけ会話をしたことがあるエミリアの兄だった。

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