第156話 揉め事
上水路点検の報酬は書類を市街長役場に提出するときにもらえるらしいのだが、学園内にそういう事務処理を代行してくれる部署があるらしく、エミリアに任せることにした。
イリアの新しい下宿先証明書もとうに出来上がっていて、新市街に入ることは無料でできる。とはいえ、楽が出来るならそれに越したことは無い。
エミリアと共に地上へ上がったがカナトの姿が無い。辺りを見渡すと少し離れたところで誰かに絡まれていた。
短鉄棍を握りしめて駆けつける。カナトは背が高いがまだ13歳。同じ程の背丈の3人組、その一人に胸倉をつかまれている。
「おい! なんだあんたら、カナトに何の用だ!」
振り返った3人組。体形に合わせて仕立てられた高級そうな灰色の服に見覚えがある。
最近見ることの無かった剣のある表情で、カナトが自分を掴む腕を振り払った。
「エミリアに用らしいぞ。すぐ出てくるって言ったんだが、どういう関係なのかとかくだらないこと言って絡んできやがった」
カナトの胸倉をつかんでいた男は変に頬がこけている。その隣に居た青銅色の髪をしたのが後ろに居るエミリアに気づいたようだ。
オスカー・ヴァーハンといったはず。チルカナジア王国における、唯一の身分制度といっていい「名家」に属する人間だ。
「エミリア、また予定外に授業を欠席したと聞いて、どうしても気になってね」
それがどうしてカナトを取り囲むようなことになるのか。
地下上水路管理施設の入り口は防壁に隣接していて、防壁から数十メルテ離れた位置からいわゆる壁外地域の家屋群が建ち並ぶ。
防壁上は警士が警備で巡回しているので、その目の届く範囲では普段悪事は行われない。だからといってこういう真似を他所の人間がするのは考えが甘い。
戸籍を持ち法で保護された「まともな国民」が、カナトたち「非正規住民」を一方的に害しても無事で済むようなら、壁外はとっくの昔に公権力によって整備されているだろう。
オスカー・ヴァーハンのしていることはかなり危険な行為ではないのか。ここひと月、三日と空けず壁外に出入りしていたイリアにはそう感じる。
オスカーと頬のこけた男、そのほかにもう一人。真ん中わけの垂れ目は一番背が高いが体の線は細い。垂れ目がゆっくり場所を移動したことでカナトは自由になり、足元のオオカオリイモリを拾ってイリアの隣りに来た。
どこか痛めつけられたような様子は無いが3人を睨んでいる。
「……垂れ目が一番強い」
イリアにだけ聞こえる大きさでカナトが言う。イリアの見立てでもそうだった。
腰に佩いているのは細い直剣。武技系異能で強靭化しなければ簡単に折れてしまうだろう。
エミリアが場所を動かずにすこし大きな声を出した。
「秋祭りの時機に学園生が小遣い稼ぎで授業を休むのはよくある事でしょう。というか、あなたには関係がないことでは?」
「君はもっと自分の価値を自覚するべきだよ、エミリア。今、学園の訓練課程に所属している王都出身の【賢者】は君一人だ。その君がこんな、頼りにもならない連中と組んで、顔に傷をつけられるなんてあってはならない事じゃないか」
エミリアの左頬には6日前肥満ヤマネコにつけられた傷が残っている。すでにかさぶたになっているが、女子の顔にある傷としては痛々しく見えなくもない。
「魔境に入るならこれくらいの怪我はして当然でしょう」
「貧民街の連中なぞと組んでいるからした怪我だ。君の最近の行動は明らかにおかしい。僕にはとても見過ごすことはできない」
「だから、それがお前らに関係あるのかってエミリアが言ったろうが」
カナトの反論に対し、頬のこけたのがまた一歩前に出た。喧嘩になってはいけない。イリアが間に入った。
「オスカーさん。それともヴァーハンさんと呼びましょうか」
「……名乗っていないはずだが、なぜ名を知っている」
「それは当然エミリアに聞きましたが」
「君はたしか、留学生の腕輪を付けていたな。なぜ今付けていない? 学園生が理由も無く腕輪をしないのは違反だろう」
「あー、それは……」
学園生でないイリアが構内に入るのに、エミリアがよこした留学生用の腕輪は不正に用意したものだ。どう答えたらいいのか考えていたらエミリアが歩いてきてイリアの代わりに答えた。
「イリアは学園をやめたわ。周りに合わせてレベルを上げるのが面倒だってことでね。授業の内容も簡単すぎたみたい」
「なんだって? じゃあ留学生の身分を失ったということじゃないか。なぜまだこの国に居る」
「不正規住民じゃないわ。王都住民に身元を引き受けられてる」
「だが、つまりは移民って事じゃないか」
「そっちの薄汚い東方人と同じだな」
最後に言ったのは頬コケだ。初めて声を聴いたが、甲高く変な声だった。
エミリアのでたらめで外国人のままにされてしまったが、むきになって否定し、自分はチルカナジア人だと主張する気にならなかった。カナトの事を薄汚いなどという連中に同調する事になる気がしたからだ。
「ともかく聞きたいんですがオスカーさん。あなたは学園生全般の行動について指導するような立場なんですか?」
「……どういう意味だ?」
「いや、名家出身だとそういう役職かなにかあるのかと思って」
「そういうことじゃない。エミリアを守り、共に戦うのはふさわしい人物でなければならないという話をしているんだよ。たとえば——」
僕のような、と言おうとしたところでカナトがエミリアに訊いた。
「なあ、この一番偉そうなやつのアビリティーって?」
「【勇者】よ」
「知らないな、イリア知ってるか?」
「知らないのか? 『成長系』の中でも有名なやつで、魔石から摂れる成長素の上限が無いんだよ」
普通のアビリティーが魔石から摂れる成長素には上限があり、レベルに対しどんなに高い格の魔石でも等格の魔石と比べて1.7倍以上の成長素を得ることは出来ない。なので最低でも3つ魔石を摂取しなければレベルが上がることはない。
それに対し、≪上限突破≫の異能を持つアビリティーの【勇者】は魔石の格が高ければ高いだけ多くの成長素を獲得できる。レベル10の保有者が仮想レベル25の魔物の魔石を摂れば2.5倍。二つ齧るだけでレベルがあがるし、ふつう有り得ないが仮想レベル50の魔物の魔石を与えられればたった一つで済む。
それ故に、より強い魔物に挑みそれを打倒する、ということで「勇ましい者」の名を付けられたアビリティーだ。
名前だけは妙に立派だが、実態としては地味な『成長系』アビリティーの一つに過ぎない。
最後の感想は除いてイリアが短く説明すると、カナトは意地の悪そうな顔で笑った。
「なんだ、じゃあ別に素手の格闘が得意でも、魔法使いとして有利なわけでもないんだな。それなのになんで丸腰で出歩いてんだ? こいつ」
「君、何が言いたいんだ?」
「そっちの細剣のやつに守ってもらってるんだろ?」
細い長剣を佩いている真ん中分けの垂れ目は反応を示さず、少し距離をとって黙っている。
「ハッ、心貧しい者の邪推だね。僕の得意武器は大剣だ。物騒でかさばるから街中では持ち歩かないだけで、魔物を狩る際には私が先頭に立って戦ってるさ。先日も北西のビエロア高地で毛サソリを討ち取った。仮想レベルは24。9レベル差の魔物を相手に戦う実力と、それにふさわしいアビリティーが僕にはあるんだ」
それは確かに凄いことではある。仮想レベル24であれば人工管理魔境の魔物ではないはずだ。毛サソリがどんな魔物かは知らないが、野生の中級魔物を狩るのはそんなに簡単な事ではない。
「9レベル差がなんだってんだよ。イリアだって8月にケヅメドリと戦った時はレベル8だったよな? こっちは10レベル差の相手をオレと二人で倒したぞ? その点、同じ『成長系』でもイリアの方が上だな」
カナトの挑発に、頬コケが唖然とした表情で「たった二人……」とつぶやいた。それを面白そうに見たカナトはさらに続けた。
「あれだろ? おおかたそっちは自分よりレベルの高いのを4人も5人も引き連れて、散々痛めつけてぼろぼろの魔物をさぁどうぞって殺させてもらってんだろ? 腕が無いのは見る人間が見ればわかるんだよ。そんな奴がエミリアを守るのにふさわしいとかお笑いだぜ。格闘じゃエミリア本人にも勝てないだろうよ」
オスカー・ヴァーハンはカナトの挑発に対し青ざめた。恐怖ではなく、強い興奮をともなった憤怒だ。
隣の頬コケが後ろ腰に差している剣に手を伸ばし勝手に抜こうとしている。大剣ではないが、非武技系の者でも扱いやすそうな幅広の中型剣。
ついに喧嘩沙汰かと武器を構えたイリアだったが、オスカーの手を細剣の垂れ目が抑えた。
「止めるなダヴィド! この貧民に身の程をわきまえさせる!」
「落ち着くんだ。身分にふさわしい態度を」
ダヴィドと呼ばれた男の細い腕はオスカーの右手を押さえたままで微動だにしない。睨みつけるオスカーに対し、ゆっくりと首を横に振る。
やがて興奮が落ち着いたのか、オスカーはカナトをひと睨みしてから柄を手放した。
気取った態度に戻り、3人は悪態をつくでもなく防壁沿いを西に向かって去っていった。
「まいったな、付きまとわれて気持ち悪いとかじゃすまなくなってきた。今度から私がどこで何をするのかは漏らさないようにしてもらわなきゃ……」
エミリアが呟いた。
図書館で会った時もこの仕事も、学園の機関に居所を把握されている状況だ。
誰でもというわけではないだろうが、エミリアが何処か探そうと思えばそこから情報を得られる。別に名家の一員でなくても可能だろう。
黙っているように釘を刺せばそうしてくれるはずだ。ほかならぬ【賢者】保有者本人の要請である。
カナトはオオカオリイモリを早く捌いてしまいたいと言っている。
まずはカナトを「溜まり」まで送り、そのあとエミリアを送ってからイリアはマルゴット邸に帰った。
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