第146話 夏終わりゆく
「うちは
「でもおっさんなら薬屋にも伝手くらいあるだろ? この際だから商売を広げたらいいじゃないか」
「……まあ、立派なムカデだし鮮度もいいからな。買い手はすぐ見つかるとは思うが」
牙の根元に毒の分泌腺がある縞オオムカデの頭部は、小銀貨4枚半で売れた。
その分配をどうするのか。話し合う前にエミリアが提案した。
「そのお金は全部あなたたちの武装の修理に当てればいいと思う。それでも足りないだろうけど」
「いいのかよ?」
「ええ。今回私はあなたのひいお婆さんに見てもらうのが目的だったし。……それでいいでしょ?」
イリアとしても不服は無い。
4人はさっそくカスターの曾祖母の家に向かうことにした。
見た目で自分たちとは違うことが分かる者が2人混ざっているのだから、まあ当然だ。
半刻ほど待たされてから、最初にカスター。次にエミリアが診断を受けた。
「どうなったの?」
「……納得がいかないわ」
10分ほどで見姑の部屋から出てきたエミリア。カナトが続いて入っていったので、手前の居間兼食堂広間に居るのは二人だけだ。
「アビリティーにひずみが出てきてるから、次に上がったら20日は間を空けなさいって。レベル上げは焦らないようにって言われたわ」
「そうなんだ」
「おかしいでしょうが。私はアビリティーを得てもう6カ月半たってるのよ? それでレベル10。あなたのほうがずっとおかしな頻度でレベルを上げてるのに、なんで……」
「まあ、今日の結果はどうなるか分からないし…… それよりも、おばあさんのアビリティーはどうだったのさ。それを確かめに来たんじゃないか」
「……」
レンズの向こうから睨みつけて来る。今日上昇したことでイリアは同じレベル10になってしまった。生まれたのも
「……異能は確かにあるから【能丸】じゃないし、【マナ操士】とも違う。未知のアビリティーかどうか私には分からないけど、まやかしでは無さそう」
「ほう」
「魔眼に感じる印象は、一番近いのは【賢者】だった。でも明らかに違う。【賢者】ならレベル20で≪賢者書庫≫の異能が生えて異能が2つになるけど、あのおばあさんはどう見てもレベル40以上だったわ」
「なるほど。まやかしじゃないならよかったよ。これで不適応症の心配なくレベルを上げていけるんだし」
「……そう言う問題なの? 未知のアビリティーの存在が
「それは…… うん……」
「まあ、あなたにとっては今更か……」
やがてカナトが部屋から出てきた。カスターに指で呼び寄せられて、最後はイリアの番である。
見姑の右手が触れる額から流れていた不思議な感覚。全身から穏やかに消えていく。
皺だらけの顔でにこやかに笑うカスターの曾祖母。縮れた白髪を頭の左右で結わえている、独特な髪形。
イリアには意味の分からない言葉で話し始めた。
「……変わらずきれいなアビリティーだってさ。まだ強くなれるって言ってるよ」
「本当に?」
「ああ」
「……おばあさんに聞いてみてくれないか、なんでエミリアはもう不適応症の限度に近づいてるのに、6月にアビリティーを得た俺がそうなのか」
「まあ、いいけど……」
共通語に比べて子音が少なく、抑揚が細かく上下して聞こえるヤガラ語。
見姑の目の前で同じように胡坐で座りながら、二人の顔を交互に眺めて会話の終わるのを待った。
「……あー、つまりだな。戦士の器って言ってて、それがヤガラ語のアビリティーって意味なんだが。戦士の器は戦士のもう一つの魂で、持ち主の戦士の魂が育っていないのに、器だけ大きくなってしまうとずれが出てくるんだと。それがアビリティーのひずみだそうだ」
「……戦士の魂?」
「ああ。オレもこっち生まれだから向こうの価値観はよくわかんないところがあるが、ようするに楽して強くなろうとするなって話じゃないか? なんかそんな話をイリアもしてただろ」
いつだったか、ステータス不適応症の発症原因についても聞かれて答えていた。
根本原因はステータスの急激な上昇とは言われるが、そういうことになるには普通、他人が取った魔石、あるいは自分の貢献度の低い戦いでとれた魔石でもどんどん摂ることが必要になる。
だから、「急にレベル上げをしようとしないで自力でこつこつ頑張りなさい」というのが不適応症予防の基礎といわれるのだ。
しかし実はそれは、別々の問題を混ぜて考えてしまっている。
「急激にレベルを上げる」ことと、「他力頼りでレベルを上げる」ことは、本来分けて考えるべき二つの問題だ。
自分一人だけで戦い、全部自力で魔石を獲得してレベルを上げるという人間がめったに居ないために、「自力で急激にレベルを上げたらどうなるのか」という問題は十分検証されていない。あるいはされていたとしても、そんな危険な行為は通常推奨されないだろう。
自力で戦うことで得られる、成長素以外の何か。
経験とか、精神的なものかもしれない。あるいは未知のマナ作用かもしれないが、それがスダータタル人の言う「戦士の魂」なのだろうか。イリアにとっては何か心が動かされる言葉ではある。
ステータス不適応症とはイリアたちチルカナジア人が考えているよりも、もっと複雑な仕組みで起きている事なのかもしれない。
「その、魂の話についてもっと聞きたい。ラハーム教で言う、死後永遠の楽土に導かれるって、その魂の事なのか?」
「あー、まあいいんだけど、それ系の話はちょっと面倒くさいな…… 大ばあちゃん、自分で話してくれない?」
「ん?」
通訳を務めていたカスターが妙なことを言い出す。
「時間が倍かかるんだよ。また客が来たら待たせなきゃいけなくなるし」
「……んだが、へたくそだ言葉だば、はずがしいでねえが」
見姑は自分の口から、しゃがれ声で言った。聞き取りづらいが意味はだいたいわかる。カスターの曾祖母は共通語を話すようだ。
春まで向こうに居たカナト一家がそうなのだがら、スダータタル人でも共通語を話せるのは、考えてみれば当たり前。カスターの曾祖母は何十年もこちらに居るらしいからなおさらだろう。
時々問い返しながら時間をかけて話したところ、ラハーム教の価値観では体と魂をはっきり分けて考えるが、スダータタル氏族のもつ古来からの考えではそういうふうには捉えていないらしい。
心によって体は動かされるが、体によって心は形作られる。それが伝統的な山岳民族の思想なのだ。腹が痛いときには機嫌が悪くなるという例え話をされて何となくわかった気になる。
ラハーム教は紀元前、それどころか『マナ大氾濫』より前からその原型があるという最も古い宗教だ。だが勢力としてはもう大きくない。
ラハーム教主流派は信仰を守るため、国家としての自立を捨ててラウ皇帝国に下り、山岳10氏族はそれに我慢できずに独立してスダータタルを打ち立てた。
その歴史だけ聞くと強硬派のようにも思えるが、スダータタル人のラハーム教信仰はそこまで厳密ではないというか、民族固有の伝統も否定しないおおらかな信仰形態に思える。宗教とか民族とか歴史が絡み合った問題は、少し複雑すぎてイリアにはよく分からない事だった。
「エミリアはあんまり戦えないのにレベルを上げすぎるからダメなんだ」と、カスターが居ない者の悪口を言った。
見姑はまたヤガラ語に切り替えてカスターに話しかけている。「わかったよオレももっと頑張るって」と答えていることから、説教をされていたらしい。
ハインリヒ商会に帰ると、イリアに手紙が届いていた。
3日後、王立街道保全隊第7中隊は西方、ジェルムナ王国方面。北西大街道の保全業務のために王都ナジアを出発するのだという。
その準備のために軍用地地域の事務所で作業をしているので、魔法を習いたければ日中に訪ねてくるように。マルクからの手紙にはそう書いてあった。
天候の悪化で狩りの予定が繰り延べになり、休養期間を4日あけての9月10日。
イリアとカナトとカスターはキラチフ山域に至る崖に集まっていた。
カナトが先に中腹の窪み目指してよじ登っている。そのあとイリアが綱を使って登り、イリアとカナト二人で体重の重いカスターを引き上げるのだ。
「なあイリア。お前氷を作る魔法覚えたって本当か?」
「いや、まだ呪文と魔法現象の解説を受けただけ。使えるようになるにはもっとかかる」
「そうか。でも氷を作れたら獲物を冷やせるから、腐らなくできていいな」
「それが、そうでもないみたいなんだよな……」
マルクの言うところでは、『
つまり、ケヅメドリの死体に手を突っ込んで血液から氷を作ったところで、全体の温度は結局差し引きで一緒になってしまうらしい。
それ以前の問題として、まだイリアは清浄な水でなければ魔法媒介化できない。
さらに、仮に今のレベルで『氷結』を使えるようになって、清水から氷を作り出しても大きさは小石程度だろう。その小さな氷で死体を冷やしても十分な効果があるとは思えない。
「まあ氷なんて無くても涼しくなってきたし、多少は余裕がでてきたけどな」
「そうだな」
カスターの左手に握られている大盾には縞オオムカデに開けられた穴を補修した跡がある。カナトが背負ってる槍の穂先は、中古の物らしいがちゃんと【槍士】専用のものだ。
カスターの言葉の通り、日中の気温の上昇は穏やかになっている。
つまり、ケヅメドリが塚で卵を温める時期がそのうち終わるという事。
それに合わせるわけではないだろうが、甲冑蟲が出る季節もあとひと月はない。
日が暮れる時刻もだんだんと早くなってきている。あと何回ここに狩りに来られるか、イリアは頭の中で計算してみた。
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