第143話 的はムカデ
エミリアは格闘術で体の使い方を学んでいるだけあって、崖登りも特に問題なくこなした。かかった時間はカスターよりも短い。
登り切った先でも急斜面が続いているのを見てうんざりした顔をしたが、重い荷物や武器を持っていないので山登りも実際は平気なようだった。
いつも通り、午前中のうちは
経路を選んで先頭を行くのはやはりカナト。4人のうちで実は一番年下だ。
「全然みつからねえなぁ。やっぱり女なんか連れてきたからだぜ」
「なにそれ? どういう意味?」
カスターの言葉にエミリアは厳しい声音で反応した。
もう3刻間、枯れたナラ類の木を見つけてはその周辺を探したが、今日に限って白銀色の魔蟲はまだ一匹も見つかっていない。
「女が入ると山の神さまが嫉妬して獲物を授けてくれなくなるんだよ」
「バカバカしい迷信だわ。それに、あなたたちのラハーム教って『名の無い神』以外の神様とか、認めないんじゃないかった?」
「まあそうだが、山に住む俺たちには俺たちの言い伝えがあるんだよ」
小柄なエミリアと、縦にも横にもデカいカスターが向かい合っているのは完全に大人と子供のようだ。
「なあカナト。カスターの言ってることは本当か?」
「言い伝えはあるが、それはたぶん女を山の危険から遠ざけるための方便だろうな。知ってる通りスダータタルでは女がアビリティーを得る機会があんまり無いから」
「なるほど」
スダータタルでは男性の6割がアビリティー保有者で、偉大な戦士と認められるのはその中のだいたい10人に一人だそうだ。その子供であれば女性でも
なんだか複雑で一度聞いただけのイリアはよくわかっていない。
4か所目の枯れ木周辺を探しても見つからなかった。結局、甲冑蟲の探索は時間切れで諦める。
季節が巡ってもう時期ではなくなったのではないか。そう聞いてみたらカスターが否定した。
先月に15歳になったカスターは王都ナジアの「溜まり」で生まれていて、移民としては2代目に当たる。今年やって来たカナトはこのキラチフ山域での魔物の生態にまだ詳しくないが、カスターによれば毎年10月半ばまで甲冑蟲の甲殻は出回り続けるらしい。あとひと月くらいは獲れるはずだという。
甲冑蟲のハサミ焼きが食べられなかったので、用意してきた固焼きパンを齧り、口中の水分を持って行くパサパサのそれを水筒の水で流し込む。
わずかな時間休憩し、ケヅメドリの探索に移る。現金収入を得るための狩りはこちらのほうが本番だ。
槍はイリアが預かってカナトが大スギの木によじ登っていく。大きな木が倒れて日当たりがよくなっている場所を高所から探すのだ。
枝葉で隠れてカナトが見えなくなったところで、カスターが大声で呼びかけた。
「どうだー? 見つかったかー?」
「……」
「おーい!」
「北に100! 誰か来るぞ!」
警告の声の前にイリアの耳にも聞こえていた。武器を使って枝や草藪を切りはらう、刃物の奏でる音。
急いで木から降りてくるカナト。エミリアの前に立って盾を構えるカスター。
短鉄棍を両手に持ち、足場の悪い斜面で木の根を足掛かりにして構えをとると、北の方、木々の幹の間に青い色の服を着た隊が見える。
1分ほどして完全に姿を現した3人の男と一人の女。
警士の紺色の鎧服よりもすこし明るい青。胸には体を円状に曲げている大鼻鎧ウオを象徴化した紋章。大鼻鎧ウオはアクラ川を代表する水棲魔物であり、王都ナジアの象徴ともなっている。
特になんの緊張感も無く近づいてきた、髪を後ろになでつけて顎髭を生やした40歳前後の男。背中に長い剣を背負っているのだが、それとは別に粗末な造りの幅広な片刃剣がその手に握られている。
「よお若人たち。身構えるのはやめろ。王都守備隊の巡回だ」
「お疲れ様です。任務の成功を」
返事をしたのはエミリアだ。
「ありがとよ。お前さんらも、安全な狩りをな」
そう言って、4人の王都守備隊員はイリアたちが来た方向に去っていった。
髭の男は行く先の邪魔なものをナタ替わりの剣でどんどん切り捨て、残りの三人は気楽そうに後を付いて行くだけだ。
「くそ、あいつらのせいで獲物が見つからなかったんだな」
「そうなのか?」
「当たり前だろ、あんなに騒がしく暴れ回ったら甲冑蟲は逃げるに決まってる」
カナトの言うとおりかもしれない。食事と言えば樹液を吸うだけの甲冑蟲にとっては、人間と戦うことは本来何の得もない。
接近されるまでは『凶化』もしないので、遠くから人間が近づいてくることを察知したら柔らかい腐葉土の中に逃げてしまう。
今までカナトの後を付いて歩くとき、足音がうるさいとか静かにしろと言われたことは無かった。普通に歩く分には問題ないのだろう。
強大な魔物が奥地から出てきていないか、兆候を見極めるためには守備隊が巡回するのは欠かせない。だが彼らが枝や藪を切り散らかしながら歩き回ったせいで、午前中の成果が無しになってしまったようだ。
気を取り直して、カナトはもう一度大スギに登った。
東南東の方向約600メルテ、峰の三分の一辺りの高さに大きな森の陥没が見えたらしい。
ごく小さな沢を一本と、エミリアの背丈程度の段差を一つ越え、半刻ほどかけて目的の場所にたどり着いた。
幹の太さが1.5メルテもある巨大な倒木が横倒しになっている。枝ぶりは乱れて葉も散っているが、樹皮の様子から針葉樹だという事が分かる。大量に滞積し、半分土に返りかけている落ち葉の形が比較的丸っこいのを見れば、モミの木のような気がする。
なんの原因かわからないが、そのモミの木が枯れたことで森には穴が開いている。その穴から陽光が差し込み、斜めに伸びる光線をわずかにそれた薄暗い場所。
黄色と黒の混ざりあった奇妙な塊が
塊は1つの物体ではなく、たくさんの同じ種類の生き物が集まって形成されているようだ。
何かに夢中になっていて向こうは気付いていない。
「まだ間に合うか?」
「どうだろうな。でもやるべきだろう」
戦わずにこの場を去る選択肢もとれるのだが、スダータタル人の若者二人はやる気になっている。
「面倒くさいわ。それにたぶん親が近くに居る」
「親だって出てきたら獲物にしてやるさ」
「本気なの?」
「ああ。ケヅメドリと格は同じだ」
4人とも、一目見て相手が何なのかはわかっていた。黄色と黒の塊は何かの肉を食いあさっている縞オオムカデの幼体の集団だ。
カスターが間に合うかと言ったのは、幼体が貪っているものがケヅメドリの死体と思われるからだ。黄色い足がちらちら見えている。魔石が残っている可能性がある。
縞オオムカデのメスは子育てをすることで有名であり、仮想レベルは18前後。
ケヅメドリを殺したのが親ならば、どこか近くに潜んでいると考えた方がいい。魔石の格、すなわち仮想レベルが変わらないとカスターは言ったが、捕食者と被食者では前者の方が手ごわいのではなかろうか。
「じゃあ、私がまず最大距離の地魔法であれをふっ飛ばすから」
「エミリアって言ったよな? あんたその後はどうすんだ。武器の一つも持ってないで」
エミリアは後ろ腰から折りたたみナイフを取り出し、手首で振り回すようにして刃を露出させた。
「幼体の処理くらいならこれでもできるでしょ。親が出てきたら誰かなんとかしてね」
方針は決まった。エミリアを中心に左右に別れ、塊に向かって進む。
地魔法の射程距離は15メルテ。
急がなければそのうちムカデの牙が魔石を傷つけてしまいかねない。
人間が触れていない状態で魔石が傷つけられれば、誰の成長素になることも無く『砂化』してしまうのだ。
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