第142話 水浴び
修理を終えた靴を履いて、翌日の午後にイリアはカナトの家を訪れた。
話があると言ったら、橋を渡り下町地域も抜け、なんと15キーメルテも西にある丘陵地帯に連れて行かれた。
天然魔境でも人工管理魔境でもなく、昔石炭が取れたという鉱山の跡地。
探すのは魔物ではなくウサギだ。山育ちのカナトにとって、標高200メルテ程度の高地を歩くのは苦労のうちに入らないらしい。
起伏の多い草原を1刻間うろうろと探し回ったが、どうやら諦めたようだった。なんでもウサギ狩りは獲物の移動した痕跡を探し出せなければ始まらないのだそうで、そのとっかかりが見つかるかどうかは運しだいだという。この日は付いていなかった。
沢を見つけて休憩をとる。沢の水は見るからにきれいで二人はそのまま手ですくって飲んだ。
「むしゃくしゃするなぁ。ひさしぶりに妹にウサギを食わせてやろうと思ったのに」
「……」
口元の水を手首で拭ってカナトがつぶやいた。
ウサギは小さく採れる肉が少ないので魔物肉に比べれば割高ではあるが、そこまで高いものでもない。一匹丸ごとで小銀貨2枚か3枚だろうか。
昨日靴を直した代金は前金と後金合わせて小銀貨5枚で、つまりは大銀貨1枚だ。もちろん必要不可欠の経費ではある。
それでもイリアの財布袋の中身にはまだ余裕があり、妹のためウサギが欲しいカナトに買ってあげることはできる。だがそれをすれば、カナトはもう仲間としてイリアの事を見てくれない気がした。
「ちょっと体動かそうぜ」
「ん?」
「稽古だよ稽古。魔物相手ばっかりじゃ腕が鈍るぜ。だいたい力任せになるからな」
「……わかった」
カナトは紐を解いて槍から穂先の包丁を外している。
イリアは短鉄棍しか持っていない。もちろん本気で殴ればレベルの近いカナトに大けがをさせてしまうので、手加減というか、稽古用の力で戦わなければいけない。
今イリアは鎧を着ていないので、穂先のついていない木柄で殴られてもきっとそれなりに痛い。なにしろカナトは武技系なのだから、密度の低い軽い木でもしっかり強靭化できる。
剣だけではなく、片手間だが槍を握った経験もイリアにはある。
カナトの構えは特に変わったところのない基本通りのもの。右手で木柄の後端を握り、左手は半ほど、下から支えるように持っている。
イリアは1メルテの短鉄棍を剣に近い持ち方で構えた。4キーラム半の武器を本当に剣のように振るうにはまだ腕力が足りないので、右手は左手からすこし離した所、重心に近い位置で握る。
そもそも武器の長さが倍違うのに、重さのために短く持たざるを得ない。
腰を落としたカナトが腹を狙って突き出してくるのを打ち払い、前に出ようとしたが、振り戻された木柄で膝を叩かれる。やはり異能で強靭化しているようで、金属の棒で殴られたように感じる。
だがそこは普段鎧の膝当てが守っている位置。穂先の位置でもないので実戦であれば有効な攻撃ではない。気にせずさらに前に出るイリアに対し、カナトは
木柄を手元に引いたカナトはそれを背中に回して体ごと反転。片足を伸ばしてしゃがみ込む、おかしな体勢で突き出された木柄の反対側が正確にイリアの顔に向かってくる。
のけぞって避け、仰向けに倒れるのをぎりぎりで踏みとどまった。立ち上がったカナトはその隙にまた距離を取る。
間合いは元に戻り、再び最初の位置関係になる。二人は改めて武器を構えた。
狩りの合間の休養日なので、くたくたに疲れるまでの稽古はしない。3分間ほどの攻防を4度繰り返した。
短鉄棍を防御的に使うことで決定的な攻撃は許さなかったが、やはり間合いの違いは大きい。まず短鉄棍が届く距離に入ることすら出来なかった。
カナトの槍の腕前は、足運びや間合いの維持の仕方。それに詰められてからの反撃手段の多彩さから見てもかなり熟達している。1年やそこらで身に着く武術ではない。
イリアも剣術に向いた軽い武器であればもう少し対抗できただろうが、それは言っても仕方がないことだった。
魔物など潜んでいるはずもない小さな沢で二人は水浴びをすることにした。
下穿き一枚になって飛び込んだ沢の水は冷たい。稽古で火照った体を冷ますのにはちょうど良かった。
カナトの体の浅黒い肌には、歳からは考えられないほど多くの傷跡があった。
「……そう言えば話ってなんだったんだ?」
「え?」
「いや、何か話があるって訪ねてきたんだろ」
「ああ、そのこと。実は、明日の狩りなんだけど……」
昨日の夕刻。靴を受け取りに『喫茶・軽食アプリコス』を出ようとしたとき、エミリアから昼頃に学園正門前の茶屋に来るよう言われた。
そして今日、約束通りに行ってみると昼休みで構内から出てきたエミリアが果物をたくさん使った焼き菓子を食べていた。
イリアも同じものを食べながら話を聞いたところでは、師である歴史学教授賢者のユリウスは
ただ一言、「まやかしかどうかは自分で確かめればわかる」と言われたそうだ。
「——というわけで、その【賢者】の子を狩りに参加させてほしい」
「なんだ? 見姑の力を疑うのか?」
「疑うというか、本当に初めて聞いたことで信じる
「どっちだろうとカスターのひい婆さんに診てもらうってことは、またカスターを狩りに連れてくってことだ。ケヅメドリが獲れればあいつも役に立つが、山分けだから一人分の収入は増えなかっただろ。その上もう一人加えるなんて冗談じゃないぜ」
「カスターの方はともかく、その子の分は要らないというか、最悪俺の取り分から分けるからさ」
「……まあ、それならいいんだが……」
いちおう聞いてみたが、カスターの氏族『塩山の民』と狩りで協力した者でなければ見姑に診てもらうことはやはり無理だという。謎の異能を目の前で見るにはエミリア自身も参加するしかない。
体も冷えたので沢から上がる。肌着で肌の水けを拭き取り、お互い背中を向けて下穿きも脱いで絞った。
濡れた衣服を武器に引っ掛けて帰り道を駆ける。イリアは綿服を、カナトは麻服を直接素肌に身に着けている。隙間から入り込む風が涼しかった。
「なんかさっきのオレ、金に汚すぎて嫌な奴みたいだったな」
「いや、別にそうは思わない」
「わるいな。金を貯めなきゃいけない事情があるんだ」
「……それってアヤさんのことか」
「ああ。妹は生まれつき体が弱い。特に手足の力が弱弱しくて、このままじゃまともには生きられないだろう」
駆けながらカナトは話をつづけた。
驚いたことに、スダータタルには『
1日3回魂起こしをしたとしても、年に1000人余りしかアビリティーを得られないという事。実際はそれよりも少なく、魂起こしを受けられるのは身長が17デーメルテを超えた男子か、偉大な功績を上げた戦士の実子のみ。
カナトたち兄妹の両親は亡くなっていて、母親はアビリティーを持たない
「チルカナジアは良いところだ。金さえ払えばアール教会は違う信仰の俺たちにも魂起こしをかけてくれる。アビリティーさえ得られれば、アヤも自分の力で生きて行けるようになるだろ?」
「なるほど」
「なるべく急ぎたいんだが、こっちじゃ14歳まで魂起こしは受けられないらしいからな。まあ、だからあと2年の間に金貨2枚貯めなきゃいけない。2年もあるから、きっとなんとかなる」
金貨2枚と聞いてイリアは不思議に思った。イリアもアール教教会で魂起こしを受けたが、その時父ギュスターブが支払った金額はその半分だったはず。
旧市街中にあるという『
王都の近隣のアール村では割高なのかもしれない。故郷の隣町のグラリーサにアヤを連れて行けば、旅費を差っ引いても多少節約になるのではないか。
ともかく、いずれにしろあと2年あるのなら目標は十分達成できそうだ。
「2年って事は、アヤさんは今12歳なのか」
「そうだ、オレのひとつ下だ」
「……ひとつ下?」
スダータタルではチルカナジアの慣習と違い身長が17デーメルテに達すると魂起こしを受けられる。イリアより拳一つ背の高いカナトは、年下の13歳だった。
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