第127話 届け物
頭を切り飛ばされても顕現体の炎の大蛇は死ぬわけではないようだ。バイジスの背後でゆっくりと首を横に振り、失われた頭部がまた生えてきている。
その分なのか、いやそれ以上に、橙色の炎で構成された体全体がさっきより一回り小さくなっている。
炎は燃料を消費しながら燃えるものであって、時間と共に燃え尽きるのは当然だ。
右から横なぎ。反回転させて下から突き上げ、一歩踏み込んでの上段打ち下ろし。イリアの鉄棒の攻撃は全てバイジスの回転盤で防がれる。そのたびに二つの武器の接触点から火花が散って、闇夜に二人の顔が浮かび上がった。
とうとう鉄棒の片方の先端が切れて落ちた。
たとえ高速回転していようが鉄で鉄を切ることは出来ない。バイジスの回転盤の縁部には鉄より硬い何かが埋め込まれているとみて間違いない。
首を狙ってきた横からの攻撃を鉄棒で防ぐ。火花が顔に降り注ぐ。
8本の脚を素早く動かし、橋板の上を這い進んだ顕現体がバイジスの足にとりつく。そのまま全身を取り巻いて燃え上がらせた。
バイジスは悲鳴を上げ、イリアの反撃の突きに合わせるように後ろに飛び退くと倒れて転がりまわった。
ジゼルの使う火・風複合精霊魔法は十分な『耐久』を持った相手でも致命傷を与えられる。いつかエミリアも言っていたが、そのはずである。
「やっぱり卑怯だろうが! 2対1はよぉおおおお!!」
転がることで火を消したバイジスが立ち上がりながら叫んだ。
顕現精霊魔法の炎は持続時間こそ長いようだが、そこまで高温を出せないようだ。最初にジゼルが言った通り、躊躇なく人間の命を奪い去るための魔法ではないのだ。
「イリア……」
後ろからジゼルの声がする。顕現精霊を操っている間、意識が無くなったりするのかと思ったが違ったらしい。
「判断を、間違えました…… ですが、新たに魔法を使うマナが、残っていません……」
「……はい」
こんなことなら『
イリアの隣にはバイジスの衣服を燃料にして元の大きさに戻った顕現体が鎌首をもたげている。燃料さえ追加し続ければ永久に出しっぱなしにできるわけでもないはずだ。そのうちにバイジスの仲間が背後からやってくる恐れもある。
時間をかければ敗北に近づくのは自分たちの方だ。
回転盤を振りかざしつつ、イリア同様に半裸となったバイジスが迫る。応じるようにイリアも瞬発力で前に出た。ジゼルの操る顕現体も並走する。
少し短くなった鉄棒の後端を持ち、槍のように突き出す。回転盤によってはじかれる。イリアは立ち止まることなくそのまま跳び上がり、空中で両足を伸ばしてバイジスに蹴りつけた。
胸で受け止めたバイジス。後ろに一歩下がっただけで耐えたが、そこに炎の大蛇が追撃。突進をかろうじて避けたバイジスは回転盤を横なぎ。
顕現体の胴体は両断され、上半身が煙になって消えた。
その間に立ち上がったイリア。下からすくい上げるように鉄棒を振るう。股間に叩き込む。命中。
バイジスはそれを意に介さなかった。
「嘘だろっ!」
同じ男性として信じられない反応。至近距離に肉薄され、回転盤が左脇腹に迫る。
引き戻した鉄棒で防ぐ。火花が噴き出し、唯一の武器が見る見るうちに切断されていく。
チュインッというような音がして鉄棒の後端が切れ飛んでいくと同時に、左前腕、肘の近くに激痛が走る。
偶然か、それともジゼルの故意なのか。分からないが、鉄棒が切断されて火花が消えるのに合わせるように、顕現体もまた消え去った。
それまで常に炎によって照らされていた戦場に暗闇がもたらされ、誰もが視界を失う。
イリアは文字通り闇雲に、痛みに耐えて奥歯を噛み締めながら鉄棒を全力で振るった。
「ぐっ」という声と共に、何かに当たった感触。
今夜の月は既に西の地平線の向こう。光源は空の星々のみ。明るさに慣れた目にはまだ何も見えず、聞こえるのはバイジスの武器が回転する風切り音のみ。イリアはそこに向かってもう一度、かまえも何もなく全力で鉄棒を振った。
パキッという音。何かを折った感触。バイジスの悲鳴。
小さな炎がイリアの背後から飛んできた。誰に当たるでもなくそのまま飛んで通り過ぎたが、その一瞬、照らし出された光景でイリアは何が起きたかを理解した。
バイジスの右手中指が折れておかしな方向に曲がっている。
そして指から外れた回転盤は落下し、バイジスの右足の甲に当たったらしい。赤黒い血が飛び散っていた。
イリアの左肘はいまだかつて経験したことが無い激痛を脳に伝えてきている。骨まで削り取られたのではないか。
怪我の程度はそう違わないだろう。むしろレベルのずっと低いイリアの方が重いのではないか。それなのにバイジスは情けない泣き声を出して、右足を押さえるような姿勢でうずくまっている。
丸出しの後頭部にむけて、9デーメルテほどに短くなってしまった鉄棒を怒りのまま全力で振り下ろした。
鉄棒はバイジスの頭の形に変形し、半裸の男はそれを頭蓋に巻き付けたままで橋の上に全身を伸ばした。
「——ということがあったわけです」
ハインリヒ商会王都支店の自分に貸し与えられた部屋の寝台の上、イリアは目の前に居る女性に4日前の晩に起きた出来事を話し終えた。
「すげぇ矢場かったんだな。それでその怪我で済んだならまだ軽いもんだわ」
「軽くないですよ。薬なしだと痛くて夜も眠れないです」
寝台横で椅子に座っているカミーラは私服姿だった。イリアの伝言でジゼル一家の危機を知り、駆け付けてくれたはいいが4日遅かった。
イリアの左ひじの怪我は本当に骨まで達しており、当然だが皮膚も無残に切り裂かれ、表皮が治るのにも最低10日かかる。折れたわけではなく、前腕骨が一部欠けただけなので骨接ぎは要らない様だ。傷がふさがればいずれ元に戻るのだと医者は言っている。
バイジスを昏倒させた後。マナ切れに近い状態でふらふらのまま、ジゼルは傷の応急処置をしてくれた。寝間着の一部をちぎり取って傷をぐるぐる巻きにしただけではあったが。
そのまま橋の上を西に。痛みで意識がもうろうとするイリアと、ふらふらのジゼルはなんとか駆け抜けた。
西岸にたどり着くと巡回の警士に行き会い、事情を話したらすぐに一人が橋へ、もう一人が応援を呼びに去った。
鋭い刃物で切られた傷と違ってイリアの怪我は出血が少なく、失血死の恐れは無かったわけだが痛みはひどく、その辺りからイリア自身の記憶はない。
後から聞いた話ではあるが、バイジスは気絶したままで確保され、警士隊西岸地区分隊から王都守備隊に引き渡され、現在裁判を待って拘留中であるらしい。
壁外地域にあるバイジスの店を中心に、今回の事件に関わった者の捜査がされている。捜査は警士隊新市街分隊の管轄なのだが、やはり壁外のことを十分に管理できないのは王都でも同じらしい。
放火をした者も、ジゼルを攫ったヤモリと太った男も、どちらも逮捕されることは無かった。バイジス以外に逮捕されたのは新市街分隊で門衛を担当していた警士の一人だけだった。
ただ、事件から3日目の朝、燃えてしまった内装を改修中の店に届け物があった。
差出人は不明。二本の鋸刃の短剣とバイジスの回転盤とともに、1枚の便箋が添えられていて、『カツラの返却は不要』とだけ書いてあった。
イリアはそれを見たことで、ヤモリらによる復讐などの心配を今のところせずに済んでいる。
カルロッタがやって来て皿に盛られた森ブドウを寝台横の茶卓に置いて行った。
一度に数粒ずつ口に放り込んでいるカミーラは、下半身がスカートになっている上下つながりの服を着ている。大きな髪留めで前髪を持ち上げて後ろに流していて、保全隊の任務中とは印象が大きく違う。
「カミーラさんって氷造魔法使えますか?」
「『
そういうことならもう用はない。鎮痛剤を飲む時間である。
『氷結』の呪文をマルク隊長に教わることが可能かどうか、伝言を頼んで帰ってもらうことにした。
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