第128話 遊ぶ金

 骨が元に戻るにはそれなりに期間がかかるわけだが、10日あれば表面的な傷は塞がる。

 療養5日目には痛みも引いてきた。寝台を出て生活し、6日目に不潔感に耐えられなくなり入浴させてもらった。傷口を湯につけなければ問題は無い。

 体を動かさなければ衰えていく。あまり広くない部屋の中で短鉄棍を振り回したり、膝を屈伸したりして、筋肉を維持しようとイリアは頑張った。

 鎮痛剤を飲まなくなってからは精神的な退屈にさいなまれた。

 ジゼルが書店から借りてきてくれた暗号遊戯の本が無ければ耐えられなかったかもしれない。



 療養生活9日目。朝食を食べ終えて部屋に戻り、最後の暗号を解こうと覚書き帳に自己流の数式もどきを書き込んでいたら、開け放している戸口からニコが顔を出した。


「よ、イリア。最近女出入りが激しいな」

「なんですか?」

「赤い髪の子が見舞いに来てるぞ」


 ニコが去った少し後になって、ジゼルに案内されてエミリアがやって来た。

 8月も残り4日となり少し涼しくなったせいか、薄手の上着を羽織ったエミリアの格好は前より少し女性らしい。


「そんな風に起きてて平気なの? 腕の骨を無くしちゃったって聞いたけど」

「どこでそんな話を。ほんの少し欠けただけだけだよ」


 エミリアがスカートの物入れから紙片を取り出し、渡してきた。開いてみると新聞の切り抜きのようだ。今度の事件について小さな記事が書かれている。

 新市街の大手陶器卸商の店舗に賊が押し入り、店主夫妻の一人娘がさらわれそうになったところを下宿人の少年が阻止。犯人との死闘の末に腕の骨を失ったと書いてある。


「新聞に出ちゃったんだな。名前とか書いてないからまあ、いいんだけど。目立つのは困るよ実際」

「……」

「医者から話が漏れたとかかな。間違って伝わったのか、それともわざと? 誇張が過ぎるよ、新聞ってこういうもの?」

「……」


 エミリアが黙って見ている。眉間に皺を寄せ、目を見開き口を堅く結んでいる。


「……なに?」

「レベルが一つ上がってるわよね」

「うん」

「……つまり、手加減無しの相手なら、死闘って言えるくらいの戦いなら人間相手でも、ってこと?」

「……。 あっ!」


 あまり明確な動機もなく、なんとは無しにレベルを上げたせいで誤解が生じてしまっている。イリアがレベル8になったのは、バイジスとの戦いの一日前の昼だ。

 余計なことをしたと一瞬思ったが、バイジス戦がぎりぎりの勝利だったことを考えれば上げておいてよかったとも思える。

 とにかく誤解を解くため、事実を繰り返し説明した。

 「証拠があるか」と聞かれたので、球蟲たまむしの湿原を去る際に会った嫌味な役人を思い出す。確定証拠ではないが状況的に証人になり得ると気づき、その容姿を丁寧に説明する。



「……わかった、もういいわ。そこまで言うなら本当なんでしょうよ」

「さすがにしつこすぎないか…… なんでそんなに人食いアビリティーにこだわるんだよ……」

「……ウーフってアール教徒?」

「ん? いや、違うけど」


 イリアは魂起たまおこしをアール教会で受けているが信徒ではない。そもそもどんな宗教もあまり信仰していないが、しいて言うならば伝統的精霊信仰の考え方が一番腑に落ちる気がする。


 アール教は人間の魂を実体のあるものと捉え、それがアビリティーと本質的に同じものだと考えている。だからアビリティーが発現する人間にのみ魂が存在し、それを司るアール神こそが最高の神であり、現世とは違う高い階層世界に住んでいて正しく生きた人間を死後に導く。そんな価値観だったと思われる。

 ハンナが言っていた事ではないが、イリアは魔物の「仮性アビリティーよう構造」が必ずしも人間のアビリティーと異質な物とは思っておらず、そうであるならば人間の精神の本質が魂、すなわちアビリティーだとは思えない。

 アビリティーも仮性アビリティー様構造も持たない家畜にだって未熟な精神はあるように思う。自然界に人間には理解できない意思が満ちていると考える精霊信仰の思想の方が、イリアの現実認識に近かった。


「エミリアはアール教徒なの?」

「私はそのつもりはないし、魂起こしも旧市街にある『覚器オキィリティア・テナ』でうけたわ。けど両親はアール教徒」

「そうなんだ」

「まあつまり、宗教的な問題も絡むのよ。面倒くさい話だから、今度機会があったら説明してあげるから、それでいい?」

「うん」




 包帯を取って治りかけの傷を見せ、骨がへこんでいる所を確認させたらまるで自分も痛みを感じているような顔をした。

 授業は無いのかと聞いたら今日は日曜日だったらしい。「お大事に」との言葉を残してエミリアは帰った。


 帰った後になってジゼルがお茶を運んできた。もうエミリアが居ないことに軽く憤慨している。普通お見舞いとは半刻以上滞在するべき、だそうだ。

 近頃ジゼルの機嫌はすこぶるよろしくない。


 今回の事件を受け、カルロッタは店の改修が済んでももう接客はしないと落ち込んでいた。実際カルロッタが店に出たことで、ジゼルの誘拐という大問題を招いたと言えなくもない。

 それに対し、不適正アビリティー保有者だからという理由でやりたいこともできず、夫婦仲まで拗れるというのは悲劇だ。ジゼルはそう言って泣いたらしい。

 結果、話の流れから。両親の不仲の根本原因が、ジゼルが幼児だった頃に起きたエルネストの浮気であることが暴露され、現在ジゼルは父親と口をきいていない。余りにバカらしいのでイリアはその問題に関知しないと決めている。


 ジゼルと一緒に茶を飲みながら、イリアはエミリアの言ったことを思い返していた。


『魂を司る偉大なるアールの神よ。大氾濫を試練と知り、人の子として御心に適う行いを誓います。悪に打ち勝つ力、アビリティーを我に与えたまえ』


 イリアが魂起こしを受ける際、教会で唱えさせられた文句である。

 アール教が成立した時代、世界の陸地のほとんどが魔境の森で覆われていて、人類の生存圏は小さく、ばらばらに散らばっていた。

 なのでこの文句における「試練」や「悪」とは、すなわち魔境の発生・浸食、そしてそこに住まう魔物の事だろう。

 アビリティーは魔物と戦い勝利するため神から人間に与えられた恩寵である、というのがアール教の教義の根本。魔物を狩ることでしか強くなれず、それ故に魔物と戦うことを宿命づけられる。それがアール教の考える正しい人間のあり方だ。


 それに反し、人と人とが争い殺し合い、神の御心に反する行為によって利益を得る。

 「人対魔物」という、正と悪の関係を根本から否定する存在。それが「人食いアビリティー」だ。宗教が絡むというならそういうことだろう。


 普通に流通する本には記載がなく、ハンナ以外のまともな大人の口からは聞いたことも無い。

 忌避され覆い隠される人食いアビリティーと【不殺(仮)】は、その実態が正反対でありながら、魔石以外から成長素を摂るという意味では同じ類型でもある。

 学者になる気は無いのでそういう面倒なことをあまり考えたくなかったが、エミリアのせいでまた自分と関連付けられてしまった。

 イリアは寝台の上にあおむけに寝て、右手で上唇をつまみながら少しの間考えた。





「機会があればって言ったけど、昨日の今日なわけ?」

「だって気になったから」


 療養10日目であるが、9日だろうと10日だろうと大差は無いだろう。

 イリアは朝早くからエミリアの家である『喫茶・軽食アプリコス』を訪ねた。

 部屋着で玄関に出てきたエミリアのレンズ越しに見える目はまだ眠そうだ。


「今日は火曜日で、授業があるんだけど?」

「うん。だから出かける前に捕まえなきゃと思って、早く来た」

「……じゃあ午後。7刻の終わりごろに正門前に来て。勝手に構内に入らないでね、問題になるから」

「わかった」


 店を去る際、通りに面した窓からエミリアの兄が妹に脇腹を殴られている光景が垣間見えた。何か喧嘩でもしているのだろうか。


 7刻まではまだ半日ある。一度新市街に帰った方がいい気もするが、久しぶりに外の空気を吸って気持ちの高揚したイリアは、そのまま下町地域を散策することにした。

 マルゴットの贈り物のうち鋸刃の短剣2本を売り払って、財布袋の中身にはいくらか遊ぶ金が残っている。

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