第126話 廻旋
バイジスが立ち止まった。魔法というのは意外に射程距離が短い。最大級のものでも20メルテ程度。
異様に肩幅の広い長身の男はその間合いの外側で立ち止まった。
「カルロッタの娘! たしかジゼルと言ったよな? 歳はいくつになるんだ?」
これだけ離れていては普通の大きさの声は通らない。バイジスの声量は体格に見合って大きいが、
「16か17ってところか? 私の眼は確かだから、間違いないだろう? それでその背丈ではダメだな、ちんちくりんの父親の悪い部分を継いだと見える」
ジゼルがイリアの裸の右肩を後ろから掴んできた。敵から目を離さないようにして意識だけ後ろに向ける。
「イリア、あなたにあの男の命を絶つ覚悟はありますか?」
「えっと……」
「急に言われても難しいはず。わたくしも同じです。なので、それでも戦える魔法を使いますから、発動まで守ってください」
頷いたことで肯定の意思は伝わったはずだ。視界の右端、しゃがみ込んだジゼルの姿が見える。右手の炎を橋の欄干もどきの小さな柵に燃え移らせると、ジゼルは呪文を唱え始めた。
「——その点! 君の母親は、ほんっ、とうに素晴らしい! あの地母神のごとき豊かな肉体!
でかい声で何かよくわからないセリフを叫び続けている。それよりも隣りのジゼルが唱えている呪文だ。
『モタティ デ ジム ヤクィモマム ティンタフィオムル ディ
精霊言語的な発音ではあるが、何を唱えているのかまるで分らない。
イリアの知る魔法の呪文は基本的に精霊の名を呼ぶ「召名句」とマナを捧げる「奉納句」から始まるのだが、ジゼルの唱えているのは、どこからどこまでが一句なのかもよくわからない上に、精霊名の単語までが長い。
そもそも複合精霊魔法であれば唱える際、より相性の悪い精霊への呪文を発声詠唱するはずで、【火の導師】たるジゼルが火精霊への呪文を声に出しているのがおかしい。
「カルロッタこそは! 私の母になってくれるべき人だ。赤毛のブタにはふさわしくない。そうだろう? 君だって分かっているはずだ、そう思うだろう! ジゼル!」
敵から見た場合、ジゼルが明らかに何か大きな魔法の準備をしていて、防ぐためには前に出てそれを止めなければいけない。解っているはずなのだが、バイジスは突っ立ったままでセリフを吐き続けている。空に向かって顔を上げ、こちらを見てさえいない。
左手を口に当てて何か咥え、咥えている物が3秒ほど赤く光る。
そしてバイジスは大量の煙を吐き出した。
『——ヤーイーン ロボン ボーレ ランツ ジェマナ ウェイタ ムポスティ モタテル ジェアール マーカミサーリ!』
ジゼルが長すぎる呪文を唱え終わった。ロウマンから借りた『魔法基礎・
『導師系』アビリティーの魔法使いが最も得意とする古い魔法体系。
通常、長期間の訓練なしには成し得ない精霊との意思疎通。それを最初から可能とする異能、≪精霊伝心≫により行使される「随意操作性顕現精霊魔法」。
ジゼルが右手で掴んでいた橋の欄干が数メルテの長さにわたって燃え上がる。
星明りをかき消す明るさで現れたのは、生き物の形をした、赤く燃え上がる火精霊の顕現体である。
顕現体の形はほぼ蛇に近いが、胴の側面から両生類のような形態の短い脚が8本生えて、その足裏が接触している橋板は焦げ臭い煙を立てている。
座ったままのジゼルは目を半開きにし、首を傾けてまるで眠っているようだ。その右腕に大蛇の尾が繋がり、魔法だと知らなければやけどを心配しているところである。
炎の大蛇は体をよじらせ、イリアの顔を覗き込むように振り返った。口と思われる部分から、舌と思われる細い炎がひゅるりと飛び出す。「行くぞ」と言っているようだ。
「そうかぁ。やっぱり、いう事を聞かないかぁ。大人しく母親と私の関係に協力するのなら、店で働かせるのは勘弁してやろうかと思ったのになぁ!!」
忌まわしいセリフを吐いたバイジス目掛けて顕現体が飛び出す。と思ったら一度橋板の下に潜り込み、左側から再び躍り出ると、そこにあった欄干を飲み込み燃やし尽くし、体格をさらに少し増した。
炎の大蛇に合わせるよう、鉄棒を構えてイリアも走り出す。バイジスは動かず、体を斜めに傾けてこちらを睨みつけ、また左手の何かを咥えて煙を吸い込み、吐き出した。
大蛇が足元に噛みつくようにしてバイジスに躍りかかる。バイジスは避けると同時にこちらへはね跳んだ。
炎で形成された顕現体に対し、殴る蹴るの攻撃が通用するとは思えない。普通に考えれば、火事の火を消す場合と同じく魔法で対処すべきと思うのだがバイジスはそうしない。解決策はもう一つ、単純なものがある。
魔法行使者が倒されれば顕現体も消える。イリアの役目はジゼルを守りつつ、顕現体と共闘することだ。
ジゼルを5メルテ後方に、前進したイリアの鉄棒が着地するバイジスの足元を横に薙いだ。当たりはしたものの、手ごたえが良くない。転ばせることは出来なかった。多少は体勢を崩すことに成功したらしく、バイジスは橋板の上でよろめいてから着地。炎の大蛇がその背後に迫る。
使い慣れた短鉄棍より長い鉄棒を振り回し、大きく回転させ頭部を狙った。
バイジスは左腕でそれを防ぐ。炎の大蛇は丸太ほどもある胴体をしならせると、右側から頭部をぶつけ、ごうごうと燃え上がる炎の音と共にバイジスの体を吹き飛ばした。
幅2メルテ足らずしかない木橋からバイジスは脚を滑らせ落下。したと思ったが手が橋板の端を掴んでいる。イリアは上段に鉄棒を振りかぶった。
攻撃を防がれたときに感じたが、やはり武器として鍛えられた短鉄棍と、馬車の客室の支柱だった鉄棒では鋼の質が違うらしい。ぶつかった部分がぐにゃりと曲がり、衝撃力が十分伝わっていない。
その曲がった鉄棒をバイジスのぶら下がる右手目掛けて振り下ろす。ぶつかる寸前にひっこみ、離れた位置に左手が表れ、片腕の腕力だけで自分を持ち上げバイジスが橋上に復帰した。右半身の服が燃え落ちている。
「乱暴だな、女装癖! お前とは気が合うと思ったんだが!」
「誰がだ!」
更に曲がってしまった鉄棒を左上から打ち付ける。金属と金属がぶつかる音。
何かと思えばバイジスは鍋蓋ほどの丸い鉄板を盾のようにしてイリアの攻撃を防いだようだ。
いつの間に取り出したのか分からない。背中にでも隠していたのだろうか。
絹布を爪でこすり上げるような異音が聞こえる。
バイジスが体を大きく回転させ、その長い腕を背後に振る。
鉄板で顕現体の頭部が切り付けられた。下あごだけを残して切り離された頭部は煙を残してふっと消えさった。
「火魔法は私も使う。魔法行使者と繋がっていない炎はただの燃えている気体。顕現精霊魔法と言えども、切ればそこから先は死ぬ」
上段から振り下ろした鉄棒が鉄板に防がれた。面ではなく縁に接触。ガガガと音がして火花が散り、イリアの武器は横にはじかれた。
絹布をこするような音はバイジスの円形の武器から鳴っていた。その音が徐々に高くなっていく。
「念動系異能≪廻旋≫だよ。つまらない異能も工夫次第で武器になるのさ」
バイジスは中指一本を鉄板にはめている。
そこを中心として水平に高速回転する鉄板。その縁部は炎の光を反射し、橙色にまぶしく輝いていた。
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