第125話 鉄骨
アビリティーを得て3年未満。レベルは大人とみなされる20より4つも下。
しかし魔法型ステータス構成による十分な『マナ操作』と本人の優れた資質によって、ジゼルの複合精霊魔法は高度に制御されている。
仰向けのイリアと、その上に覆いかぶさるようにしたジゼルには『
床板を残して側面も屋根も、座席の背もたれも吹き飛んだ馬車の周りは、土煙なのかなんなのか、夜の闇と相まってほとんど何も見えない。
ジゼルが起き上がってイリアの手を引いた。それに従って一緒に飛び降りる。
馬車を曳いていたと思われる馬が倒れている。
爆風に加えて至近距離から破片にさらされた馬は致命傷を負っているかもしれない。家畜に罪はなく、可哀相だとは思うがいたしかたない。
だが人間はアビリティーによって守られている。馬と同じように肉と皮で構成されている体も、レベル20なら二倍、40なら3倍の強靭さを持っていると考えてよい。
『焦撃波』の殺傷力は高くない。爆発の近くに居て吹っ飛んだヤモリにも大きな怪我は与えていないだろう。離れていたバイジスはなおさらだ。
ここがどこなのかが分からないが、始めてしまった以上は逃げ切るしかない。
正しい逃げ道がどこなのか分からないが、ジゼルに従ってただ真っ直ぐ、足音を殺して走り抜ける。と思ったらジゼルが立ち止まり、その後頭部にイリアは鼻をぶつけてしまった。
何事かと思ったがジゼルは地面の何か拾い上げてまた走り出した。
土煙が立っていない場所まで走り抜け、イリアは空を見上げた。
「北星があっちに見えます。たぶん南西の方角に向かってます」
まだ自分の声の聞こえ方がおかしい。おそらくジゼルも同様だろう。言ったことが伝わったかどうかわからない。ジゼルが後ろ手に何か手渡してきた。
それは鉄の棒だった。イリアの短鉄棍に比べて細く、より長いのに重さは6、7割程度。そんなものが道端にたまたま落ちているはずはなく、おそらくは馬車の客室の支柱として使われていた鉄骨と思われる。
幅の狭い排水溝につまづいて危うく転びそうになる。排水溝の側面は木の板だ。ジゼルが建物の壁に行く手を遮られている。
その手にごく小さな、ロウソクを
火魔法は燃料になるものが無ければ使えないわけだが、ジゼルは寝間着の一部をちぎり取って燃やしているらしい。
「多分わたくしたちは壁外の南側に居ます。このまま南西に進んで、アクラ川に出ましょう」
顔を近づければ小声でも何を言っているか分かるようになった。イリアは一応頷いたが、姉弟子の意図が今一つわからない。
時刻は深夜。おそらく夜の8刻あたり。
『焦撃波』の爆音はこの辺りにも届いていたはずだが、周囲の家屋から「なにごとか」と人が出てくる気配がない。
こんなことが日常茶飯事ということは無いと思われるのに、反応が無いのはいたって不気味だ。壁外住人の気質が分からず、大声を上げて助けを求める気にならない。
それはそうなのだが、逃げるなら北ではないのか。北に向かえば東岸新市街に戻れるはずなのだ。
まるで都市計画など存在しないかのように、ばらばらに、不揃いに建ち並ぶ建物。ジゼルの手のひらの小さな炎が照らし出す家屋の輪郭は不規則に折れ曲がっている。
20軒に一軒ほどだろうか、中から照明の光がこぼれ出ている。ガラス窓は少なく、外窓は木の板だ。夏だからか半開きになっていることが多い。
ジゼルが燃え尽きた照明魔法をもう一度点けるため寝間着の一部をちぎり取ろうとしているので、イリアは自分の着ているのを脱いで手渡した。下穿き一枚のほぼ全裸という状態になってしまったが、姉弟子の衣服が小さくなっていくよりマシだし、女物の寝間着をいつまでも着ているほうが恥ずかしい気もする。
建物と建物の間を縫うようにして走り続けること5分程。裸足で足音がしづらいのはいいことかもしれない。今のところ追手の気配は感じられない。
全力に近い速度で走り続け、荒い呼吸音のほうがうるさく感じられ、息を整えるために狭い路地に二人で
「アクラ川にでてどうするんです? というか、なんで新市街に逃げないんですか?」
「門衛の警士が信用できませんし、そもそも、あの場にいた数人の誰一人に対しても、わたくしたちの逃げ足では逃げ切れません。そうですね?」
「はい」
「だとすれば、裏をかくしかありません。向こうが思いもよらないところから、この壁外地域を抜け出なければいけないのです」
「泳ぐわけじゃないですよね? 俺、水泳は出来ません」
「わたくしも泳げません。そうではなく、『農民橋』を渡ります」
「……ああ!」
アクラ川の2本の大橋の間には、細い木造の橋が一本架かっているはずなのだ。そこから下町地域に渡ってしまえば治安はまともであり、住民も信頼できるはずだ。エミリアの家もある。
納得し、息が整ったので移動を再開する。
時折星を見て方角を確認しながら10分ほど。建物がほとんどなくなり、視線を遮るものが無いのでジゼルは照明魔法を消している。星明りでなんとか農道の存在が見えるので、周囲の畑に突っ込んでいってしまうことは無い。
用水路やため池などがあるようで、カエルの鳴き声が聞こえてくる。もちろん大アマガエルなど魔物のカエルではなく、手のひらに乗るくらいの小さなカエルの可愛らしい声だ。
深夜の街中は静かなようでも、気づかない程度の小さな音、例えば人の寝息や寝返りの衣擦れ。そう言った音が幾千も入り乱れて実はうるさいのだという。
それを証明するように、カエルや虫の鳴き声が聞こえるにもかかわらず、さっきまで聞こえなかった自分たちの足音がわかる。ヒタヒタと鳴るそれを誰かに聞かれているのではないか、今にも後ろから大声で呼び止められるのではないかと、不安が心臓を高鳴らせる。
隣りを走るジゼルの手に急に大きく火がともった。大きくと言っても拳大程度。
「見えましたわ」
明るさに目が慣れると、音もなく滔々と流れる川面上、一本の陰が直線を描いているのが見えた。
聞いていた通り『農民橋』は細い橋だった。中型の荷車ならすれ違えなくなるくらい。不便ではないのかと思うが、朝に畑に向かい日が暮れる前に家へと帰る生活ならすれ違いが起きることが無いのかもしれない。
橋脚も木製のようだ。少なくとも水上に出ている範囲ではそう。
真っ直ぐな太い丸太が2本一揃いでアクラ川に突き刺さり、それが無数に、川幅から考えるときっと200以上は並んでいる。
橋脚の上に基礎となる梁が構築され、上に製材された橋板が並べて固定されている。
欄干のような物もあるにはあるが、細く貧弱で膝丈ほどしか高さがなく、落下防止の役に立っていると思えない。飾りのような物だ。
「ここまでくればもう安心ですよね。追手も見えません」
「そうですわね」
足音を消す試みはもうしていない。板の上を走っているのでどうしてもドカドカと音が鳴る。それならばいっそのことと開き直って、1キーメルテの橋を一気に、全速力で渡ってしまうことにした。3分もあれば西岸に着く。
農民橋の、ちょうど真ん中辺り。
ジゼルが立ち止まる。その意図を問うまでも無く、イリアも立ち止まる。
青白く光る星空を背景に人影が立ち上がった。距離にして、約数十メルテ。
ジゼルが再び拳大の照明魔法を燃え上がらせた。
「クソッ……!」
「……一人みたいですわね」
足音を響かせて徐々に近づいてくる。こんな時間にこの橋を渡る一般人がいるとは思えず、ほぼ間違いなく相手はバイジス一味の一人。
いや、特徴的な体形からしてバイジス本人だろう。
だとすれば『焦撃波』の直後から先回りし、待ち伏せていたとしか考えられない。レベル・ステータスの差、そして土地勘の差。移動能力の違いがあるので十分考えられることではある。
「逃げても追いつかれるのは間違いありませんわ」
「追手が来れば橋の上で挟み撃ちです」
「突破しましょう」
1メルテ半の細長い鉄棒は断面が丸い。六角柱状の短鉄棍と比べて手になじまない。だが現状、イリアにはこれしか武器がない。
発声詠唱か思考詠唱かに関わらず、魔法は呪文を唱えるのにある程度時間がかかる。なので瞬発的な戦闘において魔法使いはどうしても後れを取って負けてしまう。
集団戦における前衛戦士の古典的な役割は呪文を唱え終わるまでの間、魔法使いを守ることにある。
鉄棒を構えてイリアは前に出た。相手はもう20メルテの距離に迫っている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます