第124話 腹違い
ガタガタと揺れる車中では細長い灯壺を置いて使うことは難しいようだ。
ギョロ目の男は諦めたようにため息を吐いた。左手で灯壺を持ったまま、懐から鋸刃の短剣を取り出し、その右手を膝の上に置いた。
「……似てねえな」
上からイリアの顔を見下ろし、ジゼルの顔と見比べている。
はっきりとした目鼻立ちに、母親似の華奢な顎をしたジゼルに比べ、基本的に何の特徴も無いイリアの顔。血のつながりを感じさせるのは髪質やその色合いが似ていることくらいだが、イリアの方はカツラである。
「わたくしは、ジゼルお姉さまとは母親が違うのです……」
大きな布袋から顔だけ出し、半端に女の格好をして横たわっている自分の姿を想像すると、緊迫した状況にも関わらず笑いそうになる。
万一の場合、ジゼルを害するものを引きつける囮になろうとこんな格好をしていたわけだが、二人ともつかまってしまうという結果は予想外であった。とはいえ、あの場で関係のない居候と明かせば口封じの可能性もあったし、この状況にジゼルを一人きりにさせるより良かったような気もする。
「ってことは、カルロッタとは他人って事か。そりゃ結構だ、お前も一緒に
「どういう意味ですの?」
「だってそうだろ? あの年増にいうことを聞かせなきゃいけないのに、腹を痛めて生んだ娘を傷つけすぎると後々面倒だ。その点、お前ならどう痛めつけようが、悲しむのはエルネストのおっさんだけだ」
ジゼルの顔が怒りに歪んでいる。だが何も話さないというか、話せない。
自分の作り出した状況が複雑で、イリア自身も若干混乱している。
イリアが痛めつけられても、エルネストだってそう悲しまない。他人だからだ。
多少は義憤に燃えてくれるだろうが、血をわけた愛娘の場合とは感情の大きさの桁が違うだろう。
馬を操る声が聞こえ、馬車が速度を落とした。小さな窓には覆い布がかけられていて外が見えない。だがここまで走って来た時間から考えると、もう東岸新市街の防壁際まで来ていておかしくない。
このまま壁外に連れ出されるのはどれくらいまずいのだろうか。抵抗を試みようにも袋詰めの状態では容易でない。
「いったい目的は何ですの。わたくしたちをどこへ連れて行くおつもりですの」
「なんかお前、年の割に声が低くないか?」
「夏風邪が治ったばかりなのです」
「そういや今流行ってんのは
馬車が動き出し、再び速度を上げ始めた。車輪の音が変化している。石畳ではなく、むき出しの土の路面を走る音だ。
「正直な話、目的と言われてもな。バイジスの目論見は分かりづらいし、うまく行くかは知らんよ。俺は金を積まれて言われた通りにしただけだ」
「目論見とは?」
「たぶんこれから、お前らを餌にエルネストを呼び出して殺すんだろうな。それでバイジスがその後釜に納まる」
「バカげたことを!」
最後に叫んだのはジゼルだ。太った男に首を掴まれたせいで喉を怪我していないか心配だったが、声の調子はいつも通りである。
「エルネストは昔から頭が切れて商売上手だったんだろ? バイジスの言うには、ハインリヒ商会長は金のために娘をエルネストに売ったんだとか。夫婦仲はひどいもんで、子供も娘一人しか作らなかった。そんでおまけにあのおっさん、浮気相手の子供を同じ家に住まわせてたとは。これは予想外だったな」
「子供が少ないのはうちの家系ぜんぶがそうなだけです。お父さまとお母さまの関係は今よくありませんが、だからってそんな、悪党に心を許すようなお母さまではありませんっ!」
「俺に怒るなって。バイジスの野郎がそう妄想してるだけなのかもな。あれは少し頭がイカれてるから」
10分ほど走り続けて馬車は停止した。ギョロ目の男は窓の覆い布を引き開けて外を確認してから扉を開けた。
男が出て行ったので、イリアは袋詰めされたままで姿勢を変え、床の上に膝立ちになった。箱馬車の出入り口から二階建ての大きな建物が見え、深夜にもかかわらず各部屋の窓から明かりが漏れている。
その明りを背景に、真っ黒な影として立つ男。隣りに裸同然の女の姿が見える。
特徴的な広い肩幅。バイジスと思われる。
「あつっ!」
思わず地声で叫んでしまった。大袋の口を縛っていた紐か何かをジゼルが小さな火魔法で焼き切ったらしい。
魔法媒介として制御された炎は行使者の意図を外れて燃え広がったりはしない。カツラの一部がわずかに燃えただけで、火傷まではしていない。
ぞろっとした女物の寝間着姿で、裸足。イリアとジゼルは図らずもおそろいの格好になってしまった。
「なんだ? どういうことだ? 説明しろ、ヤモリ」
「どういうことかはこっちが聞きたいが、獲物が二倍になったんだからむしろ評価してもらいたいね」
「カルロッタの娘は一人だけのはずだ」
「まあその辺り、説明するからまず金を見せてくれ」
ギョロ目はヤモリと呼ばれているが、偽名というか通り名だろう。現象系アビリティーの【屋守】の保有者なのかもしれない。それなら異能で素早く壁をよじ登り、3階にあったジゼルの部屋に侵入することが可能だ。
もう一人の太った男は違うアビリティーだったようなので、綱か何かを用意して後から登らせたのだと思われる。
ヤモリが座席に置いていった灯壺が転がり落ちた。ガラス覆いは割れずに済んだが逆さになって火が消えてしまった。
ジゼルの首を絞めた、例の太った男が現れ、馬車の出入り口をふさいでしまった。客室の出入り口は進行方向の左側にしかない。
太った男の頭越しに、ヤモリの周りにさらに二人、男が集まっているのが見える。
放火をしたものがその中にいるのかもしれない。馬車と並走することくらい健康な大人であれば当たり前に可能だ。
ヤモリの説明が終わったのか、バイジスが近寄って来た。太った男よりも背の高いバイジスが、頭越しに中を覗きこむ。
建物からの光りでイリアたちの顔は向こうに見えているのだろうが、こちらからは表情が見えない。
「ヤモリ、お前の目は節穴か?」
「なんだ?」
「こっちの少し太い方、これがお前には女に見えるのか?」
「なに?」
「こいつはたぶん下宿してるとかいう小僧だ。人質の価値なんかない。余計な荷物を持ち込みやがって、責任を取って自分で処分してもらおうか」
バイジスと入れ替わるように、ヤモリが近寄ってきて太った男を横に除けた。
後退るイリア。背後のジゼルに密着する。
本来前後に一人ずつ乗るのが定員だろう車中はいたって狭い。ヤモリが左手を伸ばしてカツラを掴んできた。
「うわぁああああああああああああっ!!」
「うるせぇな!」
カツラを額と接合していた糊の部分がはがれ、それなりに痛い。後頭部の髪留めがはじけ飛び、カツラと繋がっていた自毛が何本も抜け、そちらの方がさらに痛い。
イリアは暴れ、ヤモリの腕をはねのける。頬を殴られた。3階からイリアを担いで飛び降りられるヤモリはバイジスより高レベルとみて間違いない。まだ手加減されている。
叫び続けるイリアのカツラが再び左手で捉えられ、鋸刃の短剣を取り出したヤモリはそれをイリアの喉元に突きつけてきた。
「やめろぉおおおおおお!!」
「その声、やっぱり風邪のせいじゃねえな、普通にオスのガキか!」
「ぎゃぁあああああああ!!」
「ちっ、薄暗い中よく一目で見分けられるもんだぜ。女衒野郎だけあって目だけは確かってわけか」
赤銅色のカツラがむしり取られ、イリアの真の姿が明らかになった。
「いやぁああああああああああ!!」
ヤモリは振り返り、確認を摂るようにバイジスの方を見た。
顎をしゃくって促す姿が陰になって見える。
またゆっくりと振り向いたヤモリの、ギョロリとした目だけが光って見えた。
「静かにして馬車から降りてくれりゃ、痛くないように殺してやる。ガキをいたぶる趣味はねえし、お前はなかなか勇敢だったからな」
イリアの叫び声にかき消されないよう、ヤモリも大きな声を張って話しかけてくる。イリアの懸命な欺瞞工作もさすがにこの辺りが限界のようで、後ろから鳴り響く高い風音を隠せなくなった。
寝間着の背中を引かれてイリアは後ろに倒れた。発声詠唱が可能になる最低限度の声量で魔法名が唱えられる。
『——
灯り壺本体の脂容器に指を突っ込んだジゼルの右手が目の前に伸びている。
その上に風巻く、気化した燃料と空気の混合物。圧縮され高圧の気体が透明ながら歪んだ球になって見える。
それは瞬間的に灼熱・さく裂すると、馬車の客室ごと、轟音と共に辺り一面を吹き飛ばした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます