第102話 自己鑑定
王都ナジアを貫いて流れるアクラ川。西岸と東岸を結ぶ第二大橋をイリアは渡っていた。
身なりの清潔感は最近で一番かもしれない。
昨日一日かけて旅の疲れを癒し、午後にはカルロッタに髪を切ってもらった。
襟のついた半そで綿服はエルネストに貸してもらったもので寸法は少しあっていないが、染み一つない仕立てのいいものだ。
腰に無刃の短剣だけを佩き、短鉄棍は持ってきていない。
荷物も手持ちの小さい革袋だけ。
革袋の中身は緩衝材のボロ布に包まれた5本の魔石剤の小瓶だ。
時刻は日の3刻辺りと思われるが、空一面の分厚い雲が太陽を覆い隠していて、正確なところは分からない。
というよりも。イリアは首都ナジアに来てまだ間もなく、方向感覚がいまいちつかめていない。なので晴れていたとしても太陽の位置から正確な時刻を掴むのは難しいかもしれない。
遠くに高い山でもあればそこを基準に方角を認識できるのだが、ナジア周辺はだだっ広い平野である。
空の暗さのせいか、アクラ川の水は前に見た時よりも青さが感じられず、灰色に近く見えた。
橋の通行者は多いが、皆が規律正しい。東から西へ、イリアと同じ方向に進む者は北側を、逆方向は南側を通っている。つまりは右側通行だ。
荷車や馬車も同様で、追い越されるときに声をかけられては端に避けねばならなかった。橋には胸の高さまである青銅製の欄干があるので、落っこちるという不安はない。
だんだんと近づいてくる西岸の風景。
イリアの目に見える河岸は大きな石が積み上げられて、いわゆる石垣になっている。その石垣の、橋を境にした北側だけがやけに立派で、防壁と言っていいほどの高さになっている。
第二大橋が水門になっていて大型の魔物を防いでいるという事だから、アクラ川の北側は天然の魔境水域ということになる。魔物が水の中だけに生息しているならいいのだが、哺乳類系や両生類系の「半水棲魔物」も生息していることだろう。そういうのが川から上がってこないようにするには、防壁と言っていい程の石堤が必要ということだ。
その石堤の向こう。王宮のある旧市街の、南東に付け足されるようにして、国立アビリティー学園本校の敷地がある。
アビリティー学園に通うには半年で金貨2枚の学費支払いが要る。これは本校に限らずどこの州の分校であっても一律同じであるそうだ。
どうせ同じ学費が掛かるのなら本校に通いたいというのが普通の価値観だと思うが、基本的に州をまたいで通うことは出来ない。
本校生の人数は5万人しかいないのだという。
アシオタル州は面積だけでなく人口も王国最大であり、ベルザモック州の約3.5倍、250万人ほどであるはずだ。当然、半大人の数も比例して多いはずで、ソキーラコバルの分校が3万人の生徒数だったのだから本校は10万いてもおかしくない。
そうなっていない理由は単純で、州の西端にあるセレンという大都市にも分校があるからだ。
西の友好国であるジェルムナ王国と接しているセレン地域は国の端っことはいえ田舎ではない。ジェルムナとの国際交流があるために、至って進歩的な地域であり、留学生も多いセレン分校のほうが生徒数は多いほどなのだとか。
第二大橋から直接つながる大通りが本校敷地の南側、塀沿いに走っている。大通りの南側には都会的な建物が建ち並ぶ。
そこは防壁に囲まれていない「下町地域」ということになるはずだった。下町地域の建物は階数こそ3階建てや二階建てだが、品格というか品質というか、東岸新市街とそれほど変わらないようにも見える。
食事処など学園生の需要に即した店が多いのは当然であるが、大盛無料などと記載された粗末な看板が道にはみ出したりしていなかった。
イリアはアビリティー学園本校の正門入り口に到着した。
ひっきりなしに自分と同年代の若者が出入りしているが、談笑しながら通り過ぎていく集団に話しかけるのは何となく遠慮してしまう。
相手が一人でも、自分より明らかに強そうな場合はやはり話しかけづらかった。そういう者にとってイリアの商品は役に立たない。
「あの、ちょっといいでしょうか」
「え何?」
薄い青色の法衣を羽織った女生徒に話しかけた。
「魔石剤を売ろうと思ってるんですけど、要りませんか?」
「魔石剤って、魔石を加工してある、あの魔石剤?」
「はい」
「そんな高価なもの買えないわ」
「いえ低級格のものなので、そんな高くじゃなくていいんです」
仮想レベル50の
イリアは袋を広げて中の商品を見せた。5本の小瓶の蓋に書いてある数字を見れば格が分かる。
3のもの、5のもの、6のものが二つに、8のものが一つだ。
「本当に低級格ね、初めて見たわ。残念だけど私はもうレベル13だから要らない」
「そうですか、わかりました」
女生徒は門扉の開け放たれた正門の中に歩き去った。レベル13ならば8の魔石剤は少し効くはずだが、確かに効率は悪い。
そこまでのレベルに見えなかったのだが、魔法型ステータス構成であれば身のこなしからは判断が付きづらい。
正門からは白い大きな石材が敷き詰められた広場が見える
。階段状になった石材の上に座って何か話している集団。武装を整えている隊も居る。今から近隣の人工管理魔境に向かうのだろう。
イリアはその後もレベルが高くなさそうな学園生を捕まえては魔石剤を売ろうと試みた。全部で30人ほどに話しかけたが、一つも売れなかった。
一度4人組の男子がむこうから寄ってきて購入を持ち掛けてきたが、齧ってみたうえで効果があれば銅貨10枚払うというありえない話だったのでイリアから断った。身なりはまともで裕福そうだが性根が良さそうに見えない相手だった。
曇天とはいえ暑い中、立ちっぱなしは疲れてしまう。
3刻ほど続けてみて成果が出ず、近くにあった茶店の露天席でイリアは草茶を飲むことにした。森でとれるミャータという名の草を干して水出ししたもので、黄緑色の液体は軽い苦味と清涼感がある。
低格の魔石剤であっても低レベルの半大人にとっては需要があるはずだ。
約2ヵ月前にアビリティーを得て、現在レベル7になっているイリアがレベルを上げ過ぎているという評価だから、今年の4月に入校した生徒なら同程度のレベルでもおかしくはない。それならレベル3相当の魔石剤でもそこそこ成長素が摂れるはずである。
売れない原因はイリア自身のうさん臭さにあるのではないだろうか。適正価格がよくわからないので、「いくらで売るのか」という問いに対して「いくらまで出せるのか」と返すことしかできず、客観的に見ると怪しげなのは否定できない。
昼になり、昼食のためなのか門を出てくる学園生が多くなった。
この機を捉えて売ることが出来なければ別の方法を探そうと決意し、草茶の代金を卓においてイリアは立ち上がった。
「えー、魔石剤要りませんか。3から8の低格の魔石剤です。証明書などありませんからお安くしておきます」
道の真ん中で大きな声を出すのは結構恥ずかしいものがあるが、舞台経験のあるイリアはそういう気持ちを切り離し、「売り子」の役に徹することが出来る。
ほとんどの学園生が無視しているが、数人が気になるのか足を止めてイリアを見ていた。
売り声を何度か繰り返しているうちに、正門の奥から3人の男女を引き連れた背の低い女子がやってくる。前髪が眉毛を覆い隠すくらいの長さ。よく見れば前髪だけではなく全体が同じ長さになっていて、笠の開いていないキノコのような輪郭になっている。
丸い眼鏡をかけたその女子が話しかけて来た。
「一番低いのが3なの? 次は?」
「5のがあります」
「じゃあそれをちょうだい。いくらで売るの?」
「えーっと……」
「学園では固定窯の運用実習で低格の魔石を加工することがあるのよ。その時に販売されるものなら小銀貨2枚くらいだと思うけど」
「じゃあそれでお願いします」
キノコ頭の女子は襟の大きな袖なしチョッキの懐を探ると、親指の先ほどの大きさの銀の円盤を二枚イリアに渡してきた。蓋に5と数字の書かれた小瓶と交換する。
蓋を開け、指で入り口を押さえつつ慣れた手つきで中の溶剤を捨てる。赤黒い魔石剤をしばし眺めてからキノコ女子はそれを口に入れた。奥歯で噛んで、自分の顔の前に両手広げている。
彼女の連れだけでなく、興味を持って立ち止まっていた何人かが集まってイリアたちを囲んでいる。通行の妨げになっているらしく、叱られて場所を動く者が居た。
「……ふーん。しっかり成長素が摂れてる。ちゃんとした物みたいね。実習で出来てくるような粗悪品と同じにすべきじゃなかったかも」
キノコ女子がそう言った途端、周りに集まっていた者らが声を上げた。
「本当なの?」「詐欺とかじゃないんだな?」「エミリアさんがいうなら確かだ」
群がって来た生徒たちが次々に財布を取り出し、いくらで売るかと聞いてくる。
競売のようになって値がつり上がり、あっという間に4本の魔石剤は売り切れた。総額で大銀貨2枚と小銀貨4枚の売り上げとなる。
買ったそばからふたを開け、皆が魔石剤を摂取した。石畳に撒かれた溶剤の刺激臭があたりに漂う。空きビンにもいくらか値は付くはずであり、透明なガラスの小ビンは購入者たちの荷物や服の物入れにしまわれた。
大銀貨1枚で8の魔石剤を買った男子がエミリアと呼ばれる少女の前に立った。
「どうですかエミリアさん。成長素ちゃんと溜まってます?」
「あなたのレベルも8でいいのよね? たしかに2割くらい溜まって見えるわ」
少し前から抱いていた恐れの正体を確信したイリアは踵を返して茶店の横の路地に向かって駆けた。
成長素の溜まり方が見えるアビリティーと言えば一つしかない。
異能≪アビリティー干渉≫によって見ただけで対象のアビリティー状態を看破する。キノコ頭の言動は明らかに【賢者】の保有者のそれであった。
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