第100話 投げ合い

 イリアは急な暴力に呆然とした。一瞬後、起き上がってエルネストを睨みつける。


「なんですか。何で俺が決闘なんてしなきゃいけないんですか」

「別に物騒なことを言っているわけじゃない。投げ合いと言って古代から世界中で行われている、一番安全な力比べだ」

「安全だろうとなんだろうと、エルネストさんと争う理由がないと言ってるんですよ。俺に何か気に入らないところがあるなら言ってください」

「そういう問題ではないんだよ。君も娘を持つ父親になればわかる」


 そう言ってまたエルネストが腕を持って組み合ってきた。また石の床に投げつけられてはたまらないので、イリアも対抗して袖をつかみ、腰を落として足元をすくわれないようにする。赤毛の中年男はイリアの左右の肩付近を持って上から体重をかけてきた。


「これってなんですかどうしたら勝ちなんですか」

「足の裏以外が床に触れたら負けだ。床でなくとも、壁でも木箱でも、どこかに触れたら負けとする」

「割れ物だらけの場所ですることですか?」


 押し込まれないようにイリアが耐えていると、エルネストは急に力を抜いた。前につんのめりそうになる。相手の袖を掴んで踏みとどまろうとするも、片手で払われ、もう片方で頭を上から押され、イリアは両手両膝を床に落とした。


「……俺の負けですよ、もう」

「50歳を超えて少し衰えたが、私も大人だ。アビリティーを得て間もない君と対等な条件で戦おうとは思わない」

「……」

「体力が尽きるまでに一度でいいから私を倒しなさい。そうすればこの決闘、君の勝ちだと認めようじゃないか」



 その後イリアは何度も、試行錯誤しながらエルネストに掴みかかっていった。

 一度は横に回って左腕一本を取って引き倒そうとし、腕力の差で振り回される。一度は脚を取りに行こうとして上から潰された。打撃は禁止とされていたが、ほとんど蹴りと変わらない勢いで足を狩ろうとした。鈍い音がしてお互いの脛が衝突しただけに終わる。明日青あざが出来ているのはイリアの脛だけだろう。


 5回床に転がされ、全力で全身運動を繰り返したことで息が切れる。立膝の姿勢で荒く呼吸をしながらイリアは考えた。

 腕力において勝てる道理はない。認識・思考速度でもかなり差があるはずであり、不意を突く攻撃が成功する見込みも無い。年齢的にエルネストは全盛という訳ではないだろうが、持久力でも勝ち目はなさそうに見える。

 勝つためにはレベルとステータスに関係のない部分で戦うしかない。


 いくらステータスが高くなろうと変わらないのもと言えば体重である。

 力が倍になっても、同じ体格の人間が倍の重さの武器を振り回せるわけではない。

 武器を振ろうとする力に対しては反作用という力がかかり、重すぎる武器が逆に使用者の体をとしてくる。そのため、高レベルの戦士の使う武術においては重心の認識が重要になってくるのだ。

 技術による解決が難しい場合は、重量のある金属鎧を着こむなどすれば対策になる。装備含めた体の重量が大きくなれば、伸ばした片腕の先にバカ重たい武器を持ってもまっすぐ立っていられる。

 だが今は、イリアもエルネストも生身である。

 

「行きます」


 イリアは立ち上がり、7試合目の投げ合いを挑んだ。

 一般人としては十分に発達した大人の右腕がイリアの綿服の左肩を掴んでくる。その手首を両手でつかんで、飛び越えるように跳んだイリアは二の腕の付け根を太腿で挟み込み、全身でしがみついた。


「⁉」


 体の平衡を崩しかけ、エルネストは左手でイリアの腰の革帯を掴んだ。イリアは全身の筋力を最大に発揮。肘を縮められないように引っ張る。

 エルネストの『力』が仮にイリアの数倍だろうと、腕一本で体幹の筋力に対抗することは難しいはず。


 伸びきった腕に50数キーラムの物体がぶら下がっていては、よほどの巨漢でないかぎりまともに立ってはいられない。

 エルネストは右に傾きながら二歩よたつき、腕を持ち上げ続けることを断念し。イリアの体を右腕ごと床に落とそうとする。そのまま体が床に接触すればイリアの負け。


 ザラザラとした灰色の石床が目の前に迫ってきたのでイリアはエルネストの肩を固定していた右足を外し、素早く床に着いて自分の体を支える。膝裏が伸びてつっぱり痛みを感じる。自身の肩に膝が接触するような不自然な体勢。

 体の柔軟さもまたレベルやステータスとは関りが無い。自分が若く、肉体がしなやかである事をイリアは利用した。


 すでに半分倒れ掛かったエルネストの膝裏に、とどめのつもりで左足を引っかける。

 勝ちを確信したイリアは次の瞬間床にごろりと転がった。頭がぶつかって痛い。

 絡んだ四肢を床の上で伸ばし、横たわった状態でイリアはエルネストを睨んだ。解放された右腕をさすりながらジゼルの父親はそっぽを向いている。


「今のはおかしい。急に手首の感触が変わった。何かしたでしょう」

「……」

「異能を使ったでしょう! 禁止のはずだぞ、卑怯だ!」


 立ち上がってもう一度掴みかかろうとするイリアに赤毛の中年男は向き直った。右手のひらを掲げて押しとどめるような仕草をする。


「認める。確かに私は【滑潤】の保有者だ。異能を使って摩擦を消した」

「反則だ!」

「分かっている。あのまま転べば後ろの商品を割ってしまいそうだったから、止むを得ず使っただけだ。君の勝ちでいい」


 勝ちを認めてもらったのでイリアは少し落ち着いた。エルネストの言い訳は本当かどうか怪しかったが、少し興奮しすぎたようにも思う。


「……いいだろう。私も商人だ、約束を違えるつもりはない。ジゼルとの関係を認めようじゃないか」

「……なんですか?」

「交際を認めると言っている」

「どういうことです? ハインリヒさんが決めた事とか言ってましたけど、手紙か何かに俺のことが書いてあったんですよね? なんて書いてあったんですかいったい」


 エルネストは木箱の上に投げ出してあった上着を拾うと、内懐から封書を取り出した。中身を取り出し、天窓のある角のほうに持っていき、広げて読みだした。


「……えー、『ハンナ女氏の紹介で縁を得たノバリヤの少年イリアをジゼルに同行させる。年齢はまだ14歳で、世間知らずの所があるようだが人柄は保証するのでよろしくしてあげる様に』と書いてある」

「それがなんで交際とかいう話に…… 俺とジゼルさんはそういう関係ではないです」

「ではどういう関係だ」

「俺は長子でしたけど、姉のように慕ってます。実際ハンナの生徒という意味では姉弟弟子と言えますし、ジゼルさんもそうおっしゃってましたよ?」




 誤解が解け、急に決闘などと言い出したことをエルネストは恥じているようだった。地下倉庫から店裏の事務所に戻る。

 明るい一階に戻ってきて気付いたが何度も転がされたイリアの体は埃だらけになっていた。


「私の部屋に付いてきなさい、着替えを貸してやろう。今は着られなくなった若いころの服がけっこうある」



 エルネストの部屋は建物の3階にある。この「ハインリヒ商会王都支店」の建物は4階建てで、一階が店舗と事務所、二階が生活空間、三階が家族の個室となっている。家族とはいえ今はエルネスト・カルロッタ夫婦しか暮らしてはいない。

 そして4階は住み込みの従業員や使用人の住居となっていた。


 エルネストも綿服を着替えた。イリアがしがみついた右袖が肩口で千切れかけている。

 貸し与えられた服は黒のズボンと白茶の半袖綿服。肌着も換えたが、それは持ち主の今の体形に合わせた寸法でイリアが着るとだぶついていた。

 着替えたうえで自分の元のズボンを見てみると、裾から膝のあたりまで草の汁で汚れている。靴を見ても同様で、元は茶色かった革の表面がまだらに黒く染まっている。靴底もかなりすり減っていて、張り替えるか靴自体買い替えるかしなければならないが、今は資金があまり無い。


 二階に戻って客間を覗くとジゼルもカルロッタも居ない。

 ハインリヒ邸と同様に品のいい内装の廊下に出ると奥から楽しそうな声がする。エルネストに続いてイリアが戸口から中に入ると、調理場で母娘がなにか料理を作っていた。


「こんな時間から夕食の支度かね」


 エルネストがそう話しかけると、カルロッタが振り向いて答えた。


「夕方になれば見えにくくなってしまいますから。久しぶりにジゼルと料理を楽しみますから、殿方はお休みになっていて」


 そう言って、高級そうな服の上に前掛けを着けたカルロッテは陶器鉢の中身をこねる作業を再開した。ジゼルは煉瓦で作られた四角いかまどの上の鍋で何か茹でている。


 ジゼルの両親の夫婦仲が険悪だという事は聞いていて、それが他人事ながら気がかりではあった。実際今も仲は良くないのかもしれない。

 だが少なくとも、二人とも一人娘のジゼルの事を愛していることは感じられ、なんとなくイリアは安心することが出来た。

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