第99話 誤解

 ジゼルの実家であるハインリヒ家の陶器店。イリアはその二階にある居間で母娘と茶卓の席に着いていた。

 茶卓の上の茶器には水の流れを想起させる意匠の絵付けが施されている。

 煮つめた青スグリが挟まった白パンと、砂糖がたくさん使われている焼き菓子。本茶葉の紅茶と共にいただく。

 ソキーラコバルのハインリヒの話や学園での生活についてジゼルは話す。カルロッタは王都にいるジゼルの幼馴染や、この店の従業員なのか使用人なのか、知り合いの誰かの動向を話していた。

 母娘は途切れることなく会話を続けているが、知らない話題ばかりなのでイリアはただ黙って聞いていた。


 一階の店舗と同じく居間も大きな窓から日が差し込んでいて明るい。夏の太陽が真っ白な石材の床に反射して、南に向いて座っているイリアの顔を照らす。目がチカチカしてきて、イリアは両の瞼をしばたたいた。


「ごめんなさいねイリア、まぶしいでしょう。わたくしの目のためにこうして明るくしていなければならないのです」


 口調も声音も似ているのでどちらか分かりづらいが、少し低くより落ち着いて聞こえる声はカルロッタのものだ。


「目のためですか?」

「お母さまのアビリティーは【鈍光】です。聞いたことはありませんか?」

「あるような無いような。すいません、すべてを覚えているわけでは」



 母娘がかわるがわる説明してくれたところでは、【鈍光】というのはあまり保有者の多くないアビリティーであり、レベルが上がるごとに光の影響を受けにくくなる≪全身性光反応鈍化≫の性質を持つ。

 似たようなアビリティーに【耐光害】というものがあり、こちらはれっきとした『体質強化系』に分類されている。せいぜい肌が日焼けしにくいという程度の変なアビリティーだが、特に害も無い。

 それに対して【鈍光】は肌だけでなく眼にまで作用してしまうのだという。光の影響を受けにくいということは明るさの恩恵も受けにくくなるという事であり、ようするに普通の人間なら十分な明るさでもカルロッタには薄暗く感じられるのだという。


「アビリティーに恵まれないというのは悲しいことですわ。わたくしも、ハインリヒの娘として生まれなければ辛い人生を歩んでいたかもしれません」

「レベルを上げるごとに効果が強くなるということは、カルロッタさんは……」

「レベルは20まで上げましたが、これ以上は上げられませんわね。昼間もろくに見えなくなってしまったら困りますから」



 【鈍光】のように、役に立たないどころか保有者にとって有害ですらあるアビリティーの事を、特に分類して「非適正アビリティー」と呼ぶことがある。

 そういう異能があるので、異能を持たない【能丸】が必ずしも最悪のアビリティーとは言われないのだ。


 歴史的なアビリティー学の統計調査によれば、そういった非適正アビリティーというのは人類の中でどんどん発現率が低くなっていくものらしい。

 発現させた人間の役に立ち、レベルをどんどん上げられたアビリティーは時代とともに発現率が高くなっていく。逆に保有者があまりレベルを上げることなく、ひどい場合には早くに死んでいってしまうようなアビリティーの発現率は低くなっていく。

 そう唱えた「適正アビリティー残存説」という話を、どこで読んだのかイリアは正確には覚えていない。


 あくまで一般的なアビリティーの話であって、【賢者】のような希少種アビリティーの場合は事情が異なる。【賢者】の絶対数はずっと増えているが、人口増大率を考えると発現率は逆にかなり減っているのだそうだ。

 【賢者】なら当然、保有者は皆高くまでレベルを上げるにも関わらずである。



 母娘の説明が終わるころになって、居間の扉が空けられる音がした。振り向くと黒の上下を着た赤毛の中年が立っていた。


「お父さま」


 ジゼルが席を立ちあがり、中年男のほうに向かって行った。イリアも席を立つ。

 さっきはカルロッタの行動に面食らってまともに挨拶ができなかった。これでもイリアはそれなりに礼儀作法の教育も受けている。無駄にしてはいけない。

 父娘が手を取り合って再会の挨拶を交わし終わるのを待ち、一歩進み出て会釈をした。


「お初にお目にかかります、エルネストさん。ベルザモック・ノバリヤの戦士団白狼の牙頭領家男子、ギュスターブの子イリアと言います。お見知りおきを」


 顔を上げるとジゼルの父親はイリアの顔をじっと見ていた。髪だけでなく口髭も赤い。ジゼルのはっきりとした目鼻立ちは父親譲りであるようだ。

 身長はカルロッタとずいぶん釣り合わない。14歳でまだ成長期のイリアと変わらないだろう。ハインリヒは縦にも横にも体格がよかったが、エルネストは横にだけ少し大きいようだった。


「……丁寧なあいさつ痛みいる。あまり緊張しなくてもいい。私はハインリヒ家に婿入りしたようなもので、それほど偉くはないのだから」

「そんなことはありませんわ。お父様が販路を拡大したからこそファブリカの陶器生産はこの20年で倍増したと言われているんですから」


 ジゼルの言葉はイリアに説明しているようでもあり、また褒める言葉を自分の父親に聞かせようとしているようでもあった。

 ファブリカと言えばたしかベルザモック州の鉄器生産の重要地だったはず。陶器も作っているらしい。


「ふむ。まあその辺りの事も含めて私がイリア君に説明しようじゃないか。我が家の事業について知ってもらわなければならないからな」


 エルネストはそう言って振り返り、居間を出て行った。「え?」といってイリアはジゼルを振りむく。エルネストが戻って来て戸口から顔を出した。


「何をしてるんだ。早くきたまえ」

「あ、はい」


 しかたなくイリアは付いて行くことにした。短鉄棍や黒革鎧、背負い袋の荷物は居間に置いたままである。




「見ての通り店ではこうして商品を展示し、小売りもやっている。東岸新市街は下町よりも裕福な家庭が多く、人口も10万人近い。小売りだけでナジアでの事業利益の半分を稼ぎ出している」

「はあ」

「芸術性の高い陶器は西方諸国からの輸入品が多く、また国内にもフラバモン州など陶器の名産地はある。うちはどこ産の商品でも扱うが、ベルザモック産の商品が王室や名家から注文されたことは無い」

「なるほど」


 一階の店内には先ほど見なかった中年女性の店員が居て、同じような中年女性の接客をしていた。金髪のほうが店員だとわかったのは、エルネストと同じ黒い色の上下揃いの服を着ているからだ。


「……退屈かね」

「いいえ」

「とりつくろわなくてもいい。私も君くらいの年頃には食器など興味が無かった。木椀の方が軽くて割れないし便利だ。そう思っているだろ?」

「……」

「ついてきたまえ。退屈な話は終わりだ」



 外への出入り口の反対側、階段に続く扉とも違う小さな木扉をくぐってエルネストとイリアは店の奥に入る。従業員とみられる若い男が机でなにか事務を執っていた。エルネストに何か話しかけようとするのを本人が手で制す。

 事務所のさらに奥にまた扉があり、そこを開けると地下への石階段。薄暗い中を怪訝な気持ちでイリアは付いて行った。


 広い地下室は季節の割に涼しく、半そで綿服のイリアには肌寒いといえるほど。

 天井部分に格子の窓があり光が差し込んでいる。

 イリアの体がすっぽり入りそうな横長の木箱が数十も並べられている。蓋が開いているものもあり、薄暗い中でよく見れば中身は麦藁の緩衝材の上に並べられた陶器の皿だった。

 倉庫であるらしい地下室の中心部分は箱が片付けられていて、安宿の一人部屋くらいの広さで石床が露出している。



「ベルザモックは尚武の土地柄だろう」

「しょうぶ?」

「武を重んじるという意味だ」

「ああ、まあ。東方と接していますし」

「私はアシオタル州の西の端の、軟弱な地域の出身でね」


 エルネストが上着を脱いだ。仕立てのいい白の綿服の腹回りが膨らんでいる。襟に巻いていた絹の布も取り去って両方近くの箱の上に放り投げた。


「武器はもちろん打撃も無し。魔法も異能も禁止だ。純粋な力比べで決闘しようじゃないか。義父ちちが決めたことかもしれないが、私にも父親としての意地があるのでね」

「はい?」


 思いもよらない提案に真意を問おうとした瞬間、イリアの腕を取ったエルネストが右脚で足元を払ってきた。イリアの体が宙に浮き、尻から床に落下した。

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