第97話 ナジア到着

「イリアならもう調べてあるかもしれませんが、王都というのは一つのまとまった街ではないのです」

「そうみたいですね」


 王都ナジアへの入街審査の列はとても長かった。隊長のマルクが居ないのでさすがのカミーラも横入りするような真似はしない。5人の戦闘小隊員も大人しく列に並んでいた。

 審査に必要な物は何で、一時滞在許可証などはもらえるのかどうかなど。イリアはその辺りを確かめたい。そういうつもりで話しかけたのだが、ジゼルの返事は少し遠回りになった。


「王宮のある丘の旧市街。マルク隊長のご実家があるというその地域は、建国当時の立派な防壁に囲まれた城塞都市の様相です。あそこに入るのには特別の許可が要ります」

「ということは、川のこっち側の、この壁の向こうは?」

「東岸新市街ですわ。わたくしの育った家もこの新市街にあります。新市街への出入りはソキーラコバルと同じような規則になっています」

「ということは、大銀貨1枚の出費か……」


 イリアが首から下げている財布袋の中には現在大銀貨4枚ほどが残っている。ジゼルは泊るところに困らせはしないと言ってくれたが、すぐにでも金策を始めなければ首が回らなくなりそうだ。


「そのことなんですが、一時滞在許可を取るのはいったん待ってもらった方がいいかもしれません」

「なんでです?」

「旧市街と新市街を結んでいる橋は第二大橋といいます。6キーメルテほど下流にあるラウラの土橋というのが、実はアクラ川に最初に架けられた橋なのです」


 イリアの歴史の知識は不十分であるが、ラウラ王の土橋の伝説くらいは耳にしたことがある。

 今から318年前、KJ暦460年ごろ。アクラ川は大陸を東西に分ける障壁だったのだが、グロロウの丘にあった都市国家が顕現精霊を使っての川渡しを営み、西から見れば辺境にあるにもかかわらず豊かに繁栄していたという。

 そんな時、当時20歳そこそこだった若きラウラがやってきて、強力な地魔法によってひと月で橋を建設。都市国家を強権的に支配していた領主賢者と対立し、これを打倒して征服したのが王都ナジアの発祥。


 イリアの印象では、そのラウラの土橋は都市国家のすぐ近くにあったように思っていた。

 だが考えてみれば、自分たちの独占する渡河事業の邪魔者が目の前で橋を造っているのを見逃すわけはなく、実際は6キーメルテ下流にあったと言われる方が理に適っている。


「その、ラウラの土橋というのは今も残っているんですか?」

「そうともいえます。何度も改修され、正式名称もラウラ大橋と換えられて原型が残っていませんが、今もラウラの土橋の名で呼ぶ人が多いです。 ……それで、実はそのラウラ大橋のあたりからグロロウの丘旧市街までの6キーメルテの範囲。アクラ川西岸を埋め尽くしている下町地域というのが、一番人口の多い王都ナジアの中心なのです」



 入街審査待ちの行列はどんどん先に進んでいき、もう四半刻もすればイリアたちの順番が来るだろう。

 東岸新市街を取り囲んでいる防壁の高さは二階建ての住宅よりはすこし低い。旧市街を近くで見ていないのでわからないが、元々城塞都市のはずの向こうも防壁で囲まれていると考える方が普通だ。


「その下町地域っていうのは、いわゆる壁外地域なんですよね……?」

「ちげーよ」


 イリアたちの後ろで話を聞いていたカミーラが声を上げた。


「貧民街ってのは、移民や人口増加のせいで最近できた場所のことで、東岸新市街の周りにしかねえ。西岸の下町ってのはずっと昔からある場所で、防壁はねえが普通に安全で品のいい、ちゃんとした所だ」

「カミーラさんのおっしゃる通りですわ。アビリティー学園本校も西岸にあるんですが、学園生が多く下宿しているのも下町地域です。もしイリアが王都で仕事を探して長く住むのでしたら、下町地域に住居を探すのが一番現実的かもしれません」

「はあ。つまり大銀貨1枚払って新市街への出入りを楽にしても、無駄になるかもしれないって事ですか」

「もちろん生活の目途がつくまでは我が家を頼ってくれても構いませんけれど、わたくし自身いつまでここに滞在するのか見通しが付きません。イリアと王都へ来る事は手紙で両親に伝わっているはずですから、お父様が下宿先など用意している可能性もあるのではないかと」



 イリアは遠慮したのだが、結局一度きり新市街へ入るための入街税のはジゼルが支払ってくれた。ソキーラコバルと同じ小銀貨1枚である。

 ナジアの警士隊というのは王都守備隊の下部組織として存在しているらしく、イリアたちの審査を担当した警士の着ている紺色の制服も共通なのだという。

 ジゼルの身分証には王都における居住権についても書かれているらしく、入街税はイリアにだけかかるようだ。カミーラたちは当然、首から下げていた街道保全隊の認識票で免除されている。

 門の中に入ると、そこはイリアが見たことの無い景色が広がっていた。



「じゃあウチらは市街長役場で本隊を待つからここでお別れだ。ひと月くらいはナジアのどっかに居ると思うが、よほどのことが無い限り頼ってくんなよ。別に友達でも何でもねえんだからな」

「はい。いろいろお世話になりました」

「カミーラさん、わたくしは応援していましてよ」

「うるせえ。さっさと行け」


 カミーラたちに見送られ、街道から直接つながっている大通りをイリアとジゼルは西へ進んだ。大通りと言っても、実はまだ道らしい道が見えてはいない。


 防壁内の街というものは建物が密集しているものであり、道とはつまり建物と建物の間に存在する隙間の事である。だが建物はずいぶん遠くにあってまだはっきりと見えていない。

 石畳で舗装された大きすぎる広場には、簡単に組み立てられそうな屋台や、物が並べられているだけの露店が並んでいる。そこに売られている物はいたって雑多な、あるとあらゆる種類の品の数々だ。

 食料はもちろん、衣料品から少し安っぽく見える宝飾品。武器や防具や、魔道具と思われるもの。

 毛織布を広げてある雑貨の露店、色黒の女が爪切りはさみ、毛抜きなどを売っている。

 歯ブラシと磨き粉が合わせて銅貨4枚で売っていたので、イリアはジゼルに少し待ってもらって素早く買った。以前浴場で購入した物はもうぼろぼろになってきている。


 見渡す限りに広がっていた露天市場を抜けると、ようやく建物の立ち並ぶ場所に差し掛かる。市場を行き来していた人々からはあまり感じなかったが、市街にいる人々はイリアには馴染みのない種類の人間たちだ。

 しいて言えば初対面のときのマルク隊長に雰囲気が似ている。整った服装をした彼らはどんな仕事に就いているのかがよくわからない。男性は農民でも戦士でもないようだし、職人とも思われない。

 女性はやたらに布の多い赤や紫の服を着ていて、家庭の主婦という感じがあまりしない。日よけのためなのか傘をさし、飾りのついた大きな帽子もかぶっている。暑いならジゼルのように半そでの服を着るべきだと思うのだが、老いも若きもみな手首まで袖のある上下つながりの服を着ていた。


 王都は建物の様相も他の街とはだいぶ異なる。

 まるで鋭利な刃物で切り取ったように、真っ平に面が整えられた石材で支柱が立てられ、その間を煉瓦の壁が埋めている。

 煉瓦は赤茶けた素焼きの色をむき出しにしているのではなく、石材の部分と同じに白っぽい塗料で全面が塗られていた。煉瓦の壁だというのは、イリアが質感から予想したに過ぎない。


 大通りに面する建物の一階はどこも店舗のようである。食料品を売る店は見つからない。

 絵ではなく文字が書かれた看板が出ているのは衣料品店や装飾品の店。そこで売っているのはきっと露天市場と違い高価な品物なのだろう。魔道具の専門店と思われる店も一軒ある。

 『知の森・ボンダル』という看板が出ているの店には窓が無い。おそらく書店なのではないかとイリアは見当をつけた。


 それらの建物は全て、4階建てから5階建てになっている。イリアの故郷ノバリヤでは一番高い建物は近所の戦士団員寮の4階建てであったし、ソキーラコバルにおいても5階建ての建物は見たことが無い。それがここナジアにおいては標準の高さの建物なのだ。


「……やっぱり、王都ってすごいんですね……」

「まあ大通り沿いの一等地ですから。ここまできちんと外観を整えているのはここらだけですわ」


 外観の話ではなく、建築技術としてすごいのである。

 外側に大きな足場を作れる防壁の建造などならともかく、狭い街中で十数メルテの高さまで、どうやって重そうな石材を運んだりするのだろう。

 イリアは思いつく方法をいろいろ頭の中で試してみたが、いまいちうまいやり方が思い浮かばなかった。

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