第3章
第96話 王都へ
「ではカミーラ、ジゼル譲とイリア少年の事を頼んだぞ」
「……了解す」
アクラ川から半水棲魔物が襲ってくるというようなことも無く、無事に最後の野営を終えて翌朝。
イリアジゼルは砦跡の廃墟でマルク率いる第7中隊本隊に別れを告げていた。
廃墟は史跡であるらしく、幕屋を建てた跡などは丁寧に元に戻すように言われた。
だいぶ少なくなってきたとはいえ、まだ河岸街道の東側には樹木群生地があり、道そのものの保全作業とともに一日かけての管理作業がある。
イリアたちがそれに付き合ってもあまり意味が無いので、カミーラと戦闘小隊と共に王都まで先行することになった。
別れると言っても、当然夜までには本隊は王都に到着するわけで、何か用でもあれば再会することは可能である。
「隊長、いろいろとお世話になりました」
「うむ。『
「そりゃまあ、習ってまだ8日ですし」
「そうか。でも頑張って毎日練習を欠かさないようにな!」
イリアに続いてジゼルも挨拶をする。「ごきげんよう」とかなんとか、あまり聞きなれない言葉づかいで堅苦しい言葉を交わしていた。
ジゼルがカミーラに昨夕聞きだした話によれば、マルク隊長はチルカナジア王国初代王ラウラ・ストルモントに仕えた女性衛士を源流とするロブコステ家の生まれなのだとう。
ロブコステ一族は王家に仕える上級の役人や王室衛士隊の幹部をずっと輩出していて、王宮のすぐそばに大きな屋敷が建っているのだそうな。
大きな木など一本も生えていないアクラ川東岸河岸街道は見通しが良く、昼間なら魔物の姿を見逃す心配は無かった。戦闘小隊が安全確保をする必要など、実はほとんどない。
すこし東に逸れた樹木群生地には何か潜んでいるかもしれないという事で、【耳利き】のルーメンと【盾士】のマトウィンが二人でそちらの方を警戒していた。本隊が作業をするのは主にそちら側。
なので残りの戦闘小隊とカミーラの6人だけがイリアジゼルとともにいる。
イリアの荷物は【不破】のキリルが背負い、ジゼルのものもフリーデが背負っていた。本来そこまでしてもらう権利は無いのだが、早く王都についてしまいたいという戦闘小隊側の要求である。
鎧をぶら下げた短鉄棍も一人の男性隊員が持ってくれている。
整備された道の上、彼らを駆け足で追いかけるイリアの体には違和感があった。レベル7になってしまったのでまた感覚の調整が要るようだ。
一度のレベル上昇におけるステータスの上がり幅、その相対的な比率はレベルが高くなるほどに小さくなる。なので感覚のずれの問題はレベル一桁のころが一番厄介であるらしい。
1刻ごとに休憩をはさみ、出発してから二度目の小休止。
河岸街道から
一人が巨大な鎌を振るって腰丈ほどの植物を刈って歩き、残りがそれをまとめて荷車に積んでいる。空の荷車が他にも一台あるようだった。
「牧草狩りですかね」
「家畜に生えているのを直接食べさせるのは牧草ですけど、ああいうのは飼い葉と言った方が正しいと思いますわ」
「はあ。そう言えば王都では健康な大人でも馬車に乗って移動することがあるみたいですね」
「どうだったかしら……? わたくしが子供でしたから、お母様とお出かけの時は馬車を使っていましたが。大人だけで乗っている方がいらっしゃったかどうか、意識していなかったのでなんとも……」
「おい、んなおしゃべりできる余裕があるならもう行くぞ」
カミーラに促され、二人は水筒を肩掛けの装具にしまいまた走り出した。
少し行くと、行く手の左側に明らかに自然な状態とは思われない植物の群生がある。ようするに畑だ。
濃い緑色をした葉がわさわさと、なだらかな丘一面に生えている。
「なんですかあれ。あんまりおいしそうな葉じゃないですね」
「甘カブラの畑ですわね。そういえばベルザモックではめったに見ませんね」
「それなんか聞いたことが。たしか砂糖の原料でしたっけ?」
「ええ。王都ではなんでも少し高いですが、砂糖だけは他所より安く手に入ります。ここから先、いくつか農村を過ぎるといよいよ王都ナジアですわ。気持ちの準備は整っていますか? イリア」
「はい」
ジゼルの言った通り、だいたい数キーメルテおきに広大な農作地に囲まれた人里が現れては過ぎていく。
3番目の村に8人で入り、茶店で長めの休憩をとる。昼食には早かったので小さな菓子を皆で食べた。砂糖に漬けた栗の実を潰し、小麦粉と乳脂で混ぜて焼いた「栗粉焼き」という名の菓子は王都での名産品なんだとか。
イリアが初めて食べる強烈な甘みの菓子は、手のひらにちょこんと乗る程度の大きさ一つで銅貨4枚もした。
休憩を終えて、だいたい日の5刻。太陽は南南東にさんさんと輝いている。
気温はこの夏一番というくらいに上昇し、保全隊の面々はみな濃灰色の肌着姿である。
改めて河岸街道を道なりに進み半刻後。4つ目の村は今までで一番大きい。
遠目にも見える村の中心の建物は白く輝く円塔が幾重にも重なって、尖った屋根は緑色に錆びた銅葺き屋根。その天辺に輝いているのは銀色の髑髏とそれを取り囲む放射状の飾り。アール教教会だ。
国全体で宗教と国家権力を切り離す姿勢を貫いているチルカナジアは、王都に宗教施設を作らせていない。
王都の周辺にあるアール教教会はここが唯一であり、かつ国全体で最大。村の名前もそのままアール村なのだという。
「ごらんなさいイリア。グロロウの丘が見えてきましたよ」
ジゼルがそう言うので、アール村とは反対側、川幅が約1キーメルテもあるアクラ川の対岸に目をやる。湾曲した大河の膨らみの内側。遠く距離がある南西方向に大きな丘があり、その丘全体に市街が貼り付いている。色とりどりの屋根が密集しているのが見えた。
「この国の王様が住む王宮殿が丘の反対側の、頂上近くにありますわ」
「……なにか並んで動いてるものが見えるんですけど、あれって何ですかね」
「風車ですわ。アクラ川から丘の上まで水を引くための動力として、風の力で羽のついた車を回しているのです。近くで見るととても大きいんですのよ。あと、けっこう騒々しいです」
ジノークからここまでにすれ違ったのは数組の旅商と、近隣の農村の住民と思われる者らが合わせて数十人だけ。やはりジノーク方面への経済活動はあまり活発とは言えないようだ。
カミーラがイリアジゼルを追い越して前に出た。
人通りの少ない道をそのまま進んでいこうとする先頭のマクシムに向かって大きな声を出した。
「おい、この先の分かれ道を左に、アール村の南を通って北東大街道に回るぞ」
「なんで。遠回りだろ」
「お客さんを連れてこっちから入りたくない。大街道側からの方が少しマシだろ」
何を言っているのかわからないので、イリアはジゼルの顔を伺った。10歳まで王都で暮らし、その後もソキーラコバルと行き来していたジゼルなら事情が分かっているはずだ。
「……壁外地域の事を言っているのだと思います。この道をそのまま行っても東岸新市街に入れるはずですが。いう通りにした方がいいかもしれません」
カミーラの提案通りアール村の外周の農道を進んで南東へ。2キーメルテも進むと大きな道が見えてきた。大型荷車でもすれ違えそうな広い道。大街道の終点付近。いやむしろ、王都から見れば始点というべきかもしれないが。
道の合流点に一般家屋ほどの大きさの建物があり、日陰になった縁台に太った初老の男が腰かけている。マクシムが腰から外した制服を右手に掲げて示しすと向こうも手を挙げて答えた。初老の男は道の保安員なのだろう。
大街道に出て、多くの人や荷車と一緒に西に進む。わずか数百メルテ進めばもう見えてきた。
草一本生えていない踏み固められた地面。道の左右数十メルテにわたって広がっている。そのさらに外側。
規則性も統一感も無く、デコボコの黒い影のように広がる壁外地域の輪郭。
敷き詰められた石畳がその間を真っ直ぐに伸びていた。
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