第94話 槌頭ビル

 馬喰まくらいアギトの死体は見物人たちの協力も得て地面深く埋められるらしい。

 人を捕食したことが確実である魔物の肉は基本的に市場価値がない。理由は気持ちが悪いから。つまり誰も食べたがらないのだ。


 仮想レベルの高い上級魔物の体が硬く頑丈なのは「仮性アビリティーよう構造」によるマナの恩恵によるものであり、魔物が死んでそれが崩壊してしまえばその骨や皮の硬さは並の獣のものと大して変わりがない。

 魔喰らいアギトは骨も他の爬虫類系の魔物に比べてもろく、歯も同様で記念品としての価値があるくらいだ。

 皮だけは剥がれて持ち帰られることになったようだ。分厚く面積があるので大型の椅子の材料など特別な需要があるのだという。


 カミーラはマルクの所に戻って作業に参加している。

 イリアとジゼル、それとカロイアンはまだ力仕事に向かない。なので4人の臨時隊は先にジノークに帰ることになった。ゼラルドにその旨を伝えておくことにする。


「わかった。気をつけて帰れよ。そっちの兄ちゃん、隊組んだんだったらちゃんとしてやってくれよ?」

「あはい。大丈夫です」


 ペトルが軽く請け負った。

 肋骨が他人より4本少ない中年男のゼラルドは、いささか軽薄な調子の若者に口元を軽くゆがめた。


 今日目にしたことはイリアにとって驚くべき光景だったと言える。

 一般的な戦士団と比べれば平均のレベルが低いはずの第7中隊が、魔法を使って上級魔物を倒してしまった。相手に一度の接触を許すことも無しにだ。

 イリアの実家『白狼の牙』は魔法があまり得意ではない者らで構成され、強い魔物と相対するときも当然、接近・衝突戦が繰り広げられることになるだろう。

 今日見たような、一方的に攻撃し続けるだけの戦い方にはならない。そうはできないはずである。


 イリアは去り際にゼラルドに質問することにした。


「仮想レベルが50もある、しかもあんな大きい魔物を相手にして、あんなふうに圧勝できると最初から分かっていたんですか?」

「今朝集合して作戦を通達されたとき、隊長は勝って当然くらいの調子だったが、俺個人はそうとも言い切れんな。まあ、はぐれじゃなかったら普通はやらねえよ」

「というと?」

「はぐれってのはつまり本来の生息地に住んでいられなくなった奴らなんだ。怪我したり年寄ったりしてな。凶暴ではあるが、実は普通よりも弱い。それでも魔石の格は変わらねえからお得なんだよ」

「ははあ」

「あいつも尻尾が三分の一くらい無くなってたろ? まあある意味、今日の戦いはみたいなもんだわな」


 『骨抜き』ゼラルドはヒヒヒという感じで笑っている。ペトルとカロイアンは共食いの意味が分からすに首をかしげている。

 イリアは意味が分かったが、その少し悲しい冗談に笑うことは出来なかった。




 4人は丘を下り伐採地を出て、来た道を南に戻り始めた。70歳を超えていそうな老婦人3人組が先を歩いている。

 馬喰らいアギトの血の匂いは確実に辺りに蔓延していて、今歩いている林道が通るのは浅層と言えど魔境の森である。興奮した魔物がいつ出てきてもおかしくない。

 囮にするというような卑劣な気持ちではないが、3人の老婦人が先を歩いてくれるのはイリアには安心だった。



 もう少しで森を抜けられるというところになって、前方で3人が何か言い合っている。


「やだわーどうしましょう奥さん」

「夕食の支度しておかないと、ウチの爺さんうるさく騒ぐのよ」

「殺すのはいいけど、片付けがねぇ」


 追いついたので、ペトルが話しかけた。


「おばさんたち、どうかしたの?」

「あらぁ? ひょっとしてあなたたち、半大人なんじゃないの?」

「俺は違うけど、みんなはそうだよ」

「じゃああれ何とかしてちょうだいな。私たちじゃ倒してもなんの得にもなりゃしないし」


 そういって三人はそそくさと先に進んでしまった。

 あれ、と言って頭巾の老婆が見ていた先。林道の東側の森の中。

 奥の草藪ががさがさと蠢いてなにやら気味の悪いものが姿を現した。


「蛇?」

槌頭ついとうビルだ。ちょっと珍しいけど、低級だよ」


 そう言ってペトルは肩にかけていた弓を外し、腰の矢筒から取り出した矢を番え、構えて引いた。弓は1メルテ半ある木製の長弓。弾力性の高い青鉄で補強されている。矢は軸まで鉄製のようだ。

 カロイアンは兄の前に出ると、いつの間に拾ったのか、小石を魔物に投げつける。カロイアンが前衛を担当しようとしているので、普段着とはいえいちおう武器は持っているイリアが知らないふりをする訳にもいかず、弓矢の射線に入らないように気を付けて前に出た。


 槌頭ビルの見た目は細長いなめくじのようでもある。大きさは比べ物にならず、胴体の太さはイリアの太腿ほど。まだ草藪から全身が出ていないが見えている部分だけで1メルテを超えている。

 粘液でぬらぬらとした薄茶色の体。背面には少し色の濃いまだらの模様が4本。

 蛇よりはゆっくりとした動きで徐々にこちらに迫る。あと5秒もすれば森から林道に出てくるだろう。


 カロイアンの投石が命中し、槌頭ビルは這い進むのを中断して体を持ち上げた。

 丸い頭部が変形し、ひだのような物が横に飛び出す。変形した頭部の形が木づちや金槌に似ていると言えば似ていなくもない。

 ひだの真ん中に丸い口が開いていて、細かい歯が周囲を何重にも取りまいていた。気持ちが悪い。


 イリアの右横を風切り音が通り抜け、ヒルの魔物の口の中に矢が刺さった。刺さったというか貫通し、頭の後ろからボトリと落ちた。魔物は声を出すでもなく、変形した頭部を元の形に戻して身もだえている。


「わたくしも攻撃した方よろしいのかしら?」

「いやいいよ。俺一人で十分だ」


 自信満々のペトルは第2射を放った。矢は今度は胴体に当たり、槌頭ビルの体を地面に縫い付けた。動くこともできなくなった魔物は傷をかばうように丸まった。

 よく見れば口で矢軸にかじりついてひき抜こうとしているようだ。脳など無さそうなのに意外と賢い。


 ペトルが弟に弓を渡し、右手に三本目の矢を持って魔物に歩み寄った。

 目もなさそうになのに、それを感じ取ったらしい槌頭ビルはペトルに襲い掛かる。ぎゅーっと伸びたが、体の真ん中を縫い留められているので届かない。

 ペトルの矢の矢じりは手の指ほどの長さがあり、鋭利に研ぎあげられていて小さなナイフのようでもある。

 上から下に、下から右斜め上に。ペトルが右腕を二度振るうと、魔物は泥で出来ているかのように地面にべちゃりと落ちた。


「鎚頭ビルの魔石は頭の先端にあるんだぜ、ほら」


 一度しゃがんで立ち上がり、振り返ったペトルの左手には黄色く濁った色の球体が摘ままれていた。槌頭ビルが一瞬で力を失ったのは魔石を体から切り離されたからなのだろう。


「誰が食う? 仮想レベルは9くらいだから、俺にはもう効かないんだよね」

「わたくしもレベル15ですわ」


 カロイアンが無言でイリアを見た。


「俺もいらない」


 理由は言えないがそう言うしかない。「……じゃあ」と言ってカロイアンが兄から魔石を受け取った。

 半そでの綿服の左袖で繰り返しこすって奇麗にしている。


「……本当にいい?」

「うん。いま何もしなかったし、レベル上げも急いでないから」


 頷いてカロイアンは魔石を口にし、奥歯で噛み砕いた。

 イリアの頭にひらめいたものがある。


「ああ、そういうことか」

「なんですの?」

「どうせみんな同じ場所に移動するのに、なんで少人数の隊に別れる必要があるのかと思ってたんです。こうやって魔石の配分を決める時に便利なんですね。不必要に大人数で約束も無く共闘したりすると、けっこう揉めることになるんじゃありませんか?」


 イリアがジゼルにそう話していたら、矢を拾ってきたペトルが不思議そうな顔をして見てきた。


「えっと、イリアは何言ってんの? そんなのって当たり前だろ?」


 一瞬困ったような顔をし、ジゼルが代わりに弁明をした。


「イリアはその、6月にアビリティーを得たばかりなのです。アビリティー学園は10月にならないと入校できませんし、レベル上げは一人でするばかりで、ちゃんと隊を組むのはこれが初めてなのですわ」


 栗色髪の兄弟は声を合わせて「へぇー」と言った。


 槌頭ビルは血を吸って家畜などを殺すそうなのだが、魔物自身に血液はそれほど流れていない。「別に片付けなくても何も起きない」とペトルが言ったので、4人は近くの腐葉土で軽く覆ってから森を出た。

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