第93話 圧勝

 スギの大樹からゆっくり顔を出した馬喰まくらいアギト。

 その巨大な頭部を上下に分割する口は、名前の通り馬の体をひと噛みで半分持って行ってしまうという。

 頭部に比べると信じられないくらいに細い首。続いて上半身が姿を現すかと思った瞬間、魔物の足元の地面が爆発した。頭の高さの数倍まで土砂が吹き上がり、体勢を崩し、馬喰らいアギトは大樹の幹に倒れかかる。


 マルクら6人の保全隊員は馬喰らいアギトから距離を取り、後ろ走りで丘のほうに移動してきた。さらに森から二人、隊員が駆けだしてきた。

 イリアにはまだよくわかっていないが、地魔法というのは地面に手を着きながら発動させるもののはず。先に森から出た6人にそうした様子はなかったのだから、あとの二人があの爆発する魔法を使ったと思われる。


 馬喰らいアギトは特に損傷を受けた様子もなく、森から飛び出してきた。その姿はイリアが以前図鑑で見たのと同じように見える。

 周囲の人間たちを睥睨へいげいし、急に体をひねって長大な尻尾を横に振った。

 背後のスギに尾が当たる。大きな木っ端が吹き飛んで十数メルテの高さの頂端までが振動。やがて、ゆっくりと音を立て、スギは森の奥に向かって倒れていった。


 馬喰らいアギトの頭部は黒色で、体は背面が濃い緑色の鱗に覆われている。腹の側は色が薄いが、やはり緑色。

 後ろ足で二足歩行し、前足もそこそこ立派なのだが地面には届かない。その前足には鉤爪があり、人間なら肩から手首と言える部分に黒い羽根が生えていて、鳥の翼にも似ている。

 とても羽ばたいて空を飛べるような大きさではないのだが、何のために生えているのかは分からない。


 距離を取り続けるマルクら8名を追いかけるようにして、魔物は跳ねるように駆けだした。巨体からは想像できないほどに身軽だ。マナの恩恵をふんだんに受けているからこその異常な身体能力。

 どれほど高レベルの人間でも追いかけられれば逃げることは困難。ましてマルクの左足は義足である。


 隊員の一人が追い付かれる。そうイリアが思ったとき、馬喰らいアギトの右脚が地面に深くめり込んだ。人間の身長を優に超えるその後ろ脚、半ば以上が埋まっている。不自然な現象だ。


「……落とし穴?」

「そうだよ。下準備してあるっていったろ」


 『骨抜き』ゼラルドがそう解説した。遠くてよくは分からないが、地面には普通に草が生い茂っていて、一度穴を掘ったようには見えなかった。

 見ても分からない落とし穴を作るにも地魔法が使われたのだろうか。


 追いつかれそうになっていた隊員は再び距離を取り、魔物はいらだったように大口を開けた。馬喰らいアギトは羽毛があるので鳥っぽくもあるが、鳥とは違って声を出す器官が無いのだという。

 前足も使って体を持ち上げ、落とし穴から右脚を引き抜いた魔物は今度はマルクに向かって大地を蹴った。

 体の不自由を感じさせない動きで跳び退すさるマルク。

 魔物の着地地点。やはり落とし穴があったらしく今度は両足が地面に埋もれた。合計60本生えているという牙が並ぶ大口を開け、鉤爪の生えた前足で大地を抉り飛ばす。

 爬虫類の表情など分かるはずもないが、やはり怒っているように感じられる。


 そうして接触の無いまま、更に2度。魔物は落とし穴に落とされた。

 図鑑では馬喰らいアギトの大きさは鼻の先から尾の先端まで8から9メルテと書かれていて、実際そのくらいに見える。

 命がけの追いかけっこが繰り広げられる場所は徐々に近づいてきている。

 丘の中腹。30人足らずの保全隊員が待機している場所までもう10メルテ程。


 爆発の地魔法が魔物に向かってまたさく裂した。一度、二度、三度。連続して腹に響く爆発音。魔物は吹きあがる土砂に体を押されて後退る。使ったのは中腹に居た隊員の誰かだろう。


「『大爆地アイナシーフォウ』の固め撃ち。いよいよだ」


 ゼラルドがそう言ったのが聞こえた。

 カミーラの呪文が聞こえる。背中に抱えていた金属筒を左腕で抱えて、右腕を前に突き出している。その右腕に、白い円柱状の靄がまとわりつく。

 『新式紫電レシデンジーヴィ』という風・水精霊複合魔法。カミーラは非殺傷性の魔法と言っていなかったか。


 最前線で呪文を唱えるカミーラに魔物が迫る。数本の斧が投じられるも、頭部にはじかれる。またも大地がさく裂して馬喰らいアギトが一歩横によろめいたその時、カミーラから稲妻の魔法が発せられた。

 子攫こさらいイヌ相手のときは数匹の群れに対して放射状に分裂した光線だったが、今回は一条の太い線となって魔物の鼻先に当たった。

 数十メルテ先で起きた刹那の光景で、イリアにはおそらくそうだとしか言えないが。


 『新式紫電』の遣い手はカミーラだけではなかったようで、丘の中腹にいた隊員たちからもさらに二発、紫の光線が放たれた。

 空気をひっぱたくような音と共にうち込まれた複合精霊魔法はどちらも「太いほう」である。


「はいちょっくらごめんよ」


 前に並んでいた防具持ちの見物人を押しのけて、ゼラルドが丘の頂上から仲間たちのいる方に向かって歩き出した。イリアら4人の若者は少し慌ててその後を追った。


「なんですか? 終わったってことですか?」

「近づいて平気ですの?」

「まあたぶんな。見なよ」


 見物人たちも立ち上がって丘を下り始めた。

 数十メルテ先に見える馬喰らいアギト。一歩で数メルテ飛び跳ねていた当初の軽快さは失われ、まるで普通の生き物のようにゆっくり歩き、周りを取り囲み始めた保全隊員に向かって尾を振り回している。

 近づいてよく見ると、その体のあちこちに白っぽい傷が走っているのが見える。尾の先端も不自然な形をしている。

 図鑑みた尾の形は先端に行くにしたがって細くなっていくはずだったが、この魔喰らいアギトの尾はまるで途中で切れたように丸くなっている。


 ずしずしという音を立てて東側の隊員たちに迫る魔物。隊員たちは逃げもせずに戦線を組み、その背後で地面に左手を着いている者を守っている。よく見ればそれはイリアに片手斧を貸してくれた大柄な隊員だった。

 発動したのは爆発させる魔法ではなく、イリアが世話になった釣り名人ニコライの使った『割断葬ポーラクティーバ』であった。花を咲かせるように盛り上がった大地の中心。出来た地溝に脚を取られた馬喰らいアギトは前のめりに転び、大地に腹ばいになった。

 距離が近くなったためか、魔物の息遣いまでが聞こえてくる。まるで人間が全力疾走した後のような、早い呼吸音が魔物の鼻から繰り返し鳴っている。

 自分を一飲みにしてしまいそうなその頭部にマルクが近づいて行き、10秒。

 魔物の体から力が抜け、体全体が地面にだらりと伸びたのがイリアにもわかった。


「……死亡を確認! 急いで魔石を取り出してくれ!」



 少しして、見物人の間に「おおー」というような低い歓声が広がった。確かに大きな叫び声が漏れるような劇的な結末ではない。

 結局保全隊は馬喰らいアギトと一度も接触せず、魔法のみで駆除してしまった。イリアの想像していた魔物狩りとはかなり印象が違う。


 木の伐採に使っていた二人で使う大きな鋸を持った隊員が二名、出来立ての死体に近づいていく。


「うへ、俺解体苦手なんだよね。しかもあんなにでかいのをさぁ」


 見習い兄弟の兄であるペトルがそう言って後ろを向いた。イリアも同感なので横を向くことにした。


「あ、魔石剤にするみたいですわね」


 ジゼルの目線を追うと、大きく細長い樽のような物を背負った男が見物人の中からマルクたちのほうに進み出て行った。隊員ではない。

 鉄なべのように真っ黒なその樽の表面には銀色の筋が無数に走っている。

 魔道具である『魔石固定釜』なのだろう。イリアは初めて見る。



「なんだよ来てたのかよ。危ねえから近寄んなって言われなかったのか?」


 横から声がして、振り返ってみるとやはりカミーラだった。


「わたくしは言われてませんけれど、イリアは?」

「そういえば一日待機しているように言われた気が……」

「バカ野郎。ったくしょうがねえなこいつは」


 カミーラがイリアの頭を脇に抱え、頭頂部に拳を押し当ててきた。そのせいで目をそらしていた解体の様子が目に入ってしまう。

 胴体を横に寸断された馬喰らいアギトの、心臓があるであろう片方の切断面に男が腕を突っ込んでいる。固定釜を背負っていた50歳ほどの男だ。


 頭を開放してもらって、地面に落とした短鉄棍を拾い上げる。


「カミーラさんの使ってた魔法って強いんですね」

「ああ?」

「地魔法は足止めにしかなってなかったみたいですし、けっきょくあのレシデンなんとかの魔法で倒したんでしょう? 一まとめの太い雷だから倒せたんですか?」

「ちげーよバーカ。レシデンジーヴィは雷撃戦での先行防御を主眼として開発された…… って、イリアに言ってもしょうがねえが、ともかく殺傷性は低い。前に言った通りだ」

「じゃあ……」

「馬喰らいを倒したのは隊長だよ。風魔法は目に見えないから分かんねえよな」

「そうだったんですか」

「『脱空プニアジス』って、相手の呼吸を苦しくする魔法を当てまくって窒息死させたんだ。ウチらがやってたのはただの時間稼ぎだ」


 イリアはジゼルの方を見た。ジゼルも風精霊シルフェに適性を持っているので知っていておかしくない。イリアの視線に対して肯定するように頷いた。


「『脱空』はウチも使える魔法だけどよ、隊長みたいにはいかねえ。羽根の生えてやがる魔物にはなんかあんまり効かねえから、普通使わねえんだよ。あれだけ長い間、生気を除いた風を鼻先に当て続けるのは並の技術じゃねえ。隊長みてえな凄えのが今も王室衛士隊に居てくれてりゃ、ウチら魔法使いの地位向上ももっと進むんだけどよ。チクショウ」


 カミーラはどうやら上機嫌のようである。

 機嫌がいい時は苛ついている時よりもなお、言葉が変になることにジゼルが気付き、その点はイリアと情報共有済みであった。

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