第92話 出現

「へえ、ベルザモック州から街道保全隊に同行してここまで来たんだね。まあ俺なら一人旅もできるけどね、もうレベル21だし」


 ジノークから北へ、森林魔境に向かって伸びる道はそれなりに整備されていた。前を歩き、隣りのジゼルに話しかけているのは兄のペトル。

 カロイアンという名の弟はイリアと並んで年長者二人の後を付いていく。


「ペトルさんは弓を持ってらっしゃいますけど、もしかして?」

「そう。俺は【投射】持ちさ。俺がマナを込めた矢は手から離れても3秒間強靭化されたままなんだ」



 【投射】は『武技系』アビリティーである。

 普通の把持はじ器強化異能は、文字通り手に持っている間しか効果がないのだが、【投射】のそれで強化された物はレベルに応じて長い時間、強靭化が持続する。

 投擲武器を使うにしても、弓を引くにしても身体能力が必要になるのだから、ペトルは均等型でステータスを育てていると考えるのが普通。

 レベル21で背も高いペトルは十分早く走れるはず。つまり彼らがイリアジゼルを隊を組む相手に選んだのは弟に合わせるためだろう。

 イリアはカロイアンにアビリティー種やレベルの事を聞くつもりはなかった。聞けば当然自分の事も話す流れになる。


 後ろを見ると3人組の大人が迫ってきていた。移動を始めてまだ10分だが、途中で5人組みの農民風の中年男女に追い越されている。

 マルクたち保全隊による馬喰まくらいアギト討伐の見物人がこれだけ大勢行き来するならば、別に隊など組まなくてもイリアとジゼルの二人だけで安全に移動できた気もした。


「ねえ」

「ん?」


 右から急に呼びかけられた。

 カロイアンは兄と同じく革の胴当てを装備している。武器や盾などは持っていない。4人とも広場の屋台で買った昼食用の牛肉炭火焼きの薄焼きパン包みだけを懐に入れていた。


「……イリアはなんでジノークの戦士団が討伐に出ないか知ってる?」

「知らない」

「……ジノークにはうちの他にもう一つ、『ヤマアラシ団』ってのがあるんだけど。そこのやつらが浅層まで引っ張ってきちゃったんだよ、馬喰らい」


 最初にペトルが言っていたことだが、兄弟はジノークの開発に貢献してきた『大蛇の鱗』という戦士団の、幹部の息子であるらしい。兄弟は見習いとして『大蛇の鱗』に所属して修業中なのだ。


 ペトルの補足説明によると、ヤマアラシの団員が十数人の隊で王都北方魔境森林に潜ったのは約ひと月前。

 中層でレベル上げに挑んでいたところ、遥か奥地にしか生息しないはずの馬喰らいアギトに遭遇。倒すことが出来ずに何十キーメルテもの距離を追いかけられたのだいう。



「よくわからない。そうなら責任を取って、その『ヤマアラシ団』が総出で討伐したらいいんじゃないの?」

「あっちはそうしようとしてた。けど、うちの団長がそれに反対した。あっちはひとり死人を出してたから。そこにつけこんで、死人出すくらいならうちにやらせろって。そうやって揉めてるうちに、保全隊が来ちゃって、こうなった」


 死人が出ているという言葉に、やはりイリアは内心をざわつかずにいられなかった。準備の無いまま上級魔物と出くわせば当たり前に起きる結果ではある。

 殺し、そして殺される。人と魔物の間の当たり前の生存闘争だ。


「……じゃあ、カロイアンは保全隊が馬喰らいと戦うことを良くは思ってない?」

「別に。ジノークでの主導権争いなんてくだらない。どうせ前線基地の役割はそのうち無くなるのに」

「そっか」


 ジノークが最前線でなくなれば、戦士団が本拠地とする理由は無くなる。これからジノークは農工業など他の稼ぎ方を探し出し、魔物狩りとは関りの薄い業種の人間で新たな街づくりを目指さなければならないのだろう。




 道の左側にはずっと、少し離れて流れるアクラ川の気配があった。道が川から逸れたのか、水の音やにおいが消えてしまってから四半刻ほどたったろうか。

 ペトルはジゼルにずっと話しかけ続けているし、カロイアンも時折、イリアが知らないジノークの事情の解説を始める。口調や性格は一見似ていないが、話したがりな点は同じのようだ


 4人はジノーク住民数十人に追い越されつつ駆け足をつづけた。何時だれが何のために建てたのかわからない、小さな砦を右に迂回すると、進行方向に魔境森林の陰が見えた。

 森はそのまま遠くに見える山並みに繋がって、果てしなく広がって見える。



「あの、どれくらい潜ることになるんですかね」


 イリアの質問に先を行く年長二人が振り返った。


「心配ありませんわイリア。天然魔境にはいるのが二度目だから、不安なのはわかりますけど」

「あそこにはもう百人からなだれ込んでるんだぜ? 魔物なんてみんな逃げるか殺されてるって」


 そのまま4人で森に突入。既に大勢入り込んだ直後とは言っても、やはり見通しのきかない森の中。木の陰から何かが飛び出してくるような漠然とした不安は感じる。

 林道は大型の荷車でも通れそうなくらい広かったが、4人はペトルを先頭にして一列で歩いて進んだ。走っていては音や気配に気付けなくなる。



 そのまま1刻間ほど進む。

 ジノークからの距離にして約10キーメルテ程の位置。林道の先に大きな丘が見えてきた。東側が崖になている。

 丘の上もその周辺も、広く伐採されて見通しがいい。

 皮つきの丸太が10本ほど積み上げられているのがいくつも見える。


「ここが新しい街を建設するとかしないとか、問題になってる場所だよ。なんか人が集まってるな。行ってみよう」


 ペトルに言われるがまま、標高差10メルテ以上はある丘をゆっくりと登っていく。丘の上には切り株もたくさん残っていて、ジノーク住人が上に座って水筒の中身を飲んでくつろいだりしていた。


 見覚えのある白い制服を肩に羽織った人物がいる。ジゼルがそちらに向かって行くので栗色の髪の兄弟とイリアも続いた。

 近寄ってみれば第7中隊員で間違いなく、旅の間に顔見知りになっている『骨抜き』のゼラルドだった。

 元は王都守備隊の一員で、レベル上げで魔境に挑んだ際、魔物に傷を負わされ生死の境をさまよい、肋骨を4本失っているという。

 40歳を超えている薄毛のゼラルドは荷車隊の一員だったが、丘の上に荷車は無い。短槍一本を担いでいるだけのゼラルドが近づいてくる4人に気づいた。


「お、ジゼルにイリア。お前らも来たのか」

「宿にこもっていても退屈でしたから。どういう状況ですの?」

「下準備が終わって、いま隊が3つに分かれて獲物をおびき寄せに行ってる」

「おびき寄せる?」

「問題の馬喰らいアギトは、人を食ってる」


 事情を確実に知っている大人の口から改めて言われると、その事実はやはり恐ろしい。


「……人間を感知したら向こうから襲ってくるってことですか?」

「そうでないと、俺達にはどうにもならないかな。大物狩りなんて本分じゃないしよ。向こうさんが賢くて、こっちが大戦力の時は襲ってこないと確認できれば、それはそれで収穫ではある」


 ゼラルドだけ一人で何をやっているのかと聞くと、見物人が間違って森に入って行かないよう見張っているそうだ。くじ引きで負けたらしい。



 そのまま3刻の間丘には何も動きが無かった。

 うっかりというか、流されてここまで来てしまったが。道中で馬喰らいアギトに襲われる危険は無かったのだろうか。

 切り株に腰かけて4人で昼食を齧っている途中、気づいたイリアがそう話すと否定したのはカロイアンだった。

 300人が林道を通ったのだから、【耳利き】が確率上2人は居たことになる。大きな体の馬喰らいアギトなら、微動だにしていなくとも心臓の音を聞き取れるらしく、林道の周囲に居なかったことは確実なのだそうだ。

 実際保全隊にはルーメンが居たし、見物人2百数十名の中にも複数人居ておかしくはない。



 イリアとジゼルと、『大蛇の鱗』の見習いである栗色の髪の兄弟。4人は昼食前の3刻間ずっと指の数を当てる遊びで暇をつぶしていた。

 イリアは他の3人の半分以下しか勝ち数が無い。

 昼食を食べ終わったので対戦を再開しようとイリアが立ち上がると、北の方から聞きなれない音が聞こえる。

 4人だけでなく、丘の上の全員がその方角に目をやった。


 遠くから聞こえた音は低く太い大笛の音だ。

 少し方角を変えて、もう二回。やはり大笛の音が聞こえてきた。

 ゼラルドが何か大きな声で叫んでいる。


「見つかったぞーっ! 全員固まって、防衛陣形をとってくれーっ!」


 言われた通り、大人たちはゼラルドの背後、丘の一番高い部分に集まって来た。総勢二百数十人ほどの人間の集合。イリアたち4人もゼラルドの右隣に並んだ。

 形も大きさも様々な金属盾を持った数十人。集団の北側、魔物がやってくるだろう側に集まって腰を下ろした。高揚した声で隣同士談笑している。


 数分後。頂上から見下ろす拓地と森の境界線。走り出てきた小柄な男は【耳利き】ルーメンだ。こちらを視認しながら丘の中腹まで登って来た。

 後ろを振り返り両手を耳の横に添え、森の方を音で確認している。


 やがて十数名の白い制服を着た保全隊員が森から出てきて、そのまま何も言わずルーメンの背後に回った。半分ほどが伐採作業に使っていた柄まで鉄製の斧を担いでいる。

 さらにしばらくして、もう10人余りが少し東寄りの方向から出てきた。率いていたのは戦闘小隊の指揮官マクシムのようである。


 森の方からなにかが爆発するような音。

 数百メルテ先、小鳥の群れが飛び立ち、背の高い木がへし折れて倒れていくのが見える。見物人の間から声が漏れる。

 爆発音や木の倒れる音が断続的に繰り返され、徐々に大きくなって近づいてくる。


 数人が森から飛び出てきた。

 栗色の髪をたなびかせているのは中隊長マルクだ。

 先に丘の中腹に集まっていた30人足らずの隊員たちを指さし一言、声を張って何か言った。遠くて何を言ったかまでは聞き取れない。

 マルクと共に出てきた5人は森の方を向いたままだ。中の一人はカミーラだ。銀色に輝く筒を背負っている。


 イリアのいる丘の頂上から中腹までが数十メルテ。そこからマルクたちまではさらに数十あるだろう。その向こう側、木の間にちらちらと見えた大きな影。

 人間の身長をずっと上回る高さ。杉の大樹の横から静かにゆっくりと。

 巨大で真っ黒な魔物の頭部が現れた。

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