第8話 もうこうかいしてますの!!!

「君の貴族勲章を渡せ。当然、持ってきてるだろ?」


 貴族勲章、ですって……!? まさか、本気で仰ってますの!?


「そんなの……!」

「な、なに言ってんだよフィッツさん……」


 フィッツが口にした貴族勲章という言葉に、私とキーノさん、そして取り巻きのぽっちゃり黒髪でさえもうろたえてしまう。


「あれだけ大見得切ったんだ。それぐらいは賭けられるよなあ? アリン・クレディット」


 フィッツは仕返しと言わんばかりにカイチューを煽ってくる。カイチューは当然のようにそれに応じようとする。


「へえ。それなら……」

『ダメダメダメー!!』


 カイチューが答える前に、私は懐中時計の中から必死に止める。

 このギャンブラー! 今絶対YESって答えようとしましたわよね!?!


「うるさ……なになに急に」

『キゾククンショウだけはぜったいダメですわ!!』

「ふーん、そんなやべーものなの?」

『やべーもくそもありませんわ! キゾククンショウをたにんにわたすきぞくなんて、どんなあほうでもそんなことしませんわ~!!』

「そうなんだ。今どこに持ってる?」

『え~と、ひだりあしのふとももにまいてますの』

「あ、これか。取り出すのめんどくさいな~これは」

『ちょちょちょっと! ほんとにダメですのよ!!』


 ドレスの上から太腿辺りを抑えるのやめてくださいまし~! 足のラインが浮き出て少しえっち! えっちですわ~!


 カイチューがえっちなことをしていると、キーノさんはカイチューが持っている髪飾りに震える手をそっと添えた。そして、息を大きく吸い込んで潤んだ目をはっきりと開く。


『キーノさん……』


 キーノさんの顔はいまだ怯え切ったままだけれど、濡れた瞳の奥には何か覚悟のようなものを私は感じましたの。


「ア、アリンちゃん……私、その髪飾り渡すから。ね、やめようよこんなこと」

「ええ~どうしよっかな笑」


 は?


『おいカイチュー。キーノさんにふざけたたいどとるんじゃない』

「え……あ、ごめん。えーっと、キーノ」

『キーノさん』

「……キーノさん。なんていうか、大丈夫だから。マジで」


 はぁ……なんというあやふやな答え。これは逆に不安になりますわ……

 案の定キーノさんのカイチューを止める勢いが先ほどよりも増した。


「どうしたのアリンちゃん。今日なんかおかしいよ!」

「そんなこと言われてもな~~、ふっかけたのはこっちだし……ちなみにガキンチョ、貴族勲章ってなんなの?」

『いのちよりだいじなものですわ! それがなくなるとあしたからきぞくじゃいられなくなるんですの!』


 貴族勲章とは貴族の誇りそのもの。そして、身分証明としての意味もある。希少な宝石に特殊な加工をしたもので、金貨に替える馬鹿はおりませんが、もし売ったらそれこそほどの富を得られるらしいですの!

 ちなみに、貴族勲章を普段から持ち歩くのは貴族の嗜みの一つなんですわ!


『とにかくマジでやばいものなんですわ!』

「……へえ」

「ね、一回部屋で休も? アリンちゃんきっと熱があるんだよ! ね?」

「……」


 私の貴族勲章がいかに大事な物かの説明とキーノさんの必死の説得で、流石のカイチューも手で口を覆い黙りこくる。その顔は、額に深く皺を寄せていて、深刻な表情のように見える。


 ふう……ようやくことの重大さを理解してくれたみたいですわね。ここまで言えばカイチューも貴族勲章を賭けようなんて思いませんわよね。


 だけど、そんなことフィッツが許してくれるはずがなく、ぽっちゃり黒髪やキーノさん、そして黙ったカイチューを見て余裕の表情を浮かべてこちらに近づいて来る。


「おいおいおい返事してくれよアリン・クレディット。どうなんだ? 三回勝負、やるかやらないか。ま、別に嫌なら勝負を受けなくてもいいんだぜ。おっと違うな、怖くて逃げてもいいんだぜ? か」


 はっはっはっは! と高笑いを上げ、フィッツは続ける。


「まあ俺は寛大だ。謝ってこの俺に忠誠を誓いますって言うなら見逃してやってもいいよ。そうしたら、そのチープな髪飾りだけで許してやるよ」

「そんな……」

『カイチュー……』


 カイチューは右手で口を覆い、絶句している。

 カイチューも当てが外れて、追い込まれたのだと思った。けれど、


「……クヒッ」

『ん?』


 手で覆っている口は、ほんの一瞬、フィッツに見えないように笑った。

 蜘蛛の巣に餌が舞い込んできた。そういう顔だ。


 カイチューは手を下げるとすっと表情を戻し、まるで深刻な話であるかのように口を開く。


「……そんなのダメだ……ですわ。ゲームはします。でも、3回はフェアじゃない」

『そ、そうですわそうですわ! せめて、ちゃんとイーブンになるようにこうしょうを……』

「じゃあどうすんだよ? 教えてくれよ俺にさあ!」

「……3回はダメ、だから」


 先ほどよりも明らかに興奮しているフィッツを前に、カイチューはぬらりと両手を前に出し、手を開いてその10本の指をピンと立てる。



「10回にしましょう」



「……は」

『……は?』


 フィッツは素っ頓狂な声を上げる。まるで鳩が豆鉄砲を食ったみたいに、という言葉がぴったりと合う表情を浮かべながら。先ほどまでの興奮も冷水をかけられたかのように内側に引いていくのが見てわかる。私も同じ反応なんですが。


 呆気にとられているフィッツに向かい、カイチューはコインをいじりながら同じ話を繰り返す。


「あれ、聞こえなかった? 3回じゃなくて10回にしようって言ったんだけど」

『カカカカイチュー!? ほんとーになにをおっしゃってますの!? ダメにきまってるでしょ!?! そんなのぜったいかてませんわ!!』

「もちろん、1回でも当てたらお前の勝ちだ、ですわ」

『~~~~~!!』

「ば、馬鹿にしてるのかアリン・クレディット!!? 貴様が負けたら貴族勲章を貰うって言ってるんだぞ! その価値を、意味を、重さを!! 貴様は知ってて言ってるのか!!」

『そうですわそうですわ! フィッツさまもっといってくださいまし!』


 あれ、なんで私フィッツの味方してるんでしょうか。……いやでもこれはフィッツの方が正しいですわ! そもそも貴族勲章を賭けの対象にするのもありえないというのに、10回のコイントスで1回当てられたら負けの勝負なんて、そんなの私たちが勝つ確率は……え~と、どのくらいですの……?


「良いって言ってるじゃん。俺が……じゃない、わたくしが負けたら、勲章でもなんでも持っていきな。ほら、ちゃんとあるから」

『きゃあ!』

「アリンちゃん!?」


 カイチューはドレスの片側をたくし上げ、左の太腿をフィッツに見せつける。太腿に巻かれるように装着している貴族勲章は、私の健脚とともに燦然と輝いている。


 は、はしたないですわ! はしたないですわ! 淑女たるもの不必要に肌を見せないというのに、なんてことを……!


「……真正の馬鹿だな」

「正直否定はできないな」


 カイチューはそう言うと、いじっていたコインを前触れもなく天高く弾く。


 キーン……


 コインを弾いた音は、その現象を頭で理解してようやく耳に届く。

 クルクルと宙を舞うコインは、優雅に輝くシャンデリアの光を乱反射し、その体いっぱいを使ってホール内を煌めかせる。頂点に達し一瞬の静止、その後加速し落ちてくるコインをカイチューは静かに手の甲で受け止める。


 パシッ……と、静寂の中にその音だけが響いた。


 カイチューの所作はあまりに美しかった。これまで話していたことを忘れて思わず見入ってしまうほどに。


「ほら、フィッツ様」

「……?」

「1回目。表、裏……どっちですわ?」


 それは、ゲームの開始を告げる合図だった。

 年相応の子供のように目を輝かせていたフィッツも、カイチューの問いかけでようやく今の状況を思い出し、思考を始める。


(裏、いや……表? そもそも本当に貴族勲章を賭けたのか? 最初から渡すつもりがない…… だがあいつの言動が嘘を言ってるように見えない。というか、嘘だとしても貴族勲章を賭けるだなんて口にするやつ、普通はいない……もしかして、勝つ算段がある? なら、なぜ10回勝負にしたんだ! ……くそ、くそ!考えるな今は! ゲームに集中しろ!!)


 フィッツは深く息を吸って、錯綜するゲーム以外の情報を脳から取り除く。幾分か落ち着いたところで、これは2分の1を当てるゲームなのだということに気づき、考えるのを止めた。

 ただの運ゲーに、思考の余地はないはずだから。


 口からゆっくりと息を吐く。


「……裏」

「いいね」


 その宣言を聞いて、カイチューはじらすようにコインを覆う手を除けて、結果を開示する。


『おもて、おもてがでてくださいまし……!』


 もし、裏だったら、私の貴族勲章が……んあー! なんだかすごくドキドキしますわー! 早く見せてくださいましー!


 そうしてゆっくりと手の甲から現れたのは……獅子の絵柄、つまり表。


『や、やったー! やりましたわ! ですわ!』

「……ふん」

「はっはっは! 残念だったなフィッツ様、1回目はわたくしの勝ちみたいだ。ですわ」


 大げさに喜ぶカイチューを横目に、フィッツはもう一度、誰にも気づかれないよう深呼吸をする。


(……なにも問題じゃない。少しの落胆を感じるが、たかが1回だ。この大馬鹿女のおかげであと9回はチャンスがある。そのうちの1回だ。1回当たればいい。こんなの外す方が難しいのだから、焦る必要なんてどこにもない)


 そうしていつもの平静さを取り戻していく。


 そうだ、負けるわけがない。貴族勲章を賭けるなんて言ったのはきっとこの場の勢いだ。俺はそういう、後先考えない馬鹿というのを父様の下でいくらでも見て来た。アリンもその類の一人だ。俺が勝った時、あいつは自身の犯した過ちの大きさにようやく気づき、泣いて許しを請うだろう。俺はそれが見たい。

 そして、証明するのだ。俺はこんな馬鹿の低級貴族とは違う、選ばれた貴族なのだと。


 勝ち誇ったことを言うのは、勝った後でいい。


「……とか考えてんだろうな」

『どうかされました?』

「いや、今日は運がいいみたいだ」

『そ、そんなこといってるばあいですの~~!? あと9かいも、こんなのどうやってかつんですの~!?』

「はっは、今日も元気だなガキンチョは。安心しなよ」


 カイチューは、自身が元いた懐中時計を優しく握る。


「お前は俺に賭けたんだからな」


 そして、気持ち悪いほど口角を歪ませ、ニタリと笑う。……この人、私の顔ってこと忘れてませんの……?




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