見つかる前に
「ど、どういうこと……狙われているって?」
「本当なんです、局内でその噂を耳にしました。一刻も早くこの町を出てください、でないと」
朝奈は机を挟んで反対側に座る美弥乃に迫真の表情で迫った。
「あ、朝奈……落ち着いて。私はもう六年も前に退職してる。今さら私を狙うだなんて、そんなのおかしいじゃない」
美弥乃はそんな朝奈を両手で制そうとするが、朝奈は聞き入れず美弥乃の片手を両手でぎゅっと握る。
「けどっ……けど、私は確かに聞いたんです。鈴村美弥乃は、アン対がいま喉から手が出るほど欲している存在と言えます。だからお願いします、私は、美弥乃さんに逃げて欲しいんです」
「それは……どういう意味なの?」
朝奈は美弥乃の目をじっと見つめた。美弥乃もまた、少し不安の色が滲む目を朝奈に向ける。
「凪沙が……神野凪沙が、いなくなったんです」
美弥乃の時が、止まる。瞳孔が小刻みに震えて、唇から掠れた声が漏れた。
「え……なぎさ、が……?」
神野凪沙。十年前、アン対本部の管理する研究所にて研究員として実験台の子どもたちの身体検査を担っていた人物。美弥乃もまた、彼女と一緒に同じ施設で働いていた。
「失踪って、どうして……? 彼女は研究所で働いていたのよ? 大体あの施設から出る手段なんて限られてる。失踪なんて、そんなの不可能よ!」
「カフェオレを、お持ちしました……」
その時、カフェのウェイトレスが怪しげな会話に割って入るのを躊躇うように傍らで立っていた。
「あ……ごめんなさい、ありがとう」
「い、いえ! 失礼しますっ……!」
研究所とか失踪とか、ただ事ではない様子の会話に怯えたのか、ウェイトレスは早足でその場を去った。
その背中が完全に店の奥に消えたのを確認してから、朝奈は再び美弥乃に向き直り、極限まで声のボリュームを抑えて言う。
「凪沙は、施設の人間を半分近く殺しました。きっと施設内のシステムやセキュリティも調べていた。彼女が施設から外に出るのは、それほど困難ではなかったはずです」
人間を殺した。凪沙が……? 美弥乃は朝奈の話を聞きながらもどこか半信半疑だった。自分の知る限り凪沙は、自らの利益のために無作為に殺人を犯すような人物ではない。
しかし朝奈の目に嘘くささのようなものも見られず、美弥乃は自分が何を信じるべきかの答えを決めあぐねていた。
「お願い美弥乃さん。アン対の奴らはあなたを狙っています。彼女が失踪した今、アン対は代わりになる存在を血眼になって探しているんです。だから、見つかる前にこの町から逃げて!」
「待って、待ってよ朝奈。そもそもあなた、アン対に所属してるんでしょう? なんで私を逃がそうとするの。あなたはいま、組織を敵に回しているのと同じなのよ?」
「そんなの分かっています。でも今はどうだっていいんです!」
初めて垣間見た朝奈の熱のこもった目。美弥乃は思わず口をつぐんだ。
「アン対に歯向かうとか、今はどうでもいいんです。私はただ……知ってる人が、危険な目に遭うのを見たくないんです」
朝奈の目から、透明な涙がこぼれる。
「朝奈……あなた、何を知っているの」
「……私は」
その時、朝奈のポケットでスマホが振動した。
「あ……わたし、は」
朝奈は尚も言い募ろうとするが、美弥乃は遂に目を閉じて、小さく息を吐く。
「はぁ……電話に出て。本部からじゃない?」
「だけど、美弥乃さん!」
「私は、大丈夫だから。仕事頑張りなさいよ」
カフェオレを一息にごくりごくりと飲み干してから、慣れた手つきで財布から千円札を取り出し机に置く。朝奈の言っていることが本当なら、たしかに自分はこの街にいては危険だろう。
しかしこれからどうするか、決めるためにも自分なりに事を調査する必要があった。
「美弥乃さん……!」
呼びかけるが彼女は席を立って小さく微笑みかけてから行ってしまった。朝奈はもどかしい気持ちでうるさく騒ぐスマホを取り出す。
「もしもし、堀です」
『堀朝奈さんですね? わたくし、神野凪沙と申します』
「っ……!」
朝奈は、息を止めた。彼女の息遣い。彼女の話し方。彼女の声。全て自分が憶えている、彼女の鱗片。
『朝奈、私よ。——凪沙よ』
「おね……ちゃん。どうして……」
『はぁ、ごめんねぇ。ちょっとしくじっちゃってさ』
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