ヘンなところで、あいつに似たな

 ——シオン。


 誰かが呼ぶ声がする。


 ——目を覚まして、シオン。


 ああ、この声は。


 ——私のこと、


 凪沙さんの声だ。


 ——私のこと、もう探さないで。


 ***


「……」


 紫苑は眠りから覚醒した時、目元が湿っている感触をおぼえた。


 ——私のこと、もう探さないで。


 夢から目覚める直前の彼女の声が、もう一度鮮明に脳内で再生される。


「凪沙さん……どうして、そんなことを」




 紫苑が一階へ降りると、そこにいるのは蓮だけだった。


「あ、やっと降りてきたか。夕飯にしよう」


「あれ、美弥乃さんは?」


「美弥乃は、古い知人に呼び出されたとかで出て行ったよ。夕飯は二人だけで食べてくれってさ」


 そうなんだ……とこぼして、紫苑はダイニングの椅子に座る。


「ねえ、蓮さん。聞きたいことあるの」


 蓮の目は静かに紫苑へ向けられた。紫苑は少し俯きながらしばらく黙る。二人だけの室内でウォールクロックの音がコチ、コチ、と時を刻んでいく。


「わたし……どうしても会いたい人がいる」


 蓮はその一言だけで何か勘付いたような表情をした。


 言いながら、紫苑は隠しきれないものを隠さんと俯いた。

 本当は気づいている。夢の中で、自分は何を見たのか。かつて自分の身に、何が起こったのか。

 そして今、涙を流してしまった理由も。


「蓮さん、わたし……」


「なんだ、言ってみろ」


 手を止めて静かに紫苑を見つめる蓮は、物知りげな表情で彼女に尋ねる。


「わたし、凪沙さんに会いたい」


「……」


「会って、話がしたいの。そして、ちゃんと外の世界を知れたよって言いたい。ねぇ、蓮さん。蓮さんは、凪沙さんのこと何か知ってるんじゃないの?」


 蓮は、ただ真剣な目で紫苑を見返すだけだった。しばらくずっとそうしていて、それからふぅぅ、と少し長めの息を吐いた。


「ヘンなところで、あいつに似たな。紫苑」


 そう言って、彼は困ったような顔で笑ってみせる。


「分かった。この際はっきり言おう。残念だが、凪沙には会わせてやれない」


 蓮の目つきが再び真剣になると同時に、紫苑の目は哀の色を帯びた。


「ど、どうして……?」


「彼女とは、もう十年連絡が取れていない」


「えっ……」


 紫苑の表情は痛ましいほどに歪んだ。その顔に、蓮もそっと目を伏せる。


「あの夜。お前が研究所から脱出したあの日、彼女から連絡があった。『施設から逃がしたい子どもがいる』と」


 ***


「逃がしたい、だと? 本気で言ってるのか。研究所の管理体制が易しくないことは、お前が一番分かってるはずだろ、凪沙」


『そう、そうなの。それは分かってる。けど……このままじゃ、あの子は殺されちゃう』


 電話越しに聞こえる凪沙の声。冗談でないことは、すぐに分かった。


「……それで、具体的に俺は何をすればいい」


『今夜九時、施設の裏口で待機していてほしい。アタシがあの子を連れ出すから』


「本当にそんなことが可能なのか?」


『お願い。どうしても、あの子を守りたいの』


 その時、ぷつりと電話が切れた。誰かに見つからないよう咄嗟に切ったとか、そういう感じだった。


「はぁ……今夜九時……」


 あいつの身に何も起きないといいが。その言葉は口に出さず、蓮は準備を始めた。

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