食物連鎖の頂点
四月も終わりに差し掛かり、葉桜の香りには早くも初夏の兆しが見られる。
紫苑は国語の授業中、チラチラと隣の席の生徒を窺っていた。
始業式の日咲織が「ウワサの山田くん」と呼んだ暁斗は、それから二週間ほどたった今も何か素行が悪いわけでもなく静かに板書を取っていた。
真面目とも言い切れないが表立った問題は全く起こしていない。一体なんの噂が立つというのか。それが気になって、紫苑は一人勝手に気を揉んでいた。
「……じゃ、二分ほど時間をとるから、隣の人と要約した文章を確認してみて」
国語の担当教師のセリフで、紫苑はふっと我に帰る。ノートに目を落とすと、〈要約〉と囲ったスペースは悲しいほどに一文字も埋められていなかった。
「鈴村。鈴村はどんなことを書いたんだ?」
右隣に座る暁斗が紫苑の方を向き、尋ねてくる。
「あ……えっと、えっと、思い……つかなかった」
紫苑は視線を左右に泳がせた後、大人しく肩をすくめた。
「あ……そ。俺のことをチラチラ見ていたから、てっきりもう書き終えたのかと」
「えっ」
紫苑は自分が思いのほか暁斗のことをじろじろ見ていたことにその時ようやく気づいた。
「なぜバレた、とでも言いたげな顔だな。随分と分かりやすかったぞ。俺が要約をまとめている間、やたらと気が散るほどにはな」
「う……ごめん」
「はぁ、ま、いいさ。俺の要約はこうだ。『
「……」
説明文の要約にしてはずいぶん物足りない、紫苑がそういった感情を抱いたとき、それと同時にまるで「意見文」のようだとも思った。
それは説明文を書いた筆者ではなく、どちらかといえば要約文の筆者である暁斗の——。
「はい、そこまで。それじゃあ誰かに発表してもらおうと思います。そうね……」
食物連鎖の頂点はヒトではなく別の何者か。このパラダイムシフトを起こそうとしているのは、山田暁斗なのではないか。
何者。その空白に該当するのは……紫苑の思考の中でひとつ、思い当たる存在がいた。
「今日は四月二十四日だから……二十四から四を引いて、鈴村さん」
「えっ?」
「あら? 自信がないかしら」
「えっ? な、なんで四を引くんですか!?」
紫苑は突如自分の名前を呼ばれて勢いよく立ち上がった。
「鈴村さん、もしかしてまだ要約文が完成してないのかしら」
「あ……え、っと」
「ん」
その時、紫苑の右腕を暁斗がツンとつついた。紫苑が視線を彼にやると、彼からはノートが返ってくる。
(これ、使えば?)
暁斗の口が、音は発せずとも小さく動いた。何だかんだ優しいのね、と紫苑はそのノートを受け取る。
(ありがと)
自分も口を小さく動かして、紫苑は教師に向き直った。
「『今日、食物連鎖の頂点はヒトであるとされているが、それは実に安直なパラダイムだ。ヒトは常に、何者かによって命を奪われる、“喰われる”可能性を考慮して生活を送るべきである。』」
音高く、意気揚々とそれを読み上げて、紫苑はわずかに胸をそらした。しかし教師は数秒遅れて、首を傾げる。
「鈴村さん? その教材は、これからやるアンデッドについての説明文じゃない?」
「えっ?」
「今日の題材は『日本の農業の衰退について』よ。あなた、さては授業聞いてなかったわね」
「えぇっ!? い、いやだって暁斗が」
「言い訳は結構。授業はちゃんと聞くこと。もう座りなさい」
「……すみません」
紫苑が着席すると、右隣の暁斗はいかにもおかしいと言いたげな様子で笑いを堪えていた。
「ちょっと! どうして騙したの!?」
あくまで小さく抑えた声で、紫苑は暁斗に詰め寄る。
「いや、よほど授業より俺に興味があったんだなと思って」
「は、はぁ!? そんなんじゃないし!」
「鈴村さん」
教師に睨まれ、紫苑は再びすみませんと謝る。その様子を一瞥して、暁斗はこっそり笑った。
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