最終章

第1話 準備は整っている


 絵を描くことは好きだ。自身の目に映る光景をどうやって表現するのか、模索するのが楽しい。逆に物語のように文章を書くことは苦手だ。執務で必要な報告書などの類は形式が決まってるから楽だ。困るのは日記や手紙など、自分の感情を表すもの。それだったら絵で表現するのが楽だなと思うほど、文章を書くことに苦手意識がある。

 十代の頃、聖人の巡業で忙しかった当時は婚約者だったカティとの交流は学院に入るまでは文通だけだった。カティは根気強くやり取りを頻繁に続けてくれたんだろうなと今では思う。

 だから俺が書いている日記の内容が報告書のように、淡々と事実を記しているのは自然の成り行きだった。ただ、今ではそれは少し失敗だったなと思ってる。もう少し練習すべきだった。


【ルルとマルクスで植物園にピクニックへ行った。山間部にのみ咲く、前世にあったキルシュブリューテが植樹されていてとても綺麗だった。ルルがはしゃいで、しおりにするのだと花びらを集めていた】


 ―― 俺が亡国のティアラに触れて呪われたんじゃないか、と閣下に相談しにいったとき。閣下が「日記もつけろ」と仰ったので、俺は覚えている限りの古い記憶も思い出して日記に残していった。今も毎日、その日あったことを書いている。

 今読んだ日付の内容は、レナと婚約式をする直前に約束していたピクニックに行ったときのもの

 ……その日、俺は何を感じたのか。一切覚えていない。ぼんやりそんな出来事はあったなとは覚えはある。けれどその日どんな会話をして、ルルやマルクスがどんな表情をしていたのか。雰囲気としては楽しそうにしていたようにも思えるが、思い出せない。


 先日、カティの魂の件で相談と報告に行ったときに言われたことだ。ついでに俺の記憶のことも相談したところ、ヴノールド様は呆気に取られたあとにものすごい勢いでフォティアルド様の胸ぐらを掴んで責めよった。


《フォティアルドお前、説明していないな!?》

《え? ……あ、やば》

《言っただろう! このままだとヴォルフガングマレウスがあの子の二の舞いになると! 説明しろ、今すぐ!!》

《あ~~、ごめん、ほんとごめんヴォルフガングマレウス!》


 魂見こんけんの魔法は膨大な魔力を消費する。俺がブレスレットとして身につけている宝石にはたしかに魔力を増幅する効果がある。だが、それは普段ひとが無意識のうちにつけている枷を外しているようなものだった。


《まあ普通なら魔力が枯渇すれば死に至るけど、この宝石の効果のおかげで記憶と引き換えに生きながらえてるって感じだよ》

《本ッ当に雑! 説明する気あんのかお前! エレヴェド様父上に報告するからな!! というかもうした!!》

《え、ちょ、ヤダヤダエレヴェド様親父に怒られるじゃんそれ!!》

《いっぺん完膚なきまでに叱られてこい!! ……あのねヴォルフガングマレウス、命に関わることだから本来は魔力を使用する際には枷がかけられているのが普通なんだ。その宝石のおかげで枷が外れてもたしかに命には問題ない。でも、君の魔眼は使いすぎると人に関する記憶を焼く。今までは枷があったからこそ人の顔を覚えられないという程度だった。でも今の君にはその枷がないも同然の状態だってことは忘れないで。少しでも加減を間違えると、君は大切な思い出を失くすことになる》


 そういう重要なことははじめに言っておいてほしかった。神々相手にすん、と真顔になったのは悪くないと思う。まあそれでも、使わないという選択肢はないけれど。


 このブレスレットについている外部記憶装置の宝石はあくまでつけている間のものしか記憶しないのだと、申し訳なさそうに告げてきたヴノールド様の言葉でどこか感じていた違和感はこれだったのかと理解した。

 だって、あれだけ覚えていたゲームの内容を忘れ始めているから。単純に年を食ったからかとも思ったが、資料を読み直しても思い出せないのはきっとそういうことだろう。あのゲームは人間関係をメインとしたゲームだから「人に関する記憶」って判定されたんだろうな。

 あと、自分の両親のことも。顔を思い出せないだけじゃなく、彼らがもうすでにこの世にいない人たちだってことも忘れていたのは、ペベルに指摘されて気づいたことだ。このことでだいぶペベルに心配かけたなぁ。なんとか誤魔化したけど、察しがいいあいつのことだ。気づいてるかもな。


 魂の檻を壊すのも膨大な魔力を消費する。俺の魔力にバフをかけた状態でも一日に一度が限度。そして檻を壊したあとに魔眼を使えばと改めてしっかりと二柱から忠告を受けた。

 感謝祭当日は極力魔法を使うことを控えなければいけないということだなと思いながら日記を机の引き出しにしまいこんだ。


 そう、感謝祭といえば。


「旦那様、ものの見事に引っかかりましたよ。あの人たち」

「マジで?」

「マジで」


 ルルたちの学年がひとつ進み、感謝祭での舞踏会まであと数日という段階で呆れた表情でオットーが報告してきた。


旦那様の護衛計画書をモニカ嬢本人が拾って、自分が襲われるって勘違いしたみたいですよ」


 俺を襲ってきた連中のサブリーダーを務めていた男 ―― 今はステファンと名乗っている ―― は現在、元プフィッツナー暗殺ギルドの面々をまとめあげる役目を担っており、ゾンター家の隠密隊のサブリーダーをさせている。経過をオットー経由で俺のところに報告させる練習もさせていた。人付き合いは得意なようで、オットーからの評価も上々である。

 ちなみに、あのリーダー役だった男装してた女は意外と手先が器用だったので、市井のお針子として無償労働中。メイドは適正がなかったようだったので職業斡旋所を仲介して工場を紹介したが、結構可愛がられているようで職場のお針子マダムたちに可愛がられて市井での情報収集の一役を買っている。

 あ、衣食住は保証してるし無償労働とはいえ、申請があって正当性があると判断すれば小遣いも渡してるよ。そのお陰か、彼らから反発はない。


 話を戻すが、そのステファンがオットーに報告してきた内容が失笑を誘うものだった。

 ステファンたちには、ルルからの依頼で聖女・聖人が詰める小神殿から感謝祭の夜会が開催される会場である王宮までの護衛計画を練ってもらった。次期王太子妃であるルルの公務の一環で聖女・聖人を安全に感謝祭に招く必要があるからだ。実働部隊は精鋭か第2騎士団が担うことになっているが、計画を練る段階は家門の組織を使っても良いことになっている。

 俺も草案見たけど、襲撃しやすそうなポイントなんかは元暗殺者としての観点もあって勉強になったな。

 小神殿に頻繁に行き来しつつ現地調査をしていたメンバーがその計画書の草案の写しをステファンのところに持って行くまでの間に失くした、と俺とルルは報告を受けている。「護衛ルートは第2案にしましょうか」なんてルルが苦笑いを浮かべたのは当然だろう。


 ―― 苦笑い程度なのは、元からそうさせるつもりだったからだ。

 モニカ嬢も中身が現在は異なるとはいえ聖女という身分であるのは変わりがない。学生のため免除されている部分は多いが週に一度、小神殿に赴く必要がある。予備役である俺は当主業をやっていることもあって年に数回行けば良い程度だ。

 モニカ嬢が神殿に訪問する日時に合わせて、誰のためとも書かれていない計画書の草案を彼女の前に。実情をよく知る者がよく読めば護衛計画書だと分かるものだが、知識がない者からすれば小神殿から王宮に向かうルートでの襲撃計画のように見えるだろう。


「まさか引っかかるとは思わなかったな」

「ええ、まあ。俺ですらちょっとびっくりしたというか。マルクス様から王家の影経由で得た情報では、お嬢様を断罪する証拠のひとつとして保管してるそうで。こういうとき騎士団とかに確認取りますよね?」

「普通は取る。だが普通じゃないのが彼らだということだ。実行役のメンバーはその後元気か?」

「ええ、領地の方でハンス殿に元気にしごかれてるそうです」


 実行役のメンバーは例え指示があったとしても、計画書の草案を落としたという失態が表面上ある。なので処罰としてゾンター領の方でしばらく奉仕活動をするように命令したんだが、ハンスから「久々に鍛えがいがある人が来てくれました」と喜びの連絡が来た。まあ大丈夫だろう。うん。


「つーか、神官の誰かに相談すりゃ一発で分かりますよね。拾ったのが護衛計画書だって」

「相談できればな」

「え」

「今のモニカ嬢についてはあの小神殿内では周知されている。聖女であって聖女ではない、むしろ本物の聖女を害する奴に親身になってくれる神官はいないだろう。差し障りのない交流しかしてないはずだ」


 週に一度訪問するタイミングで他の聖女・聖人と接する機会はある。というか普通は情報交換のために交流をすることがほとんどだ。だが、あのモニカ嬢は神殿で神官長に近況報告したらさっさと帰っていることが多い。だから聖女・聖人が普段どんな交流を神官たちとしているのか把握していない。モニカ嬢の今の状態に憤りを感じる他の聖女・聖人たちも率先して交流するつもりはないようだ。モニカ嬢と親交が深かったユンガー嬢ですら、交流を絶っているのだという。

 俺たち聖女・聖人は、国と民をこの魔力を持って守ることを誇りに思っている。将来を期待されていた聖女モニカの魂を押しのけその体と力を搾取しようとする輩に憤りや嫌悪感を抱くのは当然だ。表に出さずにそれとなく交流を絶っているのはさすが貴族出身というべきか。

 たぶん、なにかに気づいて神官や他の聖女たちに相談したとしても「さあ、分かりかねます」で終わるだろうな。


「この国の聖女、聖人、神殿はな。連帯感というか一体感というか、横の繋がりが強くてな。下手すると社交界以上に厄介だぞ」


 俺がにこりと笑みを浮かべれば、オットーは頬を引きつらせながら笑みを浮かべた。

 聖女だ聖人だという字面でよく勘違いされるが、俺たちは清廉潔白、品性高潔というわけじゃない。人間関係の汚い部分を最初に学ぶのは巡業中だったし、民からの感情は感謝だけじゃないことも知っている。なんのために巡業中、町中であっても護衛騎士が常に傍にいるのか考えてもらえばすぐ分かるだろう。


 と言っても、俺は特に学院入学前の十代の巡業中はあまり良い思い出がなかった、とぼんやり覚えてる程度だ。まああの頃は他の皆同様、まだ手から結界石に魔力を込めてて効率が悪かったからどういう扱いだったのかは想像できる。


「話は変わるがオットー、王太子殿下からルル宛に手紙が届いているだろう? 出しなさい」

「……あー。はい」


 出したくなかった、と珍しく感情をあらわにしながらオットーが懐から手紙を取り出した。すでに開封済みのそれはもうすでにルルが目を通しているということだ。オットーも内容を聞いているのだろう。

 手紙を受け取って便箋を広げる。短い文章とその内容に自然と眉間に皺が寄った。体裁を整えるつもりはないということか。思わずため息を吐く。


 本来であれば一ヶ月以上前にはハインリヒとルルの衣装合わせを行う。パートナーとして参加するからだ。だがハインリヒから手紙はなく、ルルから何度か伺いの手紙を送ったが返答なし。王宮で仕事をする機会があるレナがハインリヒの従者や側近経由で尋ねても返答なし。そうしてやっと送ってきた手紙がコレだ。

 便箋と封筒をバンと机に叩きつける。


「なぁにが『残念ながらエスコートはできない』だクソガキが……ッ、とっとと言え!!」

「……その手紙にある代替案、受けるんです?」

「受けない、というか普通申し出自体がありえんだろう」


 ハインリヒ自身がエスコートできない代わりに、手紙にエスコート相手を明示してきた。手紙の「もし良ければ」という文句で綴られた相手の名前が目に入り思わず舌打ちする。


「しかし、なんで王太子殿下は代理として王弟殿下を挙げたんですかね。というかこれ、王弟殿下側も了承してます? あの方、妃殿下いらっしゃるでしょう」

「最近は体調不良とかで話を聞かないがな。そもそも血縁者以外の、しかも既婚男性を未婚女性のエスコート相手にするのはありえん。せいぜい親戚の未婚男性か兄弟、もしくは父親だ」


 エスコートについてはルル本人から「私はまだ王太子殿下の婚約者ですから」とひとりで入場すると言われている。俺とレナと家族単位で入場しようがルルひとりで入場しようが、周囲から何を言われるのかは想像がつく。それなら、家族で入場した方が良いと説得してみたもののルルは首を横に振るだけだった。

 レナに「女には女の矜持があるのですよ」と言われたから引き下がったが……。

 このエスコートの申し出の目的はルルだろうな。あわよくば俺も釣れれば万々歳、というところだろうか。


 閣下から、魂の実験をしていたのはおそらく王弟殿下であると五大公侯経由で俺に調査結果を知らされたのは3日前。ただ物的証拠がなくまだ王弟殿下を詰めることはできないと苦い顔を浮かべられていた。あと一手が足りないらしい。

 状況証拠でも追い詰めることはできるだろうが、現状ハインリヒの魅了魔道具によって機能していない王家のことを考えると頭が痛い。現在、俺たちや国にとってまともな立場なのはマリア第一王女殿下だけだ。まだ15歳の殿下が背負うべき責じゃない ―― とも言っていられないのが我が国の現状なのだろう。

 そこら辺については五大公侯当主を含めた高位貴族が考えることなので、とりあえず中位貴族である俺は脳の片隅に追いやることにした。求められたら考えよう、うん。


 魔塔のフェン殿との交流も問題なくできている。彼女、彼、いやまあ彼でいいか。彼からハイネ卿経由で連絡があり、魔塔の面々が感謝祭の夜会で潜り込む算段がついたそうだ。

 マリア殿下の方も、以前ルルの名義で毒菓子が贈られてきた件の真犯人も言い逃れできない証拠を掴んだらしい。

 着々と、有頂天になっている奴らを地面に叩き落とす準備は整い始めている。


 感謝祭での夜会での主な目的はみっつ。ひとつはルルをハインリヒから解放させること。ひとつは本物のモニカ嬢を助けること。それからカティの魂を、そしてカティの魂が押し込められているであろう本物の魂を助けること。

 ……さすがに魂の解放を一日に二度は行えないか。だが、本物のモニカ嬢かカティのどちらかは保護しておいて、当日どちらかは助けたい。必然的にモニカ嬢の方になるだろうから、カティの方をどうにかしないと。

 一日に一度だけ。その上限を超えたとき、次に誰との思い出が消えてしまうのかがわからない。


 そこまで考えて、ふとオットーがじっと俺を見つめているのに気づいた。

 どうしたのかと首を傾げてみれば、オットーは真剣な表情で告げる。


「旦那様。感謝祭が終わったら、お嬢様のお誕生日が控えていますからね」

「うん。そうだな。手配は済んでるか?」

「もちろん。俺を誰だと思ってるんですか」

「優秀な側近」

「当然です」


 えへんと胸を張ったオットーを見て笑う。本当、優秀な側近を得られて良かった。



 ―― このとき、オットーが俺の思考を読んでいたことには気づかなかったのだろう。

 だが気づいたところで俺は行動を変えなかったと思うよ。むしろ、良かったと思うんじゃないだろうか。

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