第18話 例え


 ルルが疲れた様子で帰ってきたのを出迎え、少し落ち着いてから応接室で聞いてみるとエマ嬢が伝えてきた内容とほぼ同じだった。たぶんマルクスから外交監査のブラウン卿に伝わっただろうから今頃あの人も頭を抱えていることだろうなぁ。

 ちなみに、アーサー殿下はうちまでルルを送り届けてそのまま帰っている。まあ、まだルルはハインリヒの婚約者だからな。ルルには王家の影がついているし、アーサー殿下がルルに好意を抱いているなんてバレたらあいつらのことだ。ルル側の不貞として婚約破棄をしかねん。婚約破棄自体は両手を挙げて歓迎するところだが、瑕疵は向こうにつけたい。


「お父様」

「うん?」

「大丈夫ですか?」


 ふと話題が途切れたタイミングで、向かいのソファに座っていたルルがそう問いかけてきたのに思わず目を瞬かせる。心配そうに俺を見つめてくるルルに、カティのことを悟らせるわけにはいかない。まだ。というか、俺、顔に出てたかな。出してないつもりだったけど。

 ふ、と笑みを浮かべて「大丈夫だよ」と答えた。


「感謝祭の準備で追われているが、ハイネ殿らの協力もあるからな。今年は盛大になりそうだ」

「お父様が関わった事業もだいぶ大きくなりましたからね」

「思った以上に大きくなったなぁ。俺としては、カールを引き込むためにハイネ地区のあたりが改善できればと思った程度だったんだけど」

「国の方から国営化のお話も出ていますしね」


 ルルが苦笑いをしながら言ってきた内容に、俺も苦笑いを返した。

 職業斡旋事業はようやく他地区や領地にも拡大してきた段階だ。一応、要請があればうちの職業斡旋所から指導役の人員を出張させているがハイネ地区では問題にならなかったことが他の地区では問題になっていたり、逆もある。そこら辺をもう少し見極めたい。

 そもそも国が介入を示唆してくるタイミングが遅い。もう少し早く言ってくれれば、官民一体の仕組みを作れたというのに。今から仕組みを変えるのはしんどい。


「お父様、お隣に座ってもよろしいですか?」

「うん? いいよ、おいで」


 ゆっくりとルルが立ち上がったのを見て、俺も座る位置をずらしてルルが座るスペースを作った。静かにこちらに歩いて座ってきたルルの立ちふるまいに乱れはない。


「……カティに似てきたな、ルル」

「お母様にですか?」

「うん。よく似ている」


 目の辺りは俺に似ているとよく言われるが、全体的にルルはカティに似ている。

 癖っ毛のマロンブラウンの髪は緩くウェーブしており、清楚系の化粧がよく似合っている。たしか原作ゲームでのルイーゼ・レーマンは、結構美人ではあるがキツい面立ちをしていたはずだ。俺にはよくわからないが、化粧の仕方もあったんだろう。


「でも、雰囲気はレナに似てきたかな。カティはふんわりとした柔らかさを見せる人だったが、ルルはレナのような淑女としての美しさを見せるようになってきた」

「肖像画のお母様、可愛らしい人でしたものね。私はもう、あまり覚えていないのですけど……たしかにお母様は、おひさまのような暖かさを持っていたような気がします。レナ様は優しい月明かり、という印象ですね」

「たしかにな。でもカティはどっちかっていうと溌剌とした女性だったぞ」


 ふわっとした見た目からは大人しい女性に見えたが、実際のカティは底抜けに明るかった。ひまわりゾンネンブルーメが好きだと笑ったその顔は、ひまわりゾンネンブルーメがよく似合っていた。

 ―― もう、その笑顔を思い出すことはできないけれど。そう、思ったことは覚えているんだ。


「お父様」


 ルルがそっと、膝の上に置いていた俺の手にそのほっそりとした手を重ねてきた。気づけば俺は強く拳を握りしめていて。その手からルルへと視線を向ければ、ルルが優しげな眼差しで俺を見つめていた。


「―― 俺も、整理しきれてないんだ」


 ぽつり、と言葉が溢れた。声も震えている。


「だから、もう少しだけ待っていてくれないか」

「はい」

「……情けないな」


 苦笑いしながらそう呟けば、ゆるゆるとルルが首を横に振った。

 拳を握っていた手から力を抜いて反対の手でルルの手に重ねる。あんなに小さかった手は、もう大人の女性と変わらない大きさだ。


「お前を陥れようとしている奴らがいる」

「はい」

「お前に非はない。胸を張りなさい。俺やレナを含めたお前の味方が、お前の無実を証明してやる」


 やっていないことを証明するのは非常に難しい。悪魔の証明というやつだ。だが、偽の証拠でも作り上げればやったことの証明として突き上げられる。すでにルルはその偽の証拠を作り上げられてしまっている状況だ。……まあ、あまりにも拙さ過ぎてバレてるけど。

 その偽物の証拠を逆手に取る。幸いにもルルには王家の影がいる。彼らがハインリヒたちと接触する機会はほとんどなく王家のやり方に疑問を抱いていることは、すでに連携している隠密隊から聞き及んでいる。

 王家の影、と呼ばれているが実態は国に仕える者たちだ。嘘偽りなく報告すると神々に真名宣誓しているから、彼らは問われたことには嘘偽りなく答える。情報をどう扱うかは受け取り手次第、ということだな。つまり情報を受け取った側がどう扱うかによって彼らは仕える先を変えることができる ―― というのが最近分かった。


「お父様」

「うん?」

「あの、お願いがあるんです」

「なんだ? 言ってみなさい。俺ができる範囲のことなら叶えてやろう」


 ルルのお願いなんて久々だ、昔はもっと我儘を言ってくれていたのに。いやまあ、立派な淑女として成長しているという意味では我儘を言われなくなったのは喜ばしいことなんだろう。でも、親としては些細なことでも願いは口に出してほしいとも思う。


「今度、お時間ができたら絵のモデルになってください。私もお父様を描いてみたいの」

「もちろん。事が落ち着いたらモデルでもなんでもやろう」

「それから」


 一度言葉を区切ったルルは、ほんの少し頬を赤く染めた。うん? と首を傾げれば、おずおずと口を開く。


「―― ギルみたいに、とは言わないですけど。抱きしめて欲しいです」


 ルルからの申し出に目を瞬かせた。

 ……そういえば、ルルが成長してからは抱擁はあまりしなくなったな。父娘とはいえ異性だから当然といえば当然だと思っていたし、おっさんになってきた俺に嫌になったかなとちょっと思ってたりはした。から、結構嬉しい。


「もちろん。おいで」


 両手を広げると、ルルはそっと俺に身を預けてきた。背中に片腕をまわして、もう片方の手でルルの後頭部を撫でる。ああ。大きくなったなぁ、ルル。あんなに小さかったのに。

 ぎゅう、と俺の胸元の服を握りしめ、肩に頭を預けるルルの体がほんの少しだけ震えていた。


 そうだよな。怖いよな。

 ハインリヒがどんどんルルを追い詰めるような動きをしていて、同年代の周囲はほとんどが敵ばかり。少ないながらも味方がいると分かっていても、怖いよな。

 まだこの子は16歳だ。分別はついているし、大人顔負けの淑女だと持て囃されようともまだ子どもだと言っていい。

 原作ゲームであんなにキツい性格をしていたルイーゼも、本当は怖かったんだろうか。その怖さを吐き出す先がなくて、虚勢を張っていたんじゃないだろうか。本来なら頼れるはずの父親も没交渉のような状態で、頼れるはずの婚約者はヒロインに傾倒していて。逃げ場がなかったんじゃないだろうか。


「大丈夫だよ、ルル。俺はどんなことがあってもお前の味方だ」

「……はい、お父様」



 ◇◇



 それから、幾日か過ぎて。

 場所はベルント公爵家のサンルームにて。


「ありがとうございます、ヴォルフガング様。来ていただけて助かりました」

「このぐらいは当然です……というか、私でいいんですかね」

「もちろん。夫がこのように信頼する方ですから」


 向かいの席にはグレタ夫人がいる。しゃんと背筋を伸ばしてにこにこと笑みを浮かべていて、尻尾もゆらゆらと揺れているようだった。

 そして俺の膝の上に顎を乗せた黒い狐がぐだっとソファに伸びている。黒い狐でお察しだろうが、ペベルだ。人型のもふもふじゃない。本当に狐。ペベルは先祖返りの影響か、動物の形態も取れるんだよな。ちなみにグレタ夫人はできないそう。


 グレタ夫人名義で「夫のことで至急お会いしたい」と連絡があったときは驚いて、仕事に都合をつけて駆けつけたが、まさか狐の姿で出迎えられるとは思ってなかったぞ。


「疲れすぎるとこのような姿になるんです。普段は、私だけで事足りるのですが……」


 す、と彼女の懐から出された手紙を受け取り、文章を眺める。暗号化されたその内容を読み解いていくとああ、なるほど。ペベルのこの姿は隠れ蓑か。まあ、俺としてはベルント公爵家を信じているから別に口に出しても問題ないが、感謝祭も近いから念のためといったところだろうか。


「よっぽどヴォルフガング様が恋しかったのか、戻らなくて」

「はは、いや気持ち悪いなお前」

「ワン!!」


 抗議の声が膝の上からあがった。分かってる、という意思を込めてペベルの頭を撫でた。ふわふわの毛並みに戻っているのはグレタ夫人の手入れの賜物だろう。

 ペベルの頭を撫でながら、文章に改めて目を通す。これは提案書だ。ルルに非難の矛先が向けられないよう、かつハインリヒたちを引っ掛けるための。こういう情報戦を思いついたのはさすがペベルとでも言うべきか、ペベルが抱えこんだ情報ギルドのノウハウのおかげと言うべきか。両方だろうな。


 おそらく、ハインリヒは感謝祭の場で言い出すだろう。本来であれば公の場で婚約破棄を宣言するなんてことは恥ずべきこととされるから内々に済ませるものだ。けれどハインリヒはおそらくそう考えていない。絶好の機会だと着々と準備を進めているらしい。

 そのハインリヒたちを罠にかける。ゾンター伯爵家が抱え込んだ旧プフィッツナー暗殺ギルドのメンバーを利用して、ハインリヒ側に「ルルが暗殺ギルドに、モニカ嬢の暗殺依頼を出した」と見せかけるんだ。そしてその偽情報と偽証拠をわざとハインリヒ側に掴ませ、ハインリヒからルルを婚約破棄させるための足がかりとする。

 その証拠が偽物で、逆に自分たちが陥れられているとも知らずに。


「……分かっててもしんどいな」


 ルル本人は婚約破棄について納得済みのこととはいえ、公の場で宣言されることはルルが傷つくのと同義だ。例え万事うまくいってハインリヒ有責で婚約破棄し、アーサー殿下が心変わりせずルルを迎え入れてくれるのだとしても。

 だが魔塔側の目的である違法魔道具の使用確認、それから本物のモニカ嬢の魂を助けることを考えると感謝祭の場が適当だ。すでに悪女モニカの件はフィゲニア公国に秘密裏に伝えており、こちらも感謝祭の場で本物のモニカ嬢を助ける一端を担ってくれることになっている。

 できることならルルは現場から遠ざけて、事が終わるまで待っていて欲しい。

 思わずため息を吐いた俺に、グレタ夫人は「ルイーゼ様は大丈夫だと思いますよ」と言った。のろのろと視線をグレタ夫人に向けると、夫人はにこりと微笑んでいる。


「最近、学院内でのプレヴェド王国との文化交流の件でずいぶんと楽しそうですから。それにルイーゼ様はヴォルフガング様に似て、芯のお強い方です」

「……そうですかね?」

「ええ。それに、レナ様にも似ていますわ」


 血の繋がりはなくとも、見本となる人が傍にいるだけでだいぶ変わるらしい。

 それについてはちょっと納得できるかもしれない。たしかにルルの立ちふるまいはレナを参考にしたものだ。もちろん王子妃、王太子妃教育として講師であるブラウン侯爵夫人や王妃陛下から教わった部分もあるだろうが、根幹的な部分を教えたのはレナだ。だからレナに似るのも当然といえば当然だな。

 芯が強い部分は俺じゃなくてカティに似たんじゃないかなと思うけど。


 渡された紙を握りつぶす。次に手を開いて、その紙を見た。ボゥっと燃え上がったそれは灰すら残さず消えていく。


 そういえば、ハインリヒは王太子としての公務も多くなって学院に赴く機会が減っているって聞いたな。モニカ嬢はウーラン侯爵令息たちと行動してるようだが、魔道具の使用頻度が減っているからか魅了効果が薄れてきてるってことか。モニカ嬢やウーラン侯爵令息たちがハインリヒから魔道具を借りて代わりに魅了しているってわけじゃなさそうだ。

 まあ、そのハインリヒの公務の「出来」もお察しなところがあるけどな。婚約者であるルルも王太子妃候補として現時点で可能な範囲で公務をしているが、魅了の影響から逃れている人々からの評判は上々だ。ルルが王妃になればハインリヒがどうであれ国は安泰だ、みたいな声がちらほら出始めてるらしい。それはそれで、ちょっと困るんだが。


「くぅん」


 ほんの少しばかり考えにふけっていると、ペベルがぐりぐりと俺の手に頭をこすりつけてきた。元々細い目のこいつは普段目の色は見えないが、狐の姿だとほんの少しだけその金色が見える。


「……私になにかあったら家族を頼みます」

「ワン!!」

「そうならないことを祈っていますし、私共も力になります」

「ありがとうございます」


 念のため、そう、念のためだ。

 なあペベル。今度お前のことを忘れてしまったら、お前は呆れるだろうか。いや、そう言った時点で呆れるか。


 フォティアルド様から加護をいただいた前代の魔眼保有者が『もう忘れたくない』と嘆いて外部記憶装置を強請った理由は先日、ヴノールド様とフォティアルド様にカティの件を報告した際に聞いた。でも俺は聞いた内容を誰にも話すつもりはない。レナやマルクス、オットーに話してしまえばきっと止められるから。俺にとって最優先にすべきことはルルだ。

 そんなことを言ったら、ルルにもレナにも、もちろんマルクスやペベル、閣下にも怒られるだろうけど。俺はカティが注ぐはずだった愛情の分までルルを幸せにするために生きてきたのだと自負しているからこそ、譲る気はない。


 穏便に婚約を解消する方法だってあったはずだ。魅了されているとはいえ、それをせずにルルを傷つける方向で話を進めていく王家を信用することはできない。それに、本物のモニカ嬢やカティの魂を弄んだ奴を許せるものか。


 俺の愛娘ルイーゼを、悪役令嬢になどさせない。

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