第16話 比較しちゃいけないとは分かっているけれども


 初見では何が何やら、という状況ではあるがよくよく彼らの周囲を見渡せばなんとなく何が起こったのかは察せられる。

 モニカ嬢は涙を浮かべて震え、ハインリヒは彼女を支えるようにしながら「大丈夫だ」と優しく声をかけている。一方、レナの方はただただ静かに彼らを見つめて……うん? なんか、レナのドレスやら髪やら濡れてないか。

 マリア殿下に「よろしいですか」と声をかければ「もちろん」と返され、殿下の手が俺の腕から離れる。そのまま足早にレナの傍に寄りながらジャケットを脱いで、レナの肩に羽織らせた。

 ふと視線を上げるとバチリと半透明の、ラフな格好のアーサー殿下と目が合う。素早く周囲を見渡すが誰もアーサー殿下に気づいていないようだった。いや、最初からここにいるから慣れてるだけ?

 つーかアーサー殿下がいてなんでこうなってんだ、と思わずジト目になれば、彼は苦笑いを浮かべた。


《今の私の姿はあなたとレナ様以外は精霊士でも見えないし、聞こえないようにしてるから大丈夫です。あと、レナ様にお怪我はありません。レナ様が紅茶かぶせられたときに私は動かぬよう事前に申し付けられていました》


 なるほど。分かった、という意味合いを込めてゆっくりと瞬きしてからレナへと視線を戻した。レナと視線が合うと、ふと彼女の表情が若干和らぐ。


「ヴォルフェール様、なぜこちらへ?」

「閣下に用事があって王城に来ていたんだ。もう終わる頃合いかと思って近くまで迎えに来たら、ちょうど戻られる途中の第一王女殿下とお会いしてな。殿下のご厚意で会場まで入らせてもらった」

「なにご「ヴォルフガング様っ、違うんです!」……」


 わっ、と声をあげたモニカ嬢に面食らう。いま、マリア殿下が喋ろうとしてたぞ? 口を開きかけていた殿下はやや目を見開いてから、スッと細めて扇子で口元を隠した。

 あとなんで俺に訴えようとしてるのか分からんな、と考えながらレナの肩を抱き寄せる。いやなんで頭から紅茶かぶる状況になるんだよ。とりあえずモニカ嬢のことは無視してレナに顔を向けたままにする。


「レナ、火傷は」

「冷めたものでしたからございません」

「ヴォルフガング様、わたくし、フィッシャー様にまず事実をお伝えしようと」

「あれを事実だなんておっしゃるの?」


 背後から声が上がったので振り返れば、怒りで声を震わせたフンケル嬢がキッとモニカ嬢を睨みつけていた。

 ああ、そういえばルルから交流会の方にはヴィンタース嬢が、こっちにはフンケル嬢が敵情視察も兼ねて参加してみるのだと言っていたな。ルルはレナが参加するから大丈夫と止めたようだが、フンケル嬢が頑として譲らなかったらしい。まあ、実際にどんな会になるのかをこの目で確認したい、と思うのは分かる。


 辺境伯令嬢としての地位を鑑みれば、こっちに彼女が来たのはある意味正解だ。ただ彼女をそこまで激昂させることを言ったモニカ嬢の発言内容が気になるのも事実。

 レナはフンケル嬢を庇って被ったのか? 地面にティーカップが転がってるから投げつけられたとか? ある意味すげぇな、レナは侯爵当主だぞ。

 あ、でもこれ投げたのたぶんモニカ嬢じゃねぇな。社交界でも名高いフィッシャー女侯爵であるレナが来るからという理由と、噂の聖女モニカがどんなものか一目見ようと参加したであろう俺らと同年代の婦人方の冷ややかな視線がハインリヒに向けられてる。

 続けて何かを言いかけたフンケル嬢に向かって俺が手をあげると、ぐっと言葉を飲み込んでくれた。俺が味方したと勘違いしたのかパァと表情を明るくさせたモニカ嬢に俺は苦笑いを浮かべる。


「なぜ私へ弁明を?」

「だ、だってヴォルフガング様は困ったことがあれば頼って良いと」

「それは聖女に関することで申し上げたのであって、このような場であれば私は何があろうともまずは妻の味方をする。私の妻は何の理由もなく紅茶をかけられるようなことはしないと信じているからな。事情は後で、共同主催者である第一王女殿下からお伺いしよう。その上で、こちらに非があると分かれば謝罪するよ」


 そう言いながら俺は視線をマリア殿下へと向ける。殿下の顔は扇子に隠れているから分からんが、目元だけにこりと笑ったのだけは分かる。


「フィッシャー侯爵、お着替えをご用意いたします」

「お申し出に感謝いたしますが、このとおり夫が迎えに来ましたのでこのまま下がらせていただきます。第一王女殿下との共同主催、ということでしたから少しは期待していたのですけれど」

「不手際があったこと、お詫びいたしますわ。後日改めてお話させてくださいませ」


 おそらく、マリア殿下は俺を迎えに行くために中座したのだろうがここで問題が起こるであろうことは想定できなかった、もしくは想定していたが防ぎきれなかったか。

 つーかパッと見た限り招待客は女性に絞っているんだと思ったが、なんでハインリヒはここにいるんだ?


「おい、マリア! 勝手に話を進めるな、フィッシャー侯爵殿もまだ帰られては困る」

「勝手も何も、主催はわたくしとモニカ様です。そもそも、お兄様はなぜここに? 今は政務の時間では?」

「そんなもの、調整してきたに決まっているだろう。モニカ嬢が初めて主催したものだからな、提案した私がフォローしに来たのは当然のことだ」


 いや邪魔しに来たの間違いじゃね?

 内心呟いたつもりだったが僅かに声が出ていたらしく、レナに肘で腹を軽く突かれた。幸いにもハインリヒには聞こえなかったらしいが、比較的俺らの近くにいた淑女や令嬢方がさっと扇子を取り出して口元を隠した辺り聞こえてたんだろうなぁ。若いご令嬢は隠しきれず目元が笑ってるのが分かる。


《今のうち私が見た内容をお伝えしますか?》


 違和感がない程度に頭を横に振って、今はいいことを伝える。アーサー殿下が《分かりました》と答えたのを聞きながら、目の前のやり取りを眺めつつレナの濡れている髪に取り出したハンカチをあてた。じわりとハンカチが濡れていく。早く連れて帰りたいな。


「も、申し訳ありません、第一王女殿下、わたくしっ」

「モニカ嬢は悪くない。悪いのは」

「まずお兄様はお黙りになって。順番に、お兄様の訴えもお聞きします」


 扇子をぱしんと音を立てて手のひらに叩きつけて閉じながら、マリア殿下がそう言えばハインリヒは口を閉ざした。へぇ、ちょっと意外だな。我を突き通すかと思ったが、ややマリア殿下を苦手としているような表情を浮かべている。

 ちら、とハインリヒの腰付近を見る。あったな。あれか。


 もし魅了をかけるなら今の状況が良さそうなもんだが、王城の庭園は魔法禁止区域。魔道具は使用できるが、他人に向けて使用できる魔道具は登録制で制限がかかっているから登録外のものを使えば一発でバレる。自分にしか効果が出ない魔道具とかは対象外だけどな、例えば俺のブレスレットとか。

 登録に関しては王宮魔術団の管轄で、そのトップにはシュルツ閣下がいる。ハインリヒの動向を気にかけている閣下が、ハインリヒが関わっている魔道具の申請を許可するとは思えない。


「事情は、フンケル様が把握されていますね?」

「はい。嘘は申し上げません。必要であればサインによる契約もいたしましょう」

「よろしい。ではフィッシャー様、ゾンター様。お引き止めして申し訳ありません。後日必ず、ご連絡さしあげます」

「お待ちしています」


 レナがそう答え、カーテシーをしたのに合わせて俺も一礼する。

 やや疲れた様子のレナにどうしたものかと考える。ただでさえレナは王城の庭園に良い思い出がないのに、更に嫌なことをされた感じだしなぁ。

 ハインリヒが悔しそうに俺たちを睨みつけているのをよそに、俺たちはマリア殿下の指示を受けた侍女に先導されて会場から退出した。通る道が人目を避けたものなのは配慮してくれてるんだろう。


 馬車に乗り込む。俺の隣にレナを座らせ、向かいにふわりと一緒にアーサー殿下が乗っていたのも確認してから、御者に指示を出して出発させた。


「……で。何があったんです、殿下」

《そうですね。簡潔に述べるのならば、マリア殿が離席した折にレナ様へ「ルイーゼ嬢が暗殺者ギルドになにか依頼したということが噂になっている」とモニカ嬢から訴えがあったことでしょうか》

「あァ?」

「ヴォルフェール様」

《大丈夫ですよ。ヴォルフガング様がそう思われてしまうのも、仕方のないことでしょう。私も少しイラッとしましたから》


 公然の秘密で活動していた暗殺者ギルドであるプフィッツナーは瓦解した。その連中の無償労役の監督を引き受けたのはゾンター伯爵家。……まあ、なにか言われるだろうとは思ったがなぜルルの方に行く。言われるなら俺だろうが。


《そこでフンケル嬢が「ルイーゼ嬢がそんなことをするはずがない」と反論されて、やや険悪な雰囲気になりました。レナ様が仲裁に入られたタイミングで、ハインリヒ殿が乱入されまして》


 あー。そこからなんとなく想像つくぞ。


「どうせろくにレナやフンケル嬢の話を聞かず、憤慨してその辺にあったティーカップを投げつけたんでしょう」

《ご明察。そこでフンケル嬢を庇ったレナ様が紅茶をかぶった、という次第です。モニカ嬢はそこまで大事にするつもりはなかったようで、顔を真っ青にされてハインリヒ殿に「なんてことを」と訴えていましたが彼は聞く耳持たず、といったところでしょうか》

「……公平に物事を聞かず、一方の言い分や状況をそのまま鵜呑みにして突き進んでしまうのは致命的ですわね。前々から分かっていたことですがここ最近は度が過ぎています」


 フィッシャー侯爵家は裁判に関する監査を担っている。その職務にあたっているレナからすれば、ハインリヒの行動は個人としても王太子としても、ましてや王としても失格の行動だろう。

 それでも現状罷免できないのは国王、王妃、または国中の貴族からの訴えがないから。五大公侯はあくまで国の運営に関する監査役であって、発言力はあるものの実際にどうこうできるわけじゃない。国や王家の決定に反対するには国中の貴族から味方を募って訴えなければならない。各家の過半数が必要だから、集めるのに時間がかかる。

 ―― まあ、今その集めている段階なんだけど。


「というか、モニカ嬢は理解してなかったんだな。レナ紅茶をかぶることがどういうことかって」

《理解していない?》


 に、と笑ってそうレナに問えば、レナはにこりと笑って返してくれた。肯定の意味である。

 ひとり分からない様子のアーサー殿下にそういえばこれは我が国だけの特殊な事情だったな、と思い出した。


「我が国はダンジョンが多く、魔物暴走現象アウトオブコントロールが発生しやすい環境です。しかし庶民は魔力保有量が低く、誰でも扱える身体強化の魔法ですら難しい。そこで我が国では貴族の義務アーデル・フェアプリヒテとして全貴族、男女関係なく戦闘できるように教育されます。そして、当主を継ぐものは必ず中ランク以上のダンジョンを攻略できる腕がなければならない。ちなみにレナは高ランクです」

《フィッシャー侯爵ほどの実力者であれば、紅茶がかかる前に避ける、もしくはカップをはたき落とすことなど造作もない。つまりはわざと受けられた。そしてそのことについてモニカ嬢は気づいていない、と》

「王太子殿下も、ですけれど。あの場にいた方々はほぼわたくしがわざと受けたことにはお気づきだと思いますわ」


 気づかなければ、その程度の人物ということだな。

 あの場には政争に関係のないご令嬢方もいるが、レナにつられて参加した婦人方もいる。おそらく帰ったらハインリヒの失態を当主に報告するだろう。

 フィッシャー侯爵にハインリヒ王太子がティーカップを投げつけ、侯爵はそれを受けたと。それが「ハインリヒの正当な叱責から甘んじて受けた」か「ハインリヒの理不尽な叱責からわざと受けた」のどちらの意味かによって当主は態度を決めなければならないが、果たしてどうなることやら。

 中立派はもともと俺たち寄りで、最近は国王派も少しずつこっちに傾いてるところだが今回の騒動で結構な数がこっちに転びそうだな。でも王弟派がなかなか崩せないんだよなぁ。今回の参加者って王弟派もいたっけ? あとで出席者をレナに聞こう。


「ところで、ルルの方は大丈夫なんですか?」

《私が戻されていないから大丈夫です。あちらで何かあれば、戻されますから》

「リアルタイムでは共有されないということですか」

《そうですね。私がこの場で見聞きした情報は本体に戻らないと共有されませんし、逆も同じです》

「ん~。なにもないなら、それでいいんだが」

「アーサー殿下もいらっしゃるのですから、そう不安になられることはないのでは?」

「そう、だな」


 レナの言うことも最もなんだがな。マリア殿下から見せられたあのカードの件を考えるとちょっと不安なところはある。さっさとカードの内容を共有したいところだが、アーサー殿下がいる。アーサー殿下には何があってもルルを守ってもらいたいから共有しても、と思うところもあるがこの場で話すのは得策じゃないな。


「殿下には後ほど共有させていただいても?」

《我が国に不利益なことではないのであれば》

「どちらかというと我が国の恥部になりますので、話せる範囲を決めさせてください」

《なるほど。ではお待ちしましょう》


 落ち着いてそう答えるアーサー殿下を思わずじっと見つめてしまった。

 目を瞬かせて首を傾げる殿下は年相応に見えるが……いや~。


「……比較しちゃダメだっつーのは分かってるが」

「分かりますわ」

《ん?》


 アーサー殿下、第三王子なんだよな。つまりプレヴェド王国には王太子たる存在が他にいるわけで。次兄の第二王子が王太子だったな、確か。長兄の第一王子は体が弱く、王としての政務は行えないため第二位継承権があった第二王子が立太子したはず。

 ルルと同年代のアーサー殿下すらこの落ち着きようなのだから、きっとプレヴェド王国の王太子は輪をかけて優秀、あるいは周囲から信頼するに足ると判断された王族なのかもしれない。今度、時間があるときにどんな方か聞いてみようかな。


 本来はアーサー殿下やマリア殿下のような年相応ではない対応ができる王族であるべきなんだが、なんでハインリヒはああなったんだろうな。

 良い意味では年相応なんだが、王侯貴族としてはよろしくないぞ、あれ。

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