第15話 マリア第一王女殿下


 王城の庭園は広い。

 なので、お茶会の会場にほど近い進入が許可されているところまで歩き、おそらく給仕のために働いているであろうメイドに声をかけた。


「仕事中にすまない。私はヴォルフガング・ゾンターだ。この先で開催されている殿下方のお茶会について聞きたいんだが」

「はっ、はい!」

「いつ頃終わりそうか、分かるだろうか? 可能であれば妻のフィッシャー侯爵と帰ることができれば、と思っているんだが」


 にこりと微笑みながらそう伝えれば頬を赤らめながらも「確認いたします」と一礼して足早に去っていった。

 さほど動かず、目に見える範囲をぐるりと見渡す。比較的暖かい地域で雪はほぼ降らないとはいえ、薄手でもコートなしで長時間この空間にいるのは寒い。一応、東屋の付近で天幕なりなんなりを張った上で、魔道具で暖を取りながらという方法もあるが……今回はそのタイプだろうか。だいぶ前にルルが参加した王妃殿下と第二妃殿下主催の茶会も冬だったな。一応、あれは屋内だったと思うが。

 ルルとアーサー殿下の方は屋内での開催だから寒さは問題ない。


 もう間もなく、学院は冬季休暇に入る。ここで地方の貴族子息子女は、学院内に併設されている寮に留まっていることが多い。親はすでにヴィンターが始まる前に領地に戻っているからだ。

 うちの国では、年度の切り替わりは感謝祭のタイミングで行われる。新年自体は全世界共通で、前世で言えば1月1日。ただそこで派手に祝うことはない。家族揃って新年を祝うタイミングは感謝祭が開催される時期の春だ。国主催の大規模な感謝祭自体は4年に1回の開催だが、春=新年っていう感じで身内だけで祝うことは毎年行われている。

 他国では年が変わるタイミングで祝うのが一般的らしいがな。プレヴェド王国もそうなんだろうか。あとでアーサー殿下に聞いてみよう。

 春にはいろんな花々が咲き乱れる庭園も、冬の今は常緑低木で整えられている程度。花々は温室にあることだろう。

 ほぅ、と息を吐けば白い。10℃は下回ってないと思うけど。というか、この世界って気温表記あったっけか。ありそうな気がするから帰ったら息抜きに探してみるか。

 

 複数人がこちらに歩いてくる音が聞こえる。振り返って、驚きで肩が揺れたのは許してほしい。


「こうやって直接お話するのは初めてですね、ゾンター伯爵」


 ウェーブのかかったピンクゴールドの髪に、碧眼。年頃はルルよりひとつ下のはずだが、凛とした姿は王族だと一発で分かる。自然と頭を下げボウ・アンド・スクレープの姿勢を取った。

 覚え直した王族名鑑の肖像画と名前から導き出されたのはただひとり。


「創世神エレヴェドと山の神ヴノールドに感謝を。ご挨拶いたします、第一王女殿下。伯爵位を賜っておりますヴォルフガング・ゾンターでございます」


 肩に防寒のケープを羽織り、レースの手袋とお茶会向けのデイドレスを身に着けたマリア第一王女殿下だった。後ろについているのは侍女たちだろう。

 マリア殿下からお許しが出るまで頭を下げていると「顔を上げて」と声がかかったのでゆっくりと頭を上げる。ルルと身長は同じぐらいだろうか。穏やかに微笑む殿下があのハインリヒの妹君とは思えない。


「フィッシャー侯爵をお迎えに来られたとか。もうじき、会もお開きの予定でしたの。わたくし、所用があって会を中座しておりまして、ちょうどこれから戻るところでしたからエスコートしてくださる?」

「身に余る光栄です」


 いや本当。来るとしたらモニカ嬢か、もしくは侍女が迎えに来るかとふんでいたんだが予想外だ。たぶん、給仕メイドから主催者のひとりである殿下へと侍女経由で伝わったのだろう。言葉では「ついで」という風に言っているが、わざわざ迎えに来てくださったのだ。

 マリア殿下が俺に手を差し伸べてきたので、軽く一礼して腕を差し出す。そっと添えられた手を見てからゆっくりとエスコートを始めた。殿下付の侍女が先導してくれているが、あれ、そっち行くの? なんか聞いてた会場とは方向が違うような。

 周囲を見渡せば微妙に距離を空けて侍女たちが歩いている。マリア殿下の歩みもどちらかというと遅め。となるとこれは話があるってことか。わざと遠回りしつつ時間稼いでるんだな、了解。俺も急ぐことなく、殿下のペースに合わせて歩く。


「ルイーゼ様とお話できないかと思ってモニカ様主催に便乗させていただきましたけれど、結果的にこれで良かったのだと思います。フィッシャー侯爵のみならず、ゾンター伯爵とも話す機会を設けることができましたから」

「私どもに、ですか」

「ご安心なさって。わたくしの周囲にいる者たちは影も含めすべてわたくしの味方。周囲に会話が漏れることはございませんわ」


 魅了がかかっている状態ではない、と判断するには少し情報が足りないな。

 アルカイックスマイルを維持したまま「なるほど」と返せば、マリア殿下はふふと笑った。


「真名宣誓とまではいきませんが、この場でサインによる契約を交わしましょうか?」

「……そこまで仰るのであれば」


 真名宣誓が神に対する契約なのだとすれば、ここでいうサイン契約は人対人の契約である。しかも魔力を込めて書くものなので、偽造は非常に困難だ。真名宣誓は違えたときの神罰を受ける覚悟も含めた強力な契約、サイン契約は「お互いを信用します」とお互い宣誓した契約だと思えばいい。一応、裁判の証拠にもなる。

 ちなみに、職業斡旋所で軽犯罪者の罪歴告知をサインによる契約ではなく真名宣誓にしているのは、文字を書けない人がいるから。あと、罪歴に偽りはないっていう担保。うちの国は庶民、ましてやスラム出身の人たちがどれだけいるのか管理してないからな。前世でいう戸籍制度や個人番号制度みたいなのもない。まあ、モンスターに突然殺されるということも有り得る世界だから仕方ないのかも知れないけれど。


 王侯貴族によるサイン契約は、正直言ってかなり重い。だって政策を許可する書類にも使われるものだ。だからマリア殿下からサイン契約の話が出た時点で本気度が高いということだろう。


「それで、お話とは」

「フィッシャー侯爵にはすでにお伝えしたのですけれど。ルイーゼ様からわたくし宛に毒が含まれた菓子が届きました」


 ―― は?

 思わず足が止まりそうになったが、ちらとマリア殿下が俺を見上げたので止まらずに足をゆっくり進める。


「ご安心なさって。わたくしと信頼できる周囲、それから犯人以外は毒菓子が届いたことを知らないの。あと犯人がルイーゼ様だとはこれっぽっちも思っていませんわ」

「……理由をお伺いしても?」

「ひとつ、わたくしを兄の魔の手から守ってくださっているルイーゼ様がやる理由が思い当たらないこと。ひとつ、いつもルイーゼ様から何かしら贈られるときとはやや異なるルートを経由していたこと、ですわね」

「魔の手、ですか」

「……兄がわたくしに何か魔法をかけていたのは知っています。一度、ルイーゼ様に触れていただいて思考がクリアになった後はかけられたままのフリをしているので大丈夫ですが、保険でルイーゼ様にはお会いしたタイミングで触れていただいています」


 やっぱり魅了はかけられてたのか。一度ルルが魅了を解除した後、察してハインリヒたちの前ではかかったフリをし続けていると。ルルとの接触を続けているのはマリア殿下の言う通り「保険」という意味もあるだろうが、何かあったときにルルに一言でも何か伝えられる機会を作っているのだろう。

 マリア殿下は顔色ひとつ変えないまま軽くため息を吐きながら、呆れたような声で続ける。


「両陛下含め、宰相殿ももはや思考力は低下しておりますわね。異なるのは第二妃様です」

「第二妃殿下が?」

「あの方、おそらく魔法をかけられていませんわ。兄に賛同しているだけで。弟妹たちも母である第二妃を盲目的に信じている部分があるので、それで味方になっているのでしょう」


 おっと新情報。ヤスミン第二妃殿下は魅了関係なくハインリヒの味方か。まあ、実子だしなぁ。俺もルルに関しては無条件で信じる部分はあるし、第二妃殿下も同じかもしれん。

 ―― いや、身近な者ほどこそ、魅了かけさせないか? 国王、王妃両陛下だってかかってるっぽいし。第二妃殿下とその一派だけかかっていない状況は「何かあります」って言ってるようなもんだろう。わざわざ疑いの目を向けさせるような穴を作るだろうか。もしくは、あえてそこに作っているか。


「逆はいかがですか?」

「そうですわね……五大公侯はさすがというべきか、ルイーゼ様と少しでも関わりがあるからと言うべきか。王族関係者で言えば王弟妃であらせられるミランダ様でしょうか。叔父様は判別がつきませんわね」


 もともと王弟殿下は国を離れづらい国王陛下の代わりに外遊することが多い。自然と、奥方である王弟妃殿下も国内にいることは少なかったんだが、たしか今年はご懐妊ということもあって王城内で静養されてる。王弟妃殿下は遠方のガルド帝国から嫁がれてきた方だから不安だろうな。


「毒菓子に関しては」

「それは先程も申し上げたとおり。ルイーゼ様の名義でしたけれど、いつも贈られてくるルートはどこを、誰を経由してくるのか固定されていますの。通常のサインもよく似せていましたけれど、明らかに異なりましたから」


 スッと自然な流れで付かず離れずでついてきていた侍女から差し出されたメッセージカードを受け取る。

 確かにルルの筆跡によく似ている。パッと見ただけではルルからだと思ってしまいそうだが……決定的に違う部分があるな。ルルの筆記体で書かれたサイン。ルルからの本物メッセージカードなら、そのサインから続けて絵のようなものが描かれているのだが、明らかに形が違う。


 花押、という言葉を知っているだろうか。主に中国、日本で使われていた書判かきはんとも呼ばれる図案化したサインのことだ。日本だと戦国時代の大名武将が手紙につけていたのが有名だな。全盛期には草書体で絵のように、自身を表す記号として筆で書かれていたはず。有名どころだとセキレイを模した……誰だっけ。なんか、本物はセキレイの目に針で穴開けてるって言い訳した人。まあ、現代日本では閣僚などの限定的な立場でしか使われず、ほとんど印鑑に置き換わっていたと思う。

 もともと、この世界ではサインを書くときに魔力を込めれば本人だと分かるようになっている。けどそういうサインを使用することは契約と同等とみなされており、契約書や公的文書などに使われるものなので普段の手紙のやり取りなんかには使われない。封筒手紙ならシーリングスタンプで判別できるが、こういったカードなんかはただのサインで終わる。

 そこで偽造が行われたら? すり替えが行われたら? ルルを陥れようとするヤツが、ルルの筆跡を真似てあたかもルルから贈られたものだとされるのはマズい。そう考えたときにパッと脳裏に浮かんだのが花押だった。サインの末尾から続けて絵のようなものを追加する。複雑化すればするほど、他人が真似するのは難しくなる。

 まず最初に俺が絵筆を使って使い始めた。ルルが手紙の練習をし始めた頃だ。そこからルルと相談しながらルルの花押を決めて、今ではルルの花押は俺でも真似できないものになっている。俺は聖人なので百合の花のような花押を、ルルは炎を纏う鳥を象った花押になっていた。炎は俺をイメージしたんだって。それ聞いたときはめっちゃ嬉しくて、その日の夜はベッドの上でひとりのたうち回ってた。


 さて、話が少し脱線してしまったがこのメッセージカードに描かれているのは鳥のもの。明らかにルルの花押じゃない。


「今までいただいたお手紙にあったサインの絵とは異なりましたからすぐ分かりましたわ。良いですわね、これ。落ち着いたらわたくしも取り入れることを検討します」

「魔力を込めたサインに比べれば偽造は容易でしょうが、真似するのには時間がかかりますからね」

「ふふ。絵心がないわたくしでも可能かしら?」

「絵でなくとも、文字を崩すという方法も……?」


 カードの下に、もう1枚カードがあるのに気づいた。ぴったりくっついていたから最初は気づかなかったが、僅かにカードがずれたことで現れたそれ。思わず視線をマリア殿下に向ける。殿下はにこりと微笑むだけ。つまり、意図的に俺に渡されたということ。

 指先を使ってカードをずらして見えた文字列に、思い切り動揺した。だがそれを表に出さずに、スッとカードをもとに戻して渡してきた侍女にカードを差し出す。侍女が受け取るのを見ながら、話を無理やりもとに戻すことにした。マリア殿下がそう望んでいるのはなんとなく理解できるから。


「―― あと、旧字体を利用するのはいかがでしょう。古代文字も良さそうですね」

「まあ、良いアイディアですわ。わたくし、古代文字が好きですの。特にスウェーン文字が」

「ああ、スウェーン文字のデザインは素晴らしいですね。とはいっても、トゥイナーガが執筆されたエインスボルトの対訳本と、エインスボルト語の辞書がないと読めませんが」

「うふふ。わたくしもよ ―― あら。もう着いてしまったわ。楽しい時間はあっという間ですわね」


 マリア殿下の視線の先に俺も視線を向ける。

 東屋から天幕が張られたそこからはほんわかと暖かい空気がこちらに流れてくる。まあ、暖房の魔道具を使ってるか。

 マリア殿下と俺の登場に気づいたご令嬢が大きく目を見開き、手元の扇子で咄嗟に驚いた様子の口元を隠した。


「で、殿下……えっ、ゾンター伯爵!?」


 ご令嬢の呟きはあっという間に周囲に伝播する。次々と俺と殿下に向けられる視線にふたりで微笑んでみせたが、何やら静かだし空気が重い。

 それに気づいたマリア殿下がことりと小首を傾げた。


「どうなさったの?」

「そ、それが……」


 扇子で口元を隠したままのご令嬢がちらりと会場中央である東屋へと向けられる。自然と俺も殿下もそちらへと視線が向き、邪魔になりそうな位置にいたご令嬢方は自然と避ける。そうして見えた光景に俺は思わず眉根を寄せた。


 座り込んだモニカ嬢を抱き込むように庇っている様子のハインリヒに、扇子を手元に置いたまま無表情にじっとふたりを見据えるレナが立っていたから。

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