第9話 これで上書きできてる……か?


 通常、騎士との手合わせは騎士団に加入してからでないと行われない。

 しかも聖女・聖人を守る護衛騎士ともなると、自身が所属している騎士団の主の家に聖女・聖人がいない限り手合わせをする機会なんてない。つまり、ほとんどの学院生たちにとってはレア中のレアな体験ができるという状況だ。騎士志望の学院生は特にそうだろう。


 ドームのリング上に立ち、木剣を持つラルス。

 対するはリストに上がっていた、どこぞの伯爵家の次男坊。

 周囲の観客席には大勢の学院生たちが詰めかけ、俺はリングの近くに置かれた椅子に座って足を組み、頬杖をついて眺めている。

 ……いや、この体勢はあれだ。レナとオットーの指示だ。この体勢で見てるだけで色々と都合が良いから、と言われたけどなんでかな。観客席にいる学院生たちからひしひしと視線を感じるからちょっと居心地悪いんだけど。


 職員の「はじめ!」という一声に次男坊が飛びかかった。剣の腕に覚えがあるのだろう。

 フェイントをかけながらラルスに向かって一太刀。けれどラルスは顔色を変えずに難なくそれを受け流した。カンカンと木剣同士が何合か打ち合う音が響き、ふとした瞬間にラルスが勢いよく木剣を振り上げた。

 カァン! と小気味の良い音が響くと同時に、次男坊の木剣が宙を舞う。唖然とした次男坊の喉元に木剣の切っ先が突きつけられた時点で、職員が「勝者! ラルス殿!」と声を上げる。


「……軸を右側に置きすぎている」

「え?」

「もう少し、体幹を鍛えるのが良いと思われます。太刀筋はそこそこ、ですが体幹がしっかりすればそれもより良いものになるでしょう。身体強化に頼っていては改善は見込めませんよ」

「……っ」


 ラルスの助言にカッと顔を赤くした次男坊は、挨拶もせずにその場から立ち去った。


 ―― 実はこれで7人目なのだが、今のところ全戦全勝。

 それはそうだ。相手はまだ体が出来上がっていない学院生。ラルスに勝てる見込みはない。

 ラルスが相手の実力に合わせて手加減して、数合打ち合いをして負かしている。その上で相手の改善点を指摘しているのだから、さっきの次男坊のようなプライドが高い奴は苛立ちを隠せていない。

 スラム育ちだから弱いだろうって馬鹿にしてたんだろうが、そんな男が護衛騎士を名乗れるかってんだ。


 ラルスの助言に対して、反応は二分されている。

 一方は素直に受け入れてラルスに礼を述べたり、更に助言を願い出る者。これはこの学院に来たときに声をかけてきたキューネ男爵子息がそうだな。

 一方は先程の次男坊のように怒りをあらわにして無言で立ち去ったり、ラルスに対して怒鳴りつけたりする者。


 前者も後者もラルス自身は感情を表さずに淡々と対応できているのが素晴らしい。怒鳴りつけてくる者についてはさすがに職員が割って入って仲裁していた。


「オットー」

「控えております」


 笑みを絶やさず、視線を向けずにオットーに言えばさらりとそんな言葉が返ってきた。さっすが〜。


 そして最後のひとり。

 学院生との対戦だけでは華がないだろうと一枠だけ教職員から対戦相手を募ってみたところ、予想外の募集が殺到したと学長が笑っていたのを思い出す。

 のそりと現れたのは体格が良い男性だった。年代は俺と同じぐらいだろうか。たしかリストに載っていた名前はフレディ・ガイゼル。他国出身の、元第2騎士団のひとりだったはずだ。


「騎士は怪我で引退した、と書いてあったが教鞭は取れる程度か。それならラルスも楽しめるかな」

「どこを怪我されたんですかね。体格もよろしいですし、鍛錬を怠っている様子は見受けられませんが」

「左腕をやったんだと。だからほら、片手剣だ」


 騎士は通常、両手剣を使う。盾は持たない。盾を持つのはシールダーと呼ばれる特殊訓練を受けた集団で、全身で敵の攻撃を引き付ける役割を持つ者だけだ。

 片手では剣に伝わる力が落ちるから、力が伝わりやすい短剣などが好まれる。だがこの場に経ったフレディという講師は長剣を好んでいるようだ。素人目からみても腕の筋肉はすごいから、片手で長剣を操れるように特訓したんだろう。


「ひとつ、言っておく」


 デカい声をあげながら、フレディがラルスに木剣を向けた。


「最底辺出身の者が護衛騎士など務まらん。さっさと引っ込むがいい」


 ラルスは無言、無表情でフレディを見つめた。それに反して俺は内心大荒れである。

 おいてめぇラルスに今なんつった? あ? 俺が認めた奴をなんでてめぇが認めねぇとか言えんだよてめぇは俺のなんなんだよ。


「旦那様。目の色が変わっています。皆さん旦那様の様子に気づかれていますよ」

「ハハッ、いいさ。あそこまで虚仮にされたんだ。燃やさないだけ温情だ」

「……いや、本当、旦那様ってお嬢様と父娘ですよね」


 オットーの視線が観客席の一角に向けられている。

 俺もそちらに視線を向ければ、来賓席であるこことさほど遠くない位置にルルとハインリヒ、それからモニカ嬢と側近たちがいた。ルルのそばにはもちろんカールが控えており、カロリーナ嬢やクリスティーナ嬢もいる。あ、ちょっと離れた位置にアーサー殿下もいるな。

 そんなルルが絶対零度の視線をフレディに向けている。隣で「期待しているぞフレディ!」なんて場違いな声援を送ったハインリヒはとりあえず無視。モニカ嬢はなぜか目が合って、微笑まれた。


 学長が慌てて駆け寄ってきたのを見て、軽く手を振る。

 ぐ、と言葉に詰まった学長は「……申し訳ありません」と深々と頭を下げた。


「学長殿の謝罪は受け入れましょう」


 言外に学院に罪はない、とだけ返した。責はあの男にだけあると。

 学長は顔を青くしていたが、まあ、聖人を守る護衛騎士を貶してるんだからどうなるか想像つくよな。深々と再度頭を下げてきたのを見て、視線をリングに戻した。


 おろおろとしていた職員が、開始の合図を出す。

 双方構えをとったが動かない。ラルスはただただひたすらに無感情にフレディを見据えている。フレディも口元に笑みを携えているものの、ラルスを見据えていた。

 ―― 先に動いたのは、フレディだった。

 そう分かった瞬間には木剣同士が激しくぶつかった甲高い音が響く。間を置かず、何度も、何度も音が響く。観客席からどよめきが沸き起こった。フレディは使えない左腕でバランスをとりつつ、その右の剛腕で威力を乗せてラルスの木剣に思い切り叩きつけた。バキャリと木剣がへし折られる音が響く。折れたのは双方の木剣だった。

 呆気にとられていた職員がその音で我に返って「止め!!」と叫んだのは奇跡に近い。けれど、フレディは止まらなかった。


「フレディ!! やめんか!!」


 学長の怒声にも止まらない。

 折れた鋭利な木剣を振るい、フレディは間近にいるラルスに向かってそれを目にも止まらぬ速さで突き出した。観客席から遅れて事態を理解した者たちの悲鳴が聞こえる。


 ―― ドスン、と重い音が響いたのは次の瞬間だった。


 フレディが突き出した木剣の先にラルスの姿はなく、フレディが白目を向いて、口を開いている。しかし少し視線を下にずらせばラルスがフレディの懐に屈んで入り込み、ボディブローをかましているのが見えるだろう。

 いやすっげぇなラルス。ラルスが負けることはないと思っていたが、あの近距離の刺突を避けるか。俺にはすごい速さに見えたが、ラルスにとってはそうでもなかったのだろう。

 フレディの体がぐらりと揺らいだのをラルスが支える。ぐったりとしている様子から、気絶しているのだろう。


 しん、と場内が静まり返っている。

 ラルスは静かに息を吐くと、固まっている職員の方に向いた。


「担架を」

「は、はい! 救護班、担架!」


 職員の一声に場の空気が戻る。観客席の生徒たちもざわめきを取り戻し、学長は深く、深く息を吐いた。顔色が先ほどよりも悪くなっているのは、フレディのあの折れた木剣での刺突攻撃だろう。

 担架で運ばれていくフレディを一瞥し、戻ってきたラルスに軽く手を振った。


「お疲れ」

「筋は悪くなかったのですが、悪手でしたね」

「そうだな。俺が目の前にいるというのに。視野が狭まっていたのかね、彼は」


 それかもしくは、経験不足か。

 ラルスはすでに俺の護衛として場数を踏んでいる。ダンジョンにも連れて行ってるしな。だが、対してフレディはどうだろうか?

 第2騎士団は巡回がてら、モンスターと遭遇することがある。だが巡回したら必ず遭遇するというわけでもないし、何より第2騎士団は以前自浄作用が機能していなかった。フレディの現役時代がその頃であれば期待していた実力に及ばない可能性がある。

 己の実力以下の人に教える分には問題ないだろう。だが、自分より実力が上の者と相対するときはボロが出やすい。実はフレディより実力が上の生徒がいて、そいつから不満を持たれていたりして。まあ学院内のことはルルのこと以外は首を突っ込むつもりはないから、いいか。


「……引き続き、よろしいでしょうか。ヴォルフガング様」

「はい。準備をお願いいたします」


 ラルスの出番はここまで。

 ここからは俺の出番だ。


 学長が合図をすると、魔法関連の授業を担当している教職員がリングまで出てくる。それに合わせて俺も立ち上がって、拡声器の魔道具を受け取ってからゆっくりとリングへと向かった。教職員が緊張した面持ちなのはまあ、仕方ない。普通に考えればこれからやることは前例のないことだから。

 やること自体は単純だ。俺がルル以上の話題になればいいのだから、俺が派手に動けばいいだけの話。

 ざわめく場内。ルルの方を見れば、ルルは心配そうに俺を見つめていた。カチリと魔道具のスイッチを入れる。


『さて、ご存知のとおり聖女・聖人は原則戦うことはありません。魔力保有量のことを考えれば、結界石へ魔力を素早く補充し、前線で戦う方々への補助を行うべきであるからです。それゆえ、我々の身の回りには護衛騎士が置かれる。私の場合は、ラルスも含まれます』


 俺が喋りだしたのに合わせて、場内が徐々に静まり返る。


『ただし。私は聖人であると同時に、国から一領を任されている当主でもあります。それゆえ、私の領地で魔物暴走現象アウトオブコントロールの兆候が現れた場合、私自身が出動することがある。私が当主である限りは課せられる義務であるため、これは例外と言ってもいいでしょう。前例でいえばシュルツ前公爵閣下が該当します。かの方は二十数年前、聖人でありながら当時発生した大穴アオセンザイター魔物暴走現象アウトオブコントロールに対処するため前線に出動した方であることは、皆様御存知でしょう』


 近代史の授業で習うほど、閣下は偉業を成し遂げている。1年目の授業で習うことだから、今この場にいる全員が知っているはずだ。


『聖女・聖人個人の戦闘能力は様々。私は予備役ではありますが、現時点での聖女・聖人の中でも戦闘特化と言われているほどです。神殿に問い合わせていただいても構いません。まあ、このように』


 合図を出すと、待機していた教職員が即座に詠唱し俺に向けて水の中ランクの魔法を繰り出した。水の槍である。勢いよく飛んできたそれが俺に向けられたと知った場内の動揺が手に取るように分かる。

 俺に向かって飛んでくる槍を《認識》して、魔道具を持っていない方の手の指を弾いた。炎が突然槍を覆い、一瞬で蒸発する。それとともに炎が消え、その場には水の槍などなかったかのような空間となった。


『私は、魔法であろうがなんだろうが、炎で燃やします』


 にこり、と微笑んだと同時に、的が10個ほど空中に浮かんで飛び回り始める。我が家で取り入れている遠距離訓練の的だ。他家に見せたことはないが、まあ、この訓練法を学院に公開するのも良いんじゃないかとレナと相談した結果、初公開というわけ。

 場内の皆が飛び回る的にざわめいているのを聞きながら、話を続ける。


『それから魔法というものは原則、放った方向にしか効果は発動しません。先ほどの水の槍が良い例です。発動した魔法は、目標にのみ飛んでいく。途中で軌道を変えることはできない。ですので、このような飛び回る的に当てるのは至難の業です。モンスターもそう、あいつらは動き回ります。ではこれはどのように当てれば良いのか ―― よろしくお願いします』


 先ほど、水の槍を出した教職員が緊張した面持ちで飛び回る的を見据える。

 縦横無尽に動き回る的に向けて杖を向け、詠唱の後水の槍を放った。パァンと小気味の良い音とともに、ひとつの的が射抜かれる。それと同時に、場内から「おお」と感嘆の声が響き渡った。

 ほ、と安堵の表情を浮かべた教職員に内心拍手を送る。このデモンストレーションの練習期間は3週間程度だったはずだが、この人の努力のお陰で成功したと言ってもいい。普通、3週間では1個も当てられない。


『動きを観察し、次の行動を予測し、そこに至る場所に放つことで当てることができます。これは魔法だけでなく弓も同じでしょう』


 飛び回る的すべてを《認識》して、指を弾く。すると残り9個の的すべてが同時に燃え上がった。

 視界に入った、唖然とするハインリヒがおかしくて思わず笑みが浮かぶ。そうか。あいつは、俺が魔法を行使したところを見たことがなかったか。


『ゾンター伯爵家、およびフィッシャー侯爵家でのこの訓練法を学院に開示いたしました。学生の皆様の技術が向上し、国や民に貢献することを願います』


 胸に手をあて、一礼。

 するとパラパラと拍手が起こり、次第に大きくなって場内がその音で満ちた。


 ―― そのときだった。


「ルイーゼ! なぜあの訓練法を国に開示していない!!」


 あんなに音が満ちていた場が一瞬で静まり返る、なんてことあるんだな。

 ゆっくりと振り返れば、ハインリヒが立ち上がって隣のルルを睨みつけているところだった。

 ルルは冷ややかな目をハインリヒに向けながら、小首を傾げる。


「なぜ、とは?」

「あれはどう考えても有用だろう。一家門で専有せず、国に開示し広く周知すべきものだ!」

「だからこそ、父は学院に開示したのではないでしょうか」

「なに?」

「あくまで一家門で行われていた訓練です。我が家では成果は出ていますが、他家では出るとも限らない。また、的の操作は魔術師の協力が必須です。魔術師の腕によって的の操作は千差万別、各家によって訓練に差異がでる可能性もあるでしょう。そこで父と義母はまず学院に開示し、学院の魔術師もまじえて現在の訓練法を研究しより良いものとなってから国への開示を検討していました。その点は、学長とも相談の上決まっていたことです」


 さらさらと回答を述べるルルに内心拍手を送った。

 あと、国には詳細な内容は開示していないが「ちょっと良さげな訓練があるから、学院と共同でそれブラッシュアップしてから提案するね!」とざっくり伝えてある。だから情報自体は国、というか王家にも届いているはずだ。婚約者、またはその家の動きを気にしていれば。

 ということは、ハインリヒはこっちの動きはなにも見ていないってことじゃないか? いやそれマズいだろ婚約者として。ほら、それに気づいた生徒たちがちらほらと怪訝な表情をハインリヒに向けているじゃないか。いいぞもっとやれ。


「訓練内容の詳細は開示していません、が、存在や学院と共同で研究することもお手紙でお伝えしていましたが」

「手紙? 手紙など来ておらんぞ」

「いいえ。週に一度、近況をお送りしておりましたよ。お茶会等の機会もなくなりましたのでせめても、と思ってでしたが……誰か手紙を廃棄しているということでしょうか? そうなりますと、殿下の周囲に私の手紙を意図的に廃棄する者がいる、ということですね」

「私の周りにそのようなことをする者がいるものか!!」


 手紙の件はレナと相談して決めたやつだな。こっちから一応アクションし続けていかないと、どこで足元を掬われるかわからないからって。

 本当に届いていないのか、ハインリヒが単純に見ていないだけなのかは定かではないが……いや後者だろうなぁたぶん。


 ガタン、とハインリヒが勢いよく立ち上がる。


「お前は私の信頼する者たちを一切信用していないということだな!?」

「そのようなことはない、と信じておりますが、可能性も排除しきれないためお伝えしている次第です……殿下。これ以上は別室にてお話しましょう。父の、聖人ヴォルフガング様の時間は有限ですから」

「貴様ッ!! 逃げる気か!?」

「は、ハインリヒ様!」


 モニカ嬢が必死になってハインリヒにぎゅうとその腕にしがみついた。胸を押し当てるような仕草が遠目でも分かったので、わずかに眉間にシワがよってしまったのは自分でも分かる。公衆の面前で何やってんだあの小娘は。

 しかし、あの小娘のしがみつきが功を奏したようで、ハインリヒはグッと口を噤んだ。それから、すぐ踵を返してモニカ嬢たちを引き連れてその場を立ち去っていく。

 ルルはその背中を冷めた目で眺めていたが、やがて立ち上がると俺を見て頭を下げた。


「―― 普段からああなのですか、殿下は」


 ぼそりと聞いてみたが学長からの返事はない。

 視線をやれば、気まずそうに俺から目をそらしていた。



 ……はー。これ、ちゃんと俺の話題で上書きできたかなぁ。

 ちょっと保険かけとくか。


「学長、あとで私に質問がある者がいたら教えてください。まだ少し時間がありますので」

「ああ、ありがとうございます。ひとりひとつの質問に限定し、大体20名ほどで問題ないでしょうか」

「はい」

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