第8話 事前に約束ぐらい取り付けような
この学院には模擬戦用ドームが設置されている。
特別な魔法が施されてるとかそういうことはなく、単純に訓練用の闘技場のようなもの、と思ってもらえればいい。ドーム中央には四角く区切られたリングのようなものがある。
「……俺なんかで、大丈夫でしょうか」
副学長から手渡された対戦者リストをパラパラと眺めていると、ぽつりとラルスが呟いた。ルルはもう授業に戻っていていない。カールはルルの従者なので当然彼もいない。この場にいるのは俺とラルス、それからオットーだ。リストから顔をあげてラルスを見れば、少し不安げな表情を浮かべていた。
この護衛騎士と学生で模擬戦を行うとして調整を開始したとき、俺はまっさきにラルスの名を挙げた。言われた本人もフィッシャー侯爵家の騎士団の面々は驚いていたし、レナも目を丸くしていた。動じていなかったのはゾンター伯爵家の面々ぐらいだったと思う。
ラルスは本当に強い。
フィッシャー騎士団、ゾンター騎士団相手に引けをとらない実力を持っているし、屋内であればラルスのみを護衛騎士として連れ歩いても問題ないぐらいには強い。先日の襲撃の際も彼はいて、襲ってきた連中を一番多く生け捕ったのも彼だ。
それを誇ればいい。誇るべきだ。けれど、人前でそれを誇るにはラルスの出生が邪魔をする。
「お前じゃないと、と思ったから連れてきたんだよ」
「でも、アショフさんとかの方が」
「アショフは団体を統率するのに向いている。あいつは将として立つことで実力を発揮するんだ。今回の場ではそぐわない。お前は一騎士として戦うことに向いている。適材適所だよ」
「俺は」
「あんた、それでも旦那様の護衛騎士か」
オットーの言葉に、びくりとラルスが体を震わせた。
今まで黙って控えてたのにどうしたんだ、とオットーを仰ぎ見れば、オットーはじとりとラルスを睨みつけている。
「旦那様は残念美人だし猪突猛進で突っ走るし周囲の心配を無視して困らせるけど、人の向き不向きを見極めることに関してずば抜けてる。その旦那様があんたの実力であれば、自分を護れると判断した」
なんか途中、褒め言葉じゃないの入ってないかオットー。残念美人ってなんだ。猪突猛進は認めるけど。
「他の誰でもない、旦那様があんたを認めてるんだ。誇れ。胸を張れ。でなけりゃ今すぐ護衛を辞退してグズグズしてろ」
もしもしオットーさん。俺のこと持ち上げすぎじゃないか。
張り詰めた空気に俺は口を挟まず、ラルスとオットーを交互に見る。ラルスはしばし呆然としていたが、やがて顔つきが変わった。覚悟が決まったような、そんな顔。
それを見たオットーはふんと鼻息荒く吐くと、腕を組んでそっぽを向いた。
「―― 申し訳ありません旦那様。旦那様を信じていないような発言と態度でした」
「いや。最終的に信じてくれれば別に気にしない。ありがとな、オットー」
「ただムカついただけなので。……ところで、俺の役目については変更なしですよね?」
「もちろん。悪いな」
「構いません。俺の力が旦那様の役に立つのなら、大いに使い倒してください」
今回、オットーを従者にしたのはハインリヒとモニカ嬢の手の内を確認したかったからだ。
本当はこんな手、使いたくなかったんだがな。
オットーは俺と似たような感じで一般的な魔法は使えない代わりに、相手の心の声が聞こえる。
俺と同じようにどこぞの神の加護なのか、
大勢のいる部屋ではこの能力は使えないが、少人数であれば聞き分けられるらしい。
……高確率で、俺はハインリヒとモニカ嬢が俺に近づくと踏んでいる。そのタイミングでオットーに彼らの考えている内容を把握してもらうつもりだ。
オットーの能力は俺とレナ、それからオットーを引き取っていたアルタウス商会の商会長しか知らない。そもそも、思考暴走しがちな俺のストッパー役として採用されたオットーだが、引き込んだマルクスもオットーの能力を知らない。単純に、オットー自身が優秀だったから勧誘したのだとマルクスは言っていたからうまく隠していたのだろう。
俺は設定資料集からオットーの能力は把握していたが、表面上はオットーから打ち明けられて把握したようになっている。当時は俺が前世持ちだなんて誰にも言ってなかったからな。
……俺はオットーの能力を使わせたくなかった。だから、頭の片隅にはオットーに聞いてもらうのが一番手っ取り早いとは思いつつも言い出せなかった。
オットーから「お嬢様を守るために使わせてください」と申し出があったから、協力してもらうことになったんだ。
諜報向きの能力だけど、オットーの希望じゃない限りはそういう仕事にはつかせるつもりはない。能力を告白されたときの表情が苦々しいものだったから、あまり自分の能力が好きじゃないんだろうと思ったから。
まあ、俺が思考暴走して行動に移そうとするのを度々経験して、先に心を読んでおかないと後々大変だってことが分かってからは、俺限定ではあるけど率先して使うようにはなったな。使わせるつもりはなかったんだけどな。いや本当に。
俺があっさり心を読むことについて「いいよ」と許可したことに拍子抜けしたらしいけど。だってオットーだし。俺の心を読んで俺を裏切るようなことはしない、というぐらいには信頼してる。裏切られたら、まあ、それはオットーと信頼関係を築けなかった俺が悪いって話だし。
もちろん、オットーの証言は有効性がない。だが何か企んでいるのであれば、先回りしてなんとかできる可能性がある。
相手方に転生者がいた場合は警戒される可能性があるため、オットーにはあらかじめ化粧を施したり髪型を変えたりして一見してオットーだとバレないようにしてある。ファミリーネームは名乗らせていないし、印象が違えば同名でも別人だと思わせることができるだろう。
コンコン、とドアがノックされて、そちらに意識を向ける。
オットーが頷いて誰何すれば「王太子殿下と聖女モニカ様がいらっしゃいましたが……」と部屋前に待機していた職員の困惑した声が返ってきた。
……えー。約束してないんだけど。来るの想定より早いな。
つーか今、まだ授業中だろ何してんのあいつら。
オットーが俺に視線を投げた。
まあ、仕方ない。やることは決まっていたんだ。予定が早まっただけだから。
頷き返せば、オットーはドア向こうに「どうぞ」と声をかけた。
ドアが開く。「失礼する」と一応一声かけてきたハインリヒは、モニカ嬢と一緒にズカズカと部屋の中に入ってくると、俺の許可もなく向かいのソファにどかりと座った。モニカ嬢は逡巡して動きが止まったが、ハインリヒが手を引いたのでそのまま座る。
あ。そこら辺の常識はあんだな、モニカ嬢。それともハインリヒに無理やりされてますってアピールか。
ひとつため息を吐きながら、テーブルにリストを置いてハインリヒたちに向き直る。
「何か御用ですか」
「朝、私を無視しただろう」
「いいえ? 一礼させていただきましたが」
「ゾンター伯爵。あなたの立場であれば足を止め、私と言葉を交わして挨拶するのが正しいだろう。王太子たる私を蔑ろにするとはいかがなものか」
な〜〜〜。ほんっとどうなってんの。
おいラルス。殺気がでかけてる。やめなさい。仮にも王太子に殺気向けちゃいけません。
「―― 殿下は今、私がどのような立場でこの場にいると?」
「何を言っている。今であってもそうでなくとも、そなたはゾンター伯爵であろう」
「殿下」
「モニカ、ここは言わねばならぬところだ」
仮にも婚約者の父親の前なのに呼び捨てって。百歩譲ってモニカ嬢だろう。
オットーは無表情でハインリヒとモニカ嬢を見つめてるから、声でも聞いてるかな。俺やラルスの声も聞こえてるだろう。
がんばれオットー、と応援したらこちらに視線が向いた。あ、うるさい? 悪い悪い。
「伯爵であれ、聖人であれあなたはヴォルフガング・ゾンターという人だろう。王太子である私に挨拶をするのは当然のことだ」
「その理論ですと、あなたは王太子であれハインリヒ・ベルナールトという人に過ぎないということになりますが」
「屁理屈を言うな!」
カッとなって怒鳴るその様子に、思わずため息が出る。
王族はアンガーマネジメントは特に力を入れて教育するはずなんだが、できてないんじゃないかこれ。
ため息を吐いた俺にますます眉間にしわを寄せたハインリヒに、俺は呆れたように告げた。
「あなたはこの学院に通う一生徒。一生徒にいちいち立ち止まって正式な挨拶等しませんよ」
「……は?」
「学院内でも序列はありますが、それはこの学院内だけのこと。つまり学院内の序列は外部からの来客に適用されません。あなたが学院生でこの場にいる限り、外部から来た客が男爵であれ子爵であれ、あなたは敬わなければならない」
学院生同士は国内貴族、外部からの客は国外からの王侯貴族と思えばわかりやすいだろうか。
国外からの来賓は、相手の爵位がどうであれ敬うべきである。明らかに自分より低い爵位であろうと来賓に対して失礼な態度を取ればどうなるかなんて、火を見るより明らかだ。
もちろん、国内貴族同士だからといって横柄な態度を取るのもいかがなものかと思うがな。
聖女・聖人の特別授業という形での訪問は、身近な尊重すべき立場の者を出迎える場合どうするか、という授業の代わりにもなっている。
学院生として通っている聖女・聖人はもちろん除外され、一生徒として扱われるのは当然。俺のときもたしか、当時の予備役聖女が特別授業に来ていた。
「私は王太子に変わりない!」
「であれば、なおのこと様式に則って改めて約束を。事前の約束も取り付けずにこのように押しかけてくるのは礼儀に反します」
「私の、国のためならば要求を呑むべきだろう!」
―― あ。こいつ、今魅了使いやがった。
ぶわりと何かが纏わりつく感覚に思わず顔をしかめそうになったが、真顔のまま耐える。
オットーとラルスは大丈夫だろうか。心配だが、まだ振り返れない。
「ヴォルフガング様」
ずっと黙っていたモニカ嬢が口を開く。
そちらに視線を向ければ、潤んだ瞳を俺に向け、腹の前でぎゅっと両手を握り込んでいた。
「そのお話であれば、学院内ではわたくしとも、お話いただけないということでしょうか……? ぜひ、相談させていただきたいことがあるのです」
「ご存知とは思いますが、本日は特別授業のために来ているので時間がありません。そしてその相談はまず、姉君などの近しい方にされましたか?」
「姉は忙しく、それに、相談したいことは、その……」
はらりはらりと涙が落ちていく。
これ以上泣くのを堪えながらも何かを言いかけ、口を閉ざすその様子は、ルルだったら俺はどうにか聞き出そうとするだろう。だが相手はモニカ嬢だ。ヒロインらしく容姿端麗とはいえ、俺の心には何も響かない。
だが、その様子に響いた奴がいる。
「モニカ! 悩みなら私に言ってくれ。一緒に解決策を模索しよう」
「ハインリヒ様……でも」
「君のためなら私はなんだってするさ」
モニカ嬢の両手を優しく包み込み、真剣な表情で訴えるその様はまさにヒーロー。
モニカ嬢はうるうるとした瞳をハインリヒに向けている。
……いや、よそでやれよ。ここでやるな。
「殿下。先ほどもお伝えしましたが、私は特別授業のために来ているのです」
口角を上げ、ふたりににっこりと笑う。
「―― 私と話したければ、事前に約束を。あらかじめお約束いただければ私も話のテーブルにつきましょう」
だからとっとと、出ていけ。
俺の念じたことが通じたのか、口元をひくつかせたハインリヒは「では改めて約束を取り付ける。失礼する」とモニカ嬢を連れて出ていった。
モニカ嬢は名残惜し気にチラチラと俺の方を見ていたが、口角を上げたまま見送れば諦めたようで「わたくしも、ご連絡いたします」と頭を下げて出ていく。
ドアがパタンと閉まり、足音が遠ざかり。
ラルスがふ、と息を吐いたタイミングで俺はぐったりとソファの背もたれに寄りかかった。
「お疲れさまでした。魅了使ってきましたね、殿下」
「あ~~~も~~~何あいつらァ~~~」
「……魅了にかけられるってあんな感覚なのですね。ゾッとしました」
思わず、といった感じで腕をさするラルスに「分かる」と返す。
なんかこう、嫌な感じなんだよ。そう感じられるのも加護の効果なんだけど、何回も味わいたくない感覚だ。
オットーはぐりぐりと眉間をもみほぐすようにして、大きなため息を吐く。
「……何か言っていたか?」
「端的に申し上げますと、殿下の方は『なぜ俺の言う事を聞かない』『こいつ壊れているのか』『おのれ』という悪感情がほとんどでした。モニカ嬢の方は少し成果がありましたね」
「うん?」
「『ルイーゼ様を犯人に仕立て上げるように、わたくしの教材を盗ませる手筈になってるけど大丈夫かしら』だそうで」
「あ゛?」
「旦那様、表情がヤバいです。詳細は後ほどまとめます。時間もヤバいです」
ちらと時計を見れば確かにいい時間だ。
くそっ、あいつらに時間を取られたばっかりに。
思い切り、何度目か分からないため息を吐いて立ち上がる。
ラルスの前に立ち、背筋を伸ばした彼の肩をポンと叩いた。
「難しいだろうがお前らしく戦え。相手がどんな爵位でも構わん。俺が許可する」
「ヴォルフガング様の名に恥じぬよう、戦い抜きます」
そう言い放ったラルスの表情にもう迷いはない。
うん。それでこそ俺が見込んだ男だ。
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