第4話 彼女がそうではないと言い切れる根拠


「そういやあのモニカ嬢、聖女としての知識が全くないな」

「え?」


 その日の夜。

 主寝室でレナに膝枕してもらいながら、ポツポツとモニカ嬢との会話内容や魂の件を報告していて、ふと思い出したことを口に出した。

 見下ろしてくるレナの目が大きく見開かれている。


「記録審判も知らないようだったし、もピンときてなかった」

「記録審判は知らない方もいるのでは?」

「聖女・聖人の地位につく者でそれはない。記録審判はもともと、王侯貴族から聖女・聖人を守るために作られたものだからな。聖女・聖人教育の初めに必ず教わることだ」


 昔は、王侯貴族からの無理強いとかなんやかんやあって聖女・聖人の酷使がひどかった。王侯貴族側の記録者が、聖女・聖人が言っていないことや、発言を都合よく解釈して記録を書き換え、聖女・聖人に不利な記録を残し言いなりにさせることが多発していたからだ。

 それを改善するため、当時のヴノールド大神殿の神官長がヴノールド神に乞い、その助力を得て記録審判が作られたという経緯がある。

 授業中に寝ていた、とかだったら聞いていない可能性はまああるが、そんな下手な態度を取ると神官から遠慮のない叱責がくるから可能性は低そうだがな。


「それと、聖女・聖人に関する権利はひとつだけではないと思うのですが、彼女はどれも知らなかったということでしょうか?」

「あー、聖女・聖人の間ではという一言は『王侯貴族からの命令拒否権』のことを表すんだ。これだけは何が何でも絶対に覚えろと口酸っぱく言われて覚え込まされる」


 前述したとおり、聖女・聖人が王侯貴族から酷使された時代があった。その改善の一環として記録審判のほか、聖女・聖人のための権利が制定された。その最初に制定された権利が拒否権。ただ、あからさまに「拒否」の言葉を使うと印象が悪いため、俺らの中ではという言葉で通じるようになっている。

 聖女・聖人は、いかなる立場の者からの申し出を拒否することができる。

 もちろん正当性は必要だ。権利を持ってるこっちが好き勝手拒否権を乱発して、結界石への魔力補給や魔物暴走現象アウトオブコントロール発生時のサポートを怠るなんてことがあったら国や民のためにもならないし、何よりヴノールド神が絡んでるので普通に神罰が下ると思う。

 一度拒否権が発動されると、神殿が内容を精査してヴノールド神に審判を求める。ヴノールド神が発動の正当性が認めたら相手方に申し出の内容に応じた罰則が与えられるし、正当性がないと判断されたら発動した側に神官が「引き受ける必要性」を説明し、申し出を受けさせるようにする。それでも拒否する場合は処分だ。一番重荷であるとされる王都の巨大結界石への魔力補充業務を順番をすっ飛ばして強制的に実施することになる。

 俺も、罰則ではないが順番が回ってきて何度かやったことあるんだよ。王都の巨大結界石への魔力補充は2名の聖女・聖人、それから聖女・聖人とまではいかないが魔力保有量が多い貴族十数名で実施する。4年に1度行われるそれは、王都に住む民にとってはちょっとしたイベントだが実施するこちらとしてはかなり魔力を持っていかれるので意外としんどい。あと、俺はそれをやった後覚えた顔をすべて忘れた。あ、でも他にも何か忘れたような……いや、ないか。


 閑話休題。

 この拒否権こと権利に関しては「何が何でもこの単語の意味は忘れるな、覚えろ」と当時聖人だった人に教わったものだ。聞けば、他の聖女・聖人たちもそのように教育を受けてきたと聞く。

 権利、という名前だけで通じるようにしたのはある意味符牒のような意味合いを成している。きちんと教育を受けたか。その言葉の意味の重さを理解できているか。

 それをモニカ嬢は少し首を傾げ、何を言っているのかという表情を浮かべていた。その後何か言いたそうに口を開いたが、俺はそれを防ぐように発言を続けた。結果、モニカ嬢はが何なのか聞いていない。


 もちろん、この後ハインリヒや周囲の者に聞く可能性はある。だがを行使する可能性は低いと予想している。


「……え。拒否権があるのですか?審議権ではなく?」


 なぜなら、レナが驚いているように王侯貴族側にこの権利の存在について知らされていない、というよりも忘れられるほど、長らく発動された記録がないものだから。

 そして大抵のことはレナが言った審議権 ―― 全貴族当主を招集し、合議で解決することが多いことから、忘れられることに拍車がかかっているのだろう。


「ヴノールド大神殿に保管されている『聖女・聖人に関する権利』に関する書物を隅々まで見る奴はいないってことだな。まあ最初にサラッと書いてるだけだし」

「そう、だったような……ちょっと明日確認します」

「たぶん、あえてそう書いてると思うんだよな。拒否権は力が強すぎるから、発動されると痛くもない腹を神に探られることになる。それをどうにか行使させないようにするために動く輩も出てくるだろう。そういった手合のに邪魔されないように、聖女・聖人側だけで分かるようにしてる、というのもある。拒否権は神殿と聖女・聖人が揃えば成立するものだから」

「記録審判と権利の件の意味を理解していない……ということだけで、全く知らないということになるのでしょうか」


 レナの疑問は最も。モニカ嬢の聖女教育の成績が芳しくないという話もあり得なくはない。

 だが、彼女が確実に聖女に関する知識がないことが分かることがある。


 横になったまま手を伸ばして、サイドテーブルに置いていた書類をポンポンと叩く。それに気づいたレナがそれを手に取り、ぱらりとめくるのを下から見上げながら、あの手首んとこに封じられたモニカ嬢どうすっかなぁ…とぼんやり考え始めたタイミングで「は?」と声が聞こえた。もちろん、レナの声だ。


「結界石への魔力補充で、花が咲かずに終わってるって、本当ですか」

「俺が実際に見たわけじゃないから断言はできないが、神殿の内部調査の報告書だから信用できる」


 聖女・聖人が結界石へ魔力を補充する際に、必ず現れる百合の花。

 今年、モニカ嬢が学院に入る前に一度だけ行われた巡業で結界石への魔力補充をしたモニカ嬢だったが、同行した神官にとって異様な光景であったことは想像に難くない。


 前にもさらっと触れたが、村や街等の大きい規模を守る結界石は魔力が注がれると古代文字が結界石を囲むように展開されて、結界石が守れる範囲まで広がっていく。そうして、結界の構築が完了したタイミングで空に大きな百合の花がうっすらと見える。このとき、花が咲いているのが通常の状態。

 ところが、モニカ嬢は花が咲かずに蕾のまま花は消えていったらしい。いや、報告書の内容を正確に表すなら『咲きかけて、完全に開かずに』消えていっている。

 モニカ嬢は11歳の頃から巡業に出て、結界石へ魔力補充を繰り返している。以前はきちんと開いていたが、今年は完全に開かずに消えていっていることから、何か結界石側に問題があったのではと調査が入っていた。結果、結界石側は全く問題なし。

 余計な混乱を招くことも考え、神殿側はこの調査が完了してからモニカ嬢に確認した、と書類には聴取記録が残っている。つい最近の記録だ。


 ―― モニカ嬢は「百合の花が出ればいいんでしょう?」と答えたのだ。あれが異常だと認識していない。


「ヴノールド様から大神殿の神官長に魂の件の話が通っていたらしくて、今は限られた者しかこの件については知らない。彼女がダンジョン攻略に赴いているにも関わらず、結界石への補充が行われないのはこれが原因だ」

「これ、わたくしが知っても問題ないのですか?」

「ちゃんと許可は取ってる。というよりも、五大公侯がこの件について誰も把握していないのは宜しくない、ということでまずは聖人の妻であるフィッシャー女侯爵に話を通すことになった」

「ということは、ゆくゆくは五大公侯すべてに情報共有を希望されている、ということですね」

「そういうことだな」

「来週にでも五大公侯の集会があります。魂の件をどう説明するかはまだ考えますが、少なくとも聖女モニカの様子がおかしいことだけは共有します」

「ありがとう」


 するりと頭を撫でられて、思わず瞳を細める。そのまま、メガネを取られてサイドテーブルに置かれた。目元にレナの手が被さるのに合わせて目を閉じる。じんわりとした彼女の手の温かさが心地良い。


魂見こんけんの魔法を使われたようですが、調子はいかがですか?」

「……今のところ、何かを忘れてる感覚はない、と思う。帰ってきてから、ハンスに頼んで俺が現時点で覚えてる肖像画と記憶を照らし合わせたが、覚えていた」


 ブレスレット様々だな、本当に。

 あの魔法を使っている間、かなりの魔力を消費していたのは自覚していた。魔力を使いすぎれば俺の頭から人の顔が消えていく。それでも使い続けたのは、少しでも現状をひっくり返す手がかりを得るため。少しでもルルの憂いを少なくするためだ。

 不安はあったが、ブレスレットには魔力増幅効果の魔法がかかった宝石があるし、外部記憶装置となる宝石もある。万が一、何か忘れてもそこに記憶されているだろうからきっと大丈夫だと言い聞かせていた。現状、特に問題は発生していないから大丈夫だったんだろう。

 だが過信はするなと頭の片隅に置いておく。先代は30年分は問題なく記憶できていたというが、記憶量にもよるだろう。先代はどのような地位にいたのかは分からないが、俺は前世で生きてきた記憶もある。まあ、忘れてるものも多いけれど、30年以上はあるはずだ。そう考えると記憶できる量はあんまりないかもしれないな、とぼんやり思う。


「本物のモニカ嬢の魂がいたんだ。右手首につけていた百合リリーのブレスレットに抑えつけられて……いや、どちらかというと、閉じ込められている、か」

「そのブレスレットって、ゲームとやらでは好感度アップアイテムでしたよね?魅了系ではなかった、ということでしょうか」

「ルルの加護が反応していなかったから、たぶんそうだな。弱々しくて、今にも消えてしまいそうで……早く、助けてやりたいと、思った」


 4年前に会った彼女は、キラキラと輝いていた。ああ、ヒロインだと思うほどに。

 ルルから聞いた話でも芯が強く、勉強に意欲的で、引き取ってくれたベッカー伯爵家に恩を返そうと頑張る、応援したくなるような子。まさに蒼ファンヒロインそのもの。

 そんな子の魂が弱々しい光しか放っていないことに胸が締め付けられた。


「俺は視るだけしかできないからもどかしい」

「視ることができたからこそ、本物のモニカ様の様子が分かったのです。まだ彼女は、あのモニカ嬢の中にいることが分かったのです。魂の扱い方は我々にとっては門外漢。せっかくヴノールド様から『何か困ったらおいで』と言っていただけたのです。まず、本物のモニカ様の状況を報告するのが良いかと思います」

「……そうだな。近日中に都合つけて、また神殿に祈りに行くよ」

「ええ」


 目元を覆っていた手が離れる。それに合わせて目を開けば、レナと目が合った。アメジストの瞳が揺れている。思わず目を見開いてじっと見つめ合っていると、レナはゆっくりと口を開いた。


「ヴォルフェール様ばかり、負担がかかっているようで心配です」

「……そうかな」

「ええ、そうです。どうして、どうしてあなたばかり」


 手を伸ばしてレナの頬に手を添える。レナはそれにすり寄る仕草を見せて、その瞳を伏せた。


 もう、彼女とは8年近い付き合いになる。当初は完全に政略のつもりであったけれど、婚約したタイミングでレナから心の内を聞いた俺も、覚悟を決めた。レナと家族になるのだ。彼女のためにちゃんと向き合おうと。

 政略結婚した夫婦はよく仮面夫婦になることもあれば、ビジネスパートナーのような夫婦になることもあるし、きちんと情愛が育って恋愛結婚したような夫婦になることもある。


「レナの方が大変だと思うけどなぁ。あと、正直レナがいなければいつかまた暴走して道を踏み外しそうだからめっちゃ頼ってるし」

「まあ。ヴォルフェール様ったら」


 過ごしていくうちに、レナのことを女性として愛するようになった。

 カティを忘れたわけじゃない。でも、今、俺の傍に居て共に歩いてくれているのはレナだ。

 好いた女性の悲しい表情を見るのは好きじゃない。


「じゃあ、今夜は我が儘言っていいか?抱きしめて眠りたい」

「そのようなこと、我が儘ではありませんよ」

「いーや我が儘だな。今夜はギルのところで寝る予定だっただろ?そうじゃなくて俺のところにいてもらおうと思ってるから、俺の我が儘」

「ふふ。では、ギルを説得しなければなりませんね」




 さて。モニカ嬢は、ちゃんと俺の助言を聞いて動いてくれるだろうか。

 まあ、動こうが動かずにいようが次の一手は打っておかないとな。

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