第3話 モニカ嬢との対談(後編)
俺の発言を受けて檻が揺らぐ、揺らぐ。
けれど檻は頑強でまだ壊せるほどじゃない、ということだけはなんとなく分かった。なるほど。これぐらいのショックじゃ無理か。
真っ青な表情のモニカ嬢の瞳にじわじわと涙が溢れてくる。
それを見て俺はほんの少しだけ口角を上げると、にこりと思い切り笑った。
「なんて、な」
「……え?」
ぱ、と両手を広げて戯けたように告げれば、涙目のモニカ嬢がきょとりと目を瞬かせた。
組んでいた足を下ろして、ひらひらと手を振る。
「悪かったな。怖かったか?安心してくれ、わざとああいう言い方をさせてもらっただけで、本当にそう思ってるわけじゃない」
「……あ、の」
「私はまだ娘の話しか聞いていないんだ。君の話も聞きたい。どういう流れで、娘と対立しているように見える現在の状況が出来上がってしまったのかを正確に把握したいんだ。それについ先日の魔法実技の授業で娘の放った魔法が何が原因かは分からないが、君に飛んでいってしまったのは事実だから、それの謝罪もしたい」
混乱した様子を見せるモニカ嬢だったが、瞳には理知的な光が宿っている。
恐らく今、俺がどうしてこのような発言をしているのか慎重に様子を見ているのだろう。うん。表面上は困惑して何も知らぬ小娘を演じて、裏では色々と頭を回転させてるといったところかな。
悪女モニカの魂は凪いでいる。感情で魂が揺らめくのはレナやペベルで分かってるから、腹の中では冷静さを保ってるんだろう。
ここからの話は記録もとろう、とハンスに指示を出す。
ハンスが一礼して部屋から一度退室すると、すぐに先ほどとは別の、見習いではない神官が記録用紙とペンを持って入ってきた。「頼みます」と神官に告げれば、彼はにこりと微笑んでペンを取った。その様子に困惑するモニカ嬢に安心させるように微笑む。
「今、このときから会話は記録される。聖女・聖人としての立場は同じではあるが、私は伯爵家当主。君よりは身分が高いから、君に理不尽を強いることが可能だ。わざとやったさっきのようにね。君が不利にならないようにするための措置だ」
「…あの、記録するだけであればハンス様でも問題ないのでは?なぜ、神官様を」
―― へぇ。と瞳が細くなるのを自覚しつつ、笑みは絶やさない。
「記録審判を利用させてもらうんだ。あの記録用紙、ヴノールド様から記録審判を任された神官様にしか書き込めないから、不正は起こり得ない。不正を起こした神官様は神から罰せられるし、ヴノールド様の神像の前で掲げられた記録用紙の結果判定は公的記録にも残る」
「そうなのですね。初めて知りました」
真名宣誓よりは軽い、けれど神の目が入る記録審判。ヴノールド神像の御前に掲げると偽りがないと判定された場合は記録用紙が青く、偽りが記録された場合は記録用紙が真っ赤に染まる、というリトマス試験紙のような使い方をするものだ。
神殿に関わる聖女・聖人のために開発されたようなもので、王侯貴族はそういうものがあるといった程度しか知らないはずだ。
こちらも迂闊な発言はできないが、それは向こうも同じ。
言った言わないといった無駄な争いを省くためには必要な措置だ。
こほん、と軽く咳払いをして話を始める。
「怪我はなかったと聞いているが、大丈夫だったか?」
「はい。ウーラン様が庇ってくださいましたので」
「良かった…ウーラン侯爵家の方にも、もう既に話はしてあるんだが君だけなかなか捕まらなくてね。怖かっただろう?」
「怖くなかったと言えば嘘になります。ゾンター様の火の魔法は、高ランクのように見えましたから。でも、ルイーゼ様からは既に謝罪はいただいております。ヴォルフガング様からも謝罪を、となると過分ではないでしょうか」
うーん、そこの時点でなんか話がズレてんなぁ。
ルルから聞いた話では、低ランクレベルの魔法だったはず。カールにも確認はとってあるし、王家の影の方にも確認を取ったがルルの話と同じだった。明らかに、傍から見てもそうであったと。
まあ、高ランクのように《見えた》って濁してるから、ルルが放った本当のランクも把握してるんだろうな。騒動から少し時間経ってるし。
「親として、謝らせてくれ。魔法は人に向けるものじゃない。もちろん、故意か事故かは学院側の調査を待つ必要はあるけれど、怖い思いをさせたのは事実だ」
「……はい。では、謹んで謝罪をお受けいたします」
悲しげに瞼を伏せたモニカ嬢だったが、やがて「あの」と顔を上げた。
「わたくし、本当にルイーゼ様に申し訳ないと思っているのです。わたくしが、王太子殿下からのお申し出を断れれば良いのですが、わたくしは伯爵家の娘。断るに断れず……」
「そうか。まあ、うちは例外として、伯爵家としては断りづらいな」
「……本当に、申し訳ありません」
しおらしく項垂れるモニカ嬢の魂を見ながら、考える素振りで口元に手を添えた。
悪女モニカの魂は煌々と光っている。檻に揺らぎは見えなくなった。このまま見続けるのも魔力を消費するから一旦目を閉じて、魔法の発動を解除させる。
もう一度、目を開けば魂は見えなくなっていた。はぁ。アーサー殿下から借りたメガネがなけりゃ厳しかったな。
さて、と。時間もあまりないからサクサクと話は進めさせてもらおう。
「それは、娘に伝えてほしい。私からは、君に助言を」
「はい」
「噂を放置するのはお互いにとってデメリットでしかない。噂はあくまで噂。尾ひれがついてあらぬ方向に進むこともある。例えば『聖女モニカが王太子妃になろうとしている』といったこととかな」
「わ、わたくしっ、そのようなことは!」
「分かっている。だが娘の噂と共に、君のそのような噂も少なからず流れていることは知っておいてほしい。噂の否定をしたことは?」
「……言い訳がましいことではありますが、しようとしたことはございます。けれど、王太子殿下にいくらお伝えしてもそのようには受け取ってもらえず」
ハインリヒのことだから「大丈夫だ、モニカ嬢。俺が守ってやる」とか言ってそう。
ルルを婚約者に据えたお前がルルを信じなくてどうするってブチ切れそうになるが今じゃない。
「殿下への説得は、まあ骨が折れるか……。だが、ご令嬢方とも少しは交流があるだろう?彼女たち経由で、きちんと事実を伝えた方が良い。殿下からの接触が多い現状を周囲に訴えなければ、助けることができないからな」
「はい」
「話の掴みで先ほど脅すようなことを言ったが、あれは一例に過ぎない。数年後にデビューする社交界では、今の君の行動や噂は足元を掬われる」
「……はい、肝に銘じます」
真剣な表情で頷くその姿は、悪女と呼ばれた女には見えない。
年相応に、年長者の意見を聞こうとする姿勢だ。
「ああ、それから」
「?」
「万が一、殿下が君に無理強いするようなら、権利を行使しなさい」
「権利……?」
「そう。それが君の身を守る最終手段だ。できればそれを使う前に、他の聖女・聖人に助けを求めたり、神殿に駆け込むなりした方が良いが」
「……もし、わたくしが困っていたら、ヴォルフガング様も助けてくださるのですか?」
「4年前にも言っただろう?君は聖女・聖人仲間だ。困ったら我々に相談を、と」
心配そうな心持ちでモニカ嬢にそう伝えれば、モニカ嬢は頬を染めて「あっ、ありがとうございます」と答えた。
ひとまず、これで一通り確認できたな。意外な収穫もあったし、今回は一旦お開きにしても問題ないだろう。
少し冷めてしまった紅茶を飲んでいると、向かいでおずおずとしていたモニカ嬢が「あの」と再び声をかけてきた。ん?と微笑んで首を傾げれば、モニカ嬢は体の前で両手を握りながら、俺を見上げてきた。
「また、ご相談に乗っていただけますでしょうか?」
「都合が合えば」
「はい、ありがとうございます」
嬉しそうにふわりと微笑んだモニカ嬢。
これだけ見れば本当、ヒロインだし可愛いご令嬢なんだけどな。
片手を上げて、神官に合図する。神官は走らせていたペンをピタリと止めると、くるくると用紙を巻き取り始めた。きゅ、と閉じられた用紙は、神官の手でこの部屋にあった小さいヴノールド神像の前に運ばれる。ことりと置かれた記録用紙。神官が何事かを呟きながら祈りを捧げると、じわじわと用紙の色が白から青に変わっていくのが見て取れた。
これで、ここにある記録用紙は不正はなく、偽りもないことが証明された。
「私はこのあと、用事があるんだ。申し訳ないが失礼させてもらうよ」
「はい。貴重なお時間をいただき、ありがとうございました。ヴォルフガング様」
ふたり同時に席を立つ。
テーブルをぐるりと回って、モニカ嬢のもとに歩み寄ると、ブレスレットがつけられている右手をとってそっと手の甲に額をつけた。
そこにいる君は、気づいてくれるだろうか。俺が君を見つけたことを。
―― がんばってくれ。どうにかするから。
届くか分からない。でも、心の中で声をかけずにはいられない。
あの弱々しい光が消える前に、どうにかしなくては。
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